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ウルトラマンメビウス外伝 RAYGA

 第3話 狙われた星 その9

 公園内の雑木林の奥は、そのまま小高い山へ続いていた。地元住民なら『裏山』と表現する程度の、深くはないが見通しの悪い雑木林だ。
 クモイ・タイチはトライガー・ショットを右手に構えたまま、その中をゆっくり歩いていた。
 足元で、乾ききった落ち葉がざくざく踏みしだかれる音が響く。
 光線勝負に負け、吹っ飛ばされたレイガは最後、この辺りに倒れ込みながら姿を消した。
(……あの傷、あのダメージでは、人間体に変身していてもそうは動き回れん。……奴は、まだこの周辺にいる)
 辺りはすっかり夜の帳が落ち、真っ暗になっていた。
 しかし、クモイ・タイチは見えているかのような足取りで、落ち葉敷き積む雑木林の中を進んでゆく。
 実際、少なからず視界はあった。武術を学ぶ中で色々と磨いたせいか、それとも勘が鋭いせいか、暗夜でもぼんやりとは見える、判る。
 やがて、気配を感じた。この辺りに棲んでいる小動物にしては大きすぎる気配。人でなければ、熊ぐらいか。
 クモイ・タイチはなるべく足音を殺し、幹の太い木から木へ、その陰に潜みつつ慎重に近づいて行った。
 やがて、人影が見えた――ふた抱えほどもある木の陰に身を隠す。
 一人ではない。気配が二人に増えている。
 その二人の周囲は、不思議な光に照らされるように明るくなっていた。
 木の陰からそっと覗く。
 一人は這いつくばった少年――レイガだ。
 クモイ・タイチがさっきレイガだと見抜いたのは、ペスターとタッコングによる湾岸襲撃事件の時に、少年の姿を目撃していたからだった。
 もう一人は……背中からなので顔が見えない。背は高く、白髪で、革ジャンを着ている。
 ふと、クモイ・タイチは表情が曇らせた。その男の後ろ姿を、最近どこかで見たような気がした。妙な言い方だが、違う形で。
 雰囲気が似ている、と表現すると近いが、クモイ・タイチが感じているのはそうではない。もっと確信に近いものだ。
 様子をうかがっていると、二人の会話が聞こえてきた。
「……気は済んだか、レイガ」
 両手を革ジャンのポケットに入れたその男の声は低く、落ち着いた性格を感じさせるものだった。……ヤマシロ・リョウコなら渋いだの何だのとやかましく騒ぐだろう。
 そして、その男の言葉にクモイ・タイチはやはり、と目を細めた。
 男の声に、少年の姿のレイガは答えなかった。いや、もはや答える力もないのか。
 立ち上がろうとして落ち葉を掻き分けるようにもがき、ぶるぶると全身を震わせるその姿は、生れ落ちたばかりの四脚獣の子供を思わせる。
 少年の顔が上向き、クモイ・タイチの目にもその容貌がはっきりと見えた。
 右目は大きく腫れ上がり、恐らく視界を塞いでいる。顔の左半分は、額でも割れているのか血まみれ。その血まみれの中から、いまだ敗北を認めぬ鋭い眼光が――
(……違うな)
 クモイ・タイチはすぐ認識を改めた。
 あれは手負いの獣の目とか、闘争心を失っていないとか、そういう前向きな手合いの目つきではない。目つきこそ鋭く吊り上がってはいるが……あれは自分の敗北を理解しながら、それを認めたくない負け犬の目だ。
 勝ちたいがためではなく、ただ負けを認めたくないがための意地に凝り固まった……クモイ・タイチから言わせれば、自分にすらウソをつく卑怯者の目。
(やはり……奴は――)
「オ……オレ、は……まだ…………」
 立ち上がろうと踏ん張る足が、落ち葉に取られ滑った。うつぶせに倒れこんだレイガはしかし、すぐに両手をついて立ち上がろうともがき始める。
 レイガの荒い息ばかりが、夜の樹幹に響いている。
