四月一日花太郎誕生日祝(二〇〇九年分) 其之漆


開封

   開封

『「恋は、虚構だと思っている」/とその人は言った。/「なら愛は?」/と問おうかと思ったが、答えを聞きたくなくなったので止めた。』
 そんな書き出しで、その小説は始まっていた。最近、女性の間で密かに回し読みされている本である。今は何冊か写しがとられて出回っているが、たった一冊しかない原本は、出所が知れない。どこかの書庫にいつの間にかひっそりと紛れ込んでいたという噂だ。原本は明らかに手造りの紐綴じ、表紙は本紙よりやや厚いだけのまっさらな白紙で題名がないのだそうだ。そこで第一行目の台詞からとって、「恋は、の本」と呼ばれている。
 荻堂の目に入ったものは写本だったが、第一行目の台詞だけハンコだった。原本が回し読みされるうちに、誰かが原本の字を元にハンコを造って、本を写す者のために原本に添えたらしい。著者の直筆と思われるその文字は、毛筆にしてはひどくほっそりと頼りなく、極端に右上がりの癖をつけることで筆跡を誤魔化している節があった。
 内容は、出だしにふさわしく、陳腐な恋愛物だった。主人公は護廷十三隊の架空の隊、架空の班の副班長で、中級貴族の出身である。物語は終始この主人公の視点で描かれている。相手は同班の班長で、流魂街の出身である。二人は仕事上では息の合った上司と部下だが、私的には趣味も性格も共通点がなく素っ気無い間柄だと周囲には思われている。しかしながら、密かに肉体関係を持っているのだ。それは合意ではあるが、心を交わすための行為では無かった。実のところ班長は主人公にとって両親の仇であり、主人公は復讐のために班長の罪悪感を利用して言い寄ったのである。しかし関係を重ねるうちに復讐心を超えた執着が主人公の中に芽生え始めていた。両親が討たれた理由を知り、班長の胸の内を知る内に、己の心を支配するのが憎しみなのか愛情なのか分からなくなっていく主人公は、班長の罪悪感を利用して捩れた独占欲を満たそうとするようになる。しかしそこには、己の醜さを嘆く気持ちも確かに存在している。淡々とした文体で内面描写は簡素なのにも関わらず、登場人物の心理が生々しい。対照的に、房中の描写は露骨な割に艶美に脚色されていて幻想的だ。話が進むと、班長が主人公に束縛されたままでいるのが、罪悪感故かそれともまた別の何かなのか、束縛されているのは本当は班長なのか実は主人公なのかさえ曖昧になっていく。最終局面では、主人公の犯した失態を班長が自ら被って罷免され、瀞霊廷を去る。主人公は班長が自害しようとしていることに気がついて後を追う。しかし、その終わり方は唐突である。班長を探す主人公の胸にある想いは、ただ共にいたいというその一点のみになっていた。そして、喉に刃をあてがう班長の後姿を見つけ、その名を叫んだところでぶっつりと終わり、わずかな紙幅が空白のまま残っているのである。
 この後二人はどうなったのか。そんな物議こそ、この物語が盛んに回し読みされている最大の理由だった。描写・筋立ての良さ故だが、あまりにも捕え方の幅が広すぎる。主人公は、班長の自害を止めるつもりだったのか、それとも共に果てるつもりだったのか。班長は呼ばれて振り向いたのか、振り向かなかったのか。飛び交う説はいくらもある。ただ一つ、読者全てに共通する意見として、二人の間には『虚構だとしても恋と呼ぶべきもの』があったということ。
 そして、謎めいた物語に伴って、この本に関するありとあらゆることが取り沙汰された。何故題名がないのか。この物語は本当に完結しているのか。完結していないとしたら何故製本されているのか。実は何枚か欠損があるのではないか。原本にはさらに原典があるのではないのか。実話ではないのか。実話でないにしても、主人公・班長には原型と言うべき人物がいるのではないだろうか。それも原型が隊長・副隊長であるために、著者は印象を遠ざけようとして二人をぱっとしない立場に設定したのではないのか。房中の描写まであるにも関わらず、二人の性別が実に巧みにぼかされているのも同じ理由ではないのか。そして何故原本は書庫に放置されていたのか。著者はどんな人物なのか。
 とかくすべてが女性たちの興味を煽ったのである。これで写本の第一行目がハンコで作られた理由も分かるというものだ。誤魔化されているとはいえ、筆跡で筆者が知れるかもしれないという女性たちの願望の現れなのである。
 荻堂も一読してみて女性死神が夢中で謎を取り沙汰する理由は分かったが、「面白い」とは全く思えなかった。恋愛小説としては上等の部類に入ると思うが、もともと読書は趣味ではなく、人間関係の潤滑剤として話題を補充する手段に過ぎない。だが、この本に関しては、それ以上の理由があって全く楽しめなかった。地の文が淡々としているためにさらさらと読み流していると、読み手の一番油断していた方向から冷水を浴びせられて揺さぶり起こされるような言葉が目に飛び込む。しかし、構えて再び読み始めると、何事も無かったかのようにまた淡々とした描写に戻っているのである。読み手を不意打ちするような文体。この感触に、荻堂は激しい既視感を覚えた。
 その既視感は荻堂の片隅でちりちりと鳴って、物語を楽しむことを邪魔し続けた。

「『恋は、の本』というのが今、女性隊士たちの間で話題になっていますね」
「ああ…そうみたいですね」
