ENGAGE<後編>


 自宅にたどり着いて、288号は椅子に座り込む。
「あんなふうに人にケンカ売ったの初めてだよ…」
 足などはもう震えてしまって、しばらく立てそうにない。
「ひじ掴まれたときには、ただでさえ短い寿命がもっと縮まるかと思った」
 ため息をついていると、居間の扉が開く。
「あ、…お帰りなさい」
「ただいまビビ君」
 288号は、風呂上がりの姿で入って来たビビに笑いかけた。赤く染まった頬をしたビビは、寝間着が肩でずり下がるのを、しきりと直している。
「はは、やっぱりちょっと大きかったみたいだね」
「ううん、これで充分だよ」
 首を振りながら、ビビはほんの少し目を細めた。本当は、微笑み返そうとしたのだろう。
 この子が、また顔一杯に笑えるようになってくれればいいんだけど。そんなことを思っていると、ビビが済まなそうに言った。
「288号さん。ごめんね、突然泊めてなんて頼んで…」
「いや、ミコト君が引っ越してから、寂しくしてたところだもの。いくらでも泊まってっていいよ」
 ビビが今着ているのも、ミコトが残して行った寝間着だ。ミコトの趣味だから、女物とは判別がつかないような質素なものだけれど。全くあのジタンの妹とは思えない。
 そこで思い出したように288号は告げる。
「あ、そうそう、ジタン君に今日はうちに泊めるって言ってきたよ」
 ついでにケンカも売って来た、などとは言わない。
「あ…うん、ありがとう」
 礼を言いながら、ビビは視線をそらす。
「何があったのかは、やっぱり教えてくれないのかい?」
「たいしたことじゃ、ないから。大丈夫」
 済まなそうに答えるビビは、髪の滴を拭うふりをしてその表情を隠してしまう。
 やっぱり、僕じゃだめか。ビビに気づかれないようにため息をつく288号。
 288号の中にも、確かに闇は根差している。ただ、平気なふりをミコトから習っただけだ。だから、なんとなく分かる。ビビの中の闇は、多分他の黒魔道士達が持っているものと少し違う。自分の手に負えるものじゃない。288号がそう自覚していることを、ビビは無意識に知っているのだ。
 そもそもこんなのはジタンの役目で、かつ役得だろうに。もっと思い切って恨み言を言って来ればよかったと思う。
「そうか。でも、愚痴くらいいつでも聞くから、言っておくれよ」
「…ありがとう」
 精一杯明るい声で礼を言う。でもその声はどこか苦しげに聞こえる。
 気休めしか言えない、自分の度量のなさがはがゆい。ただできるのは、その悩みの根の深さを知っている分、気兼ねなく悩めるようにそっとしておいてやることくらいだ。
「さて、僕もお風呂に入って寝ようかな。客室の寝台はできてるよ」
 288号はよっこらせと立ち上がって、ビビに客室を指し示すと扉に手をかけた。
「そう言えばさっき気づいたけど、お月様がきれいだったよ。客室からよく見えるんじゃないかな。それじゃ、おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
 返事をしてビビが客室に入ると、288号の言った通り、明るい月の光が窓から差し込んでいた。太陽のように強く熱く照らし出すのではない月の光は、優しくてなんだかほっとする。寝台の脇の窓から、村を包む森と墓地が見えた。月光が、森と墓標たちが含んだ暗闇を和らげている。灯火も要らないくらいの月光に誘われて、寝台に乗ってその窓を開けると、冷たい風が流れ込んで来た。
 ほてった体にその風は気持ちがよかったけれど。
 居心地がよければよいほど、その窓辺にいることが心苦しくなって来る。
