玉眼人形〜壱体目〜
 昔、人形師がおりました。彼は、ありとあらゆる素材と技法を使い、ありとあらゆる人の形を写し取りました。
 ただし、彼の作った人形には唯一つの共通点がありました。それは、必ず玉眼技法―玉石を眼球として埋め込む方法―が使われていると言う点です。
 彼の作った人形は、彼が生きているうちにほとんど売り払われ、世界中に散逸しているそうです。



 それは女神像でした。
 ほっそりとした姿態も、まとった薄布も、真っ直ぐな髪も、漆黒をした塑像。
 少し首をかしげたその表情は、立ち姿にも関わらず眠っているかのように眼を閉じておりました。
「この人形にはね、眼が開く仕掛けがあるそうだよ」
 女神像が受け継がれていた家の男の子は、それを聞いて目を丸くしました。
「ええ!?そんな仕掛けがあるようには見えないよ!?」
 いとこの持ち物の中に瞬きする人形があるのを見たことがありますが、眼球がひっくり返るための隙間がはっきり見えました。今、男の子の目の前にある人形の目蓋には、そんな隙間など見えません。
「実は父さんも話に聞いただけで、開いたところを見たことは無いんだよ」
「なんだ、本当かどうか分からないんじゃない」
 男の子はがっかりしましたが、それでももしかしたら眼は開くかもしれないと思いつつ、たびたび女神像の顔を覗き込むようになりました。そのたびに、つややかな黒い肌の美しさ、柔らかそうな唇に見とれるようになりました。
――この女神像の眼が開いたらどんな表情をするのだろう。
 男の子はいつしか女神像の開眼を待ち焦がれるようになりましたが、女神像は頑なに目を閉じたままでした。

 やがて男の子は青年へと成長し、女神像の眼が開かぬならば、眼が開いた女神像を自分で造り出そうと考えました。
 青年の両親はすでに亡くなり、家業を放り出しても諌める人さえ居りません。
 彼の家は荒んでいくばかりですが、青年はひたすらに女神像を造り続けました。
 しかし、材料が間違っているのか、技量が不足しているのか、あるいは見たことのない瞳を再現出来ないからなのか。造れども造れども望む姿には仕上がらないのです。
 時折ひやかしに訪れる友人は、
「そっくりに出来てるよ、たいしたもんだ」
と評するのですが、青年には女神像に比べたら自作の人形が藁人形のようにしか見えませんでした。
 望みは叶わぬまま試行錯誤の日々が続いたとある日のことでした。
 青年は、ちりちりと首筋を焼くような感触に気がつきました。
 そしてそれが、間違いなく自分を見つめる視線であることを理解しました。
 女神像が開眼し、青年を見つめていたのです。
 青年は、ぎくりと心臓をつらぬかれたような気がしました。夢にまで見た女神像の開眼なのに、骨の髄まで凍るような寒気が走りました。
 女神像は、なまめかしい艶のある乳白色の眼球を持っていました。
 瞳の艶は、青年の動きにあわせて眼球をすべり、彼を追っているようでした。
 高貴な微笑を湛えたその瞳は、何かを問いかけるように潤んでいます。
 女神像の開眼を目の当たりにしたはずの青年でしたが、人形造りを止めず、それどころかますます憑かれたように造り続けるようになりました。
 一方で、青年は作れば作るほど打ちのめされていきました。
 女神像の微笑みは蔑む様でもあり、哀れむ様でもありました。

 疲れきった青年は、とうとう病に倒れ、そのまま亡くなりました。
 青年の友人が葬式で見かけたときには、女神像の瞳はもう伏せられていました。

 自分そっくりの人形に埋め尽くされた、荒れ果てた家の中。
 女神像は、次に見つめる相手を待ち続けているそうです。



 世界には、同じ人形師が作った宝石の瞳を持つ人形が、
 宝石の種類と同じ数だけ散らばっているそうです。
弐体目
山月のはんこ