 そういえば、とぼんやりした花太郎の答えに、荻堂は一瞬読み違えたかと思った。席官の癖して女性隊士にねだられると、女性休憩室へ行ってお茶汲みしているような人だから、女性の間の話題にはもっと敏感かと思っていた。
「どんな本かと聞いたら、ぼくには向かない本だからって隠されちゃいまして」
「…なるほど」
 反応が薄かったのは、その本の内容を知らないからだったのか。確かに、官能小説と言えるくらい房中の場面の多い話は、一般に流布している花太郎の印象とは別世界のものである。
 しかし荻堂は、一般に流布していない花太郎の一面を知っていた。
「内容は、恋愛物ですよ。主人公の副班長が、親の仇の班長と懇ろになる話です」
 花太郎は少しきょとんとし、それからいつもの困ったような笑顔を浮かべた。
「ああ、それでだったんですね。それは人前で見せられたら恥ずかしくて目を反らしてしまいます」
 しかし荻堂は、本の内容を聞いて、一瞬だけ花太郎が虚を衝かれた表情をしたのを見逃さなかった。やっとそのくらいには、この人の心の機微を読めるようになった。
「ご自分が書いたものだからでしょう」
 花太郎の表情は、笑顔のままだった。あの虚の瞬間に、もう諦めがついていたのか。
「あはは。荻堂さん、どうでした?」
 肯定も否定もしないまま、感想を求めた。
「意外でしたね。貴方にあんな才能があったなんて」
「誰にでも出来ちゃうと思いますよ。女の方たちの間で流行ってる小説と、その感想から拾ったものをつぎはぎするだけですから」
「おやおや。演出の効果もあって、女性たちはかなり熱狂していますよ?」
「演出…ですか?」
 そもそもさり気なく自分が書いた物であることを認めずにいる花太郎だったが、今首を傾げた仕草だけは本物だった。やはり、と荻堂は嘆息した。
「何故題名がないのかとか、あの後二人はどうなったのかとか、誰が書庫に置いたのかだとか、とにかく色々と詮索したがっているんです」
「あー…今になって、そんなことになっているんですか。もうずいぶん前から、あの書庫にあったのに」
 「あの書庫に置いたのに」とは言わないあたり、頑固である。
「題名とか続きとかは、自由に考えていいってことじゃないでしょうか」
「誰が書いたかも、読んで楽しむ分にはどうでもいいこと、てことですか」
「虚構ですからねぇ。それに、あんな風な小説を書いたなんて、ぼくだったら恥ずかしくて名乗れませんよ」
 応えながら、花太郎は荻堂の杯に焼酎を注ぐ。よどみがない手つきに、この人が今何の動揺もしていないということを思い知った。そっと差し出された杯の中は、ほとんど波も立っていなかった。
 現実などこんなものだ。女性たちが躍起になって取り沙汰するような裏など、ほとんど何もありはしない。
 書き始めたのは出来心か何かか。書きあがったはいいが、直接読んでみてくれと誰かに渡すのも恥ずかしい。内容が内容だけに、部屋に置いておくのも落ち着かないので、こっそり書庫に放り込んだ。それが本人も忘れた頃に誰かに見つけ出され、話題になっている、と言ったところか。
 何を企んでいる訳でもないのに、時々人の心にひっかかることをする。
「あなたは、面白い人だ」
 焼酎を一口含んで、荻堂は微かに笑った。
「ぼく、人を面白がらせる芸なんて持ってません。荻堂さんこそ面白い人です」
 花太郎がとぼけるだろうとは思っていた。ただ、花太郎があの本の著者かどうかなどということよりも、知りたいことがあった。
「あの本は、著者の実体験を元にしているのでしょうか?」
「書くときに、自分の実体験を無意識に参考にしちゃうことはあるんじゃないでしょうか」
 荻堂の中で、熾火がちりっと音を立てた。それを聞こえない素振りをしようとした。しかし、
「房中の描写とかも、ですか」
実際に口にした言葉は、もともと抑揚に乏しい普段のそれ以上に、平坦に響いた。
 無言で、荻堂に顔を向ける花太郎。
 荻堂は、細い両肩を軽く掴み、そっと押した。花太郎は抵抗もせず、ゆっくりと畳の上に仰向けに倒された。花太郎は、微かな、ほんの微かな笑みを浮かべていた。静かに、目を細めている。その目の焦点は遠かった。
 ぢりっと、焦げ臭い衝動が荻堂を突き抜けた。
 突然の噛み付くような接吻に、花太郎は一瞬だけ目を見開いた。しかし、抵抗の気配すら見せぬまま、既に息の根の止まった獲物のように、大人しく貪られている。
 しかし、荻堂が花太郎を捕らえたと実感したことは今まで一度もない。
 間近に見えた耳に異物を見つけて、荻堂は一度花太郎の唇を解放した。花太郎が、ほう、と小さく乱れた吐息を吐き出すと、その異物が光を反射して煌めいた。
「また、着けてるんですね。これ」
 荻堂は、唇を滑らせて、花太郎の右耳を噛んだ。耳に着いている異物を舌で探る。
 異物の正体は、2つの小さな耳飾りだった。透明な硝子でできていて、一つは輪、一つは珠の形をしている。耳に、穴を開けなければ着けられない形の飾りだった。
「ああ、すみません。外すの、忘れていました」
「…別に、外して欲しいわけじゃありません」
 「花ちゃんが気に入るかどうか分からないけど」と言いつつ、女性隊士が話の種にくれたものだという。人の怪我を治すのが仕事の、そして怪我を嫌う性格の花太郎が、身に穴を開けなければならない飾りを着けるとは思えなかったのだろう。
 けれど、花太郎はこれを着けている。知っているのは、荻堂だけだ。花太郎の髪型なら、普段は髪に隠れてしまう位置だし、小さな硝子の飾りは、水滴か何かと勘違いして見過ごしてしまうようなさり気無いものだった。現に荻堂も、花太郎とこうして睦み合うようになってようやく、この飾りの存在に気が付いたくらいだ。