「もうよせ。今のお前では、勝負以前の問題だ」
 男は手を貸す素振りもなく、そう言った。その声に嘲笑の色はない。背中越しでも、困った顔をしているのが見えそうだ。
「イヤ、だ……。オレ、は、お前……を、倒し、て……」
「その傷で無理をすれば、いかにウルトラ族の君でも……死ぬぞ。今は休――」
「――うぅうるせぇぇぇっっっ!」
 突然、体の中で何かが爆発したかのように叫び、少年は立ち上がった。両脚を大きく広げ、しっかりと踏ん張ってぐらぐら傾ぐ上体を支える。
 それでも重心を崩して膝が砕けそうになるのを必死でこらえ、あらゆる助けを拒むかのように両腕を大きく振り回す。
「オレを……見下ろすなっ!! 導く、だとか……育てよう、だとか……大きなお世話だっ!!! オ、オレは……オレは、好きなように、やるっ!! てめえ、の、指図は、受けねえっ!! 手前ら、なんぞに……教わ、る、こと、なん……ぞ――ぐ、ぶ」
 不意に顔色が変わったかと思うと、盛大に血の塊を吐き出した。
 さすがに立っていられず、前のめりに這いつくばって苦悶の極みのような咳を続ける。
 クモイ・タイチは奥歯をぎりりと噛み締めた。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

「――だったら、オレが引導を渡してやる」
 限りない苛立ちと憎しみを込めた声。
 木の陰から現れた地球人に、二人の顔が向く。
 革ジャンの男が、わずかに目をすがめた。
「……君は……GUYSの隊員か」
 地球人の目が、男にちらりとだけ走る。トライガーショットの銃口を少年に向けたまま、少し遠回りに近づいて来る。
「GUYSジャパン所属、CREWGUYSのクモイ・タイチ。――敵性異星人レイガ、貴様を逮捕、拘束し、連行する。抵抗するなら、命の保障はしない」
 這いつくばったまま、クモイ・タイチを見上げる少年の目の色に変化はない。ただ新たな敵の存在を認識した、それだけの目。
 革ジャンの男がクモイ・タイチを制するように手を上げる。
「クモイ隊員、待ってくれないか。彼は――」
「あなたが何者であろうと、ここは地球で、私は地球の平和を守るGUYSの隊員だ。あなたの指示は受けない」
 ぴしゃりと言い放つと、再び革ジャンの男は困ったような顔になった。
 クモイ・タイチはその表情を横目で見ながら付け足す。
「たとえ……あなたが元MATの隊員・郷秀樹で、さっき死にかけた少女を救ってくれた新マンだとしても、だ」
 革ジャンの男の表情がわずかに曇る。
「ほう。……私を知っているのか。以前にどこかで会ったかな?」
 レイガの方に集中しようとしていたクモイ・タイチはその問いに、逡巡する様子を見せた。
 しばらく黙って這いつくばってまだ両肩で大きく息をしているレイガと男を見比べ、仕方なさそうに首を横に振った。
「いいや。だが、若い頃のあなたをつい最近、GUYS総本部のアーカイブで見た」
「GUYSのアーカイブ……過去の記録か」
「そうだ。40年ぶりに帰ってきたウルトラマンだ。ともに戦うならばと、確認したMAT時代の記録の中にあなたがいた。40年前、MAT最後の作戦で殉職したことにはなっていたが……その変わらぬ面影、それにウルトラマンが関わっているのなら、今ここにいることの辻褄は合う」
「なるほど。だからさっきグロンケン、などという名前を出せたのか。……礼を言うよ、クモイ隊員。悪島の時といい、本当に助かった」
「え?」
 思わず、クモイ・タイチは郷秀樹を振り返っていた。その表情は驚愕に色を失っている。
「いいのか!? あなたは今、自分を新マンだと認めたんだぞ!?」
「事実だからな。仕方がない。まあ……できたら、黙っていてくれると助かるかな」
「あなたは………………いや」
