蒼きバンダナのアレス First Episode
〜Engage Destiny〜【LUSTER/ROUGE】

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布  教

 聖堂にはシレキス各地の施設の長や、各地に派遣されていた司祭たち、それに司祭補佐たちが揃っていた。
 呼びに来たセリアスと共に聖堂へ踏み込んだルスターは、演壇に立った。背後には大地神グワルガを意味する土を盛った大皿を飾った祭壇がある。
 16人の男たちは、前後二列の長椅子に分かれて座っていた。
 ペルナー、セリアス他シュルツで世話になった司祭補佐たちが後列に勢揃いし、前列にはサイクスの屋敷で見た施設の長たちの顔が並んでいる。皆、ルスターより年上だ。
 ルスターが一人一人の顔をつぶさに見終え、口を開こうとしたその時、前列にいた司祭たちが一斉に立ち上がった。
「ルスター。君に言っておかねばならないことがある」
「……はあ」
 一同を見渡し、いざ、というときに発言を遮られた形のルスターは、やや間の抜けた顔で答えた。
「シュタインベルク司祭は、彼の手足となって動く司祭たちに序列をつけなかった。従って、君も私も、司祭補佐以外の全てが対等のはずだ」
「君がハイデロアの樹帝教学院で学んだ秀才だということは聞いている。その才をシレキスのために使えば、確かにシレキスの益となるだろう」
「だが、それはあくまでシレキス住民を代表する長たちの考えであって、我々はここへ来て一年にも満たない君を、ボラスディアの新しい代表と認めたわけではない」
「ここで初めて顔を合わせた者もいるしな」
「そもそも君がボラスドーに改宗したという話も聞いていない」
「これまではシレキスの代表になることを君が要請されている、という前提があったため、ボラスディア代表就任に反対はしなかった」
「もっとも大事なことはシレキスの解放。そのためなら、致し方なし」
「だが先日、君がシレキス代表の座を固辞したことで状況は変わった」
「そもそも無断で13日も行方をくらますような者にボラスディアを率いてもらっては困るよ、君ぃ」
「ここは正当に、きちんとした形でシュタインベルク司祭の後継を選ぶべきだと思うのだが?」
「そこで、決め方は――」
「そういうことなら勝手にやってくださいな。私は興味ないので」
 あまりにつっけんどんなその物言いに、得意げにべらべらとしゃべっていた男達は一斉に言葉を失ってしまった。目を何度かしばたかせて、ルスターを見つめる。
「私としてはボラスディアは今日を以って解散にしたかったんですがね。まあ。続けたいのなら仕方がない。勝手にやってください」
 その場にいた者全てが動揺し、顔を見合わせる。
「ちょ、ちょっと待て。ボラスディアを解散してどうしようと」
「抜けるって……シレキスはどうするつもりだね」
「まさかシレキスを出てゆくとか」
「君は何を考えているんだ?」
「アホかね、君はっ!!」
「というか、そのつもりならなんでそんなところに立っているんだ?」
「そうだそうだ。勝手に出て行ってくれれば――」
 ひとしきり文句を聞くルスターの表情に、いささかの怯みもない。
 黙っているルスターに不気味なものを感じ、司祭たちの言葉はやがて静まっていった。
「……もういいですか? なら、言わせていただきます。私がここに立っているのは」
 司祭たちが一斉に息を呑み、司祭補佐たちがぐぐっと前に身を乗り出す。
「布教のためです」
 静寂。
 聖堂の外を吹き抜ける風が、さやさやと梢を揺らす音さえ聞こえた。
「ふ」
「布教ー!?」
「なんだそれはっ!」
「我々をバカにしているのかっ! 我々はボラスドーを――」
 抗議の声を上げたのは司祭のうちの半数だった。残りは険しい顔でルスターを見つめている。
「ボラスディアは終わりです」
 挑発的な物言いに、ぎょっとする司祭たち。
 ルスターは表情を引き締めた。