 花太郎の耳に初めてこれを発見した時の驚きは、「恋は、の本」の文体に受けた不意打ちとよく似ていた。
「また位置が違う」
 独り言に近い荻堂の言葉に、花太郎は「ええ」と短く応えた。
 見つけるたびに、位置の違う耳飾り。そもそも、毎日着けているわけでもない。花太郎はこの飾りを着けても、ほんの1日経つと外してしまう。そして耳の穴も外したその日のうちに、自身の治癒能力で消してしまう。しばらくして、誰にも気付かれない飾りを着けるため、また新たに耳に針を立てるのだ。
 荻堂は、小さな水滴のような飾りに手をかけた。裏の留め金も摘んで、そっと引き抜く。花太郎はされるがままだ。輪の形のものも外し、手近な文机に放って、飾りのための穴を舐めねぶる。空けて一日と立たない穴から、鉄の味がした。
「ん…っ」
 かすかに、鼻にかかった吐息が聞こえた。
 舌が痕をなぞると、新しい皮膚が飾りの名残を覆い隠いく。
「ありがとうございます」
 舌先の穴の痕跡を感じなくなった頃、花太郎が礼を言った。
 しかし、荻堂はにこりともしない。礼を言われたくて治癒能力を使ったわけではない。
「口先の礼より、着けないでくださる方が良い」
「外してほしいわけじゃないと言ってたのに」
「着けなければ外す必要もないでしょう」
「すみません」
「謝って欲しいわけでもありません」
 呟いて、荻堂は着物越しに花太郎の胸に耳を押し当てた。
 こんな会話を繰り返すのも何度目のことか。他の誰かが似たような飾りをつけているのを見ても気に食わないと思ったことはない。似合おうが似合うまいが本人の好きなように身を飾れば良い。それが不恰好なら鼻で笑ってやる。なのに、その飾りが花太郎の耳にあることだけは、何故か無性に気に食わなかった。それを着ける為に穴を開けては閉じ、閉じては明けていることを知って、ますます気に食わなくなった。
 花太郎はそれを知って、荻堂が見ていないときに己の耳に針を立て、荻堂が知らないうちに穴をふさぐようになった。
 けれど、この飾りを着けること自体は未だ止めない。
「見せびらかすつもりもないのに、何故着けるんですか」
「何となく…着けてみたくなるんです」
 「恋は、の本」の中ではあれほど雄弁だというのに、口から出る語彙は貧しい。本当にただ何となくなのだろうか、それとも説明しきれないあれこれがあるのか。花太郎の薄い胸に耳を押し当てても、その答えは探れない。かなり注意深く花太郎の内面を観察するようになったはずなのに、最近では花太郎のことがますます分からなくなっていく。「恋は、の本」のことも、この耳飾りのこともその一端にすぎない。自分の書いた本の行方にも興味がなく、「何となく」と言って耳に飾りを着ける。
 時々、この人の行動にほとんど意味などないのかもしれないと思うことがある。その一方で、その答えに安住できたならと恨めしくも思う。こんなちっぽけな飾りが気に入らないなどと、見苦しい駄々をこねずに済んだだろうに。
「着けるたびに穴を開けるのは、痛いでしょう」
「たいしたこと、ありませんよ。慣れました」
 慣れか。嫌がらせをされても、好意を受けても、物語を書いても、針で耳を貫いても、それを止めろと言われても、この人の中にいつまでも残るほどたいしたことは、もうないのかもしれない。
「貴方は一体、何なら慣れないと言うんでしょうね」
「仕事かなあ。いつまで経っても上達しません」
「七席にいながら言うことではありませんね」
「戦いの方はさっぱりですから」
「四番隊ならそれでも構わないでしょう」
 こんなことが話したいのではないのだ。荻堂は花太郎の唇をふさいだ。
 先ほどの一方的にむさぼる様な口付けとは違って、舌先で歯肉や上あごの内側を撫でるようにして誘うと、花太郎のほうからも同じような愛撫が返ってくる。時折互いの舌を絡め、わざとぬれた音を立て、戯れに甘く歯を立ててみる。
 しかし口付けの心地よさに酔うほどに、やりきれない思いが荻堂を支配していく。
 どうして、こんな口付けを知っているのか。普段は色事からかけ離れて見えるのに、実際の彼はこんな慣れた反応を見せるのだ。荻堂が花太郎の帯に手をかけると、花太郎はまるで自然に着崩れていくかのような仕草で、自らの着物を肌蹴させていく。
 そうして、また今日も大人しく抱かれて、明日にはいつもどおりに朝の挨拶をするのか。
 ぢりっと、熾火が火の粉を上げた。
 一度押し倒した花太郎の上半身を抱き上げ、首筋に舌を這わせる。荻堂が両手首をつかんで羽交い絞めに抱きしめたものだから、花太郎は自然両腕を背中で組む格好になった。右手首を左肘に、左手首を右肘にあてがう形で固定され、不自由を感じて身じろぐが、荻堂がそれを許さない。
「あ…」
 その両腕と背筋の隙間を、布が通る感触がした。解けた帯で、縛り上げられている。しかし花太郎は小さく声を上げたきり、ほとんど抵抗しなかった。いつも、こうだ。この人は、腕を束縛されたくらいでは驚かない。荻堂のすることから逃げ出そうとしたこともない。荻堂から逃げ出す必要を、そもそも感じていない。
 何をされても、この人は黙って受け入れ続ける。そして、荻堂の腕の中で、荻堂が帰って行くのを待っている。花太郎がかつて『満足できないと思います』と荻堂に告げたのは、いずれはそんな花太郎に飽きて去っていくだろうと見込んでいたからに違いない。そして、荻堂でないほかの誰かなら、その思惑通りに去っていたかもしれない。