 屈託なく微笑む郷秀樹に、クモイ・タイチはつられて頬を緩めそうになり、慌てて顔を激しく左右に振って引き締めた。
「だからといって、こいつを見逃すわけにはいかない! それとこれとは別の話だ」
「仕事熱心だな、君は」
「茶化さないでもらおう。第一、あなたにも言いたいことはある。地球はウルトラ兄弟の養成所ではない! なぜこんな、ド素人のウルトラマンを送り込んで来た!? ウルトラ兄弟は何を考えている!?」
「それは……」
 説明しようとした郷秀樹は、そのまま一旦口を閉じた。
 しばらく唸った後、済まなさそうにはにかむ。
「すまないが、長くなる。いずれ話すということで、許してくれないか」
「そんないい加減な理由で、地球防衛の任務を投げ出せというのか? 自分の後輩で、ともに平和を守る仲間に!」
「困ったな。そんなつもりではないんだが……」
「――……るせぇ……」
「なに?」
 クモイ・タイチが声の方を振り向くと、少年が再び立ち上がっていた。息が荒い。
「うるせえっつってんだよ、ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ……どいつも、こいつも。これは……オレの……話だろうがっ!」
「……動くな。妙な動きをしたら、撃つぞ」
 トライガーショットを構え直し、その額に向ける。
 だが、少年は恐れる風もなく、けけっと狂的な笑いを漏らした。
「いいさ。撃てよ」
 がさりと音を立てて、少年は一歩踏み出した。その足はぶるぶると震えている。
「ああ。撃てよ……撃ってみろよ、撃てるもんならよぉ! オレも、いい加減あれこれガタガタ考えるのは、あぁ、面倒だ。もう、いっそその方がすっきりすらぁ……けけ、いいぜ。オレを殺してぜ〜んぶ……なかったことにしちまえ。そうさ。オレは結局……てめえの言うとおり、どうにもならない……クズだったのさ……けけ……ユミ一人守れない……役立たず……けけけけ。おら、撃てよ。ここだよ」
 額を指差しながら、また一歩近づく。
「う……む……」
 ためらうクモイ・タイチの思考は、ぐるぐると渦を巻いて迷走する。
 少年は、完全に自暴自棄だ。思っていた通りのクズだった。
 なぜ自分がこんな状況に陥ったのかさえ反省できない。反省するより前に、生を投げ出すことを選択した。
 あまりに卑小で、あまりに脆弱。
 こんな相手にたとえ引き金を引くだけだとしても、力を振るうことはクモイ・タイチの信条に反する。
 だが……ここでこのまま見逃せば、こいつは間違いなく再び変身して暴れ、今度こそ地球人の犠牲者を出す。心折れ、自暴自棄になっている者が振り回す力ほど、無意味に他者を傷つけ、悲しませ、憎しみだけを撒き散らす暴力はない。
 ならば、やはりいっそ自分が――。
 揺れる自分の心を支えるように、トライガーショットの銃床を左手で支え、構え直す。
 しかし。
 その銃身を横から伸びてきた手が押さえた――郷秀樹だった。
 郷秀樹は、クモイ・タイチに首を振った。
「ダメだ。そんな動機で命を奪ってはいけない」
 たった一言。
 だが、その一言はツルク星人の刃より鋭くクモイ・タイチの心を貫いた。
「郷……秀樹……」
 頷いた郷秀樹は、トライガーショットを優しく下ろさせると、レイガに近づいた。
 そして、平手打ち。
 ギリギリの状態で踏ん張っていたレイガは、盛大にぶっ倒れた。
「……な、何を……」
 頬を押さえて上体を起こそうともがくレイガに、郷秀樹は片膝をついて顔を寄せた。
「レイガ。お前が宇宙警備隊に反感を持っていようと、地球人が嫌いだろうと、大言壮語を吐こうと、思い上がろうと……オレは何も言うつもりはない。だが、今のはダメだ。自分をクズだなどと言ってはいけない。命を無駄に捨てるようなことをしてはいけない」