 いろんな人にいっぱい迷惑をかけて、何をしてるんだろう。
 笑いながら、深く触れないでそっとしておいてくれる288号。それが分かっていて、ここに逃げ込んできたのだ。自分は、ずるいことばかりしている。
 ジタンも、怒っているかもしれない。心配してくれていたのに、あんなふうに逃げて来て。ジタンにあんな辛そうな顔をさせているのは、自分なのに。
 あのとき、もっとちゃんと笑えていればと思う。そうすれば、ジタンにあんな真っ青な顔させなくて済んだのに。ほっとした顔で、笑ってくれたと思うのに。
 いや、それ以前に、ジタンから逃げ出すように墓地へ行ったりしていなければ、心配をかけずに済んだ。隠し事をしていることさえも気づかれないくらいに、嘘が上手なら。
 そうして、自分の本当の心を隠し通しておければ、ジタンに嫌われずにすむのだから。
「…結局、自分のためだよね」
 こつんと、窓枠に自分の額をぶつける。
 ジタンが言ったようなことが、引っ掛かっていなかったなんて言わない。でも自分が本当に隠していることは、もっと醜くて、暗いもの。これをジタンに知られたら、絶対嫌われる。いやだ。ジタンには、嫌われたくない。
 ジタンに嫌われたら。それを思うと、消えてしまいたくなる。
 でも、ジタンに嫌われたくなくて、結局ジタンを心配させている。ずるいと、思う。ジタンはあんなに自分を気遣ってくれているのに。
「優しいのは、ボクじゃないよ…」
 なんでジタンは、こんな何もしてあげられない自分を大切にしてくれるんだろう。
 そう思ったら、胸の中一杯に痛くて苦しいものがあふれて来て、泣きそうになる。
 泣いちゃだめだ。泣いてしまえば自分が可哀想に思えて来て、自分を許してしまいそうになるから。絶対に、泣いちゃだめだ。
 顔を上げると、月の光が自分を照らしているのに気がついた。森や墓標たちと平等に。
 切り捨てるようにばたりと窓を閉め、優しい光をカーテンで遮り、窓に背を向ける。
 明日ジタンに会ったら、どうやって笑おう。今度こそ上手に笑って、ジタンに『ごめんなさい』『大丈夫だから』と言わなくては。もう、こんな自分のために苦しまなくていいからと。
 そして、その後はどうしよう?
 広い寝台を見やって思う。いつもなら、いつの間にかちゃっかり右半分に陣取ったジタンが、『来いよ』と手招きしている頃だ。あるいは問答無用に腕を取られて布団の中に引きずり込まれている頃だ。そして、ジタンは自分を腕の中に収めると、そっと背中をなでてくれる。こっそり見上げると、ジタンの顔は他のどんな時より優しくて。
 そこまで考えて、ぶんっと頭を振る。だめだ。もうそんなふうにジタンに甘えちゃいけない。一人で眠れるようにならなくては。
「もう寝よう」
 呟きながら、掛け布団を捲ろうとしたその時、ふわ、とカーテンが舞い上がる気配がした。驚いて、窓を振り返った瞬間、息を飲む。
 大きな手が、ビビの手首を捕まえたからだ。
 誰の手かは、すぐ分かった。形のよい長い指、少し丸い爪。大好きな、優しい手。
 その手をたどってたどり着いた人影は、今一番会ってはいけない人。
「…ジタン」
 金の髪が、月の逆光に透ける。影になった表情の中で、その空色の瞳だけ何故か鮮やかで、その視線に射竦められる。
 ジタンは、片肘を窓枠に乗せ、窓越しにビビを見つめていた。

 捕まえた細い手首は、締め付けないように、しかしけして逃がさないようしっかり握り締めている。
 ジタンは、驚きでほうけたように自分を見ているビビの、まだ少し湿った柔らかい髪を、そっとなでて言った。
