『恋する?八景島』


「え?立樹さんとデート?」
 いえそうじゃないんです、と否定しようとした時にはもう
「みんなー?聞いたー?まりえちゃんと立樹さんがシーパラでデートだってぇー!」
 ももか主任の声がフロアにこだまする。そしてももか主任の島は一気に賑やか……いやうるさくなって
「へぇ、イイッすねー」
「八景島ですかー、あそこ色々あるんですよねー」
「え、アタシ行った事ないよ?」
「年下君とはそゆとこ行かないの?」
「うーん、なんていうか割と引きこもり?」
「主任!じゃああたしと行きましょう!年下男なんか放っておいて!!」
「いや、そんなに詰め寄られても」
「いいなぁ、立樹」
「じゃあちーくんも連れてってもらいなよ」
「そうそう!ちーくんなら子供料金で入れるし」
「なんでやねん!つうか俺立樹と同期やん!」
 ……いつもの光景とはいえ、なんだかなぁ。
 事の起こりは、去年の忘年会。抽選会で当てた「八景島シーパラダイス」のペア入場券、ひょんな事から同じ部の立樹さんと行くことになった。立樹さんのイルカ好きは有名で、そんな立樹さんが、すごくすごく羨ましそうな顔でわたしを見るから、昔飼っていた犬と同じ顔でこっちを見るから……そんなこんなで一緒に行くことになったのだ。「そういえば、あのチケットどうしたの?もう行ったの?」とももか主任に聞かれたので、素直に答えたらこの有様だ。当の立樹さんは日課の机の掃除に夢中だった。そう、立樹さんの机の上はイルカグッズだらけなので、埃がたまりやすく一日一回の大掃除が欠かせない。
「あそこのジェットコースター、海の上にせり出ているんだよね」
「うわ、カッコいいっすね」
「へー、面白そう」
「主任!じゃああたしと行きましょう!年下男なんか放っておいて!!」
「いや、だからそんなに詰め寄られても」
 話はどんどんそれていっている。まあそれでなくても、誰一人この場で「立樹さんとまりえちゃんがデート」なんて思っている人はいないのだ。皆そんなことはありえないと思っているから、こうやって無責任に騒げる訳で。
 ふと見ると立樹さんの机の上のイルカが一匹増えていた。
「立樹さん!また増やしたんですか!」
「だって、もらったから……」
「もう!ここはゲーセンじゃないんですよ!UFOキャッチャーじゃあるまいし!」
「はっはっはー、まりえちゃんうまいこと言うねぇ」
「笑っている場合じゃないですよ、麻園さん。ここ、すごい埃がたまるんです。それに他のフロアの人たちが見たらなんて思うか」
「でも立樹さんの机の上にイルカ置くと願いが叶う、って全社で評判ですよ?」
「嶺君は黙ってて。だからもう増やさないでください!わかりましたか!」
 ついつい声を荒立ててしまう。わたしには何故か見える立樹さんのイヌ耳が、しゅーんと垂れていた。ああ、ほんと昔飼っていた犬にそっくり。だけどそれはそれ、これはこれ、甘やかしてはいけないのだ。


 さて、立樹さんと約束の土曜日。八景島駅で待ち合わせ。
 少し早めについたら、立樹さんはもう待っていた。楽しみでつい早く来てしまったのだとか。
 そういえば立樹さんの私服って見るの初めてかもしれない。ジーンズで、こざっぱりした感じ。立樹さんは背も高いし、体つきもしっかりとしているから、こういう格好を見ると普通にカッコいいなぁと思うけれど。
「まりえちゃんは初めて?」
「はい」
「俺も初めてなんだよね、八景島」
 首都圏の、イルカのいる場所は全て網羅していると言っても過言ではない立樹さんにしては、意外だった。いや、でも前に聞いたことがある。立樹さんの小さな夢、彼女ができたら一緒に八景島シーパラダイスにイルカを見に行くのが夢なのだとか。いわば立樹さんにとっては「とっておきの場所」なのかもしれない。そんな、わたしと一緒でいいんですかと聞こうと思ってやめた。そんなも何もこれはわたしが当てた券だし、それに喰らいついてきたのは立樹さんなのだし。