 しかし、相手は荻堂だった。花太郎の思惑を読み取れずにいるには人の機微に聡すぎ、その思惑を知った上で乗せられてやるには天邪鬼すぎた。
『その思惑を粉々にしてみせます』
 大人しく縛られている花太郎の耳元で、荻堂は声に出さず呟いた。
 袂を探り、紙の包みを取り出した荻堂に、花太郎が珍しく怪訝な表情を見せた。包みの中には、小指の第一間接くらいの大きさに和紙を巻いたものが入っていた。
「…何ですか、それ」
「通和散と、棒薬を兼ねたような薬です。ぼくが作りました」
 花太郎の顔色が少し変わった。通和散も棒薬も、房中で使う薬の名であることを知っているのだ。荻堂はそんな花太郎の様子を確認して、見せ付けるように杯の中にその薬を落とした。薬を巻いた和紙が、度の高い焼酎を吸い上げていく。
「止しましょうよ」
 初めて、花太郎の拒絶の言葉を聞いた気がした。けれど、それは逆に荻堂を加速させた。
「嫌です」
 荻堂の返事に、花太郎が腕を縛られたまま逃げ出そうとした。けれど、黙って腕を縛らせた時点で花太郎に勝ち目はなかった。うつぶせの状態でやすやすと荻堂に押さえ込まれ、尻の谷間に滑り込んだ指の感触に身震いする。
「荻堂さ…っ」
「綺麗な色をしてる。いつ見ても、こんな小さなところに入るなんて、信じられませんね」
 腰をしっかり押さえ込まれながらも、花太郎は身じろいで抜け出す術を探していた。荻堂は、初めて見る花太郎の反応を愉しみながら、尻の最奥にある蕾に、舌を這わせた。
「んん…っ!」
 ちろちろと舌先で蕾の皺を広げ、入り口をこじ開ける。
「はぁ、ぁ…」
 そこがふっくらと柔らかくなってくるまで、時間はかからない。初めて肌を重ねた時には、そこはもっと頑なだった。荻堂に抱かれることをあっさり受け入れた割には、意外なことだと思ったものだったが、「瀞霊廷に来て以来、こういうことをするのは初めてなので」と花太郎が言っていた。花太郎の身体が、荻堂に合わせて変りつつあるのは確かだった。
 しかし、荻堂の証が刻み込まれつつあるのは、まだ身体だけだ。
 杯の中では、薬が酒を吸い上げて、すっかり柔らかくふやけている。ぬめるそれを摘み上げて、花太郎の蕾にあてがった。
「…っ…ま、まってくださ…」
 冷たさに、花太郎が身震いした。自分の中に侵入しようとしているものに恐怖して、しきりに首を振り、身体をよじって逃げようとする。蕾は緊張して入り口を閉ざそうとした。しかし、不自由な体勢ではすべて無駄な抵抗だった。唾液と薬自身のぬめりによって、わずかな隙間からぬるりと異物が侵入し、ぞわっと花太郎の背に鳥肌が立った。荻堂は、人差し指の第二関節分まで薬を押し込んで、一度花太郎の身体を離した。
「少し時間がかかります。効き目を楽しみにしていてください」
「…どんな効き目でも、効き始める前に、取り除いて欲しいです」
 花太郎は正直だった。だが、その要望は聞き届けられない。
「あなたがこんな薬如きでうろたえるなんて、思いませんでした。楽しみです」
 荻堂もまた、自分の欲に正直だった。
「楽しくなんてなりませんよ」
 花太郎が首を振る。その表情は、恐怖と言うより困惑に近い。
「何でですか?いつもしていることと、大して違いませんよ」
「……それは…」
 花太郎は、脱ぎ捨てられた着物に顔を埋めて呟いた。説明できる言葉を捜しているようだ。
「どうして楽しくならないのか、試してみた方が早そうですね」
 荻堂は、花太郎を仰向けにする。縛られた腕によって背が反り返り、薄い胸板が持ち上がっている。
 緊張でこわばり、色づいた部分が既にしこりとなっていた。
 痛まぬように、柔らかく口に含むと、ひゅ、と短い呼気が聞こえた。敏感な身体だ。荻堂が初めて花太郎を抱いた時には既に、こうして愛撫を受けることを知っている身体だった。そして荻堂の行動を何もかも、許容し、飲み込んでしまう。
 しかし、この身体でさえ飲み込めないような、深い痕をつけられるかもしれない。
 内心、期待にはやる己を抑え込みながら、荻堂は小さな身体の全身に口付けを降らせ、指先で肌越しに骨格をなぞる。軽く歯を当て、唾液を塗してはくすぐるように吸い上げる。いつもに比べれば、柔らかくて弱い、子供のじゃれあい程度の愛撫だった。今は、薬の効き目を拒んでこわばっている身体を確かめることの方が愉しくてたまらない。薬が効き始めたとき、この身体がどんな風に変化するのだろう。ぎゅっとつぶっているまぶたに口付けて、さらりとした髪を指で梳く。
 貧相なだけに見える着物姿に隠された、しっとりときめ細かな肌も、しなやかな線をもつ骨格も、知っているのは荻堂だけだ。しかし、それすらまだ表面に過ぎない。
 もっと、奥へ。
 花太郎の中心が、緩やかな愛撫に反応しつつあった。細かく震えているそれを、荻堂はつっと指先でなぞった。
「…っ!!」
 その瞬間、びくっと花太郎の身体が大きく跳ねた。
「…効き始めてるみたいですね」
 返答は無かった。その代わり、花太郎がしっかり足を閉じ、ぎゅっと膝に力を込めたのが見て取れた。今反応した瞬間に、内側で薬が溶け崩れて、効き目が一気に強くなったに違いない。
「思ったより効くでしょう」
 尻の丸みを撫でると
「や…っ」
と花太郎が細い悲鳴を上げた。
