空の欠片/1


   断片1:帰るべき時
 イーファの樹の暴走が収まるまで待っても、ジタンは帰って来なかった。
 エーコやスタイナーのおじちゃんが、助けに行こうと言った。でも、ミコトが言うには、暴走は収まったとは言っても、イーファの樹は後数カ月は生き続けるだろうとのことだった。現に、近づけば大量の蔓が襲い掛かってくる。
 助けに行ったとして、無事に帰って来られるとは思えなかった。
「こんな状況で助けに行って、逆に私たちに何かあったら」
 おねえちゃんは言った。
「ジタンはきっと怒るわ。おまえらには他にやらなきゃいけないことがあるだろうって」
 そうだよ。今助けに行ったら、ジタンが一人で残った意味がなくなっちゃう。そう言ったら、みんながおねえちゃんとボクを驚いたような目で見た。
「おまえらが真っ先に『助けに行く』って言い出すと思ったんだがな」
 そう口に出したのはサラマンダーだったけど、皆同じこと思ったんだろう。
 もちろん、助けに行きたくないわけじゃない。きっとおねえちゃんだって、ものすごく我慢してる。でも、おねえちゃんはこれから、やらなくてはならないことがある。
「わたしが生まれたのはマダイン・サリだけど、アレクサンドリアも、わたしの故郷なの。母の遺したあの国を、守りたいの。責任に追われてじゃなくて、自分の意志でね。そう思えるのは、ジタンのおかげだわ」
 銀のペンダントを握り締めて、おねえちゃんは言った。
「…ジタンがいつ帰って来ても迎えてあげられるように、胸を張って会える自分でいられるように…そのために、わたしは帰るわ」
 ボクも、やりたいことがいっぱいある。みんなにも、やりたいことがあるはずだよね。
 だから、危険を冒すわけにはいかない。今は帰らなくちゃいけない。
 そうして、それぞれの行くべき道へ行くために、ボクらは別れた。

   断片2:提案
 黒魔道士の村に帰って来て、ボクはその足で288号さんに会いに行った。
 旅の間中誰にも言わないまま、ずっと考えていたことを、聞いてもらうために。
 288号さんは、ボクの考えを聞いて、ひどく驚いてた。
 あれこれとボクに質問をして、しばらく考え込んだ末に、288号さんはこう言った。
「……正直、積極的には賛成出来ないよ。協力を求めたら、皆も戸惑うと思う。でもね、君が言うとおり、これは今の僕らに必要なことだし、君にしか言い出すことが出来ないことだと思うよ。だから、そこまで考えたことなら、ちゃんと皆と相談してみるべきだ」
 みんなの前で話すときは、手伝ってあげるから。そう言って。
 決心を固めたボクは、次の日黒魔道士の皆を集めた。
 次の事を、みんなに提案するために。
 まず、村で二つのことの研究を、始めること。
 一つ目は、残った霧を凝縮して、あるいは霧なしで、新しい黒魔道士をつくる方法。
 二つ目は、黒魔道士の寿命を、延ばす方法。
 次に、そのために、みんなでお金を溜めて、村に船を買うこと。これは、村に研究に使う機材を運び込んだり、ダリ村やアレクサンドリアを訪ねるのに必要だから。
 最後に、研究のために必要な知識と、手に入れた船を整備したり操縦したりする技術を手に入れるため、村の何人かをリンドブルムへ留学させようということ。

   断片3:道
「みんな、よくそんな提案に同意したわね」
 驚いたようにエーコは言いながら、ていねいな手つきでお茶を差し出してくれた。正式なお茶会での作法なんだって。彼女は、シド大公との養子縁組の手続きが済んで、大公家の娘としての教育が始まったばかりだった。
「研究そのものは、賛成したと思うけど」
 うん。みんな、このまま村が寂しくなって行くのを黙って見ているのは、嫌だと思っていたはずだから。あがいてみても、罰は当たらないだろうって、みんな言ってくれた。
「でも問題は、留学のほうよ。だって、黒魔道士のみんなって、人間が苦手なんでしょ」