 意外な事に、立樹さん、彼女はいないらしい。なんとなくわかるといっては失礼かもしれないけれど、こうほんと、典型的な「いいひとすぎて彼女がいない」人なのだ。今日顔を合わせた時も感じたように、外見は問題ないと思うし。多少抜けているところはあるけれど、本当にイイ人なんだけれど、いないらしい。もったいないなぁと、ちょっと思う。でもやっぱりなんとなくわかるから、仕方ないのかなぁと思ったり。もっとも、うちの部の男子は皆そうみたい。「いい人なんだけれど」な人たち。故意にそういう人材を集めている節もある。うちの部は特定の大口顧客の専門営業部。大学病院とか、大きな個人病院とか、うちの会社とはつきあいの古い顧客ばかりだ。だから特に他社との競合も無く、専有状態だから、自然と営業には「顧客と上手く長く付き合っていける」事が求められるのだ。実際、立樹さんの営業成績は悪くない。それが才覚故なのか人格ゆえなのか……。
 まあ、いいや。とにかく今日はせっかく来たのだから楽しもう。もとい目の前の立樹さんが本当に楽しそうだから、見ているこっちだって楽しくなる、いや、楽しまなくちゃ損だ。
 とりあえずはお目当てのイルカショーに。でもこのショーはとても人気らしくて、お昼前に行ったら、その日の最後の公演の分しか残っていなかった。「ええー?」と声をあげる立樹さん……まさか全部の回を見ようと思っていたのだろうか。
 がっかりする立樹さんをなだめつつ、軽く園内で食事して。それからショーまでの時間つぶしに水族館を覗く。
「……」
 目の前の水槽を悠々と泳ぐウミガメ。
 そうだ、まったく思いつかなかった。ここは水族館があるのだ。海には、いや海にもカメはいるのだ。
「うわぁー」
「あ、そっか。まりえちゃんカメ好きだったっけ」
「はい〜〜」
 予測していなかっただけに、すごく嬉しい。立樹さんに言われるまでもなく、わたしはカメが大好きで、実際家でも何匹か飼っている。あのゴツゴツした甲羅、ざらざらした愛嬌のある手足、そして愛くるしい目……大きな水槽の前でうっとりとカメを見上げていた。いいなぁ、癒される。ほんとうにカメはいいなぁ……。
 と、うっかり自分の世界に入り込んでしまった。気が付くとかなり長い時間、カメに夢中になっていた。うわ、立樹さん待たせてる?もう先に行っちゃった?と思って慌てて辺りを見渡したら、立樹さんはすぐ隣で、にこにことわたしを見ていた。
「あ、あの、ごめんなさい」
「ええ?なんで謝るの?」
「いや、待たせちゃったみたいで」
「いや、俺もずっと見てたからいいよ」
 え?と一瞬ドキリとした。もしかして、ずっとカメを見てうっとりしているわたしを見ていたの?それともカメを見ていたの?……多分後者なんだろうけれど。それでも飽きもせず、呆れもせず待っていてくれた訳だから、そしてと「よかったねぇ、カメ見れて」と言ってくれるのだから、やっぱり立樹さんはいい人なんだよなぁ。ほんと。
「そ、そろそろ行きましょうか」
 何故かなんとなく恥ずかしくなって、そう言った。
「え?いいの?まだ見てなよ」
 まだ待ってくれようとしているのか。ほんとうにいい人、というか単に気が長いだけなのか
「でもそろそろショーが始まりますよ?」
「ああ!そうだ!」
 ……いや、ただの「うっかりさん」なだけかもしれない。


 本日のメインイベントのイルカショー。
 なんだかんだ言ってもこういうものは、いくつになっても楽しいものだ。立樹さんは本当に子供のようにキラキラした目でショーに見入っていた。ああやっぱり立樹さんを誘ってよかったなぁ。うん、こういう休日も悪くない。
 イルカやアシカが様々な芸を見せてくれて、その度に立樹さんは一生懸命拍手している。
 ショーは中盤に差し掛かかり、司会のおねえさんが言った。
「はい、じゃあここでイルカさんと遊んでくれるお友達を探しましょう。イルカさんと仲良くなりたいひとー?」
「はいー!」
 え?
 誰よりも早く、そして誰よりも大きな声で、そして子供たちの甲高い嬌声に混じって「おとな」の立樹さんの声が思いっきり会場中に響いた。た、立樹さん!なんて恥ずかしい事を!これ、子供の為のイベントじゃないですか!