「なんでだよ……てめえには、関係、ねえことじゃ……ねえか……」
「お前はクズなんかじゃあない。お前は、あの少女を身を挺して守ろうとしたじゃないか。ツルク星人の攻撃をさばききれないと考えて、我が身を盾にして動きを止めた。おかげで彼女は生き長らえた。ウルトラブレスレットの再生能力が利いたのは、レイガ、お前がその体を張って彼女を守りぬいたおかげだ。もう一人の少女だって、無傷だっただろう」
 郷秀樹を睨んでいたレイガの眼が、うつむいた。正気を失っていた卑怯者の目に、生命の潤みが揺れ始めている。
 郷秀樹は、レイガの両肩に手を置いた。
「あの子達が今日、家族の待つ家に無事に帰って行けるのは、お前が、お前自身の力で、お前一人で勝ち得た結果だ。そのことは胸を張っていい。だから、自分のことを役立たずだとか、クズだなんて言ってはいけない。それは、彼女たちのお前への感謝の気持ちを拒絶することにもなる。その方が、よほどやってはいけないことだ」
「オレが……助けた……? 二人を…………けど……オレは…………実際には……何も……」
 再び、前のめりに崩れ落ちる少年。
 そのまま落ち葉敷き積む地面に額を埋め、肩を震わせる。
 嗚咽とともに呟き漏れる声の内容は、もうクモイ・タイチにも郷秀樹にも聞こえない。
 郷秀樹は少年の肩をもう一度軽く叩いて、立ち上がった。
 そして、クモイ・タイチのもとへ歩み寄る。
「クモイ隊員。彼の同胞として、そして君の先輩として頼む。一度だけチャンスをやってくれないか。彼に」
 頭を下げる郷秀樹。つまりはウルトラマンで、40年前に文字通り命を賭けて地球を守り抜いた先輩隊員。
 クモイ・タイチは声が出なかった。
「確かに、これまで危ない場面はあっただろうが、彼は決して邪悪な心で戦っていたわけではない。今ここで、君の手を汚さなければならないほど、悪いことをしたわけでもない。彼の出した被害、出しそうになった被害については私が謝る。だから……今回、一度だけ。頼む。クモイ隊員」
 もう一度頭を下げる郷秀樹。
 クモイ・タイチは大きく吐息を漏らし、トライガーショットを腰のホルダーに戻した。
「ずるいな。郷先輩」
 憎まれ口を叩きながらも、自然と頬がほころぶ。
「あんな説教の後で、そんな言い方をされては頷くしかない。それに……あなたの言うとおりだ。彼はまだ、何もしてはいない。今ここで、私にクズ呼ばわりされ、その上撃ち殺されるようなことは、何も」
 苦笑するクモイ・タイチ――だが、その胸は抉られるような慙愧の念に苛まれていた。
 GUYSで把握している連続惨殺事件の被害者はみんな、一刀のもとに身体を両断され、即死していたのだ。
 少女が二人とも生き残れた最大の理由は、まさに郷秀樹が指摘したとおりだ。自分達だって、彼女の一人が上げた悲鳴を聞いて初めてあの場所を特定し、駆けつけられたのだ。それまで彼女たちを守ったのは他でもない、レイガではないか。
 彼の無様な戦い方を嫌うあまり、彼を憎み、人として大事なことを見失っていた。
 それはつまり、思い上がり。レイガより武術の腕が優れているからと、彼を全て否定していた。
 レイガにぶつけた罵倒は、全て自分にこそ投げつけるべきものだ。
 あまりに愚かで、自分が情けない。
 クモイ・タイチは郷秀樹に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。おのれだけの狭い了見だけで判断し、危うく地球人として恥ずべき過ちを犯すところでした。これではあいつのことなど、責められない。……本当に、ありがとうございました」
 郷秀樹の手が、クモイ・タイチの肩をぽんと叩く。
 顔を上げた時、もう郷秀樹の姿はどこにもなかった。

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 その日の夜遅く。