 痒みと火照りが、花太郎の内側を侵食し始めているだろう。特に痒みは、これからどんどん増していくはずだ。
 息を詰めて少しでも薬の侵食を食い止めようとしている花太郎を、荻堂が放っておくはずはなかった。左胸の先端をきゅっとつままれて、花太郎が反射的に逃げ出そうと身をよじる。その結果無防備にさらすことになった右脇を、荻堂の舌がぬるりと辿った。
「ん、ふぁ、ぁ…っ」
 一度吐息を漏らしてしまえば、荒く浅い呼吸をこらえることが出来なくなっていた。は、は、は、とか細い音がのどからこぼれる。何とか整えようとした呼吸は口付けにかき乱され、膝の裏や背筋の皮膚の薄いところを絶え間なくくすぐるように撫でられる。過度の緊張故か薬の効果か、全身が異常に敏感になっているようだ。しなやかな身体は、軽く爪で引っかかれるだけで電流が走ったように痙攣した。
 荻堂が薬に侵されている部分を覗き込むと、ぎゅっと堅く閉じて痒みをこらえているようだった。しかし仙骨を撫でれば、全身の震えと同時にその入り口がうごめいて、花太郎が咽喉の奥で悲鳴を上げた。けれど愛撫の手を休めると、その部分がますます堅く収縮する。内部が蠢くと痒みが紛れてとろけるような快楽に変わり、それが引くと再び痒みが激しくなって襲ってくるのだ。
「…おぎどうさ…さ、わらないでくださ…」
「無駄ですよ。薬はもう中で崩れきってしまっているでしょう。後は効き目が切れるまでどうにもなりませんよ。我慢したって身体に毒です」
 荻堂は、肝心の性器付近をわざと避けて愛撫を続けていたが、花太郎の中心は既に反り返るほどに立ち上がり、先端から透明な蜜をこぼし始めていた。
「ほとんど触ってないのに、こっちはすっかりその気みたいですよ」
 いつもなら簡単に荻堂を迎え入れる両足が、今日は硬く閉じていた。太ももの隙間に溜まったものを掬い上げ、花太郎の唇に押し込む。
 荻堂は不思議そうに問いかける。
「別に、いつものようにしていればいいのに」
 いつもずっとはしたない姿をさらしているはずなのに、何を今更おびえるのかと。
 荻堂の言葉に、花太郎はぎゅっと閉じていた目をうっすら開いた。じんわりと涙を湛えた目は、虚ろに揺れた。唇に押し込まれた荻堂の指ついた自分の先走りを、大人しく舐め取りはじめる。そうしている間は、荻堂が愛撫の手を休めるからだ。
「…それ…は……」
 荻堂の指に舌を這わせながら答えようとしたが、言葉が続かない。
「んんんっ…は、…ぁ…」
 疼きをこらえかねて、花太郎は腰をくねらせる。荻堂の指先を塗らしていた物を舐め取り尽くしても、荻堂の手を封じるために、花太郎は舌を使い続けた。全身を上気させ、潤んだ花太郎の目が、すがるように見上げている。
「指以外のものを咥えて貰いたくなる眺めですね。…でも」
 花太郎は触れられないためにわざと口淫を誘っている。
 だから荻堂は、やにわに花太郎の唇から指を引き抜いた。花太郎をあお向けに転がし、ずっと閉じ合わせられていた両膝に手をかける。
「やあぁっ!?」
「今は、咥えてもらうより逆の方が楽しそうだ」
 言葉を聞くより先に荻堂の意図に気付いたらしく、花太郎は膝に力を込めた。しかし、元より腕力で敵わぬ相手に、自由を奪われ、薬に侵された身体で抵抗できるわけも無かった。荻堂はわざと力を加減して、じりじりと膝を押し開き、身体をその隙間に割り込ませていく。
「…っ…!」
 直接的な愛撫はほとんど受けていなかった中心部に、荻堂がふう、と息を吹きかける。
 花太郎は、陸に打ち上げられた魚のように跳ね上がり、激しく首を振った。
「…うあぁっ…!?」
 その姿は、どこを見られても穏やかに行為を受け止めていたいつもの花太郎とはかけ離れていた。立ち上がった花太郎自身は可憐に震え、後ろの蕾は疼きを紛らわそうと無意識に収斂している。薬に染み込んだ焼酎が、熱を煽っているはずだ。色素の薄い肌は上気して桃色に染まっていた。
 こんな艶姿を見せられて行為を中断出来る者などいるだろうか。
 かつて見たことのない花太郎の痴態が、荻堂を煽る。もう、ぬるい愛撫は止めだ。
 淡い色をした花太郎の花芯の下で、幼い形の袋が震えている。唇を近づけて吸い寄せると、弾力のある球体の感触が薄い袋ごと口内へ滑り込んだ。途端、逃れようとあがきだした両足を、両腕で押さえ込んで封じ込み、口内のものを舌の上で転がし、弄ぶ。
 肉付きの少ない胸がびくびくと躍る。呼吸もままならず、声にならない絶叫の断片が荻堂の鼓膜を刺激した。
 花芯に顔を擦り付けるようにして、唇で揉みしだくと、どっと量の増えた先走りが荻堂の顔を濡らした。思わずくすりと笑いがもれる。
「もう、今にでもいきそうだ」
 花太郎にはもう軽口に付き合う余裕はなく、必死で息を整えている。愛撫の合間に呼吸しなければ、窒息してしまいそうなのだろう。
 荻堂は、その呼吸が整わぬうちに今度は花芯を口に含んだ。舌で裏筋を抉るようにして一気にしごきあげると、花太郎の花芯がぐっと質量と硬度を増した。
「んはぁ…っあ、あうっ!」
 どく、とひときわ大きく脈打った瞬間、荻堂は花太郎自身から唇を離した。
「んん…っ!?」
 絶頂の直前に愛撫が止んで、吐き出し損ねた欲望に、花太郎は思考を奪われていた。
「んっ、う、ううっ」
 身をくねらせ、ぎりぎりまで追い詰められた後一歩を、無理やり自力で踏み出そうしている。しかし、その努力は無駄に終わった。
「痛ぅ…っ!?」