 ……ボクとミコトがレッドローズで帰って来た時、出迎えてくれた2・3人以外は、みんな家の中に隠れて出て来なかったことを、エーコも覚えていた。
『人間たちと向かい合おうとすると、使い捨ての矢でも見るみたいな目で見られてる気がして…自分なんかいてもいなくても、どうでもいいものみたいな気がして、怖くなってくるんだよ』
 そんなことを、言ってた子がいた。これでも、ジェノム達と暮らし始めて、随分良くなったんだけどね。
 それに。
「それにリンドブルムの人達って黒魔道士のこと、あんまり…よく思ってないでしょ」
 ……憎んでる人も、いると思うよ。
 リンドブルムは、黒魔道士の襲撃を受けた街だ。そのせいで、家や、仕事や…家族や友人を失った人達がいる。そんなところに行ったら、危険なめに遭うかも知れない。
 288号さんがはっきり賛成と言えなかったのも、このせいだった。『みんなが傷つくのは、見たくないんだよ』と言って。
 みんなも、留学の提案を聞いた時、ものすごく戸惑った。首を振ったり、傾げたり、そわそわしたり。そして、
『そんなとこに行くなんて、怖いよ』
と誰かが呟いたら、それきりしゅんと沈黙してしまった。
 体が重くなるような、身動きの取れない静けさが続いて。
 諦めたくなかったけど、みんなが怖がる気持ちも分かってた。襲撃直後のリンドブルムの人達のことを思い出すと、今でもボクは足がすくみそうになるから。正直、やっぱりボク一人でやるしかないのかもしれないと思ったくらいだ。
 でもその時、沈黙を破って、手を挙げた子がいた。
『僕が行く。リンドブルムへ行くよ』
 それは、クロネコ合成屋の192号さんだった。よっぽど思い切って言ったんだろう、すごく大きい声だった。
 それを聞いた途端、ばらばらと数人が『僕も行く』と手を挙げ出してくれて。
 駄目押したのは、その場にはいないはずだった人の、こんな言葉だった。
『それ、黒魔道士たちだけでやらなきゃいけないってことはないでしょ。ジェノムたちにだって、リンドブルムに行きたがる人はいるわよ。村の外の世界を見るいい機会だわ』
 それは、いつの間にかやってきて話を聞いていたミコトだった。
 黒魔道士の問題だから、ジェノム達に迷惑をかけちゃいけないと思って、ジェノムはその場に呼ばなかったのに。そう言ったらミコトは、『今更蚊帳の外ってこともないでしょう』と言って、そっぽを向いた。
 素っ気ない言葉だったけど、おかげでみんなが力づけられて。なんとか、やって見ようと言うことに漕ぎ着けたんだ。
「へぇ〜、あの仏頂面がね〜」
 ちょっとむっつりしながら、エーコはお茶をすすった。丁寧な手つきなのに、ずずずとわざとらしく音がした。
「でも、どうしてわざわざ中古の海洋艇なんか買うの?もうすぐ蒸気機関の量産が出来るようになるから、飛空艇もそんな高価じゃなくなるのに」
 お金を稼ぐって言っても、ボクらにはモンスターを倒すくらいしか方法がないもの。時間がかかっちゃう。それより、早く研究に取り掛かりたいんだ。
「だーかーらー、それならエーコが頼めばぴっかぴかの飛空艇だってもらえるってば」
 自慢げに言う彼女は、その髪の色を淡くしたみたいな色の、ふわふわしたスカートの部屋着を着てた。ヒルダ大公妃とシド大公に見立ててもらったばかりの、お気に入りなんだって。自慢げに笑ってエーコは言った。
「シド大公ったら、エーコにはてんで甘いんだから」
 そう出来たら、もちろん楽だと思うよ。でも、シド大公にはこれから、留学のためとか、いろんなことで協力してもらわなきゃいけないから、そこまではさすがに悪いもの。
「何よぅ、そんなのまとめて頼んであげるわよ。それともエーコじゃあてにならないとでも思ってるの!?」
 ぷうっとむくれられて、ボクは慌てて説明した。
 飛空艇をもらう訳にはいかないのは、この留学には勉強のための他にも、皆には説明していない目的があるからなんだよ。