 シロウはタクシーの運転手に担がれるようにして、オオクマ家に帰ってきた。
 代金はGUYSの隊員さんにもらっているから、と言い残して運転手はそそくさと去り、玄関にぐったりと座り込んだシロウが残された。
 あまりにも悲惨な状態に、シノブもへたり込んだまま声もない。
 顔の左半分は固まった血で仮面のように覆い隠され、頬と右目は腫れ上がり、髪はぼさぼさ。
 血まみれの服は、前面で『×』印に切り裂かれた上、腹部に大穴が空いている。それはもう服ではなく、ぼろきれだった。
 服の裂け目から見えている地肌は血にまみれている他、赤黒かったり青黒かったり変色したあざに覆われ、まともな肌色の部分が見えないほどだ。
「シロウ……あんた、一体……」
「……かー……ちゃん……」
 心底疲れきった、今にも死んでしまいそうなほど弱々しい声。
 シノブはたちまち表情を鬼の形相に変えた。
「シロウっ! 気をしっかりお持ちっ! 死ぬんじゃないよ! 今、休ませたげるから、もうちょっとだけ我慢するんだよ!?」
 言うなりシロウの右腕を自分の肩に掛け、右手を膝の裏に左手を背中から脇の下に差し入れるや、よいしょっという掛け声とともに抱き上げた。
 そのまま、よたつきながらもしっかりした足取りでシロウの部屋に連れて行き、敷いておいた布団の上に寝かせた。
「今、手当てしたげるからね! 気ぃ失うんじゃないよ!? ……そうだ、何があったのか、今報告しな! 出来るだけ詳しく、順番なんかどうでもいいから、思い出すことを片っ端から言っていくんだよ! 意識を失っちゃダメだよ!」
 ほとんど喚き散らしながら、台所へ行き、洗面器に水を張り、タオルを山ほど持ってくる。それから、水屋の中から救急箱と裁縫箱を引っ張り出す。
 それらを全部ちゃぶ台の上に置くと、裁縫箱から裁断バサミを取り出した。 
「……かー……ちゃん……」
「なんだい? 今から服を切っちまうからね、動くんじゃないよ!」
「……かー……ちゃん……ユミ……と……エミ…………は……」
 うんうんと頷きながら、ボロ切れと化した服にハサミを入れ、身体からゆっくり剥いでゆく。
「大丈夫大丈夫。二人はGUYSの病院に検査入院してるってさ。怪我もないし、明日には帰れるってエミちゃんのお母さんが知らせてくれたよ。二人ともあんたに感謝してるって伝えてくれって。けど……いったいぜんたい何があったんだい? それに、お前がこんなになるなんて」
「……かー……ちゃん……オ、レ……」
 シノブは服を剥いだ肌を目を皿のようにして見つめ、傷がないことを確認して再びハサミを入れる。
「……オレ…………負け……た……」
 ぴたりとハサミが止まった。
「……そうかい」
 再びハサミが動き出す。
「……オレ…………オレ………………くやし、い……」
「……そうかい」
「……オレ…………ユミを……守れ…………なか、た………………くやし、い……」
「ユミちゃんを……? けど、ユミちゃんは無事だって連絡があったんだよ?」
「…………ジャック……が…………助け……て…………オレ、は…………やら……れて……」
「ジャック? ジャックって誰だい? 外国人かい? その外人に助けられたってのかい?」
「……違…………ウル……トラ……マン…………ジャ、ク…………あいつ、が……あいつ……に……オレ……負け…………くや……し……」
「ふんふん。それで? 続けな!」
 服をバラし終えたシノブは、血で肌に貼りついた服を慎重に剥ぎ始めた。
「……オレ…………強く……なり…………てぇ………………かー……ちゃん…………くやし、い……」
「そうだね、そうだよ! けど、強くなるのは怪我を治してからだよ!」
 あらかた剥いでみて、幸い開放性の傷はないことがわかった。