「ボラスディアは樹帝教により邪教と認定されている。子爵や騎士を爆殺した件も、表沙汰になればそれを裏付けてしまう。シレキスが他の地域と手を組むにあたり、そうした邪教の巣窟だという風評は決して得にはならない。いずれボラスディアは駆逐される。恐らくはシレキスの人の手で」
 再びの静寂。
 ルスターは続けた。
「多くの人々の信仰心が簡単にひっくり返ることは、あなた方のほうがよくご存知のはずだ。樹帝教で起きたことが、ボラスディアでは起きないはずがない。その時、あなた方はどうするのです?」
「……君には、それを何とかする方策があるというのか」
 左端で腕組みをしていた司祭が手を挙げて聞いてきた。びんから続くあごひげをきちんと切り揃えた男らしい司祭だ。
 ルスターは頷いた。
「ええ。ただし、今後一切ボラスドーの名は口にしないことが条件です」
「馬鹿者、そんなことが出来ると――」
「――口にしなければよいのですか?」
 激高する別の司祭の声を遮ったのはセリアスだった。
 振り返った司祭たちの目をものともせず、ルスターを見据える。その隣ではペルナーが感心した顔つきでセリアスを見ている。
「ええ、その通りです」
 ルスターはにっこり笑って頷いた。
「口にさえしなければいい。あなた方が心に祈る対象がボラスドーであろうがシュレイドであろうが、私は別に問題にしません」
「バカな。思いを、神への敬意を口にせずして、信仰の証になるとでも思っているのか!」
「その程度の神なら要りません」
 居並ぶ男たちは一斉に絶句した。
 なんという罰当たりな言葉。
 たとえ敵の信仰する神であれ、その教えを退けるのに要らない、などという表現を使うことはない。人を超えた存在への恐れが有らばこそ、邪神悪神と罵ることはあっても。
 それを、いらないなどと……これでは人と神、どちらの立場が上かわからない。
 ルスターは淡々と続けた。
「今、我々に必要なのは思いの力。誰かを思いやり、誰かを愛し、誰かと共に平穏に生きることに喜び、感謝の祈りを捧げる気持ち。そして、その祈りを喜びとする神こそが、これより私の布教する神」
「そ、その名は?」
 右端にいたひときわ年かさの老司祭が腕組みを解き、身を乗り出した。
 ルスターは首を振った。
「神に名は要らない。なぜなら、その神はそれぞれの人の胸の内にいる。人の数だけいるその神を、一つの名前でくくることは出来ないし、してしまえばそれは私の望む神ではなくなるからです」
「では、どう祈れというのだ! 今お前は確かに、感謝の祈りを喜ぶ神と言うたではないか!」
「神に呼びかけるのに、『神様』以外の呼び方が必要ですか?」
 その場にいる者全てが、脱力したかのように呆気に取られた。
「神様、ありがとう。神よ、導きたまえ――『神様』としか祈らないからこそ、この教えはボラスドーもシュレイドも超えてアスラルに広げることが出来る。同時に、これから想定できる樹帝教と貴族による邪教狩りをくぐり抜けることもね。いかに奴らでも、心の内に秘めたる信仰を暴き、摘むことは出来ない。神様、と口にした時にどの神に祈っているのか、知る術はない」
「我々とて知る術がないではないか」
「必要ありません」
「いや、しかし……」
「どの神でもいいのですよ。今言ったように、誰かを思いやり、誰かを愛し、誰かと共に平穏に生きることに喜び、感謝の祈りを捧げる気持ちがそこにありさえすれば。誰かは人でなくてもよい。それまで信仰してきた神でもよいのです。そのことを伝え、人々が真に祈りたい神に祈ることの出来る方法、その知恵を授けるための布教です」
「――しかし、どうだろう」
 再び手と声を上げたのは、左端にいたあごひげの司祭。
「既に祈るべき神を持つ者はそれでもいい。だが、寄る辺なき民に布教するときに名前がないのは……名前が持つ力というのはバカにしたものではないぞ」
「確かに」
 ルスターは頷いた。
「だから、私は――」
 一堂をじっと見回す。
「この貴重な経験を与えてくれたボラスディアの皆さんに敬意を払い、名も無き破壊神を信仰することにします」
 司祭補佐と司祭たちの呟きが交錯する。
「名も無き……」
「破壊神?」