「ビビ、さっきは、ごめんな」
 その言葉に、ビビが正気をとりもどしたように目をそらした。
「な、なんでジタンが謝るの…?」
 震える声に、なるべく軽く聞こえる口調で答える。
「『いつか来る日』のことなんか考えるななんて、無理言っちまったからな」
「だってそれは、ボクらがジタン達のこと信じ切れてなかったから…」
 顔を伏せて、ビビが言う。
「謝らなきゃいけないのは、ボクだよ」
 気丈を装おうとする声。しかしそれにいつもの柔らかい響きは、やはりない。捕まえた手は震え、丈の合わない寝間着のために剥き出しになった、華奢な首筋は青ざめている。
「いや。本当はオレが『いつか来る日』のこと忘れ切れなかったからなんだ。自分でも出来ないことなのに、おまえに押し付けてた。おまえが苦しむの、当たり前だよな」
 話しながら、ビビの頬に手を当てて、そっと顔を上げさせる。
「だからもう、そんな作り笑いなんか、しなくていいんだ」
 ビビの顔にジタンの影がさしていたが、そんなものはジタンにとって、ビビの表情を読み取るのになんの障害にもならなかった。
 今度こそ、完璧な笑顔でジタンを安心させようとしていたのだろう。作りかけの笑いを張り付けていたビビの顔が、泣きそうに歪んでいく。
 しかし金の瞳は揺れているのに、滴はけしてこぼれない。一滴の水で破れるもろい紙一枚の上に必死で立っているみたいに。
 なんて顔するんだよ。思わず自分の顔が曇るのを感じて、ジタンは自分を叱り付ける。それをビビに気づかれれば、ビビはもっと自身を責めるだろうから。ジタンは、自分の表情を隠す逆光に感謝しながら、ビビに語りかける。
「ビビ、『いつか来る日』が怖かったら、泣くのが当たり前なんだよ。オレの前で無理して笑わなくていいんだ。いや、泣きたいときはオレの前で泣いて欲しいんだよ」
「で、でも、でも」
 ビビが、細かく首を振る。
 ますます青ざめるビビの震えを止めてやりたくて、その肩を撫でる。
 ビビの中の闇が、ビビをまだ縛り付けているんだろう。その暗闇がどんなものかは、ジタンには分からない。
 しかし、無理に聞き出そうとすればビビが苦しむだろう。ならいつか自ら話してくれたときに、気にするなと笑って聞いてやれればいい。そう考えながら、ジタンはビビをのぞき込む。
「もう我慢しないで、泣いていいんだ」
 しかし、ビビの震えは止まらない。それどころかますます激しくなっていく。様子が変だ。殆ど痙攣に近いくらい震えている。
 訝しく思いながら、その震える髪に手を伸ばす。
「…ビビ?」
「やめてっ」
 激しい拒否の言葉に、びくりと髪に伸ばした手を引っ込める。
「そんな、そんな優しくしないでよ、ボクに優しくしちゃだめだよぉ」
 悲鳴のような声。ビビが、掴まれたままの手を振りほどこうと暴れだす。
「ビビっ」
 肩を引き抜きかねない勢いに、もう片方の手でビビの肩をつかんで引き寄せると、二人の間に窓枠が挟まった。動きを封じられたビビが、溜めた涙をこぼさないよう、一杯に目を開いて言う。
「でも、ボクは泣いちゃ駄目なんだよ。ジタンを幸せにしてあげられないんだから」
「?…オレが、あのジェノムみたいになるかもしれないことを、心配してるのか?」
 それはさっき否定されたことだったように思ったが、それよりもビビの痛々しさが苦しくて、ジタンは大きく首を振って見せる。
「そんなオレの心配なんかするなよ、頼むから。自分が幸せになることを考えてくれ、おまえは優しすぎるんだ」
 すると、それよりもなお大きく首を振りながら、ビビはまくし立てる。
