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The Last Hope 〜滅び行く星の果てで〜  (前編)


『……EDF極東司令本部は統合参謀本部より、生き残っている全EDF隊員へ通達します。
皆さんの活躍のおかげで、東京の包囲は破られました。敵の地上侵攻部隊は壊滅、撤退しました。
しかし、こちらの被害も甚大で、司令本部ではもはや残存戦力の把握さえ出来てはいません。
そのような状況下ではありますが、参謀本部は次のインベーダーの攻撃を、浮遊都市による殲滅爆撃戦と予想しています。
逃げ場はありません。
戦える力と意志のある隊員は、至急東京へ集合してください。
……敵浮遊都市を迎撃します。

そして……これは私からの個人的なお願いです。
戦えない人、戦う意志を失った人――いいえ、EDF隊員でなくとも構いません。
この通信を聴いているなら、祈ってください。

絶対の死地へ赴く戦士達のために。
そして……再び【彼】が姿を現わしてくれるように。
そう、前大戦末期の絶望から私達を救ってくれた【彼】が。
立場上、【彼】がこの戦いに参加しているとの噂を私は何度も耳にしました。
【彼】はいる。私はそう信じています。

私は……戦いの場に出ることのできないただのオペレーターです。
私には祈ることしか出来ません。願うことしか出来ません。
でも、その祈りが、願いが、必ず力になると、私は信じます。
お願いです。この通信を聴いている人達。祈ってください。願ってください。
私と共に祈ってください。戦士達のために、そして【彼】が、救い主が現われるように……お願いします……お願いします……』

―――――――――――― * * * ――――――――――――

「……祈りなど……無意味だ……」
 女は呟いた。
 鋭角的なデザインの、しかし後頭部丸出しのヘルメット。
 隊名の由来となったペイルブルーを基調に、コバルトブルーと黄色を配したミニスカートの制服。
 背には、左右に張り出した前進翼の先にプラズマ噴射ユニット装置を装備したバックパック。
 EDF極東本部・日本地区配備ペイルウィング隊AS0001265378。
 彼女はただ一人、廃墟の中で横たわっていた。
 丸く抜けた天井の穴から覗くどんよりとした雲。そこから落ちかかる無数の滴。
 全身ずぶ濡れになるのも構わず、身じろぎ一つしない。
 ヘルメットの突き出したバイザーを伝い、とめどなく滴り落ちる雫が頬を濡らし続ける。
 それはまるで、彼女の涙のようにも見えた。