「……やっぱり名前が無いのか」
「何が違うんだ?」
「答えになってないぞ。布教の際にどうするつもりだ?」
「我が神、でいいんですよ。大事なのは名前ではなく、教えです。……我が神は破壊神ですが、無秩序に破壊を好む神ではない」
 皆、黙り込んだ。驚き慣れた、というべきか。ルスターの続く言葉を待つ。
「確かに、破壊といえば陰惨なイメージがつきまとう。しかし、果たしてそうでしょうか? 貧困という状況をなくすのは、貧困の破壊といえませんか? 貴族の非道をなくし、皆が安心して暮らせる世の中を創ることは、現状の破壊といえるのでは? 昨日出来なかったことが今日できる、それも昨日の自分を破壊したことになりませんか?」
「……へ理屈だな」
 件のあごひげの司祭が、苦笑しながら呟く。
 ルスターは悪びれずに答えた。
「宗教の教えなんて、そんなものですよ。世の中の事象を、おのれの側に都合よく引き寄せて解釈する。問題は、それに説得力があるか否かだけ」
「君は、その教えに説得力があると思っているのか」
「司祭の口から出た言葉の説得力は、自らの言動と行動で示すものです。どれだけ突飛な発言だろうと、言った者がそれを命がけで信じ、その通りに生きていれば、それを見ている者の中には信じてくれる者も出てくるでしょう。逆に、言ったこととやっていることが違う人の言葉は、信じてもらえないでしょうね」
「なるほど、道理だ。まったく隙が無い」
 苦笑を浮かべたまま、あごひげの司祭は頷いた。
 すると、隣の金髪碧眼の司祭がうんざりした顔で吐き捨てる。
「隙が無さ過ぎて、気に食わん。……信仰が理屈だけで割り切れるなどと思うな、若僧。やり場なき熱情こそ、信仰の基本だ。貴様には、それがない。果たして、それで人々がついてくるかな?」
 ルスターは肩をそびやかした。
「さあ? それこそやってみなければね。ともかく私は、人々に努力と勤勉さを求め、己の力で困難を破壊した者に祝福を与える――そんな神をこれより奉じ、教え広めてゆくつもりです。つきましては――」
 話が終わったと思い、腰を下ろしかけていた司祭たちが動きを止める。
 ルスターの口許が、にやりと笑みを刻む。
「皆様の中で、私についてきてくださる方を募りたいと思います」
 またもしばしの沈黙。
「な」
「なぁにぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!!???」
「えーと。当面の本拠はホルマールの孤児院に構える予定です。私についてきてくださる方は、そちらへ。なんならお話だけでも――」
「ちょっと待たんかぃ!」
 右端にいた最高齢の司祭が再び立ち上がった。
「ボラスドーを信じたままついて来いと抜かすか、小僧っ!」
「はあ。それがなにか?」
 まったく悪びれない様子のルスターに、その司祭は頬をぶるぶる震わせた。
「ふざけるなっ! 貴様のやっていることは布教活動ではないっ! ボラスディアの内部分裂だっ! ボラスディアを抜けるなら、それなりの制裁を受けねばならんっ! それが掟! 貴様、ボラスドーを信じたままついてこさせることで、その掟の不備を突いたつもりだろうが――」
「そんな掟があったんですか。はー……でもまあ、そっちの都合など、知ったことではありません。ボラスディア内部のことは、ボラスディアで決着してください。私はボラスディアではありませんので」
「道理だ」
 絶妙のタイミングで左端のあごひげの司祭が笑った。
「全員で移ってしまえば、掟もクソもなくなるしな」
「わしはゆかんぞっ! たとえシレキスの全てのボラスディアが抜けたとしても、最後の一人となって、抜けた者全てに制裁を加えてくれる!」
 一人激高する右端の司祭。怒りのあまり顔は真っ赤に茹で上がり、こめかみに青筋が何本も走っている。今にもそのうちの一つが切れそうな勢いだ。
 その隣のひょろ長い司祭が立ち上がってその肩を叩いた。
「まあ、落ち着きなさいな。その話は後ですることにしましょう。ルスター、あなたの話はそれで終わりかね」
「ええ」
