年月日 |
滞在
日数 |
コメント/写真など |
1996年
7/6〜7/14 |
14日間 |
定年後最初のヨーロッパは9人とにぎやか。
ツェルマットとグリンデルワルドを訪れる。私は
腰痛のため思うように歩けなかった。 |
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1996年
8/21〜9/6 |
17日間 |
単独でツェルマット・ザースフェー・サンモリッツ。4000m峰は1つ登った
だけ。ツェルマットで弁護士Mさん大学教授Tさんと落合ってハイキング。 |
1997年
7/5〜7/18 |
14日間 |
6人でグリンデルワルドとザースフェー。毎夏
2回行くアルプスだが、この年は母入院中の
ため1回だけ。シュトラールホルンに登る。 |
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1998年
6/24〜7/29 |
35日間 |
初めの2週間は今年定年のSさんとチロル・ドロミテ。次の週は日本
からの5人と合流してサンモリッツとツェルマット。最後2週間は1人
で4000m峰を3つ登る。天候に恵まれて、充実した山旅だった。 |
1998年
9/9〜9/25 |
17日間 |
妻と2人でまずモンブランのイタリア側でツールドモンブランを歩く。その後
シャモニへ。再びイタリアに戻りグランパラディゾ山麓のコーニュ。前半は
寒気が入って2000mくらいでも、かなりの降雪。後半は秋晴れが続いた。 |
1999年
6/23〜7/7 |
15日間 |
チロル・サンモリッツ.ルガノ・イタリア・サースフェ
ーと回り、最後ツェルマットのリッフェルベルグで
締める。60代の定年退職組6人の楽しき山旅。 |
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1999年
7/29〜8/21 |
24日間 |
単独でイタリアから入りツェルマット・グリンデルワルド・サースフェー
4000m峰は1座登っただけ。ミュンヘンへ日食観測にも出かけた。 |
2000年
7/8〜7/17 |
10日間 |
6人でシャモニ・ツェルマット・サースフェー。出発
時から台風で飛行機が大幅に遅れ、アルプスも
最悪の天候で晴れたのはツェルマットの1日だけ。 |
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2000年
7/25〜8/12 |
19日間 |
単独でグリンデルワルドとサースフェー。2000年の夏は天候
不順で帰国の日が迫ってから、やっと4000m峰をひとつ登頂した。 |
2001年
6/21〜7/4 |
14日間 |
2組のカップルを含む8人(ほとんど60代)で、
ツェルマット、グリンデルワルドなどの観光旅行
中心。昨年の悪天を補うように連日の好天続き。 |
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2001年
7/24〜8/28 |
36日間 |
まずユングフラウに登頂。その後は主に南部で、トゥールモンテローザ
などを歩く。お盆の間は、妻と合流してヨーロッパウェグなどを歩く。
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2002年
7/13〜8/13 |
32日間 |
1週間ぶりに晴れた日にアレッチ氷河の見えるエッギス
ホルンに。その後単独になって、7月下旬はTDCを歩く。
8月に入ってからはまた雨が多かった。 |
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2003年
8/5〜8/29 |
25日間 |
熱波がヨーロッパを襲い、登れない山もあったが、全般的に天候は
よく、2つの4000m峰(ラッギンホルンとグランパラディゾ)に登る。
ツールマッターホルンなども沢山歩いた。単独の25日の旅。 |
2004年
8/17〜9/2 |
17日間 |
天候不順で、出発を2週間遅らせたが、8月後半もパッとせず、比較的、晴天率
の高いフランス・アルプス(エクラン山群とツール・ド・モンブラン)を中心に回った。 |
2005年
6/19〜6/28 |
10日間 |
4人で10日間の短い期間だったが、天候に恵まれ、最高のスイス旅行だった。
念願の1泊2日のアレッチ氷河下りのほか、ブライトホルンにも登った、 |
2005年
8/2〜8/31 |
30日間 |
前半は好天と悪天が交互する天候。うまく好天を捉えて、ビスホルンとモンブラン
の2つの4000峰に登頂。後半はベルナーオーバーランド各地で洪水になる最悪
の天気で、ほとんど歩けなかった。1ケ月のひとり旅。 |
2006年
7/1〜7/13 |
13日間 |
モツアルト生誕250年で賑うザルツブルグに8人が集合。後半3人でスイスのエンガディンとツェルマット。中間で曇った他は好天続き。ジュネーブまで600kmアルプス横断の旅 |
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