「ちがうっ、ちがうっ、ちがうっ、ひどいよ、ボクひどいんだよ、ジタンのことが心配なんじゃないんだよ、本当は、本当は、『いつか来る日』のこと考えるとき…」
 そのビビの声が、言葉の途中で急に小さく、弱くなって。
 ビビは首を振るのをやめ、ひたとジタンを見つめると、絞り出したような細い声で告白した。
「ジタンの心を、持って行ってしまいたいって、思ってるんだよお」
 告白してしまったビビの全身から、力が抜けて行く。しかし、ぐったりとなったビビは、まるで刃物を突き入れた水袋から水がこぼれるように、さらに言葉を重ねた。
「ジタンにあの子みたいに悲しんで欲しいって、ジタンの心を持って行けるなら、『いつか来る日』が来てもいいって、どこかで、心のどこかで、そんなふうに、まるでジタンの不幸を望んでるみたいに…っ」
 その体を捕まえるジタンの両手の中で項垂れながら、ビビはなお続ける。
「ずっと、ずっと、ずっと、そのことばっかり考えて、ジタンの心全部持って行きたいって気持ちが消えなくて、そんなこと思ってる自分が嫌いで…」
 そこで、ビビの言葉は一度途切れた。肩で息をして、少し呼吸が楽になるのを待ってから、涙をこぼさぬまま最後にジタンへ告げる。
「ジタン、もうこんなボクなんかに優しくしなくていいよ。お願いだから幸せになっ…」
 その瞬間、『て』の声はジタンの唇に吸い取られた。
 そのまま、強く舌を搦め捕られ、吐息をすべて奪われる。驚きの余り状況が飲み込めず、ビビは口づけられているのだという自覚すらない。息苦しさからかその激しさからか、ビビの視界があっと言う間に真っ赤に染まって行く。
 無意識に空気を求めて逃げようとするビビの唇を、ジタンはなお追いかけて舌をからめる。歯列をなぞって上顎をたどり、口内をすべて味わい尽くしていく。
 ジタンはやがて、唇を重ねながら細く小さな体を抱き締め直し、強引に窓の外へ引きずり出した。窓枠に引きずられたビビの足がその桟から離れた瞬間、勢いのまま草むらに倒れ込む。
 キスに翻弄されているビビは、夜露で服が濡れていくのも気づかない。こんなキスは初めてだった。いつもの柔らかくて優しいキスとは全然違う。火傷しそうな程熱くて、激しくて、いっそ苦いくらいに強烈に、甘いキス。ぼうっと頭が熱くなって、全身しびれたように力が抜けて行く。
 そしてビビがまったく抵抗出来なくなったころ、ジタンはやっとビビの唇を解放した。
「ジ、タ…」
 殆ど息も絶え絶えに、熱に浮かされた瞳でビビがジタンの名を呼ぶ。
「ど…して…?」
「そんなことで苦しんでたのかよ」
「…え…」
「オレの心が欲しいって?」
 ぞっとするくらい低い声で、ジタンが囁く。
「オレの心は、とっくにおまえのものなんだ。知らなかったのかよ」
 薄く開いたジタンの視線に射竦められて、ビビはジタンの体の下に収まってしまう身体を震わせる。
「でもっ…ボク…」
「うるさい。オレの心は他のどんな奴にもやる気なんかない。オレの幸せはおまえのとこにしかない。おまえに突っ返されたらオレはこわれる」
 その言葉に、金の瞳が涙で揺れる。
「だけどっ…」
「おまえがひどいやつだって?じゃあ、オレも同罪だな。今おまえがオレの心を欲しがってたことを知って、おまえが苦しんでるのにオレは死ぬほど嬉しかった」
 ジタンは、いつのまにか笑うともなしに微笑みかけていた。
 その満足げともとれる微笑みに、ビビの瞳からやっと涙がこぼれだす。その滴が、月明かりを受けて光の粒となる。