「では、出て行きたまえ。これよりはボラスディアの会合。部外者にはお引取り願おう」
 ルスターは頷いた。
「わかりました。では、御静聴――でもなかったか。皆様、ごきげんよう」
 壇上で深々と頭を下げたルスターは、演壇から降りると聖堂の真ん中を通って正面から出て行った。

 ―――――――― * * * ――――――――

 ルスターの姿が消えた後。司祭補佐たちも奥に追い込んで、司祭だけでの話し合い。一同は演壇の前に長椅子を半円状に並び替え、再び座っていた順番どおりに座った。
「さて、どうする?」
 最初に口を開いたのは、あごひげの司祭だった。
 即座に隣の司祭が口を開く。
「どうするとはどういう意味だ、ラーケン?」
「あいつの言ったとおり、ボラスディアには先がない。いかに我らが心を砕こうとも、手を結んだヘルディン・エキセキルからの圧力があれば、ボラスディアは今のままではおれん」
「ふざけるでないわっ!!」
 音高く椅子の肘掛に拳を振り下ろしたのは、右端の最高齢司祭。
「貴様、あのこわっぱについてゆくというのか。だめだだめだ! それならば制裁を受けてもらうことになるぞ!」
「私のことではない。シレキス住民のことだ。その掟そのものが意味を持たぬことに気づかぬか」
 あごひげの司祭ラーケンは立ち上がって、一堂の前に歩み出た。
「そのような暴力的な掟があり、それが実行されることが邪教の風聞を呼ぶと言っているのだ。貴族の支配から解放され、自らの手で自由をつかもうとし始めている今、そんなものを果たしてシレキスの住民が心から信じるか?」
「体裁や体面を気にしていて、信仰が出来るかっ!」
「それは我らの道理だ。体裁を気にするからこそ、アスラルの各地で樹帝教が信仰されているのではなかったか? そして我らはその矛盾を突いてシレキスをボラスディアで染めた。……今度は攻守が入れ替わったのだ。掟を強要すれば、人心はますますボラスディアから離れるだろう」
「………………」
「ルスターにつくのも一つの手だ。奴の言うとおり、ボラスディア狩りが始まるのだとしたら、奴の元に分派を残しておけば、最悪の場合でもそれが生き残る、という考え方も出来る。後々、奴が創るであろう宗派を乗っ取ることもな」
「貴様が行きたいだけなのではないのか」
「では、私は残る方にしようか?」
 ぎょろりと見据えられ、誰もが押し黙る。皆がまだ、己の行く末を決めかねていた。
 ふ、とラーケンは一息漏らした。
「ともかく、奴の言葉を借りるならば、『大事なのは掟ではない』というところだろう」
「なんだと?」
「掟は組織を守るためにある。掟を守るために組織が失われては意味があるまい。ボラスドーを奉じる我らにとって最も大事なことは、ボラスドーの名とその信仰を残すこと。違うか? それとも、全滅を覚悟で組織を引き締め、ボラスドーの名の下に殉じるか? 信仰者としてはそれもまたよしだがな」
「………………」
「私は皆のボラスドーへの信仰心を疑うつもりはないし、そのような立場にもない。また、一人の人間として先行きを憂う気持ちを押さえつけるつもりもない。現状、ボラスディアの筆頭司祭がいない状況では、取れる道は二つしかない」
「ルスターのもとへ行くか、行かぬか、か」
「いや。この中より筆頭司祭を選び、その者の指示に従うか、それぞれ独自に判断して動くかだ」
「もう一つあるぞ」
 それまで押し黙っていた別の――禿げ頭の司祭が告げた。
「皆でとことん議論して、多数決で――」
「それこそ決定的な亀裂になるだろうよ」
 ラーケンがため息混じりに微笑する。
「自分の意に反する結末になった者が、そのままで済ますとは思えぬ」
「確かに。……お互いにな」
「それならば、筆頭司祭を選ぶのも同じことよ」
 また禿げ頭の右側、一同の中で誰よりも体格のよい司祭が皮肉めいた口調で言い捨てた。
「結局、その筆頭司祭の指示が意に反する場合、その溝をどうやって埋める?」
「それを言い始めたら……いや、結局はそういうことか。我らはシュタインベルクの元に集った。シュタインベルク司祭には従いはするが、この中で序列を決めることは出来ぬ、ということだな」