「祈ってください、か」
 男は手鏡でヒゲの伸び具合を確かめながら興味なさげに漏らした。
 しかし、その声も周囲で轟く無限軌道の騒音に掻き消されてしまう。
「い〜ですよ。祈って何とかなるってんなら、ドンドン祈ってあげますよぉ〜。……俺、無神論者だけどね」
 青々とした無精ひげは、妙に貧乏臭さを引き立たせる。ヘルメットをかぶった時、生まれつき落ち窪んだような目はバイザーで隠せるからいいとして、無精ひげは目立つ。
 本当は剃りたいところだったが、剃る道具がない。
 部隊にいた頃は、ガラスの破片で剃る、などという剛の者もいたが、そこまでする気にはならなかった。
 指先でぞりぞり感触だけを楽しんで、手鏡を小物入れに戻す。
「さてさて、東京決戦の結果やいかに。……ま、ここまでやられたんだ、勝とうが負けようが人類はお終いだよな――っと」
 前を向いた男は、少し顔をしかめた。
 外の様子を映し出している望遠モニターに、珍しいものを見つけたからだった。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 辺り一面廃墟。
 いくらか残っている建物の残骸の陰から、女の脚が伸びていた。
 太腿の中ほどまである、黒いロングブーツに包まれたその脚に惹かれるように、地球防衛軍――EDFの最新型戦車ギガンテスはその無限軌道を止めた。
 かぽん、と少々間抜けな音を立てて乗車ハッチが開き、陸戦兵が顔を覗かせた。
「お〜い、お嬢さん。高いところから失礼。乗ってく?」
 少し緊張感のない口調、しまりのない笑み。
 声をかけられた相手――ペイルウィングはそこで寝ていたらしい。身を起こして、じっと陸戦兵の顔を見上げている。ずぶ濡れの全身から、雨水が滴り落ちる。
「おうおう、まさに水も滴るいい女、だねぇ。風邪ひくぜ?」
 しかし、みるみるうちに彼女の身体を覆っていた水滴は、ガラスを流れるがごとくに走り落ちてしまった。
「あらら……そうか、まだアーマーが残ってんのな」
「どこへ行く」
「別にぃ。当てはないよ。どっか行きたい所があるんなら、届けるぜ? あんたの生まれ故郷でも、連中がやってこない片田舎でも」
「そんな所があるのか?」
 訊ねる口調ではない。揶揄するような口調。
 陸戦兵は皮肉げに頬笑んでため息を一つつき、空を見上げた。
「……ねぇよなぁ。ま、いいさ。とにかく、どこでも行ってやるよ。どうせ他にすることもないしな」
 その言い方にペイルウィングは少し考える素振りを見せた。陸戦兵の言葉を訝しんでいるのか、自分の行き先を考えているのか。
 やがて、彼女は立ち上がった。ミニスカートのお尻を軽く払う。
「そうか。なら、一つ頼むとしよう」

