+ Melty


 当たり前の話なのだけれど、結婚したからと言って涼さんの忙しさが変わる訳じゃない。
 新居で新生活を始めて「新婚生活」に慣れた頃、涼さんの仕事がまた忙しくなったみたいで、随分帰りが遅くなるようになった。いや、本当は忙しかったけれど、わたしの為に無理して帰ってきてくれてたんじゃないかと思う。無理しないでとも思うし、そうやって涼さんがわたしのことを思ってしてくれたのも嬉しいと思う。われながら自分勝手だなぁと思うのだけれど。
 涼さんは先に寝ていていいですよ、と言うけれどわたしは涼さんを起きて待っていたかった。涼さんにちゃんとお帰りなさいと言いたかった。だって、そうしたかったからこうやって「専業主婦」になったんだもの。それで最初の頃はがんばっていたんだけど、だけど段々睡魔に勝てなくなっちゃって。
 一度涼さんを待ちながら、リビングのソファーで眠ってしまっていたら涼さんにひどく怒られた。風邪でもひいたらどうするんですか、と。涼さんに余計な心配をかけてしまったと、わたしは少し落ち込んだ。そんなわたしに涼さんはとりなすように優しくキスしてくれて……。
「起きていなくても大丈夫ですから」
「でも」
「先に寝ててください、ね」
 そう言われては、その通りにするしかない。
 今夜も遅くなると電話が入った。仕方がない、先に寝よう。……うう、はっきり言って寂しい。
 ずっと一緒にいたいから、結婚するんだと思っていた。だってプロポーズの言葉だって「一緒になってください」って言うじゃない。そんな理屈を並べているわたしは……コドモだ。
 寝る前に、ふと思いたってチェキで自分を撮った。すっぴんだったけれど構わなかった。そしてその下におかえりなさい、と書き込んだ。ちょっと考えてからその後ろにキスマークを書き添えた。これは、いつもしている、というか涼さんがいつもねだる「おかえりなさい」のキスの代わりだ。
 ちょっと恥ずかしいけれど、いいアイディアだと思った。
 それをテーブルの上に置いて、わたしはベッドに入った。


 額に何か違和感を感じて目を醒ました。
「ヤツカ……起こしちゃいました?」
「あ……涼さん、お帰りなさい」
「あれ、見ました」
「あ、ああ」
「嬉しかったです」
「あ・・・・・・は、はい」
「今のは、ただいまのキス」
 あ、そうか。額の違和感は涼さんの唇だったのだ。
 そしてもう一度、今度は唇にキスされた。
「今のは、おやすみなさいの、キス」
 ・・・・・・あ、相変わらずキザだ。真っ赤になった。そしていつもとは違う意味合いの「キス」も違和感があって、なんだか変な感じだ。
「おやすみ、ヤツカ」
「お、おやすみなさい」
 そんなわたしにかまわずに涼さんは隣に横になる。そしてすぐに眠ってしまったみたいだった。やっぱり疲れているんだろうなぁ。わたしはなんだかあつくてあまくて、目が冴えてしまった。
 困った、でも嬉しい。
 そっと涼さんに身体をすりよせた。涼さんのぬくもりを感じながら、結婚してよかったなぁとしあわせに浸ってしまったりして。


 そんな感じに涼さんの忙しい日が続いた。わたしは毎日チェキで「おかえりなさい」と言うしかなくて。涼さんはきっと必ずわたしに「ただいま」のキスをしてくれているのだと思うけれど、わたしも起きない事が多くなって。
 朝起きて、涼さんが隣にいて「ああ、帰ってきたんだ」と思う毎日。ずっと一緒にいると、毎日のことがたやすく日常になってしまう。チェキの「おかえりなさい」も日常、涼さんが遅く帰ってくるのも日常。そして日常とは慣れてしまうことだ。いや、慣れてしまうことで寂しさとかを紛らわせているのだ、自然とそうするしかなくなるのだ。
 このごろはお休みの日もお仕事で。わたしは涼さんの身体を心配するだけで何もできなくて、そんな毎日が過ぎていった。時々、起きても涼さんが隣にいないことがあった。片側だけぽっかり空いたベッド。帰ってこなかったのだ、あるいは帰ってきてからまたすぐに出て行ってしまう事もあった。
 朝目が覚めて、隣に手を伸ばす。ぱたんとシーツの上に手が落ちた。
 いない。涼さんがいない。
 ごろんと転がって、いつも涼さんがいる位置に自分の身体を横たえた。涼さんの匂いがする。きゅっと身体を縮めた。
 寂しい。
 だけど今一緒に過ごしている時間は、独身時代よりはるかに長いのだ。
 それなのに寂しいと思うのは、わがままだろうか。多分、結婚したらずっと一緒にいられる、そんな期待をわたしは知らず知らずにしていたのだろう。それも……自分勝手なことだと思うことにしよう。