「では、我らはそれぞれ独自に判断して動くということでよろしいか」
 ラーケンの隣、金髪碧眼の司祭が一同を見回す。
「待てぃ」
 右端の老司祭が手を上げた。
「あのクソガキについて行く者は、今手を上げい。住民への掟の強要は見送るにしても、お主らはそうはいかぬ。お主らは掟を定め、それを守らせてきた司祭。それが、けじめじゃ」
「トートン……」
「道理だ」
 金髪の司祭が絶句し、ラーケンが含み笑う。
「では、一応手を上げておこう」
 一斉にラーケンに視線が集まった。
「先行きを決める前に、もう一度奴と問答をするつもりだ。ホルマールを訪ねてな。だが……正直なところを話せば、奴の言ったことに惹かれている。より深く話し合えば、引き込まれるやも知れぬと思っているのでな」
「ラーケン……」
 ラーケンはその場に腰を下ろした。床に胡坐をかき、足の間で両手を組む。
「奴の奉じる神の名は知れている。……奴のあれは神ではない。『良心』だ。だから名はいらぬ、とほざける」
「なるほど。しかし、神でないならそれは宗教ですらないのではないのか?」
 金髪碧眼の司祭の問いに、ラーケンは首を振った。
「人知を超えた存在ではなく、人に内在する『良心』に訴えるがゆえに、奴の言葉は恐らく人々に届く。人を人として生かす『よすが』が宗教の役割ならば、それもまた宗教。信仰の対象など、何でもよい。奴はそう言うておるのよ」
 ちらりと祭壇を見やる。
「見よ。グワルガの宗徒は、あんな盛り土を信仰しておるのだぞ? それを笑う者もおるが、それでもグワルガの信者は多い」
「そんなことはどうでもよいわっ!」
 再び長椅子の肘掛に拳を叩きつけ、トートンが叫んだ。
「ラーケン、お主が掟に従うならそれでよし。お主が戻るまで、わしはここに待機しよう。お主が奴に取り込まれた折りには、掟に従い――」
「そうだ、ここはどうする?」
 トートンの隣にいたひょろ長い司祭が、ふと思いついたように言った。
「我らはそれぞれ任地がある。ホルマールはルスターにくれてやるにしても、ここはボラスディアの中心。それにこれだけの施設、廃教会にするのは惜しいな」
 遮られたトートンは、怒りをみなぎらせた眼差しでその司祭を睨みつけた。
「たわけ。この中の者がジェラルディン領の中心たるシュルツに来るということは、事実上ボラスディアの首魁となるも同然。無用の諍いを避けるためには新たな司祭を選び、シュルツに据えるがよかろうが」
「新しい司祭?」
「司祭補佐が八人もおる。その中から選べばよい。われらの合議で選んだとなれば、立場は我らより下となろう? 中心におるなら、連絡役になってもらえばよい」
「ああ。なるほど」
 司祭たちが得心して頷いている間に、トートンは音高く手を打ち鳴らした。司祭補佐を呼ぶ合図である。
 しかし、奥から現れた司祭補佐は一人だけだった。おどおどしながら、用件を尋ねる。
 トートンが不思議そうに顔をしかめる。
「どうした。お主だけか? 他の者は? セリアスにペルナーは?」
「……はあ、その……皆、ルスター様についていかれました」
「な……」
 絶句するトートン。他の者も呆気に取られる。
「ぶわはははははははははははははははははは」
 ラーケンだけが声高く笑い、膝を叩いた。
「そうか、まずは連中がついて行ったか。住民より早く、司祭補佐に見捨てられたか、我らは。うははははははははははははははははははは」

 ―――――――― * * * ――――――――

 それは、一種異様な光景だった。
 荷馬車の狭い荷台にぎゅうぎゅう詰めに乗った7人の男達。
 ルスターと7人の司祭補佐たち。御者席で手綱を握っているのはペルナーだった。
「まさか、7人もついてくるとは思わなかった」
 ルスターがはにかむと、荷台に座る6人の司祭補佐たちはお互いに顔を見合わせあって苦笑を浮かべた。
 代表として、セリアスが口を開く。
「ルスター様についてゆけば、司祭にしてくださるのでしょう? 皆、それを期待しております」
