どんなに祈っても、母は還ってこなかった……


 神社仏閣に見せかけたその建物の裏に、小さな祠があり、小さなマリア像が鎮座する。目鼻立ちも姿形も微妙に磨耗しているのはその偶像をキリシタン狩りから守るため。
「やっぱりここか」
 らっこがとっさに握っていた十字架を袂にしまい、構える。
「馬鹿、俺だよ」
 さそりの姿を認めると、らっこはひとつ安心したようにため息をついた。
「まったく、毎日毎日飽きもせず。何を祈っているんだか」
「何も」
「何も?だってマリア様てのは神様仏様と一緒だろ?こう南無阿弥陀物て祈るのと一緒なんだろ、それは」
「神なんて信じていませんよ、私は」
「は?」
「祈りなんて、叶う訳がない。叶っていたら、こんな…」
「こんな?」
 どんなに祈っても、何も変わらない、誰も助けてくれない。何も還ってはこないのだから。
 らっこはその言葉を飲み込んだ。そう、言ったところで変わらないのだから。
「いえ…ただの習慣にすぎません。……覚えているものなんですね」
 両親の微かな記憶を残すらっこ。
「じゃ、それは忘れるな。覚えているなら絶対忘れちゃならねぇ事だからな」
 記憶のかけらすら最初から失われているさそり。
「……何をそんなにムキになっているんですか?」
 忘れた方が、楽なのだ。
「いいから、忘れるな!神に誓ってでも忘れるな、いいな!」
 忘れることすらできないのだ。
 らっこは、頷いた。そして十字架を取り出すと、さそりの首にかけた。
「なんだ?」
「忘れないでください。私に「忘れるな」と言ったことを忘れないでください。これはその為の……やくそくです」
 忘れる記憶すら持たないさそりに、らっこが渡した忘れないための記憶。
「そしたら、私は忘れずにいられます。貴方に誓って」
 十字を切り、そしてらっこはさそりの額にくちづけた。まるで洗礼のように。






【解説】
 本家ぶらぶら節を観た時に、冒頭のドゥの歌に「キリシタン、クルス」という単語があったのに大いにかおりちゃんと肘をつつきあいました(笑)。
 これ、帰りの電車の中で携帯で打ったって言ったらひかれますかね(引くよ)。

2005.05.31


既刊。