 荻堂が左手で花太郎自身の根元をきつく握り締めて、はけ口を奪ったからである。快楽から逃れる術を失った花太郎は、欲望に翻弄されながら一筋の涙を零す。
「いきたいでしょう?」
 返事はない。花太郎は、荻堂から顔を背けて、目を閉じている。荻堂の手で戒められているそれは今もはちきれんばかりに脈打ち、全身は燃える情欲に炙られうっすらと汗ばんで、浅い呼吸に波打つ肌が時折びくりと震える。理性も正気もかなぐり捨てて解放を求めたいはずだ。それでも花太郎は、下唇をかみ締めて無言を守ろうとしている。だが、逃げようともしない。荻堂が左手で血流が止まるほど握り締めてみても、ほんのわずかな苦痛の呻きが聞こえただけだった。
「…そうですか」
 荻堂の口から無意識にこぼれた言葉は、冷えて、乾いていた。
 押さえつけていた細い太ももから右手を離し、中指を薬に侵された部分にあてがう。すっかり溶けた薬が内部からあふれ出して、ぬるりとすべる。
「!!」
 ぱっと花太郎が目を見開いたのを確認してから、荻堂の指は一気に根元まで花太郎の内部に侵入した。薬のぬめりが指をらくらくと内部へ導く。
「は、あぁあああぁんっ!!」
 こらえようのない嬌声だった。
 花太郎の内部は、本来異物であるはずの荻堂の指を、待ちわびていたように歓迎した。花太郎自身の驚愕の表情とは裏腹に貪欲に蠢いて、痒みを紛らわせ欲望を満たそうと刺激を貪っている。荻堂も、そんな内部を悦ばせる術を心得て指をうごめかす。しかし、得た刺激が油となって欲望は更に燃え上がり、はけ口を奪われている状態の花太郎は身を焦がすしか道は無かった。
 しかし花太郎の意識が快楽に沈もうとした瞬間、今度は荻堂の指があっさりと引き抜かれてしまう。
「…っ、…!!」
 内部を満たすものを喪失した失望と、一度紛れた故に耐え難くなった痒みが襲ってくる。花太郎の瞳が、正気と狂気の狭間でちかちかと明滅した。次の瞬間、まるで涙腺が壊れたように、その目から涙が次々と雫となって零れ落ちた。
 すすり泣く花太郎の涙に唇を寄せて味わいながら、荻堂が囁く。
「随分、気持ちよさそうでしたね」
 花太郎は、揶揄の篭ったその言葉に反論出来ない。
「…荻堂さん…」
 熱に浮かされた声が、諦めのため息と共に吐き出された。
「…何ですか」
 ようやく、きた。
 荻堂は、花太郎の次の言葉を熱っぽい視線で待ち受けた。
 けれど、互いの吐息がかかるほどの距離で見つめた花太郎の瞳に浮かんでいるものは、荻堂の予想を裏切るものだった。
「ぼくを、許してください」
 花太郎の唇が、荻堂のそれに押し付けられた。驚きに荻堂が歯列を開くと、花太郎の舌が割り込んできて荻堂の舌を求め、吸い上げる。思わず荻堂は花太郎が求めるとおりに舌を絡めていた。
 互いの口内を愛撫する、濃厚な口付けが長く続く。
『ぼくを、許してください』
 それは、苦痛からの解放を請うものではない。理不尽な扱いを責めるものでもない。許しを請う、懺悔の言葉だった。
 違う。荻堂が花太郎の口から聴きたかったのはそんな言葉ではなかったはずだ。自分が満足できる言葉を聴くまでは、花太郎が完全に発狂しても追求の手を緩めるつもりなどなかったのだ。なのに、口付けるうちに脳髄がしびれて、荻堂自身の欲望が抑えきれなくなっていく。不甲斐無いと自分を叱咤しても、理性は脆く陥落していく。
 口付けながら、荻堂は自分の着物の帯を解き、自身をさらした。
 それはとっくに、硬く張り詰めていた。花太郎の痴態を間近にして、荻堂も既に限界近かったのだ。
「…自分で、入れて見せてください」
「…はい…」
 花太郎は大人しく頷いた。止まらぬ涙が、数滴頬から滴った。
 荻堂の左手は未だ花太郎自身を握り締めたままだ。腕を縛られたままの花太郎は、あごを荻堂の肩に預けることで身体を支え、二人で身を起こした。そして荻堂の膝にまたがって、ゆっくり腰を下ろしていく。もどかしげに狭間を荻堂の先端に擦り付け、やっと位置を見つけ出して腰を定めた。
 その瞬間花太郎が漏らした甘い吐息に、荻堂の背筋が震えた。先端は、侵入者を求めて蠢く花太郎の入り口に触れている。さっき指で侵入した瞬間、荻堂自身の理性も飛びそうになっていた。熱く絡みつく内部を、指ではなく自身で味わいたいという欲望に駆り立てられていた。もうすぐそれが叶うのだ。
 薬のぬめりは、指の時と同様に荻堂自身を花太郎の内部へ導いた。薬効成分のほとんどは既に粘膜に吸収されていたはずだが、荻堂自身にもかすかに刺激が及んだ。ゆっくりと亀頭まで納まったところで、肩に花太郎のあごが食い込んだ。花太郎の内部は、指の時以上に熱烈に歓声を上げて熱く脈打ち、入り口は逃すまいとするがごとく何度も荻堂を締め付けた。涙が、あごから荻堂の背を伝って、汗と混じっていく。
「ちゃんと、全部です」
 掠れ気味の声で促され、ぞくりと花太郎の肩に鳥肌が立った。花太郎が、さらに腰を下ろしていく。躊躇いがちだった動きは花太郎自身の欲望に後押しされて早まっていく。とうとう根元まで飲み込んでも、無意識に更に奥への刺激を求めて、荻堂に腰を押し付けてくねらせている。
「う…あ、んはぁっ」
 花太郎の肩越しに見えた動きは艶かしく、内部の動きはさらに扇情的だった。まるで男を悦ばせるために生まれた器官のように荻堂を愛撫する。
 しかし花太郎自身は、荻堂を迎え入れて味わうことだけに夢中だった。
「荻堂さ…お願、です、はや、はやくてを、も、もう」