「少なくとも、下働きの雑用扱いにするつもりはないよ。けれど、司祭になれるかどうかはあなた方次第だ。私が決めることではない」
 突き放したその言い方に、一同はどよめいた。
「と、言われますと?」
「私は神を創っただけで、まだ教団とか宗派を創ったわけじゃない。だから、あなた方がおのれの信ずるところに従って、例えばグワルガの司祭を名乗りたいなら、それは自由だ。私がどうこう指示することじゃない」
「では、あなたの教えに従い、司祭を名乗るためには?」
「さあねえ」
 ルスターのいい加減な答えに、セリアスは顔を曇らせた。
「とにかく、私の教えに従いたいというのなら、まず私の考えを理解してもらわないとね。司祭を名乗れるかどうかはその次だと思うけど? これまでの扱いから、焦る気持ちもわからなくはないけど」
 司祭補佐たちは一様にうつむいてしまう。
「ペルナー、あなたはどうです?」
 セリアスに水を向けられたペルナーは、背後を振り返り、小首を傾げた後、照れくさそうにはにかんだ。
「いやぁ、わたくしはルスター様についてゆくだけです。ルスター様が名も無き破壊神を信仰なさるのであれば、わたくしもそうするだけ」
「……この中では一番司祭に近いのはペルナーのようですな」
 挑戦するかのようなセリアスの眼差しに、苦笑していたルスターは首を振った。
「いやいや、私は現時点では一番遠いと思うけどね」
「そうなのですか? まあ、ルスター様がそう仰るのならそうなのでしょう」
 気落ちした様子も無く、ペルナーが笑う。
 ルスターの思考が読めないせいか、セリアスは顔をしかめていた。他の5名も顔を見合わせている。
 ルスターはその表情を楽しむような笑みを浮かべた。
「そんな顔をするな、セリアス。我が神の司祭たるに相応しい人物がどのような人物であるべきか。それもまだはっきりとしていない段階で、司祭だなんだというのは気が早いってことさ」
「では、当面はルスター様の一人司祭ということで……」
 ルスターはまたも首を横に振った。
「いーや。当面は司祭なんてものはいらない」
「しかし……」
「なあ、セリアス。肩書きが無ければ布教は出来ないか?」
「あ」
 ルスターの言わんとすることを理解したセリアスは、即座に頭を垂れた。
「申し訳ございません。……確かに、そうです」
「おのれの信ずるところを他人に理解してもらい、共感してもらうのに肩書きは必要ないさ。肩書きを使って信じさせようとするなら、我々は樹帝教と同じだ」
 ルスターは荷台を一瞥した。そこに座っている男たちを、もう一度一人一人見据えてゆく。
「樹帝教やボラスディアの代わりに肩書きを与えてくれることを期待しているのなら、残念ながらその期待には添えない、と今ここではっきり言っておく。肩書きがなければ何も出来ない人間に、司祭の座が相応しいとは思えないからね」
「では、ルスター殿。改めてお聞きしたい」
 司祭補佐の一人が声を上げた。
「我々は何を求められるのか。あなたの下で、どのような仕事を果たすことを期待されているのか。それをお聞かせ願いたい。それとも……それもおのれ自身で見つけねばならないのか?」
「そうだ。我々を導いては下さらないのか?」
「布教というなら、今ここでの話もそうだ。あなたが目指す教えは何だ?」
「我々は何を捨て、何になるべく努力すればよいのだ?」
 次々上がる声。それらは、彼らの抱く不安を象徴していた。
 仕事は果たせども責任のない場所から、何もない荒野に進み出たようなものだ。果たすべき仕事に応じた地位と扱いを求めての行動にせよ、実際それまで立ったことのない場所に立てば、誰しも不安に襲われる。まして、自分達を導いてくれるはずの存在が、今ひとつ心許ない返事に終始しているとなれば。
 ルスターは、うんうんと頷いた。
「わかったわかった。だから焦るな、というのに。しょうがないな……では、まず一つだけ。ホルマールにて各々一人、友人を作ってくれ」
 布教とは全く関係なさそうなその発言に、司祭補佐たちは一様に落胆の色を見せた。