 シロウの声はもう、同じことをずっと繰り返している。
 悔しい。強くなりたい。守れなかった。約束。ユミ。エミ。ウルトラマン。ジャック。
 シノブは生返事を返しながら、洗面器とタオルを取った。タオルを水に浸して搾り、まず顔の血を拭ってやる。
 シロウは半分意識を失っていた。眼がうつろで、焦点が定まっていない。それに……泣いていた。拭っても拭っても、目尻から流れ落ちる。
 やがて、シノブはため息めいた吐息を一つついて、その手を止めた。 
「よっぽど悔しかったんだねぇ……自分で負けを認めるのが……」
 そう言いながらも、その口許がほころんでいる。
「ま、男の子はそうやって一つ一つ強くなってゆくもんさ。今はいい、泣いときな泣いときな」
 髪についた血糊拭いもそこそこに、血まみれという表現がぴったりの身体へと移ってゆく。
 そうしてわかったのは、今のシロウは血だらけのくせに開放性の傷など一切なく、全身打撲で肌のほとんどが青じんでいるか、火傷らしき症状で腫れ上がって赤黒くなっているかのどちらかだけ、ということだった。
「……なんだいこれ。一体、何をどうしたらこんな妙な怪我になるんだい? それに……」
 シノブの指がそっとシロウの腹をなぞる。そこには明らかに大きな刺し傷の跡が残っていた。
 だが、素人のシノブにさえそれが異常なことはわかる。傷跡の大きさは致命傷ものだ。こんな風穴、生き物が空けられて生きていられるものではないし、従って治っているなどということも、そもそもありえない。治る前に死んでいる、という話だ。ウルトラ族だから助かったのだろうか。
「今のこの子に聞いても、わからんだろうしねぇ。ま、今はとにかく手当て手当て」
 取りい出したる常備薬のオ○ナイン軟膏をごっそり指ですくい、全身に塗り込んでゆく。
 軟膏が冷たいのか、患部を触れられて痛いのか、しきりに呻くシロウ。
 その呻きを無視して、しっかり塗り続けた後、軟膏の瓶を見たシノブは渋い顔をした。もう中身は半分以上なくなっている。
「やれやれ、これじゃ足りそうにないねぇ。しょうがない、ご近所回ってもらってくるか」

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 数日後。
 都内高層ビルの最上階執務室。
 今日も夏の陽射しは容赦なく硝子の内側を照らしつける。
 予報では猛暑日になるとのこと。ここから見える東京湾岸の浜辺には、行楽客がこぞって押し寄せていることだろう。
 黒い書斎机に向かい、書類に眼を通している馬道龍。その禿げ頭は夏の陽射しを弾き、輝いている。
 ふと気配を感じて書類から顔を上げる。応接セットの向こうに人影があった。
「……郷秀樹?」
 少し表情を曇らせる馬道龍。
 郷秀樹はソファの背をつかみつつ、一歩一歩踏みしめるような足取りでゆっくりと近づいてきた。
 ペンを置いた馬道龍は、緊張した面持ちで書斎机の上に肘をつき、手を顔の前で組んだ。
「なにか……事件かね? 新マン」
「いや」
 馬道龍は怪訝そうに眉をしかめた。
「では、何をしにきたのだ」
「茶を飲みに」
「………………茶?」
 ますますわからぬげに困惑する馬道龍。
 郷秀樹はにんまりと笑みを浮かべた。
「この間の扱いはレイガと随分違っていただろう? それが不満でね。今日は君御自慢の、カノウさんの淹れた玉露をいただきたいな」
「……それだけかね?」
 不審の眼差しで郷秀樹を見据える馬道龍。
 しかし、郷秀樹はこたえる様子もなく、笑みを浮かべている。
 しばらくその表情を探るように見つめたあと、馬道龍はため息をついた。
「わかった。そこに座って待っていたまえ」
 まだ警戒を解かぬ面持ちで、内線電話を取り上げる。
 相手が出る前に一つ咳を払って――