 だけど司会のおねえさんは手馴れたもので
「じゃあそこのおっきいお友達も来てくださーい!」
「うわ!俺行ってくるね!」
 歓喜の声を上げていそいそとプール脇に駆け寄る立樹さん。恥ずかしい、すごい注目の的だ。子供たちに混ざってひとり「おとな」の立樹さん。ああ、周りの人も呆れているだろうなぁと、顔を隠したい気持ちを抑えて辺りを見渡した。けれども誰一人立樹さんにそういう冷めた目線は送っていなくて、むしろ皆微笑ましく見守っていて……ああ、立樹さんはあのなんともいえない太陽みたいなオーラで皆を包んでしまったのだ。納得させてしまったのだ。恥ずかしいと思ったのはわたしだけなのかもしれない。子供たちと一緒にキラキラ瞳を輝かす立樹さんは、ほんと見ていてほのぼのする光景。わたしもうっかり目じりをさげて
「……かわいい」
 うっかりつぶやいてしまった。隣に座っていたおじさんが、ちょっと笑っていた。
 まあ、立樹さんが楽しそうだからそれでいいか。そしてそれを見ている皆も楽しそうだし、そしてわたしも楽しくないと言えば嘘になるから、それでいいのかもしれない。
 イルカと一緒にキャッチボールや、輪投げをして。立樹さんは「おとな」なのにどの子供よりも不器用で大いに会場を沸かせていた。わたしも思わず笑ってしまった。そしてどの子供よりも一生懸命で、全身で喜びを伝えていて。ああ、イヌ耳がぴんとたっている、しっぽがぶんぶん振られている。わたしにしか見えない立樹さんのオプション。
「それじゃあ、最後にイルカさんと握手をしてバイバイしましょうー」
 名残惜しそうに、子供たちがイルカと別れる。最後に立樹さんがちょっと寂しそうにイルカと握手をしようとしたら、イルカはひょいっと立樹さんの頬に口をぶつけた。ええっと、あれは「キス」って事でいいのかなぁ。
「あれ?そんな事したら、お兄ちゃんの彼女が怒っちゃうよー?」
 どっと会場が笑った、そして皆がわたしを見た。「そ、そんなんじゃないんです!」と怒鳴るのはあまりにも大人げなかったから、というか余りの恥ずかしさにうつむくしかなかった。
 戻ってきた立樹さんはそんな事まったく気にもとめず、ひたすら「かわいかったー、かわいかったー」とつぶやいている。うっとりとしている。イヌ耳もとろんと垂れていた。本当に嬉しかったんだなぁ……。でもなんだかわたしひとりが恥ずかしい思いをして、なんだか癪だから、思いっきり立樹さんの「しっぽ」を踏んだ。もちろんそこには何もないのだけれど。


 冬の間は閉園時間も早い。夕暮れが近づいて、それじゃあお土産買って帰りましょうと、園内にあるショップに立ち寄った。職場のメンバーの顔を思い浮かべつつ、適当な数の入ったお菓子を探していたら、視界の隅に何かが入った。
「立樹さん……」
「え?な、何?」
 買い物籠に入りきらないイルカの数々。嬉しそうに次から次へとぬいぐるみやらを物色している立樹さんの図がそこに。
「そんなに買ってどうするんですか」
 立樹さんのイヌ耳が怯えたようにぷるんと震えた。
「い、いや、あの」
「まさかあれ以上増やす気じゃないでしょうね?」
「い、いや、その」
「しかも何で同じの二個づつ買っているんですか」
「あ、いや、だから家と会社用に……」
「やっぱり会社に置く気なんじゃないですか!」
 もう、どうにかして欲しい。もうまるきり子供だ。
「だ、だってカワイイから……」
「そんな事言ってたらキリがないじゃないですか!」
「で、でも」
「とにかく、もうあれ以上増やさないでください!」
「……じゃ、じゃあ一個だけならいい?」
 大きな身体を小さく縮めて、わたしを伺うように見上げる。いや、そんな風に許可を求める以前の問題で。しっぽが媚びたようにはたりはたりと動いていた。
「……」
「……一個だけにするから、ね?」
 いやだからそう聞かれても。
「……一個だけですよ?」
 それでもそう折れたのは、周囲の目に耐えられなかったから。誰かがさっきの「大きいおともだち」だと気付いたみたい。そしてその光景はまるで恋人達の痴話喧嘩に見えることだろう。
 わたしはさっさと自分の目的の物を買って、お店を出た。立樹さんはまだ悩んでいる。一個一個真剣に見比べては、どれを「一個だけ」にするか悩んでいる、ため息つきながら悩んでいる。……やれやれ、本当にいいひとなんだけれど、なんとなく、がわかるひとだ。ちょっと可愛そうかなぁと思いつつ、一番サイズの大きい「イルカさん抱き枕」を選んで会社に持ってきたら、その時こそ全部紙袋に詰めて持って帰らせようと、心に固く誓った。
 ようやく「一個だけ」を選んで買ってきたようだ。
「……おまたせしました」
 ああ、そう言ってしょんぼりとイヌ耳を垂らすのはやめてください、しっぽでうなだれるのはやめてください。表面的には普通に見えるのだけれど、わたしにしか見えないイヌ耳としっぽは立樹さんの本心だろうから、ちょっと居たたまれなくなってしまった。わたしは自分用に買ったキャンディの入った袋を開けて、それを一個立樹さんにあげた。いや、なんとなく。そしたらぴょんと耳が立ち上がった。ああ、そういうところも昔飼っていた犬にそっくりだ。


 夕焼けが海に映る。八景「島」というくらいだから、駅から島まで、大きな橋が架けられている。その上を二人で並んで歩いた。
「まりえちゃん」
「はい?」
「今日はありがとね、楽しかった、すごく」
「あ、はい」
 そう立樹さんに素直にお礼を言われた。ちょっと照れた。色々あったけれど、わたしだって楽しかったし、カメも見れたし。
「はい」
 立樹さんが突然小さな包みをわたしに渡した。あれ、これはさっき買っていた「一個だけ」だ。
「今日のお礼」
 開けてみるとちいさな可愛いカメのぬいぐるみだった。
「うわ、可愛い!」
 思わず叫んでしまった。嬉しい。……立樹さん、「一個だけ」はわたしの為に買ってくれたんですか??