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 無限軌道が轟音を撒き散らしながらアスファルトを削る。戦車は、地平線の先に広がる山の稜線を目指していた。
 左右はひたすら廃墟。もしくは野原。
 動くものといえば、風になびく草木と、はためく布切れだかなんだか以外に何もない風景。
 ギガンテスはひたすら走り続けていた。
 拾ったペイルウィングは砲塔の脇にちょこんと座り、飽きもせずじっと稜線を見つめ続けている。
 いつしか雨は上がり、雲の切れ間から陽射しが差し込む荘厳な光景が広がっていた。
「……装備ぐらい外せば? 重いでしょうが?」
 戦車の中から、ヘルメット間の短距離通信で陸戦兵は呼びかけた。
 しかし、返事はない。
「どうせこの辺りにはもう敵はいないんだしさ。例の英雄様だか、勇者様だかが追っ払ってくれたわけだし」
 返事はない。
 運転席で、陸戦兵は口をへの字に曲げた。さっきからこの調子で全く会話がない。
 多少下心のあった身としては、完全に当てが外れた格好だ。
「はいはい、どうせあたしゃイケ面じゃないですよ。お話するのも嫌ですか」
 自嘲気味に呟いて、聞こえよがしに大きなため息をつく。多少なりとも哀れに思って声をかけてくれることを期待して。
 しかし、その日一日ペイルウィングは陽が落ちるまで一切口を聞いてくれなかった。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 陽が落ちたので、適当な場所にギガンテスを止めて装備を外し、廃墟の陰で携帯トーチを点けて夕食を摂った。
 食事が終わると、男は空になったレーションを、瓦礫の彼方に投げ捨て、両手をパンパンと払った。
「で、どっちが先に寝る?」
「この辺りに敵はいない。その提案に意味はない」
「あ、そう」
 久々の会話なのに、この味気なさ。思わず天を仰ぐ。そのまま、動きを止めた。
 満天の星。
 夜空をぼんやりと走る、天の川。
「……すげー……久々だな。こんな夜空を見上げたの」
 やはり無言。
 しばらく夜空を見上げて、陸戦兵は振り返った。
 ペイルウィングは倒れたコンクリートの柱を椅子代わりに、自分の武器を手入れしているところだった。ボウガン型の奇妙な形状の武器。
「そういや、自己紹介がまだだったな」
「必要ない」
「じゃあ、俺はあんたのコトをなんて呼べばいい? ペル子ちゃん?」
「呼びたいように。あんたでも、お前でも、ペル子でも。どうせ相手は私しかいない」
 冗談も通じない。陸戦兵は隠しもしない落胆を表情に浮かべた。
「なんだってそんなに冷たいんだ。……ああ、ひょっとして男性不信とか?」
「男でも女でも他人に興味はない」
「なんで?」
 ペイルウィングは手を止め、戦車に乗って以来はじめて陸戦兵の顔を真っ直ぐに見つめた。
 この期に及んでもヘルメットを外してないので、その表情は窺い知れないが、顎のラインのほっそりした美人を予想させる面立ちだ。
 ペイルウィングはボソリと言った。
「私はこの戦いで死ぬ。多分お前も。死ぬ者同士お互いを知ったところで意味はない」
 陸戦兵はむっとした。
「勝手に殺すなっつーの。俺は生き残るよ。人類最後の生き残りは俺だ。そのために――」
 危ういところで口を手で抑え、続く言葉を飲み込む。
 少し考えて、手を外した。
「ま、いいか。他に誰かが聞いてるわけでなし。……俺はそのために、このギガンテスとエアバイクのSDL−2を盗んできたんだからよ」
 ペイルウィングの顔が、ちらりとギガンテス後部を見やった。
 確かに、ギガンテスの後部にはエアバイクSDL−2が無造作にロープ掛けされて積まれている。それがあるため、ギガンテスは砲塔を回転させることが出来なくなっている。
「俺の担当地区で戦車部隊が壊滅してねぇ。俺はその時、エアバイクに乗って伝令やらされてたんだが、戦闘が終わってみたら地区司令部にこのギガンテスがぽつんと残ってた。司令部自体は壊滅。人っ子一人いやしねえ。だから、こいつを退職金代わりにいただいて逃げる最中だったわけ。エアバイクを後ろに積んであるのは、いざって時はあっちの方が早いから」
 陸戦兵が得意げに一人でしゃべっている間、ペイルウィングは興味なさそうに武器の手入れを再開していた。
 彼女が聞いていないことを認識した陸戦兵は、ふーっと嘆息してその場に腰を下ろした。胡座をかいて、背中をコンクリートの塊に預ける。
「そっちは? 何であんなところに一人で? お仲間は?」
 無言。
「ちょっとぐらい会話しようよ。別に減るもんじゃなし」
「……そっちと同じだ」