 苦しげに、自身を戒めている手を緩めるよう懇願しながら腰を使っていた。内部に荻堂を飲み込んだまま身をうねらせて、盛んに粘膜をこすりつけている。はけ口を求めて渦巻く悦楽に翻弄され、びくびくと荻堂の膝の上で身悶えた。
「おねがい、です…んんんっ」
「いいでしょう」
 荻堂は、目の前にある耳にしゃぶりつきながら、花太郎自身を締め付けていた左手を緩め、花芯を柔らかく絡み付くように包み込む。
 それに知ってか知らずか、花太郎は荻堂の手に自身をこすりつけ始めた。内部はようやく戒めを解かれた喜びに従順に反応している。散々に焦らされていた身体が、絶頂へ達するまでは、あっという間だった。
「う、ああ………っ!!」
 咽喉は既に枯れているらしく、まともな悲鳴をあげることも出来ない様子だった。荻堂の左手に、何度も迸りを浴びせる。放出の後も、しばらく全身の痙攣はおさまらなかった。
 やがて待ち望んだ解放を終えて、ぐったりと荻堂の胸にしなだれかかる。
「いつもよりかなり多いな…」
 左手で花太郎の放ったものを弄びながら、ついそんな言葉が口をついて出た。花太郎には反応する余力も残っていないだろうが、これで終わらせるつもりなどない。結合部分は、まだ張り詰めたままの荻堂を飲み込んだまま、びくりびくりと脈動している。薬の効果は切れていないはずだ。そう思いながら、荻堂が右手で花太郎の腕の拘束を解いてやる。
 すると花太郎は荒い息も整わないうちに、解放された両手で荻堂の左手を捕まえ、粘液を自分の胸になすりつけさせた。
「……?」
 涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔が、荻堂をのぞきこんだ。快楽に浮かされた熱っぽい瞳だったが、どこか虚ろだった。
 花太郎は両手で荻堂の首にすがりつき、再び自ら腰を使い始めた。ようやく弛緩した直後で動きは弱弱しいが、腰を浮かせては沈め、入り口を絞り上げて荻堂を扱きながら、自分が放ったもののぬめりで薄い胸を擦り付けている。胸の先端のしこった感触が、何度も荻堂の胸板を往復した。
「ん、んんっ…」
「まだ足りないんですね」
 すがりついた花太郎が頷いて、汗で湿った髪が荻堂の頬をくすぐった。
「…ぼくも、全然満足していませんよ」
 座ったまま抱き合っている状態から、すがり付いている腕を解かせて、花太郎の背を畳に押し付ける。やり場を失った花太郎の両手が、下敷きになった着物を握り締めた。今度は荻堂が腰を使い始める。
 内部を力強く突き上げられる度、花太郎は身体をのけぞらせて悦びを顕わにした。枯れた咽喉は、かすれた呼吸を繰り返す位しか出来ないでいる。荻堂はそんな唇に吸い付いて呼吸を奪った。先ほど花太郎がしたように胸板を擦り付けて震える全身を味わう。
 唇と、胸の隙間と、結合部分からそれぞれの水音が響いて鼓膜を刺激した。
 溺れて、水を掻いている錯覚に陥る。
 荻堂が腰を使い花太郎の一番感じるところを刺激すると、花太郎の全身が悦んでざわめいた。その肌の躍動も、いつの間にか荻堂の背に回され、肩甲骨の辺りを何度もなぞる細い指先も、唇も内部も、すべてが荻堂に快楽を与え、更に欲望を煽る。
 錯覚以上に、溺れている。
「は…あっ…」
 荻堂の熱い迸りを内部で受け止めて、ぶるぶると花太郎が震えた。
 しかし、絶頂の名残を楽しむ時間さえ荻堂には惜しかった。一度は達した花太郎自身が兆しているのを認め、荻堂は体勢を代え、後ろから挿入する。膝に抱き上げて、胸の先端と花太郎自身をしごくと、花太郎の背筋が反り返り、うなじが荻堂の首筋にぴったりと押し付けられる。
 花太郎が、唇の動きだけで荻堂を呼んでいた。
「もっと、呼んでください」
 小さな唇が自分の名前を何度も辿る様に見とれて、そんなことをねだる。
 二人は幾度も身体を重ね、絶頂を求め続けた。

 まだ、夜明けまでは遠かった。
 布団も敷かぬまま、くしゃくしゃに乱れた着物の上で眠っていた荻堂は、ずるりと畳の上で何かを引きずる音に目を覚ました。全身にのしかかる疲労感に逆らわず、片目だけで音の元を探すと、青い月明かりの中、花太郎がろくに動かぬ身体を引きずっていた。
 荻堂以上に疲弊しているはずなのに、もう動けるのか。ぼんやりと思いながら白い肢体を目で追うと、文机にたどり着いた。爪切や耳掻きの入った小物入れに手を伸ばしている。その手が小物入れから取り出したのは、長い、銀色の針だった。
 その針の先端が、花太郎の髪の中へと隠れていく。
「っ!!」
 荻堂は、疲労を跳ね飛ばしてその手に飛びついていた。
 針を取り上げた時には既に遅く、花太郎の右耳から血が滴っていた。
「おきて、らっしゃったんですか」
「今目が覚めました。何のまねですか、これは」
「ごめんなさい…すぐ、ふさぎます…ねむってらっしゃるうちに、すませようと」
「そんなことじゃない」
 背中から、花太郎を抱きすくめて動きを封じる。
 荻堂の手の中で、針が折れ曲がった。
「すませるってどういうことですか。寝起きならぼくが飾りを見逃すと思いましたか」
「…いいえ」
「そうですよね。じゃあ起きるまでにふさぐつもりでしたか?」
「……」
「飾りをつけもせず、穴を開けるのは何故ですか。慣れたって、痛みが消えるわけではないでしょう。どうしてですか」
「…ごめんなさい」
「謝ってほしいわけじゃない」
「どうすれば…許してくれますか」
「教えてください。ぼくの質問に、答えてください」
「…自分でも、分からないんです。何となく、そうしたいだけなんです」
