+ Baby


 ももか主任とひかるさん、さなえちゃんが私たちの新居に遊びに来てくれた。
 ひやかし半分に、この2LDKを案内させられたけれど……ね、主任。全然地味な2LDKじゃないですよね?ちなみに2LDKの「2」はわたしたちの寝室と、涼さんの書斎。最初涼さんはわたしの部屋も用意してくれようとしたのだけれど、わたしは2LDKの間取りを見ただけでもういっぱいいっぱいだったので、丁重にお断りしている。
「ひぃやあ〜、やっぱりお金持ちはすごいねぇ!」
「秋園さんが見たらうらやましがるでしょうね」
「だから来なかったんじゃん?『逃がした魚はおおきいぞ』ってね」
「確かにねぇ〜、ひゃあーそれにしてもすごいやー」
「年下君とじゃこんあ生活はのぞめないもんねー」
「ばばばばか!ひかちゃん何をイキナリ!」
「そうですよ!あの丸顔とじゃロクな人生歩めませんよ!主任思い直すなら今ですから、今ならまだ間に合いますから!」
「さ、さなえちゃん落ち着いて!」
 ももか主任の奇声と、勝手気ままな値踏みとその他諸々がひとしきり終わると、後はとりとめなくつれづれに、お土産のケーキを前におしゃべりが続いた。一気に昔に戻った気分で、最近の社内の様子やら、だれそれがどうしただのと噂話に花を咲かせる。もちろん、その間わたしは何度となく「新婚さん」をからかわれて赤くなり、そしてももか主任達が言うには、何度となく「新婚さん」にあてられてたとか。
「でも残念だねぇ、せっかくお休みだから涼さんもいると思っていたのにねぇ」
「涼さんも残念がっていました、でもお得意様の接待が入ってしまったって」
「接待って、ゴルフ?」
「いえ、乗馬です。御殿場の乗馬クラブに」
「……おかねもちって、すごいねぇ」
 ちょうどその時、電話がかかってきた。電話を取ると涼さんからだった。
 予定していた時間より帰宅が遅くなるとの事。ももか主任達によろしく伝えてくださいと、そして
「愛してますよ、ヤツカ」
 ……と、いつものように電話が切れた。そしていつものようにちょっと頬が熱くなったまま、振り返ると
「しゅ、主任?」
 主任ばかりかひかるさん、さなえちゃんまで後ろに気配を消して立っていた。どうやらわたしたちの会話を興味深々聞いていたらしい。ひどいじゃないですか、という前に
「聞きました?涼さん『愛している』ですってー!」
 うわー!聞こえていたのか。
「さっすが涼さんやるねぇ」
「でもヤツカさんがそんなに照れていないって事は、日常茶飯事ですか?」
「じゃあ『いってきます』のチューとかも日常茶飯事!」
「『ただいま』のチューとかも日常茶飯事!」
 主任、男子中学生じゃないんですから。でもそれは全く否定できない事なんで、何もいえない。もう、皆さん何しに来たんですか。そうやってからかわれるのは、恥ずかしいし、こそばゆいし、そしてどこか……嬉しいのかもしれない。
「あ、そういえばさ、ヤツカ」
「はい?」
「ヤツカ、涼さんの事『涼さん』って呼んでいるんだね、普段も」
「え?」
「あー、言われてみればそうでしたね」
「でもさっきからそう呼んでいたよ?」
「ほら、だってそれはアタシ達を前にしているから敢えて『涼さん』って呼んでいたのかなぁとおもっていたからさぁ」
「や、やっぱり変ですかね?」
「そうですね、あまり聞かないですねそういうの」
 でもやっぱりわたしにとっては涼さんは涼さんだから、涼さんって呼んでいる。涼さんもたまにそれをからかうけれど、別に気にしていないみたいだし……。
「じゃあ何て呼べばいいんでしょうか?」
 思わず聞いてしまった。
「そりゃ『ダーリン』でしょ」
「『あなた』とか」
「涼さんだからね、古風に『旦那様』っていうのもどうよ!」
「あー、いい!」
 一気に盛り上がって収拾がつかなくなった。
「じゃ、じゃあ主任は彼氏の事なんて呼んでいるんですか?」
「えー、なんでアタシの話なのよう!」
「いいじゃん、ヤツカの参考になるかもしれないし」
「えー、普通に『大真くん』だよー」
「なんですか!あんな丸顔、名前で呼んでやることないですよ!」
「だ、だからさなえちゃん落ち着いて」
 ……ちょっと話の振り方がまずかったのかもしれない。
 楽しい時間はあっという間に過ぎて、主任達を玄関まで見送った。
「また来てくださいね」
「そうだねー、今度は涼さんがいるときに是非」
「でもそしたら涼さんと二人分あてられちゃいますね」
「な、何言っているんですか!」
「ヤツカ、赤くなりすぎ」
「今度来る時は、きっと二人の赤ちゃん見られるかもねぇ」
「あ、ももたん。そゆのってセクハラなんだよ?」
「え?」
「よくいうじゃん、子供ができない夫婦に「赤ちゃんはいつですか」なんて聞くと、それがすごい奥さんにとってプレッシャーとかトラウマになっちゃうって」
「い、いやそんなに真剣に言ったわけじゃないんだけれど」
「だったら自分でつくればいいじゃん」
「ええ!ひかちゃん何言うの!」
「そうですよひかるさん、あんな丸顔の男の子供なんて、絶対幸せになれる訳ないですよ!!」
「さなえちゃん!落ち着いて!」
 それじゃあと、騒々しく3人が帰っていった。……さなえちゃん、なんか大丈夫かなぁ。久しぶりに会ったらちょっと変わっていたような……。ま、まあそれはさておき。
 主任達が帰って、ひとり後片付けをしていると、急に部屋の中の静けさが身にしみた。さっきまでの騒がしさは嘘のように消えて、小さな物音ですら響くようで、それがちょっと寂しかった。それぐらい、さっきまでは賑やかだったのだ。
 カップを洗い終えて、リビングのソファーに身を沈めた。涼さん、早く帰ってこないかなぁと時計を見るけれど、もう少しこの寂しさを持て余すことになりそうだ。
 不意に。さっきの主任の言葉がよみがえってきた。
『次は赤ちゃんだね』
 ……。
 ……。
 ……その言葉が重く響く。この静寂に、わたしの中に重く響く。
 重く響くのは、わたしたちの間には一度「赤ちゃん」がいたからだ。
 思いがけずに心がゆらいだ。
 わたしはとりとめなくその時の事に思いを馳せた。