「てことは、お仲間全滅? 俺たち、似た者同士だねぇ」
 また無言。
 陸戦兵は首の凝りをとるように首をぐるりと巡らせた。話題を変えよう。
「しかし、なんだって東京になんか。敵の浮遊都市が来るって言うじゃないか。もう作戦自体は自由参加なんだろ? それなのになんで? EDF隊員としてのプライドとか、意地か? それともあれか? 弱い者を助けたいとか? いやいや、お仲間の仇を討ちたいとか? う〜ん、死ぬときは戦って前のめりに、ってのもありか。男らしいねぇ」
「……………………」
「……実は、あの通信にほだされた?」
「……………………【彼】がいる」
「は?」
 あまりに低く、ボソリと呟いた声に危うく聞き逃しそうになった。
「東京には、おそらく【彼】がいる。私は【彼】に会いたい。もう今しか、機会はない」
「【彼】って……恋人じゃねーよな。あ、ひょっとして、例の英雄だか勇者さま? なんで? 男でも女でも他人に興味はないんじゃないの?」
 ペイルウィングは小さく首を振った。
「【彼】は別だ。私は、【彼】に会って聞きたいことがある。そのために……常に生き残ることを最優先に戦ってきた。何度か部隊が全滅したことはあったが、私だけは生き残ってきた。今回も、そうだ」
「部隊全滅……一人で生き残り……? 待てよ?」
 顎に指を当てて、目を逸らす。
「この辺にゃあ普通の部隊は配備されてないはず……それにその、見たことのない形式の武器。たった独りで生き残って……周囲に敵影なし……。――!! あんた、ひょっとして」
 陸戦兵の脳裏に、閃きが走った。
「実験部隊の死神とか、キラー・ビーとかクィーン・ビーなんて呼ばれてないか? 圧倒的な実力を持ちながら、時に班長の命令を無視して単独で撤退し、結局自分だけが生き残ること数回……今や、あんたの撤退報告はその地区の戦闘状況を如実に表すとさえ言われる。にも関わらず、処罰の対象にならないのは、並のペイルウィング十人分に匹敵するその戦果の大きさと、実験兵器に対するアジャストの速さがずば抜けているゆえとかなんとか……」
「他人が私をどう呼んでいるかに興味はない。……私はただ、【彼】に会う。それだけのために生きている」
 再び武器の手入れをはじめたペイルウィング。とぼけているのは明らかだった。
「そうか……あんたが……。やれやれ、こりゃあとんだ拾い物だったな」
 頭を掻いて、夜空を見上げる。
「嫌ならつきあわなくてもいい。ここまでで充分だ」
 途端に、陸戦兵は不満げに唇を尖らせた。
「そんなこと言ってないっしょ。一度受けた仕事だ、きちんと運ばせていただきますよ、クィーン閣下。第一、あんたが逃げないってことは、まだ安全ってことだからな」
「それは違う」
「へ?」
「今回はどんな危機に陥っても、私は逃げない。【彼】に会うために。立ちはだかる敵は全て蹴散らし、東京へ行く。だから、私の行動はもはや、目安にならない」
 ふむ、と一唸りして考え込んだ男は、ふと手槌を打った。
「じゃあさ、東京まで連れてく見返りに一つ頼みたいんだけど」
「なんだ」
「こらやばい、引き際だ、と思ったら言ってくれ。俺はあんたを置いて逃げる」
 ペイルウィングの手が止まり、男の顔をじっと見やる。目を覆うバイザーのおかげで表情は窺えない。唯一見える口元にも、感情の欠片らしきものさえ浮かんでいない。
 ややあって、彼女は頷いた。
「わかった。必ず知らせよう」
 陸戦兵は安堵のため息を大きくついて、身体をずらし、地べたに横になった。
「やれやれ、これで心安らかに眠れるよ。じゃ、お先にお休み」
 ペイルウィングはもう自らの手元に視線を落とし、ただ黙々と武器を手入れしている。
 二分と立たず、陸戦兵はすやすやと寝息を立て始めた。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 翌日の昼過ぎ。
 レーダーに敵影が映った。その数、おおよそ二十。
「どうする?」
 敵の察知範囲外にギガンテスを止めて、陸戦兵は砲塔脇に座る女王蜂に訊いた。
「蹴散らす」
 予想通りの答え。ここまで来て、「逃げる」はないだろう。
「じゃあ、ちょい待ち」
 陸戦兵はハッチを開けて身を乗り出すと、スナイパーライフルを構えた。
 望遠スコープで相手の様子を探る。
「ええと……敵主力は赤アリ。この辺で戦ってた連中の討ち漏らしかな。黒アリが数匹、クモと羽アリは……見ている限りいないね。UFOも」
「なら、私一人で充分だ。行って来る」
「あいよ。ここで様子見てるし、終わったら連絡ちょーだ――」
 陸戦兵の言葉が終わらぬ前に、ペイルウィングは七色のプラズマ光と甲高い噴出音の尾を引いて、飛び出して行った。