 立樹さんを見ると、わたしが喜んだのがわかってほっとした表情と、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。イヌ耳はどこか誇らしげに立っていた。立樹さんの顔に夕焼けが映える。
 ああ、どこかでみたような光景だ。
 そういえばゴンが死んだのもこんな夕焼けの日だった。子供の頃から飼っていた雑種の柴犬のゴン。大好きだったゴンは、わたしが中学の時に老衰で死んでしまった。最後は病気にかかってしまって、かかりつけの獣医さんや他の家族は皆、安楽死させてあげようとしていたのだけれど、わたしはそれに頑なに反対して。だって、ゴンを死なせるなんて……できなかった。ゴンはちゃんとわたしの気持ちがわかっていたのだと思う。だから、病気で苦しい時も、わたしをみると、いつも弱々しいながら、ワンと鳴いて、そして笑った。そう、犬だって笑うのだ。ゴンの最期の日、その日わたしは妙な胸騒ぎがして、部活をさぼって家に帰った。そしたら、ゴンはもう最期の時を迎えようとしていた。ゴンはわたしの顔を見ると、やっぱり小さく、ほんとうに小さくワンと鳴いて、そしてほっとしたような笑顔を浮かべて、静かに静かに事切れた。お母さんが「まりえの帰りをちゃんと待っていたんだねぇ」と言った。涙が止まらなかった。
「ま、まりえちゃん!」
 立樹さんの慌てた声。そう、わたしはそのことを思い出して泣き出してしまった。だって、さっきの立樹さんの笑顔があの日のゴンにそっくりだったから、あの日もこんな風に夕焼けの綺麗な日だったから。
 涙が止まらなかった。どうしていいかわからなかった。それは立樹さんも同じだろう。どうにかして泣き止まなくちゃと思うのだけれど、一度よみがえった思い出が、次から次へと現れて。今はもういないゴンの面影に泣けて泣けてしょうがなくて。
 きっと傍から見れば恋人達の痴話喧嘩に見えるだろう。でもどうにもならなかった。恥ずかしいとも思ったし、立樹さんに申し訳ないと思った、でも、涙はとまらなかった。
 うつむいてぽたぽた涙をこぼすわたしを、立樹さんが急に抱き寄せた。わたしの頭を抱き寄せて。傍から見れば恋人達が抱擁しているように見えるだろう。だけどそうしてくれることで、泣いているわたしは誰にも見られないですんだ。立樹さんはわたしをかばうように抱きしめてくれた。その手がとても暖かくて、わたしは思いっきり泣いた。恥ずかしい、でも、暖かい。立樹さんは何も言わないで、じっとわたしを守ってくれるように、じっとわたしの泣きやむのを待ってくれていた。
 ようやく涙がとまって、謝らなくちゃ、ちゃんと説明しなくちゃ、そしてお礼を言わなくちゃ、とその広い胸から身体を離して、気恥ずかしかったけれど、立樹さんを見上げた。
「……」
 驚いた。とてもとても驚いた。
 立樹さんに、イヌ耳がない。
 いつも、いつの頃からかいつも見えているイヌ耳がない。
 何も言えなくなってしまった。ただぺこりと頭を下げた。立樹さんはにっこりと笑ってくれた。何故か、ドキドキした。
「行こうか」
 何事も無かったように、立樹さんが言った。そしてとても自然に手を差し伸べてくれたから、わたしはそれを迷わず取って、そして私も笑った。立樹さんも、また笑った。そのまま立樹さんに手を引かれて、夕闇の降り始めた駅に向かって歩いていった。


 あれは、なんだったんだろう。
 家に帰ってからも、「イヌ耳のない」立樹さんのことが頭から離れなかった。本当はそれが見えていないのが本当の立樹さんなんだけれど、わたしにはいつも見えていたものだからなんだか不思議で。そしてイヌ耳のない立樹さんにドキドキしたのもなんだか不思議で。いや、なんとなくだけれど、多分わたしの中で、もうなんとなくじゃすまなくなるのかもしれない、そんな予感がした。
