玉眼人形〜弐体目〜
 昔、人形師がおりました。彼は、ありとあらゆる素材と技法を使い、ありとあらゆる人の形を写し取りました。
 ただし、彼の作った人形には唯一つの共通点がありました。それは、必ず玉眼技法―玉石を眼球として埋め込む方法―が使われていると言う点です。
 彼の作った人形は、彼が生きているうちにほとんど売り払われ、世界中に散逸しているそうです。



 それは「可奈子」という名の人形でした。
 夫を亡くし、娘を嫁に出した老婦人が見つけた、娘と同じ名前の球体関節人形。
 それは淡い色の髪を後ろで編みこんで、
 大人びた顔つきに暗い赤の澄んだ瞳をはめ込んだ人形でした。
「少し高い買い物だったかしら、でも随分まけてもらったし」
 骨董屋から出てきた老婦人は、子供の頃を思い出すように頬を染めて呟きました。
「これがあたしと同じ名前の人形?」
「そうよ、顔つきもなんだかあんたに似てるわ」
「こんなに美人だったらもっとモテてたのに」
「まあ、雄彦さんにめぐり合っただけで十分じゃないの、贅沢言うのね」
「はいはい。でも、本当に生きてるような人形。綺麗な瞳」
「ええ…何だかその瞳、本当の柘榴石らしいのよ」
「ええ?高くはない石だけど、こんな大きさだとこの人形の倍の値段はするはずよ?」
「そうよねえ…でも、そんなことよりこの子に服を作ったりするのが楽しくてね。いい買い物をしたわ」
「そうね。母さん最近楽しそうなんでほっとした」
 一人暮らしになって以来塞ぎこんでいた老婦人は、その人形と生活を共にするようになってからよく笑うようになりました。人形に新しい服を縫っては友人を家に招いて披露したり、お菓子を作ってお茶会を開いたりするようになりました。

 そんなある日、老婦人が目覚めると、娘が心配そうに覗き込んでいました。
「なあに?あんたいつの間にうちに来てたの?」
「馬鹿言わないでよ、母さんたら2日も意識不明だったのよ。電話しても出ないから心配になって見に来たら倒れてて」
 見回すと、老婦人は自分が病院の一室に寝ていたことに気がつきました。
 娘は目を真っ赤に泣き腫らし、子供が生まれるまでは元気でいてもらわなくては困ると言って、もうすぐ孫が生まれる事を母に報告したのでした。
「そういえば、目を覚ます前にも夢の中で『まだですよ』って言われた気がしたわ。口の中に甘酸っぱい香りがして…」
 少し身体が弱り、杖をつくようになりましたが、老婦人は人形と共に一人暮らしを続けました。
 娘夫婦は医者から老婦人の余命が幾ばくも無いことを告げられ、共に暮らすことを提案したのですが、老婦人は独りの方が気楽だからと笑って相手にしないのでした。
 老婦人は、まだ新婚の娘夫婦を、自分のことで煩わせたくはなかったのでした。
 その後、老婦人は幾度も不調を感じましたが、その度に甘酸っぱいものを口に含む夢を見て目覚め、身体が回復するという不思議を何度も体験しました。
 やがて娘夫婦に男の子が産まれ、老婦人は大変喜びました。
「女の子だったらあなたを譲ろうと思っていたから、少し残念ね」
 老婦人の報告に、膝の上の人形が石榴色の瞳を僅かに細めたような気がしました。
「そうね、孫は孫、あなたはあなただもの」
 老婦人は人形に諌められたような気持ちになって、くすりと苦笑いしました。

 それから2年後、老婦人は帰らぬ人となりました。医者の告げた余命より裕に1年は過ぎた日のことでした。
 娘が通夜のなかで、老婦人と暮らしていた人形に話しかけていると、ぴしりと音がして人形の顔が割れ、一粒の石榴の実が零れ落ちました。
 娘が驚いて覗き込むと、人形の瞳がいつの間にかすっかり黒ずんでいました。目尻から頬にかけて走ったひび割れはまるで涙の跡のようです。
 一粒の石榴を握り締めて、娘は人形に
「ありがとう、お疲れ様」と呟きました。
 娘は母のお棺の中に人形を入れてやり、人形と老婦人は共に煙となって空へ昇っていったということです。



 世界には、同じ人形師が作った宝石の瞳を持つ人形が、
 宝石の種類と同じ数だけ散らばっているそうです。
壱体目
山月のはんこ