「オホン――ああ、カノウさんアルか? 今、急なお客が来たアルヨー。いつものお茶、お願いするのコトヨー」

 ―――――― ※ ―――― ※ ――――――

 美貌の女秘書が手ずから入れた玉露は、ティーカップではなく和風の湯飲みでテーブルに供された。
 それを一口含んだ郷秀樹の表情が、たちまちほころぶ。
「うぅむ……馥郁たる香り、芳醇な甘味。うん、これは美味い。さすが、馬さんが自慢するだけのことはある」
「お褒めに預かり、光栄ですわ。お代わりをお望みでしたら、またお呼び下さいな。わたくしはこれで」
「ありがとう、カノウさん」
「どういたしまして。では、ごゆっくり」
 たおやかな仕種で頭を下げ、退出してゆくカノウ。
 扉が閉じられると同時に、郷秀樹の向かいに腰を下ろした馬道龍は大きくため息をついた。
「なんでこのクソ暑いのに熱いお茶なんだ」
「……まだまだだな、メトロン星人」
「なに?」
 一口つけただけで湯飲みをテーブルに戻した馬道龍は、禿げた額に大粒の汗を浮かべていた。
 郷秀樹は湯飲みを口元に当て、目を閉じている。香りを楽しんでいるらしい。
「暑い時に熱いお茶を飲む。それが日本人の伝統だ」
「馬鹿を言え。暑い時は冷えた麦茶に限る。それこそが日本人の伝統というものだ」
「君は40年前からの日本人だが、こちらは生まれる前から日本人だ」
「……それを持ち出すのはずるくないか?」
「さて、ね」
 にんまり勝利の笑みを浮かべ、湯飲みを傾ける。
 しばらくの沈黙。
「……レイガから、断りがあった」
 切り出したのは馬道龍。むくれたような表情でそっぽを向いている。
「断り? なんのだ?」
「生協の秘密兵器の件だ」
「ああ。……ここへ来たのか?」
「まさか。見舞いにやった部下からの報告だ。今回の件で何を悟ったのか知らんが、自分はまだその器じゃないとか言っているらしい」
 ほほう、と郷秀樹は嬉しそうに頬を緩ませる。
「そうか。器と言ったのか。あいつが」
「そんなことは、初めからわかってはいたがね。あの程度の実力では、生協内の精鋭にすら及ばん。あれに期待するぐらいなら、目的の達成可能性が高いという点で、ツルク星人を雇う方が合理的だ」
「じゃあ、なぜあんなことを?」
「なぜ? なぜだと?」
 郷秀樹を睨んだ馬道龍は、心底不快げな表情で問い返した。
「わかっていて聞いているだろう。新マン。いやらしい奴だ」
「おいおい、そんな言い方はないだろう。わからないから聞いているんだ」
「しらばっくれるな。ああ言えば奴が気を良くして多少大人しくなることも、私がそれを利用したこともお見通しのくせに」
「さあな」
 郷秀樹は企み顔で頬笑みながら、湯飲みから一口含む。
 ふん、と鼻を鳴らした馬道龍は膝に頬杖をつき、またもそっぽを向いた。ぶつくさと文句を垂れる。
「それでも、ウルトラ族が生協内にいるというのは、いい宣伝材料になったはずだったのだ。それを……。だいたい、青二才のくせに向こうから断りを入れるというのがますますもって気に食わん。黙って利用されていればいいものを」
「それにしたって、今回のはやりすぎだと思うがな」
 郷秀樹が湯飲みの水面を見つめながら漏らした一言に、たちまち馬道龍の表情が強張った。
 場の空気が張り詰める。
「レイガをエサにしただろう」
 郷秀樹の口調は最前とまったく変わらない。
 だが、その言葉に秘められた気配に、馬道龍は頬をぴくりと震わせた。知らず、自分のズボンの膝をつかんでいた。
「……やはりわかっていたか。だが、悪いことかね? 生協内外のネットワークに噂を流し、奴の耳に入るよう仕向けたのが。地球にもう一人、ウルトラ族が潜んでいる、とね。奴がそれをどう受け取り、どう判断するかは向こうの勝手だ。いや、受け取るかどうかさえ不明だった。それに、結果は上々だっただろう? まんまとおびき出されたツルク星人は倒され、犠牲者も増えなかった。彼自身も死んではいない」