 それは一方的な虐殺だった。
 飛び込んでいったペイルウィングの前面に無数の光条が放たれ、その範囲内にいる敵全てを切り刻んでゆく。噴き上がる体液、飛び散る肉片、これだけ離れていても聞こえる悲鳴。
 飛び込んで十秒ほどで、あらかた敵は殲滅された。
 一匹だけ、ビルの上からペイルウィングを狙った黒アリも、陸戦兵のスナイパーライフルによって撃墜され、戦いは終わった。


 戻ってきたペイルウィングは一切ダメージを受けていなかった。
 いつもの無表情で、指定席となった砲塔脇にちょこんと座る。最後の一匹を倒したことへのお礼も非難もない。
 陸戦兵も何も言わず、戦車を発進させた。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 夕刻。
 再びギガンテスの無限軌道が止まった。
 レーダーに敵影はなし。
 夕方とはいえ、まだ陽は稜線の上にあり、鮮血をぶちまけたような赤が西の空を染め抜いている。
 ペイルウィングが怪訝そうに振り返ると、乗車ハッチを開いて陸戦兵が身を乗り出した。
「向こうの山で、何か光った」
 すっかり望遠鏡代わりになったスナイパーライフルのスコープを覗く。かつては町だったものの残骸を挟んで、向こうの山の端を。
「……敵だ。山の向こう。林越しに見える」
 押し殺したような、男の声。
 ペイルウィングもそちらに顔を向けた。
「今度はかなりヤバいな。ディロイがいやがる。……三機。蜘蛛――バゥもいるみてーだな。山の陰に隠れてっから、敵の勢力がどれほどのものか、ここからでは読めねー」
 スナイパーライフルを車内に戻した陸戦兵は、ペイルウィングに向かって肩をすくめてみせた。
「ちょいと遠回りをしよう。その方が安全に――」
「行くならお前一人で行け。ここまで送ってくれて、感謝する」
「あ、おい」
 止める間もなく、ペイルウィングは七色のプラズマ炎を引いて、茜色の空へ飛び上がった。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