 288号さんとミコトは知ってるんだけどね。
『それにしても、大胆なことを考えるのね。研究のためって言うのは、半分口実なんでしょう?本当はリンドブルムとの交流が目的なのね』
 話し合いが終わった後、ミコトに当然のように言われて、ボクびっくりしちゃった。思わず288号さんの方を振り向いたけど、彼はぶんぶん首を振った。誰からも聞いてないのにどうして分かったのって言ったら、ミコトは呆れたように、
『……分からないわけないでしょう。そうでもなければ、こんな大胆な方法を取るとは思えないもの』
とため息をついた。
 そう、留学のもう一つの目的は、少しでもリンドブルムの人達に、黒魔道士は敵じゃないって分かってもらうこと。そして、村のみんなにも、村の外の世界にだって、楽しいことはたくさんあるんだって知っておいてもらうこと。
 だってこのままじゃ、みんなこの村に閉じこもったままで終わってしまう。外の世界にも楽しいことや嬉しいことがあんなにいっぱいあるのに、それを知らないままでいるなんて。そんなの、ただ仲間が減っていくのを黙って眺めていることと同じくらいに、嫌だ。ううん、ただ眺めていることが出来ないから、したくない。
 次の黒魔道士が生まれるなら、彼らのために。
 寿命を延ばすことができるのなら、ボクら自身の未来のために。
 あの村の中だけでは手に入らないものを、手に入れられるように。
 この村に、そういう外へ通じる道をつくる、いいきっかけになるんじゃないかとも思ったんだ。
 そう説明したら、エーコはひどく不安そうに首をかしげた。
「……それってものすごく大変なんじゃない?」
 …そうだね。
 知らない世界に入るってことだもの。痛みを伴わない訳はないよね。
 ミコトなんてきっぱりこう言いきったくらいだ。
『あなたがつくろうとしている道は多分、半端な苦労じゃ完成しないわよ』
 ジェノム達は、黒魔道士の村という知らない世界に馴染むまで、随分戸惑っていた。ミコトはその姿をずっと見て来てたから。
『まして、私たちが黒魔道士の村に来た時とはわけが違うわ。あなたたちが入ろうとしてる世界は、あなたたちを拒もうとしてるのよ』
 …そりゃ、外の世界は楽しい事ばかりじゃない。いやな目にも遭うかもしれない。正直、時間もかかると思う…けど…。
 分かってもらえるかもしれない。
 そう思ったら、どうしても諦めたくなかったんだ。
 正直ちょっと、荒療治だなって思う。
 でも…今、残り少ない時間に怯えてみんな立ちすくんでしまっているけど。何か、ほんのちょっとでいいから、何か勇気を出すきっかけさえあれば、動き出せると思うんだ。
 エーコは、一応納得はしてくれたみたいだけど。
「……でもそれと飛空艇をもらえないのと、どう関係があるの?」
 それをどう説明しようかと首を傾げた時、こんな声が話に割り込んだ。
「それは、人々と交流する際の妨げになる可能性があるからじゃろう?」
「シド大公!」
 部屋に入ってきた大公の姿を見た途端、エーコは飛びあがるようにして背筋を伸ばして座りなおした。
 ボクもつられて姿勢を正すと、シド大公は笑いながら楽にするように言って、エーコの隣に腰をおろした。
「手紙は読ませてもらったよ。事情は了解した」
 そう言った大公に、エーコは遠慮がちに訊いた。
「でもおじさん、どうして飛空艇をもらうことが、邪魔になっちゃうの?」
「それはな、わしが直々に飛空艇を与えると言うことは、わしがその人物に非常に重きを置いていると言うことになるからじゃよ」
「だったら、町の人達もビビ達を邪険にしなくなるんじゃない?」
「そうは簡単にはいかぬ。わしの威を借りて人々の厚意を得ても、それはビビ殿らに対するものではなく、その後ろにいるわしに対してのものじゃろう。わしの威が、ビビ殿ら自身を人々の目から隠してしまうことになる」
 優しく教え諭すように、シド大公は続けた。