 その輝きに口づけると、しゃくり上げ始めたビビを首筋につかまらせて抱き上げ、その耳元につぶやいた。
「帰ろう」
 小さく小さく頷くのを、頬と肩に触れる感触で確かめた。

 背中を丸め、しがみついている震えるビビ。小動物みたいに、すっぽり腕の中に収まってしまう小さな身体の温もりと重みを確かめる。顔を埋めさせた肩に、温かい滴を感じた。
 どの一滴も、地面に落とさせる気はない。全部オレのものだ。
 大股で家へ向かいながら、ジタンはそんなことを考えていた。
 家にたどり着いて、ビビを抱き締めたまま後ろ手に玄関の錠を下ろし、衣服を緩めながらその足で寝室に向かう。
 そして、寝台の上に捧げるかのようにビビを降ろすと、自分の上着を投げ捨てた。
「ごめ…ボク、泣きやみかたっ、…わか、なくな…」
「いい。泣いてていいから」
 嗚咽の間に一生懸命紡ごうとする言葉。その響きが、引きつってはいるがいつもの柔らかい耳障りを取り戻しているのを聞いて取って、ジタンはビビの顔にキスを降らす。
 その涙も嗚咽も、全部愛しい。
 少し湿りけを含んだ髪を指にからめ、その指で頬をなぞりながら唇でその滴を吸い取り、髪や、瞼や、こめかみ、額、鼻先と、キスを落として行く。
 そして最後に、泣きながらもくすぐったそうに微笑む口元にたどり着いた。
 潤った唇を舌先でたどると、つるりとした粘膜が触れる。きちんと並んだ小さな歯の奥に待つ、蜜を含んだ花びらへ向けて、口づけを深くする。
 ビビも迎え入れたジタンの舌に、おずおずと応え始めた。
 さっきの奪うようなそれではなく、唾液を交換するようなキスをしながら、ジタンは寝間着をはだけた薄い胸に手をはわす。まだ突起にすらなっていない幼い胸の色づきに指を添えると、ぴくんとビビが震えた。そのままくすぐるように愛撫すると、ぷつりとしたしこりが立ち上がってくる。
 唾液を搦めあううちに、ビビの体が甘くしびれてくる。その肌の上をすべる指がジタンのものなのだと思うと、全身びりびりと痛いくらいに敏感になって、身体に疼くような熱が生まれていく。
「……っあ、ん…」
 口づけの短い息継ぎの間に、あえぎ声を上げ始めたビビに、ジタンはうっすらと笑む。
 真綿でなでるような、くすぐったいくらいに甘い、柔らかいビビの声。その声が、段々と艶を含んで濡れ始めている。
 ジタンはその声のスイッチを探しながら、肌をたどってビビの衣服をはぎとっていく。
 二人の衣服がすべて寝台の周りに散らばるころには、ビビの嗚咽は止んで、その瞳は別の涙に潤んでとろけ始めていた。
 そうだ。そうして全部忘れてしまえ。おまえは何もおまえを責めることなんかない。おまえの何もかも、オレが抱きしめるから。
 思いながらジタンは、やっとキスを終えて唇でビビの肌を滑り始める。
「…は…やっ……ぅん…」
 久しぶりの愛撫にすっかり感じやすくなってしまって、もう撫でられただけで、ビビは声を上げてしまう。その声が濡れ切ってしまっているのに気づいて、ビビはかあっと身体が熱くなった。そこへ、胸の突起にジタンが舌をはわせ始めたものだから、思わず己の指を噛み締めてこらえようとしてしまう。
 それに気づいたジタンが、慌ててその手を取り上げて、耳元にささやく。
「こら。何してんだよ」
「だって、恥ずかしいよぉ…」
 消え入りそうな声でビビがぽそぽそ答える。
「何でだよ、こんなかわいい声なのに。もっと聞かせてくれよ」
 言いながら、歯型のついてしまった指に口づける。
 すると、ビビがさらにかあっと赤くなったが、ジタンに望まれればビビには『いやだ』と言えない。そっぽをむくビビの、開いたうなじの辺りに再び唇を落とす。