「その友人を、我が神の教えに染める。まずはそれが最初。最終的には、ホルマールからボラスディアを駆逐する」
 あがるどよめき。
 初めての具体的な指示と目標に、皆の目が生き生きと光りだす。
「なんとも簡単な指示ですな。そのようなことで――」
「友人の一人や二人、すぐにでも――」
「威張りくさったボラスディアの司祭たちを退け、我々が――」
「子供じゃあるまいし、この年でまた新たに友人などと――」
 口々に好き勝手に発言を始める司祭補佐たち。
 その様子を見ていたルスターは、挑戦的な笑みを頬に貼りつけ、ぼそりと呟いた。
「……さて、友達何人できるかな?」
 そして、その呟きに気づき、怪訝そうに眉をひそめたのはセリアスだけだった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 その日の日暮れ時。ホルマールの孤児院。
「ただいま帰りましたよ〜」
 帰宅を告げるペルナーの呑気な声に誘われて、聖堂兼大広間へ集まってきた子供達は、彼の後から入ってきた見知らぬ大人の集団に驚いて奥へと続く戸口に立ち尽くした。
「やあ、ワイズマン。長い間、悪かったね」
「ペ、ペルナーさん。この人たちは……?」
 警戒をにじませるワイズマン――をルージュが押しのけた。必死の形相でペルナーに問い質す。
「それより、おじ様はどうしたのっ!? 見つからなかったの!?」
「ああ、ルスター様なら大丈夫。今は村長に挨拶に行っているよ。他にも回るところがあるといっていたから、少し遅れるかもしれないね。そうそう、それでね。こちらの方々は――」
 ペルナーがワイズマンの問いに答えている間にルージュは踵を返し、奥へと駆け出した。
「あ……ルージュ」
 ルージュの不穏な動きに気づいたヘレンが、すぐにその後を追う。そして、さらにはロイドまでもがそっと身を翻してその場を離れた。
 三人が裏の勝手口から出ていったことに気づいた者はいなかった。

 ―――――――― * * * ――――――――

 冬の日暮れ時は、冷え込みが厳しい。
 ルスターがそこを訪れた時、吐く息は白くなっていた。
 辺りに人気はなく、物言わぬオブジェがただ立ち並んでいる――墓場。
 まだ盛り土の色も新しい墓の前に、ルスターは膝をついた。
 大人の男の腕ほどもある丸太で作った墓に刻まれたその名は『エルデ』。
「……エルデさん」
 呼びかけてから気がついた。何も伝えるべきことがないことに。
 しばらく目を閉じ、思い出にひたる。
 やがて、一つの言葉がポツリと口をついた。
「――ありがとう」
 胸にあるのは、ただただ感謝。命を救ってもらった感謝。出会いを導いてもらった感謝。行くべき先へ導いてもらった感謝。そして、あなたを好きになれたこと、好きになってよかったと思えたことへの感謝。
「いつか……あなたが哀しみと苦しみの末に選んだことが無駄ではなかったと、あなたの罪とあなたの哀しみとあなたの苦しみが、そしてその涙が、笑顔が、皆の幸せの糧になったのだと報告しに来ます。あなたから受け継いだこの命、決して無駄にはしない――あ」
 自分の言葉に、自分で驚いた。
 そうだ。自分は彼女から命を受け継いだのだ。つまり、エルデは自分にとって――
「……?」
 ふと墓地の入口から子供の声が聞こえてきた。女の子二人がなにやら歌を歌いながら近づいてきている。声ですぐわかる。この声はルージュとヘレンだ。墓地周辺の寂しさに負けぬよう、声を上げているのだろう。
 立ち上がって振り返ると、木立の向こうにランタンの光が揺れていた。
 よく目を凝らせば、ルージュとヘレンより少し背の高い三人目がいるようだ。
「……ロイドか?」
 近づいてきた人影は、予想通りロイド、ヘレン、ルージュだった。
「ほーら、やっぱりだ。あたしの言ったとおりだったでしょ?」
 お姉さんぶって胸を張るルージュに、ヘレンは何度も頷く。
 ルスターはルージュに行動を見透かされたことに苦笑しつつ、三人が近づいて来るのを待った。
「やあ、ロイド。ルージュ、ヘレンも」
「先生、お帰りなさい」