「私が助けなければ、レイガは死んでいたよ。二人の地球人の少女もだ」
「おいおい、よしてくれ」
 馬道龍は嫌悪感もあらわに手を振った。
「ツルク星人による死者十二人中八人は生協の仲間だ。そこまでしているのに、まだこの上、地球人に気を遣って犠牲を出さないようにしろと? 無茶を言うな。ツルク星人がどんな条件の下で襲撃を決行するかなど、こちらでは把握していないし、そもそもレイガを本当に襲うかどうかも不確実だったんだぞ。それに、GUYSにも君にもあの場所を伝えて、出来る限り早く現場に駆けつけさせたつもりだ」
「今回は彼を直接襲ったから、あれで済んだが……まかり間違えば、まずレイガの心許す地球人たちが惨殺される恐れもあった」
「郷秀樹」
 馬道龍は目を吊り上げ、少し語気を強めた。
「言っておいたはずだ。私が守るべきは地球に潜む者達の平和であって、地球人のそれではないと。まして、君たち宇宙警備隊の掲げる理想のために協力しているわけでもない。やり方が気にくわなかったのは十分わかっているが、そんなねちっこい物言いは君らしくないぞ、郷秀樹。はっきり言ったらどうだ。宇宙警備隊隊員として、私を懲らしめに来たと」
 興奮のあまり、息を荒げている馬道龍の額に輝く汗の玉。それは暑さからなのか、怒りの故か。
 しかし、郷秀樹はそんな馬道龍の怒りなどどこ吹く風で、湯飲みを干していた。
 ことりとテーブルに湯飲みを置き、ふぅ、と至福のため息を漏らす。そして、馬道龍に微笑んだ。
「私も言ったはずだが? 今日はお茶を飲みに来ただけだと。茶飲み話で興奮するなよ」
「え…………」
「事件は終わったんだ。それでいいさ。もう何を言っても今さらだしな。ただ……」
「……なんだ」
「君のことだ。今回の件は全てお見通しだったのかと思ってな。茶飲みのあてにちょうどいい話題だろう?」
 鼻を鳴らして落ちつかなげに左右を見回す馬道龍。何かを言おうか言うまいか迷っている。
 郷秀樹は続けた。
「ツルク星人を倒すとともに、あわよくば心の問題で伸び悩む若者の成長を促す。そんな企みだった……というのはどうかな?」
「……そんなことを知ってどうする。それこそ今さらだろう」
「どちらにしろ利用された私には、訊く権利ぐらいはあると思うがね」
「………………」
 難しい顔をして腕を組み、しばらく迷いに迷った末、馬道龍はようやく口を開いた。
「そうだ」
 言い切ってから、目をそらす。
「と、言いたいところだが、あいにくそこまで恥知らずではない。だいたい、あいつの成長などまったくもってどうでもいい。私にとってはツルク星人の撃退こそが最大にして唯一の目的だった。私を買いかぶるな」
 腕組みをほどいた馬道龍は、テーブルの湯飲みをわしづかみにした。そのまま一息に煽り飲み干す。
 盛大に息をつき、郷秀樹をじろりと見やる。
「郷秀樹」
「なんだ」
「忠告しておくが……あいつは宇宙警備隊隊員にはならないぞ」
「ほう」
「私もそれなりに人を見てきた。あの男は……どこまで行っても群れることはできんタイプだ。それでも新マン……いや、ウルトラマンジャック、君はあいつを――」
「馬道龍、頼みがある」
 郷秀樹は空になった自分の湯飲みを取り上げた。
 馬道龍は露骨に嫌そうな表情を作る。
「なんだ。レイガのことならもう私は――」
「お代わりをもらえないか」
 突き出される湯飲み。
 しばらくきょとんとしていた馬道龍は、やがて頷いた。
「……お安い御用だ」
 失笑とともにソファから立ち上がり、内線電話を取った。


【第4話予告】
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