「んんっ…ん、うんっ……ぅ、…」
 せめてもの抵抗か、唇を引き結んで声が漏れないようにしているビビ。快楽のみを追うことにどこまでもためらいを見せる姿を、どうにかかき乱してやりたくて、唇で腋の下をたどりながらビビをうつ伏せにする。
 すべすべした内股に手をはわせ、つうっと舌で背骨を滑り降りると、薄い肉の下に透ける肩甲骨の辺りがぞくぞくと震える。背骨の終わりの辺りを歯を立てるように吸うと、びくんと背がしなった。
「っんん、はあっ…」
 思わずこぼれたビビの吐息が、ジタンの腰に甘く響く。
 にや、と笑いながら、膝を立てさせるべくそっとその細い腰を持ち上げると、ビビが何かを悟って抗議の声を上げた。
「あっ…ジタン、だめっ…」
「大丈夫だよ、石鹸の匂いしかしない」
 逃げようとする腰を捕まえて引き寄せると、ジタンは何のためらいもなくその双つの丸みの谷間に唇を落とした。
「ひああっ!ああっ、や、んんっ」
 堅く綴じた蕾に舌を這わせると、ビビの身体がふるふるっと震える。ジタンは片手でその腰を押さえ、もう片手で膝裏を辿りながらその蕾に唾液を塗り込め、花びらを解きほぐしていった。
「あ、あぁっ…や、やめ…ああんっ」
 どんどん下半身をとろかされて行く感触から逃れたくて、ビビが手元のシーツをかき寄せようとする。しかし全く力の入らない指は、わずかにシーツを掻くしかできない。
「ふ、ふぁ……ひああっ…、あぁ、…んうっ」
 立てた膝が、今にも崩れ落ちそうにがくがく震える。
 耳をくすぐる声に、ジタンの身体の疼きも強くなって行く。もっと、もっと聞きたくて、ずっと触れぬままにしておいた、ビビの蛹のような幼い昂りに手を伸ばす。
「きあっ、やめっ…ボ、ボク、おかしくなっちゃ…」
「かまやしないさ、なっちゃえよ、ビビ」
 すでに赤く屹立しているそれの、粘液が染み出すところを甘くえぐるようにしながら、その裏筋をこすりあげる。
「あっ、……ん、…ぁ…ふ、あぁんっ…だめ…っ、めて…」
 怯えたように、切れ切れに拒否の声を上げるビビ。
 すっかり濡れそぼっている後孔は、完全に解きほぐされて柔らかく蠢く。そこに指先を差し込んでゆっくりかき回すと、誘い込むように内壁が収縮した。
「何で?ビビのここ、すごく可愛いぜ?一生懸命締め付けて、オレを欲しがってる」
 からかうように言った言葉に、ビビがシーツに顔を埋めたまま激しく首を振る。
「ちが…うよぉっ…だめ、だって…っ」
 恥ずかしがっているのだと思っていたが、その否定の言葉が脅えるように震えている。何か様子が変だと察したジタンは、ビビの顔をシーツから引きはがしてみてぎょっとした。
 一度は泣き止んだはずのビビが、ぼろぼろと涙を零している。
「どうしたんだよ、ビビ…」
 快楽や羞恥のみでない涙に、ジタンは困惑した。
 そんなジタンを、濡れた金の瞳が見つめる。
「ジタン…本当にいいの…?」
 それを聞いてジタンがぴくりと眉を動かした様子に、一瞬ビビが戸惑ったがそれでも目をそらさずに続ける。
「本当にボク…ジタンの心を持っていって…」
 その言葉が終わらないうちに、ジタンはやにわに起き上がり、ビビを自分の膝の上で抱きすくめた。
「ジ、ジタ…」
 抱き締められた背中に触れるジタンの広い胸と、太ももの間に滑り込んだジタンの昂りにビビが身じろいだが、絡み付いた強い腕が動きを封じる。
「さっきも、言っただろうが…オレが信じられないのかよ…!」
 悲鳴のような声に、ビビが一瞬びくりとすくんだが、それでも震える声で問を接ぐ。