「あーあ。どうすっかねー」
 小さくなってゆくペイルウィングの後ろ姿をぼんやり見つめながら、男は漏らした。
 胸のポケットからタバコを取り出し、ライターで火をつける。
 くわえたタバコから揺らめき昇る紫煙。ゆらゆら、ゆらゆら……。
「……とはいえ、見捨てるのも男としてなんだかなんだよなぁ」
 再び紫煙が揺れる。
 そうしている間に、ペイルウィングを見つけた一団が山の陰から出てきていた。
 眉をひそめるほどの、圧倒的な戦力。蜘蛛に蟻に羽アリ、そしてディロイ――円盤と呼ぶにはいささか難のある、左右に長い独特の形状の近衛UFOから四本の多節脚を生やしたロボット兵器。それが、三機も。
「妙だな。なんだってこんなに戦力が……東京封鎖部隊か? 敵を逃さないように……やれやれ、念のいったことで。ったく、しょうがねーな」
 男はタバコを指先で弾くと、一旦戦車の中へ潜った。再び顔を出した男の腕には、大切そうに何かを包んだ布包み二つ。
 急いで、その包みを解いてゆく。
「……さぁて、お立会い。対戦車砲を超える威力って話がホントかどうか、見せてもらおうじゃないの」
 包みから出てきたのは、鈍く光を弾く重厚なスナイパーライフルと、横に六本の筒を並べた奇妙な形のロケットランチャーだった。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 敵の射程距離を読み切って、着地すると同時にぶっ放す。
 30条の蒼い稲妻がそこら中に走り、間合いに飛び込んできた体長数mはあろうかという大蜘蛛に襲い掛かる。
 ぱぅ、と妙に間の抜けた断末魔の悲鳴をあげて、体液を撒き散らしながら吹っ飛ぶ蜘蛛。だが、すぐに別の蜘蛛が飛び込んで来た。
 そこへ、再び稲妻が走る。
 ペイルウィングは後方へ飛び退りながら、稲妻を撃ち続けた。
 サンダーボウ30。
 結城博士が最後に作り上げた、サンダーボウシリーズの最高傑作。
 戦局を変える力を持つ、といわれながら、開発時期の遅さゆえに日の目を見ることのなかったその兵器を、彼女は使いこなしていた。
 11発目を撃つと同時に、バックパックのプラズマエネルギーがサンダーボウ30に流れ込む。わずかなその隙を見逃さず、敏捷な蜘蛛は襲い掛かってくる。
 咄嗟に武器を持ち替えたペイルウィングは、のしかかるようにして降ってきた大蜘蛛の腹に目掛けてトリガーを引いた。
 撒き散らされるはプラズマの刃。マスターレイピア。
 死の閃光が蜘蛛を切り裂き、肉片以下の何かにして辺りに撒き散らす。
 しかし、その間に間合いへ入った別の蜘蛛が、丸々とした尻を持ち上げていた。
 その先端から噴き出す白い粘着糸。
「……ちぃっ!」
 糸を放った蜘蛛は一瞬遅れて肉片と化したが、酸を含んだその糸は周囲の瓦礫を溶かして突き抜け、ペイルウィングに襲い掛かった。
 避けきれず、数本の糸が絡みつく。皮膚と糸が触れる寸前のところから肉が焼けるような音が響き、たちまち全身を覆っているエネルギーシールド『アーマー』が削られてゆく。
 さらに糸に絡みつかれて、思うように動きが取れない。動きが鈍る。距離が取れない。
 そこへ新たな蜘蛛が――
「く……うぅっっっ!!!」
 歯を軋らせた瞬間、目の前で閃光が弾けた。
 アーマーで緩衝しきれないほどの衝撃に投げ出され、路面に倒れ伏す。
 しかし、ペイルウィングはすぐに立ち上がって、振り返った。レーダーに、敵影が映っている。
 目の前で、蜘蛛が尻を持ち上げて――
「う……うわああああああああああっっっ!!!」
 腰だめに抱えたサンダーボウが30本の稲妻を吐き出し、蜘蛛を吹っ飛ばす。
 黒焦げになりながら、風に飛ばされたセミの抜け殻みたいに宙を舞う蜘蛛。
 それを追いかけるかのように、ペイルウィングも飛び上がった。息が荒い。
(……なんだ、さっきのは!? なぜ私は……)
 空中で方向を変え、後方で続け様に起きている爆音の方を見やる。
 どこからともなく飛来する多数のロケット弾により、蜘蛛の群れが蹴散らされていた。
 蜘蛛の群れから遅れて追いついた、黒い蟻の群れもその爆撃に巻き込まれて吹っ飛ばされている。
 ギガンテスがある方角をちらりと目の端で窺う。
 しかし、それを視認する前に、不吉な羽音が響いて来た。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