「どうしたら、そうせずにいられるんですか。今そうしたくなったのは、ぼくのせいですか。…何か、ぼくに出来ることはないんですか」
「…荻堂さんは、ぼくなんかに構って時間を無駄にしちゃいけません。だから放っておいてください」
「ぼくの都合なんかどうでもいい。今はあなたの話をしています」
「どうでもよくありません。ひどいことを、させました」
 『酷いこと』と『させた』の意味を理解するまで、しばしかかった。
「…今日、酷いことをしたのはぼくの都合です。何故それがあなたのせいなんですか」
 背中から抱きしめられたまま、花太郎は肩越しに荻堂を見上げた。
 乾いた涙の後にまみれた頬。何もかも押し流された後の瞳には、ただ諦めだけが残っていた。
「…いいえ。ぼくは、荻堂さんじゃなくても同じように身体を明け渡したでしょう」
 そうだろうとは、思っていた。相手が誰でも、飽きるまで好きにさせる。花太郎がそういう人なのだと言うことは、とっくに分かっていた。
「だから、荻堂さんが怒るのは当たり前なんです」
「ええ。腹を立てていました。でもそれは、あなたが誰でもいいと思っていたからじゃない」
 今現に、花太郎を抱いているのは自分。荻堂にとってはそれでよかった。しかし。
「あなたが、何も求めないことが、腹立たしいんです。こんな針で耳を突いて手に入るものなど何も無いのに、あなたは何がしたいんですか!?」
「…あなたは…、ぼくに構って時間を無駄に」
「それはさっき聞きました。時間の無駄だと思うなら教えてください。…いや、あなたが答えたくないなら、ぼくが当ててみましょうか」
 もやもやしていた疑問の答えが、今、荻堂には見えていた。
「あなたは、寂しいんだ」
 荻堂に抱かれながら、花太郎がいつも浮かべていた、そして今もその顔に浮かべている虚ろな表情の名は、多分孤独。
 花太郎は、否定しなかった。
「…そうです…ぼくは、ぼくの寂しさを紛らわせるためだけに、荻堂さんを拒みませんでした。けれど、荻堂さんの時間を犠牲にする資格もありません…」
「だから、ぼくがあなたに飽きるのを待っていたと」
「そう。全部ぼくの都合です」
「ええ。よく分かりました。あなたの身体なら誰でも容易く虜に出来る。でもあなたはそうしなかった。自分の身を針で突いて、何もかも痛みで戒めて封じて、ぼくがあなたに溺れないよう、あなたがぼくに溺れないよう耐えて、独りで孤独を紛らわせてきたんだ」
 言いながら、荻堂の腕に力が篭る。
「…もう、離してください」
「嫌です。ぼくはあなたから去る気はない」
「一時の気の迷いです。ほんのわずかな快楽に捕われたら、きっと後悔します」
「『恋は虚構』だとでもおっしゃるつもりですか?その意見ならぼくも大いに賛成です。恋なんて美しい響きのもの、存在しない。ここにあるのは、身体も孤独も丸ごと含めたあなたという存在に対する、独占欲と執着心です」
「どうか…それ以上、言わないでください」
 泣きそうな声で、花太郎が嘆願した。
「断ります。あなたが誰にも頼らず孤独を紛らわすために針を使うなら、ぼくはそれを奪います。あなたの孤独につけこめるなら、いくらでもつけこんであなたを独占します」
「荻堂さん…そんな、ぼくに都合のいい人にならないでください…」
「あなたの都合なんて知りません。ぼくの都合は、誰にも、あなたにも、邪魔はさせない」
 出血の止まっていない部分に、荻堂は舌を這わせた。
 流れ落ちた血をすべて飲み込み、針の傷を塞いでいく。
「は…ぁっ、荻堂、さん…」
 思わずこぼれたその名に、花太郎は両手で己の口を押さえた。左の人差し指に噛み付いて、それ以上の言葉が漏れるのを防ごうとしている。
 傷が消えた後も花太郎の耳朶を愛撫しながら、荻堂はその両手を無理やり解かせた。
「もっと、呼んでください」
 背中から抱きしめていた身体を自分の方に向かせ、荻堂は再び花太郎を抱きしめる。
 すすり泣く花太郎の震えが伝わってくる。
「荻堂さん…荻堂さん…」
 花太郎は、己を戒める手段を奪われて、ただひたすらに荻堂の名を呼んだ。
 ただ抱きしめあい、名を呼び、呼ばれることに、二人は溺れていた。
 互いの過去など知らない。未来の約束もしない。幸福も正解も知らない。
 今に溺れる二人の姿は、『虚構だとしても恋と呼ぶべき』光景と言えたかもしれない。
山月のはんこ

   こめんと
 久々に全力で18禁を書きました。ぬるいってことはないと思うんだけど、SEXだけ書いてても(書いてる私が)つまらないので、どうしても能書きが長くなります。あと、好きなキャラがあんまり登場してこないとか、登場してきても冷遇されてるとかいう状態だと、そのキャラを幸せにしてやってくれそうな人をひっつけたくなります。多分私が寂しいからでしょう。自他の分別が薄いみたいです。
 荻堂と花太郎みたいなのがくっついてもラブラブバカップルにはならないと思ってますけどね。少なくとも花太郎は仕事を放棄して恋に夢中になるには真面目すぎるんじゃないのかな?仕事中に気が散って失敗することはあるでしょうけど。一方荻堂も世渡りが巧そうなので、公私のペース配分を間違えることは絶対無いでしょうね。その辺は花太郎の体調も見越して襲いそうです。結果的に二人がカップルだということすら公にはならない。その分、公私の落差が異様に激しくて、公の姿からは想像も出来ないことになってそうだと思います。

其之陸へ