「……でも、そしたらジタンはどうするの…?」
 『いつか来る日』が来てしまったら。ビビが心を持って行ってしまったその後は。
 その問に、ジタンはビビの肩に顔を埋ずめてささやいた。
「……ビビ、分からないか、オレが全身でビビを欲しがってるって」
 苦しげな声にぞくりとする。
 しばらくの沈黙が降りた。
 静けさの中で、自分の心臓の音が、ビビの耳にやけにやかましく感じた。ビビの身体はまだあおられた熱が冷めないままに、疼き続けている。
 しかし、妙に大きい心臓の音は、自分だけのものでないことにすぐに気づく。
 背中に伝わる、ジタンの鼓動。それが、自分と同じくらい、いやむしろそれより早いくらいに力強く波打っている。
 絡み付いた腕が熱い。鼓動の伝わる背中も、肩にかかる荒い吐息も、足の間のビビ自身に触れるそれも。
 いつもあっという間に夢中にさせられてしまうから、こんな風に確かめたのは初めてで、胸が苦しくなるくらいどきどきする。
 金の髪の隙間からそっと伺ったジタンの顔は、何かを堪えるようにじっと眉根を寄せ、目を伏せている。その目が、ビビの視線に気づいて薄く開かれた。
 心臓をつかまれたような気がした。今までジタンに『色っぽいよ』と言われても、よく意味が分からなかったのだけれど。
 こういうこと、なんだろうか。
 鼓動が、早くなる。息が上がる。
「…分かるか?ビビ」
 耳元に囁かれる声に震えながら、ビビは頷く。
「オレは、おまえが欲しくてたまらないんだよ。おまえの全部、オレのものにしたい。おまえ以外要らない」
 ジタンはビビの髪に、顔を埋めて囁く。
「おまえは、違うのか?」
 体の芯の疼きが激しくなって行くのを感じながら、ビビは答える。
「…ちがわない、よ」
 ビビは、自身の身体に絡み付いたジタンの腕を抱き締めてつぶやく。
「ボクも、ジタンが全部、欲しいよ。ジタン以外、要らないよ…」
 その心を持って行ってしまいたいと、思うほどに。
「なら、やるよ」
 その言葉に驚くより先に、ジタンの指がビビの蕾に滑り込む。
「あっ…ジタ…っ」
「全部、おまえにやる。持ってっていいんだ。だから」
 ビビの耳元に唇を寄せ、蕾を探りながらビビを押し倒して囁く。
「おまえの心、オレにくれ」
 その言葉に、震えるビビの瞳が軽く見開かれた。
「そしたら、オレおまえの分も生きるから」
 その言葉の後、かすかに笑って付け足す。
「まぁ、まだ『いつか』が来るって決まった訳じゃねーけどな」
 その金の瞳から再び、ぽろっと滴がこぼれ落ちた。
「う…ん、あげる、…ジタンに、ボ、ボクのっ…全…部っ」
 ジタンの指が与える快楽に飲み込まれかけながら、とぎれとぎれにビビが答えた。
 その湿り気を帯びた真綿の耳障り、その吐息。とろけていくビビの瞳に、たまらずジタンは口づけると、舌を搦めながらビビの膝を抱え上げた。
 十分にほぐされた内壁の入り口に、自身の先端をこすりつけて、ジタンはビビの耳元にささやく。
「じゃあ、ビビはオレのものだ。そうだよな?」
「そう、だよ…っ、ああっや…っ、ジタ、だから…」
 もどかしさに泣きそうな顔で頷くビビに、ジタンは満足げに微笑んで、そこに体重を乗せ、待ち侘びる壁の中に入り込んで行く。
「ふぁあっ…は、んっ、んんっ、ジタ…っ」
 ジタンの首筋にしがみつき、ビビは嬌声をあげた。
 追い上げるように揺さぶると、ジタン自身に絡み付きながらビビがその身をくねらせる。
 無意識になのだろうその物慣れぬ仕草が、いちいちジタンの性感を刺激する。
 ジタンはたまらなくなって、こすりあげる動きを速めて行く。