 そして月曜日。いつものように会社に行く。立樹さんと顔を合わせるのはちょっと恥ずかしかった。けれども勇気を出して立樹さんの席に行って、おはようございますと、結局土曜日に言えなかったありがとうございますを言おうと……。
「……」
「ああ、まりえちゃん、おはよー」
 立樹さんは日課の机の掃除をしていた。そしてわたしの目はそこに一匹増えている事を見逃さなかった。あのタグは「八景島シーパラダイスオリジナルぬいぐるみ」についてるタグだ。いつの間に買っていたんだ。わたしに買ってくれたカメは「一個だけ」のじゃなかったのか。
「立樹さん」
「え、あ、ああ?何?」
「もう増やさないって言ったじゃないですかー!」
 いつも通りわたしの声は荒立って、そしていつも通り立樹さんの頭でイヌ耳がしゅんと垂れた。ああ、なんだいつもと変わらない、いつもと同じだ。……土曜日の立樹さんは、きっと夕焼けが見せた幻だ。
「で、でもそんなに大きくないし」
「大きさの問題じゃないです!」
「で、でもせっかく行ったから記念に……」
「そんな事言ってたらキリないじゃないですか!」
 ふと、隣の島からこんな会話が聞こえた。
「ちーくん。立樹さんとまりえちゃん、どうだったか聞いてきてよ」
「なんで俺が!」
「大丈夫、ちーくん子供だと思って犯人も油断して喋るって!」
「犯人て!つうか俺同期やん!」
「ハラ減ったっすね」
「あ、きっとまりえさんお土産持ってきてくれますよ」
「あ、まりえちゃーん、銀河が飢え死にしそうだからこれもらってくねー」
 そして勝手にお土産のクッキーを持っていってしまったももか主任。ああ、もう本当に隣の島の人たちはほんと勝手な人たちばかりだ。
 そして
「イルカ、すごい可愛かったんですよ!」
 麻園さんと嶺君に、昨日の話をする立樹さん、良かったねぇと自分の事のように喜んでいる麻園さんと嶺君。ほんとにこの人たちはいい人たちだけれど。なんとなくそうなのが、やっぱりわかってしまうわたしだった。
 ため息つきつつ、わたしは立樹さんからもらったカメを、机の上に置いた。それに立樹さんが気付いて、にこにこと笑ってこっちを見ていた。
 今は、耳が生えている。
「だからちーくん、どうなったか聞いてきてよ!」
「そうそう、ちーくん小さいからバレないし」
「だから何がだよ!つうか俺何なんだよ!」
 まだ続いていた。それだってやっぱりわたしと立樹さんとの間には何もないとわかっているから騒げる訳で。
 いつもと同じ、いつもの光景だった。
 そしてそれはこれからも変わらないと思っていたのだけれど、ひとつだけ、少しだけ、それから変わったことがある。それは時々なのだけれど、立樹さんのイヌ耳としっぽが見えなくなる事があるようになった。そしてわたしは何故かその度にドキドキして。本当に、時々、たまになんだけれど。
 それに関して、わたしはまだ、あまり考えてないことにしているのだ。


* * * * * * * * * *
 前振りネタテキスト(『となりのたつきさん』)を踏まえまして、立樹さんとまりえちゃんのミラクル★ロマンス(どこがだ)。つうか美波里のまりえちゃんとは全く似ても似つかぬ人になっています。大丈夫、偽者はこっちだから!(笑)だって、二人ともボケじゃ話が続かないんだよ……。
 この後二人の仲が発展する予定はありません。そうですね、まりえちゃんの立樹さんへの想いは「お正月に来た元同期のヤツカからの年賀状(涼さんとラブラブ写真付き)を見たときに、ちょっと羨ましく思いつつも何故か立樹さんの顔がぽんと浮かんだ、ええ?」な感情だと思います(わかんないよ)。
2004.02.18