+++ Russian Tea


 改めてエレナさんを紹介されて、エレナさんに紹介してもらって、そして今度は三人でとりとめなくお喋りを楽しんだ。エレナさんの前でくだけた感じの涼さんが、なんだか新鮮だった。本当に仲がいいんだなぁと思えたから、あんな誤解をした自分が恥ずかしくて恥ずかしくて。
 夕ご飯時になって、帰ろうとするエレナさんを「一緒に食事を」と引きとめる。そしたらエレナさんがロシアの家庭料理を作ってくれると言う。これは教えてもらわなくちゃと女二人で台所に立つ。なんだかこういうのって合宿みたいで楽しい。エレナさんと二人で、わいわいと夕ご飯の支度をする。
「あの、僕何かすることあります?」
 自然と、その輪からはずれてしまった涼さんが寂しそうに聞いてきた。もう、涼さんまた構って欲しがって。でも二人いれば十分だったし、かえって涼さんがいると邪魔だったし
「涼サンはアッチで大人シク待ッテテクダサイ」
 エレナさんににべもなくつきかえされた。しょんぼりとリビングに向かう涼さん。
「ちょっとかわいそうですかね」
「イインデス、ちょっとオシオキしないとイケマセン」
 うわ、キビシイ。それはロシアの国民性なのか、あるいはエレナさん自身の性格なのか。ふと思いたって聞いた。
「エレナさんは……彼氏は?」
 エレナさんは真っ赤になって、うつむくだけで答えてくれなかった。からかってもなだめすかしても、それは別にわたしに言えないというより、本当に恥ずかしいだけみたいだった。なんだかカワイイ。ほんとカワイくて、ステキな人だ。……その答えはまたいつか聞かせてもらおう。
 しばらくしてまた涼さんがキッチンに来た。
「もう、涼さんもう少し待って……」
 いきなり涼さんがわたしを後ろからぎゅーっと抱きしめた、もとい抱き寄せた。
「エレナ」
「ナンデスカ?」
「ヤツカは僕の奥さんなんですからね、僕のモノなんですからね」
 うわー、何をいきなり言い出すのだ。妬いているんだ、この人。エレナさんはその涼さんの挑戦的な物言いをニコニコと受け止めて
「あ、ヤツカサンも同ジコト言ッテマシタ」
「え?」
「涼サンはワタシノモノです!て」
 うわー、余計なことを!涼さんはちょっと驚いて、それから嬉しそうにわたしのうなじに口づけた。抵抗する気もおきなかった。
 エレナさんに教えてもらったロシア料理を囲みながら、ワインもあけて、さらに三人でくつろぐ。ロシア料理は美味しかった。うん、これはまた涼さんに作ってあげなくちゃ。
 弾む会話の中、どこからそんな話になったのか。
「エレナは市川のサンバチームに入っているんですよね」
 エレナさんが千葉の、市川市役所に勤務している話は涼さんが帰ってくる前に本人から聞いていたけれど、それは初耳だった。へえと感心していると
「浅草のサンバカーニバルに毎年出ているんですよね」
「あ、わたしそれ出たことありますよ?」
「ヤツカサンが?」
「事業部長の突然の思いつきで、社内イベントとして全員強制参加させられた年があったんです。でももう準備から何から何まで大変で、一年限りのイベントだったんですけれどね」
「ヤツカ!」
 いきなり涼さんが叫んだ。
「写真とか、ビデオとかないんですか?」
 …………しまったー!
「僕そんな話初めて聞きましたよ、なんで黙ってたんですか?ねぇ、無いの?何か無いの?」
 涼さんが、いっそキラキラと言ってもいい眼差しでわたしに訊ねる。そうだ、こうなることがわかっていたから、そしてアレは一生の不覚クラスのシロモノだから、絶対に涼さんにはバレちゃいけないと思ってたのに。
「ねぇ、僕見たいです、ヤツカのサンバカーニバル姿」
「ワタシも見テミタイデス」
「だ、ダメですよ!そんな見せれるものじゃないです!」
「だって、ヤツカがあの格好してたんでしょ?きっと絶対カワイイ、見たい、見せて」
「ダダダダダダメです!絶対ダメです」
「ヤツカサーン!夫婦の間に隠シ事がアッテはイケマセーン!」
「そうですよ、そんな事言っているとロシアの妖怪ドモヴォイに食われますよ?」
「何訳のわかんないこと言っているんですかー!」
「……じゃあ、いいです。今度会社に行った時、ももか主任に頼んでみます」
 だ、ダメダメ!それはもっとダメ!ももか主任経由じゃ、一体どんなシロモノが出てくるのかわかったもんじゃない。主任のところなら「事業部サンバカーニバル裏ビデオ」だって出てきてしまう。本当にあの日は恥ずかしくて、暑くて、そして皆で途中でヤケになって、凄いことになっていたのだから。
 ……それよりかは、まだましかもしれないと観念して、二人がかりの脅迫まがいのリクエストに負けて、チェキ日記の中からその写真を涼さん達に見せてあげた。自分の手元に残しておくぐらいだから、これはかなり厳選して自分でもイイと思った写真ばかりだ。そんなにイヤな思い出なら、写真なんかとっておかなければいいのに、というのはわたしには愚問だ。
「うわ〜〜」
「ヤツカサン、イロっぽいデスー」
 鼻の下が伸びかねない涼さん、エレナさんも楽しそうに見ている。ま、まあ喜んでくれたならそれでいい……あまり良くない。
「じゃあ、ヤツカサン、来年は一緒に出マショウネ」
「あ、それいいですねぇ」
 それだけは勘弁してほしい。