「ふあ、ぁあっ、ひぁっ、ああん…あ・・っ・・・っっ」
 もう声を押さえることすら忘れたビビが、最後にはもう声にもならない悲鳴を上げ、びくっと震えて達した。
 それと同時にジタンが、締め付ける壁に白濁を吐き出す。
「……やばい…」
 そのままビビの上につっぷしてしまったジタンが呟いた。
 その呟きを聞いて、ぐったりとしたビビが不安げにジタンをみつめると、済まなそうにその目を見つめ返しながら、ジタンは訴える。
「ごめん…オレ、まだおさまらねえや…」
 その情けない声で言う言葉に、ビビがぽかんとする。
 しかし未だ萎えぬ昂りを自身の身体で感じとると、くすりと笑いながら、ビビはジタンの首筋に再び腕を搦めた。
「いいよ…ボク…全部あげるって言ったもの…だから、全部ちょうだい…」
 とぎれとぎれに答えながらも、微笑むビビの顔が幸せそうに見えて、なんだか泣きたいような気分で、ジタンはビビを抱き締めた。

 びくりと目が覚めて、ジタンは思わず腕の中を確認する。
「……いるよ…」
 ほーっと息を吐く。
 昨夜のことは、夢じゃなかったのだ。
 そう思いながらジタンは、腕の中のビビを起こしてしまわなかったかどうか確かめる。
 しかし、ビビはそんなジタンにも気づかぬ様子で、すやすや寝息を立てていた。
 カーテンごしの光はまだ薄暗い。よくまあ、あれだけ疲れ果てて眠ったのに、こんな早く目が覚めたものだ。もしかして、早朝じゃなくて夕方だったりしないだろうな。
 まあ、どっちでもいい。ここにビビさえいれば。
 微笑みを浮かべて眠っているビビ。その髪を撫でながら思う。
 この心の中に巣くった闇が、完全に消えてくれていればよいのだが。
 この優しい心が、再び暗い願いに捕らわれるのは見たくない。
 だが、『いつか来る日』は、まだ消え去った訳じゃない。
 それに、ジタン自身の中の闇も、未だに生きている。
『おまえの心、オレにくれ』
『おまえの分も生きるから』
 そう言って、約束したけれど。
 あんなの、気休めの嘘だ。
 本当は、腕の中にこの命と心がそろっていない限り、生きて行く自信などない。
 でもそれは、気づかれてはならない秘密。
 あれを嘘にしないために、これから、やらなくてはならないことは山積みだ。
 道具屋のジェノムのことや、新しい黒魔道士のことも、何とかしてやりたい。
 どれもけして易しいことではないけれど、今日から始めなくては。
 ビビの笑顔を、この腕の中で守るために。
 眠るビビを抱き締めながら、ジタンは我知らず祈りの言葉を紡ぐ。
 お願いです神様。
 この命をオレから奪わないでください。
 オレを嘘つきにしないでください。
 この約束を果たさなければならない日が、どうか来ませんように。
 この愛しい心とその命が、いつまでもこの腕の中で、なるべくなら微笑んでいますように。

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   こめんと
 山月が崇拝するお方に送りつけてしまった話。それにちいっとばかり手を加えてあります。
 一言物申すと、ジタンが本当に約束を守れないとは限りません。「いつか来る日」に直面してみてからじゃないと分かりません。
 まだ希望が残っているうちは、弱音を吐いたっていいじゃないか。余生を過ごすような暮らしは嫌。ぎりぎりまであがいてでも一緒にいたいほど、大好きな人がいる。それは幸福な事だと思わない?
 そう思った。
 で、それが裏ページな話になっちまったのは、単に山月の趣味。