「……くそ、さすがに羽アリ相手じゃ、これの出番じゃねーな。……前も見えねーし」
 陸戦兵の視界は黒煙で塞がれていた。
 六つの砲筒を並べたロケットランチャー・ボルケーノ6Wを肩から下ろし、スナイパーライフルを抱える。
「ま、空を飛ぶもの同士、さすがにそれぐらいは自分でなんとかしてくれ。その間にこっちは――」
 まだ消え残るロケットランチャーの黒煙を脇へ避け、視界を確保して望遠スコープを覗く。
 捉えるは、奇妙な踊りを踊りながらペイルウィングへ刻一刻迫るディロイ。
「――お前さんたちはよ、ちょーっとお呼びじゃないんだよな」
 トリガーを引く。『対戦車砲を超える威力を持つ弾頭』が、それに相応しい反動を生み出しつつ銃口から飛び出し――ディロイを一撃で仰け反らせた。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 無数のプラズマエッジが虚空を切り裂く。
 その空間を占めていた物は全て、非情の光刃に切り刻まれてゆく。
 苦し紛れに放たれる酸の雨も、蜘蛛の糸のいましめから逃れた今のペイルウィングには当たりはしない。
 華麗なステップを踏みつつ、マスターレイピアを振り回す彼女の周囲には羽アリの破片と体液が降り注ぎ、一つの山を成していた。
(……く、アーマーが)
 躱しているとはいえ、何発かはお釣り程度にもらってしまう。その上、先ほどの蜘蛛の糸と援護の爆撃に巻き込まれたのが効いてしまっている。
 エネルギーの残量を示すバックルのインジケーターはレッドゾーンに入り、耳元ではコンピューターが撤退を提案している。
 きりりと唇を引き締め、最後の一匹を空中ですれ違いざまに斬り刻んだ。
 悲鳴を残して羽アリが地面に落着するより早く、その眼差しは次の標的――ディロイを見やる。
 その目の前で、一機目のディロイが火を噴いて擱坐した。
 急に身体の骨格を失ったかのように多節脚を振り回し、ぐにゃぐにゃになって地面に倒れこむ。
「な、に……?」
 爆発と同時に振り返れば、遥か後方ギガンテスの辺りで何かが光った。
 凄まじい打撃音が背後で轟く。戦車砲の直撃を受けても、こんな轟音は出ない。まるで、鉄板を金槌で叩いた音を百倍に増幅したような、不快な轟音だった。
『馬鹿野郎、よそ見してんじゃねー!! 来るぞっ!!』
 ヘルメットに響く陸戦兵の声。
 正気を取り戻して振り返れば、正面によろめく二機目のディロイ。
 脚の一つが高々と持ち上がり、円錐形に尖った先端が不気味な光を弾いている。
「――くっ!!」
 ペイルウィングは飛んだ。
 一瞬遅れて地面に突き刺さるディロイの脚。
 上空を振り仰ぎつつ、武器を持ち換え――迷わずトリガーを引く。
 30の蒼条が雷轟とともに放たれ、ディロイにまとわりつきながら走る。
 そこへさらに陸戦兵のスナイパーライフルが轟音を響き渡らせて仰け反らせ――
 それでも、ディロイの脚はペイルウィング目掛けて落ちてくる。
 軽いステップで躱しつつ、サンダーボウ30を連射、連射。
 二機目のディロイが脱力したかのように火を噴いて沈んだ時、陸戦兵の通信が入った。
『――ちぃ! 悪い、弾切れだっ!! くそ、どこだっ、見当たらん!! ……すまん、交換終わるまでしばらく援護できねー!』
「――了解」
 焦りも動揺も高揚もなく、ありとあらゆる感情を殺ぎ落とした声で応える。
 残るはディロイ一機。距離があるためか、青白いプラズマ火球を放ってきている。
 ペイルウィングは、サンダーボウ30とマスターレイピアを空撃ちしてエネルギーを再チャージすると、意を決して夕照の茜に染まる敵巨大兵器へと単身突っ込んでいった。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