 時間も遅くなったので、帰ろうとするエレナさんの為にタクシーを呼んで、そしてマンションの階下まで見送った。また来てくださいね、と別れを惜しむ。ちょっと余計なことはあったけれど、とても楽しい夜だった。何よりもエレナさんというお友達ができたこと。これは本当に嬉しい。
 遠ざかる車を見送って、マンションの玄関に戻る。
「楽しかったです、ほんとに」
「エレナ、面白いでしょう?」
「ステキな人ですね」
「それにしても……ヤツカ」
「はい?」
「僕を疑っていたんですね」
 ……やっぱりバレたか。あの流れでは当然かもしれない。言い訳は出来ないので、小さくごめんなさいと謝った。
「僕の愛し方が足りないんですかね?」
「え?」
 エレベーターに乗り込む。そして扉が閉まると同時にイキナリ抱き寄せられて、キスされた。かなり、かなり濃厚な。
「ちょ、ちょっと涼さん!こんなところで!」
「だって、僕の愛し方が足りないんでしょう?」
 そしてまたキス。抵抗しているのに、ありえない力で押さえつけてくる。怒っているのではない、この機会に乗じて楽しんでいるのだ。
「だ、誰か乗ってきたら……」
 唇が離れる度に抗議するのだけれど、すぐに捕まってしまう。
「ヤツカ、大人しくしてください」
「……」
「上に着くまでですから」
 うう……とはいえ、わたしには涼さんを誤解していた負い目があるから、これはもう素直に従うしかない。せめて最上階につくまで、誰も乗ってこない事を祈るばかり……。
 すごい長い時間がたったようだ。まだ、まだ着かないのか。
 不意に、扉が開いた。え、と思ったら「誰か」が乗ってきた。
「失礼しました」
 さらっと涼さんが言う。その人は心底驚いていたけれど、努めて何も無い顔をして、エレベーターの行き先階のボタンを押した。
「……」
 どうりで長いはずだ。なかなか着かないはずだ。だって、わたし達が乗ったときに行き先ボタンを押してなかったんだもの。エレベーターはずっと1階にあったのだ。おそらく、かなりの長い時間。
 確信犯だ、涼さんの確信犯だ。
 その人が途中の階で降りると同時に、また二の舞にならないように、慌てて最上階のボタンを押した。そしてまた「上に着くまで」……上へ上へとあがっていく。


 それからしばらくしたある日。
 涼さんの携帯が鳴った。折りしも涼さんは帰宅したばかりで、お風呂に入っている最中で。携帯の外窓を見ると『エレナ』の文字。ああ、と思って涼さんに「エレナさんからです」と告げると代わりにでてくださいと言われて
「もしもし?」
「あ、ヤツカサン!」
 エレナさんの用件は、この間ロシアに帰省したのでそのお土産を持ってきてくれるとの話だった。それは楽しみですと、空いている日を伝えて、それからちょっとおしゃべりして。じゃあね、と携帯を切ったら
「うわーーーーーーー!」
 本気で叫んでしまった。だって、携帯を切ったら待ち受け画面にわたしの写真。この間のサンバカーニバルのわたしの写真。いつの間に、いつの間に!わざわざ取り込んだのか、わざわざ携帯の待ち受けに設定したのか。
 慌ててどうにかして消そうとしていると、涼さんがお風呂からバスローブ姿で出て来た。
「エレナ、何の用事でした?」
「すすすすすずみさん!コレ!」
 携帯を見せる。
「ああ、いいでしょう?」
「よよよよくありません!」
「なんで?カワイイのに」
「と、とにかくこれ消してください!」
「イヤですよ」
「わ、わたしがイヤです!こんなの!」
 もう照れているのか怒っているのかわからなくなってきた。
「わかりました」
 あれ、素直に折れてくれた。
「そんなに言うなら、ヤツカも僕の写真待ち受けにしていいですから」
「誰もそんな事言ってません!」
 涼さんはいそいそとリビングに置いてあったわたしの携帯を持ってきて、カメラ機能をつかって自分を撮ろうとする。さすが、涼さん。機種が違ってもすぐに勝手を理解したようで……いや感心している場合じゃなくて。
「せっかくですから、脱いでいるところ撮りましょうか?」
「うわー!や、やめてください!」
 携帯カメラを自分に向けて構えながら、片肌脱ごうとするのを慌てて止めた。
 結局。説得と妥協の結果、わたし達の携帯の待ち受けには、二人で一緒に映った写真がおさまる事になった。おそろいだ。ちなみに涼さんにはちゃんと服を着てもらってから撮った。嬉しそうな涼さんと、そしてはにかみながらもやっぱり嬉しそうなわたしの写真。
「……」
 寝顔とサンバカーニバルと二人で撮った写真。結局、どれも恥ずかしいことには変わりないのかもしれない。
 涼さんといると、色々なことの基準がわからなくなってくる。それがいいのか悪いのかわからないけれど、でも多分、それだってしあわせのひとつ、かもしれない。



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 満を持してエレナ様の登場です。すずエレです(えー?)。
 しかし、長いなぁ。当初はコメディータッチの軽い作品にするつもりだったんですが……脳内で固まってから書き出すための時間が長いと、どうしても無駄なシーンが増えがちというか、つい盛り込んでしまうというか……それ、この話の展開で必要なんですかとか色々あるんですが、まあまあ。
 来年のサンバカーニバル、きっとヤツカは出場せざるを得なくなると思います。涼カンパニーの広告入りフロートに乗って(言いっぱなし)。

※「事業部サンバカーニバル裏ビデオ」とはサンバカーニバル当日に、ももか主任が女子更衣室でまわしていた恐るべきやんちゃビデオだ!(しゅしゅしゅにん!なんて事を!)(主任的には普通の思い出ビデオの感覚だった)。色々な意味ですごいらしいです(ひとごとか)。(2004.03.20)