 ヘレンがぺこっと頭を下げる。その表情は出発前より格段に明るく感じられる。あの時ベティおばばに諭されたことで、何かが吹っ切れたのだろう。
「ただいま、みんな。遅くなってごめん」
「おかえりーっ!!」
 ルージュが飛びついてきた。体ごとぶつかるようにしてルスターに抱きつき、腹に押し当てた顔を振りたくる。
「おじさまおじさまおじさまっ! 無事でよかったぁ。どっか行っちゃった、って聞いた時にはびっくりしたんだから」
「心配をかけたね。すまない。あとでみんなにも謝っておかないとな」
 軽く頭を撫でてやり、ロイドに目を転じる。ランタンを持ったぶっきらぼうな少年は、目が合うとぷいっと横を向いてしまった。
「ロイド、この二人だけじゃ危ないから、いっしょに来てくれたんだな。ありがとう」
「……別にぃ。あんたらがいない間は、ワイズマンとボクとに面倒任されてるし。与えられた勤めを果たしてるだけだよ」
「そうか。それでも、礼を言っておくよ。ありがとう」
「だからいいって。それより、早いとこ帰ろう。なんか、妙な大人の連中も来てたし」
「ん。その前に、君達も祈っておかないか? エルデさんの冥福を」
「しょーがないな」
 舌打ちを漏らしてエルデの墓の前に行き、目を閉じて頭を垂れるロイド。ルージュとヘレンも両膝をついて、両手を組み、頭を垂れる。
 その間、ルスターは周囲を見るともなく見回していた。
「そういえば……お墓の掃除、してくれていたのか?」
 ルスターは、祈りを終えて二人が立ち上がったときに、三人の誰にともなく聞いた。
 エルデの墓の周りは落ち葉も掃き寄せられていて、きちんと手入れが行き届いていた。周囲の墓の中には、落ち葉に埋もれて地面なんだか墓なんだかわからなくなっている場所もあるのに。
「それは……へレンが。ね?」
 ヘレンに微笑みかけるルージュ。しかし、ヘレンは首を振った。
「ルージュも、ケイトも、みんなでいっしょにしたの」
「でも、言いだしっぺはヘレンなの」
「そうか。みんなでいっしょに、か。……ロイドも?」
 二人の肩を抱いて歩き出しながら聞くと、ランタンを持って先に歩くロイドは、いつもの不機嫌そうな声で答えた。
「当たり前だろ。なんでそこで、ボクだけ疑うんだよ」
「疑うというほどのものじゃないんだけどね。いつもの君はお世話になってる人には礼儀正しいけど、そうでない人にはぶっきらぼうだから」
 ロイドはふんと鼻を鳴らし、足元の落ち葉をざかっと蹴っ飛ばした。
「悪かったな。……ワイズマンにも言われた。ボクだけやらないと、ミュラーが真似をして言うことをきかなくなるとか何とか」
「でも、そんな理由だけでやってくれたわけじゃないだろ」
「当たり前だっ! ……つか、もうどうでもいいだろそんなの。言われたとおりにやっといたんだから」
「いいわけないでしょ! お墓なんだよ!? 心を込めてやらないと――」
 ロイドとはやたら仲の悪いルージュが噛み付く。それを、ルスターは手で制した。
「いいんだ、ルージュ」
「え、でも……」
「ロイドは心を込めてくれてる。……いや、心を込めなくていいのなら、最初からやらない。そういう奴だ、ロイドは」
「え〜〜〜〜? そうかなぁ」
 疑いの目でロイドの背中を見やるルージュ。
 今の会話が聞こえていたはずのロイドは、何も答えない。
「ともかく、ありがとう。みんな。エルデさんに代わって、私が礼を言うよ。君たちは、本当にいい子だ」
 ルスターはもう一度両脇の二人の頭を軽く撫でた。
「さ、それじゃあ院へ帰ろう。新入りのおじさんたちも待ってるだろうしな」
「そう、それだよ。あれ、誰なんだ?」
 今の今とは打って変わった興味津々の態で、首だけこちらに向けるロイド。ルージュたちもルスターの顔を見上げる。
「ま、その辺は歩きながら話そうか」
 ルスターは、それぞれに笑顔を振りまいた。
「……今、このシレキスという土地がどういうことになっているかも含めてね」
 


【つづく】
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