「くそ、どこだっ!? どこにある!?」
 戦車の中、道具置きと化している座席周辺のケースというケースをひっくり返し、陸戦兵は喚いていた。
「これはっ!? ……リペアスプレーか。こっちは!? ゴリアス99の弾? 違う、これは……爆殺かんしゃく玉? ええい、今こんなもんいらねー! くそ、誰だっ! こんなバカみたいになんでもかんでも詰め込んだ阿呆はっ!! ガキじゃあるめーし、整理整頓ぐらいしやがれってんだ!!」
 戦車に積んだのは自分以外にないのだが、今の陸戦兵にはそんなことを振り返っている余裕はない。
「これじゃまるでどこぞの猫型ロボ――お? これか!? 弾頭が長くてスナイパーっぽいぞ? ええと……ライサンダー……おおし、これだっ!!」
 大振りの弾丸の詰まったケースを一箱つかみ出し、陸戦兵は慌てて戦車を飛び出した。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 プラズマ火球を躱しつつ、ディロイの足元に接近してゆく。
 サンダーボウ30が吠え、何度も雷撃がディロイの上部本体にまとわり着く。
 だが、敵に怯みも綻びも見えない。
(残り……三発)
 サンダーボウのエネルギーが空になれば、強制的にプラズマエネルギー供給ユニットから70%のエネルギーが奪われる。
 今の状況では、緊急チャージモードに入ってしまうのは必至だ。それだけは避けなければならない。 
(……く、まだマスターレイピアの射程に入れないのか――ここは一気に!!)
 距離を詰める前に、残りの二発を放った瞬間だった。
 がこん、と鈍い音が響き、ディロイの両側に張り出した翼のような部分が下を向いた。紅の発光を放ついくつものスリットから、プラズマの刃を思わせる光が噴き出し――
 光の雨。
 飛び上がりかけていたペイルウィングは、ハエたたきに捕まったハエのごとくに叩き落とされ、地面に這いつくばらされた。
 雨は間断なく降り続き、容赦なくペイルウィングを切り刻んでゆく。
 みるみるうちに残る『アーマー』が削り取られ、コンピューターは警告を発し、悲鳴は掻き消され、絶望が心を塗り潰す。
 視界は白光で塞がれ、どこから攻撃が来ているのかわからない。
 身体に叩きつけられる光条の圧力で、身動き一つままならない。
 雨と言うより、これはもう滝だ。
(……ここまで、か……)
 アーマーが尽きれば、この脆弱な肉体など一瞬で炭化する。
 少なくとも苦痛は一瞬、もしくは感じずに済みそうだった。
「……逃げろ……私はもう――」
『――待たせたっ!』
 それは、暗雲を切り払う陽射しの刃。
 それは、絶望の壁を突き破る一撃。
 それは、深淵へ沈み行く身を引き上げる、力強き腕(かいな)。
 ヘルメットに響く陸戦兵の声と同時に、ペイルウィングは覚醒した。絶望に沈む人間から、戦士へと。
 もうおなじみの轟音が響き渡り、ディロイが仰け反ったのか、降り注いでいた光の圧力が消えた。
「う…………うわああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!」
 戦術も戦闘機動もない。
 原初の本能に突き動かされる一体の獣として、ろくに照準も定めぬままに手にしたマスターレイピアのトリガーを引き絞り、ディロイ目掛けて突進する。
 耳障りな金属殴打音が連続し、レイピアのプラズマエッジ放出口とディロイ本体中央部との距離が限りなく0に近づき――
 次の瞬間、装甲を突き破ったプラズマエッジが内部を瞬時に溶解、切断、破砕し、ディロイは火を噴いて擱坐した。

―――――――――――― * * * ――――――――――――

 残照がわずかに照らし出す廃墟に、引きずるような足音が響く。
「……いたか」
 瓦礫を覗き込む陸戦兵。
 ペイルウィングは出会ったときと同じように、廃墟の中でしどけなく四肢を投げ出して横たわっていた。
 あの時と違うのは、その姿。
 どんな時でも汚れ一つ寄せ付けないはずの青と黄色の制服はボロボロになり、バックルに表示されたエネルギーインジケーターは0を表示し、ヘルメット部分もところどころ破砕して内部のメカが覗いている。
 そして、目を覆うアイバイザーが割れて血まみれの顔が見えていた。
「おい、大丈夫か?」
「……う……」
 顔をしかめるものの、目を覚ます様子はない。
 陸戦兵は、ため息をついた。
「やぁれやれ……。世話の焼けるこって。こりゃあ、今日はここで泊ま、り……ぐ……」
 がっくりその場に膝をつく。素早く手で押さえた口許、黒いグローブの指の隙間からにじみ、滴り落ちる粘っこい雫。
 手の平を濡らすそのぬらめきが、残照に毒々しく映える。
 もう片方の手で自分の右胸を押さえた陸戦兵の顔は、苦痛に歪んでいた。
「くそ……。あんなモン……使うんじゃなかった…………化け物め……」


【中編へ続く】
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