「それに、黒魔道士に対し快く思っていない人々に対しては、反発心をあおる結果になるかもしれん。エーコとて、人から命令されて誰かと仲良くするのはいやじゃろう?」
 そう訊かれて、エーコはこくんと頷いた。
「例え仲良くなれたとしても、そういうことは後々までしこりになるものじゃ。人の心は、そういう小さなこだわりに囚われやすいものなのじゃよ。ビビ殿も、そう思ったのじゃろう」
 その通りだった。ボク自身は何となくぼんやりそう感じていただけで、はっきり説明できるほど考えていた訳じゃないんだけど…。
 エーコは、シド大公の説明に納得はしたみたいだったけど、ひどく心配そうに言った。
「でも、学院に留学を申し込んだりするとか、そういうことのお手伝いなら、してもそんなに邪魔にはならないよね?おじさん、そう言うことは手伝ってあげるんだよね?」
 するとシド大公は、エーコの頭をぽんと撫でて答えた。
「もちろんじゃよ。留学の手続きや、船の購入の手配については、出来る限りの便宜を図るつもりじゃ。ビビ殿も、それを頼むつもりでここへ来たのじゃろう?」
 ボクが頷くと、エーコは身を乗り出して、シド大公に一生懸命言った。
「おじさん、ちゃんと手伝ってあげてね。エーコからもお願いするから」
「うむ。他ならぬエーコの友達の頼みじゃからな」
 その答えに、エーコは真っ赤になって俯いた。
 その後、勉強の時間が来たエーコと別れ、ボクはシド大公とオルベルタさんとで会議室へ行ってしばらく計画の大枠について話をした。
 そして細かいところはまた後日ということで帰ろうとした時、エーコがエアキャブ乗り場まで見送りに来てくれた。
「わざわざ街に宿を取ったの?お城に泊まればいいのに」
 一緒に来た192号さんが、お城じゃ怖くて落ち着けないって言うから。今日はバクーのおじちゃんに頼んで、タンタラスのアジトに泊めてもらうことにしたんだ。
「192号って、あのクロネコ合成屋の?288号かミコトと来たんだと思ってたのに」
 二人には村でやらなきゃならないことの方のことを頼んであるんだ。それに192号さんのことで、会いたい人が商業区にいるから。
「商業区に?」
 エーコは事情を聞きたがったけど、時間がないから今度説明するといって、ボクはエアキャブに乗った。
 エアキャブの窓ごしに、エーコの声が飛んできた。
「頑張ってね、ビビ」
 エーコもね。
 そう言ったら、エーコが変な顔をした。
 さっきエーコがすごくボクらのこと心配してくれたのは、ボクら黒魔道士と同じように、エーコも今、シド大公家という新しい世界に入ろうとしてるところで、戸惑ってるからだったんでしょ?。
 マダイン・サリのモリスンが言ってた。
『新しい家族となじめるかどうか、大公家という世界にふさわしい人間になれるかどうか…シド大公の養子に入ることを決断なさるまで、エーコ様は随分悩まれておりました』
 お作法の勉強や新しい服にはしゃいでるけど、心細いときほど明るく振る舞うのがエーコの癖だもん。きっとまだ、不安なんだよね。
『エーコに「お願い」されたのなど初めてじゃよ』
 シド大公は、嬉しそうにそう言ってた。
『養子縁組が済んでから、エーコがなんだかよそよそしくてのう。わがままひとつ言ってくれんのじゃよ』
 その部屋着だって、エーコが何にもおねだりしてくれないからって、無理にプレゼントしてくれたものなんだってね。
 不安だとは思うけど、シド大公、あんなに優しいじゃない。エーコのお父さんになろうと、頑張ってくれてるじゃない。
 だから、エーコも頑張って。
 「お父さん」って呼んであげられるように。ジタンが戻ってくるころには、家族として紹介できるようにね。
「あ、あんたに言われなくたって、分かってるわよっ」
 ムキになって怒るエーコに苦笑している時、エアキャブが発車した。

   断片4:約束
 ボクの提案が、何とか実現へ向かうことが出来たのは、192号さんおかげだ。
 会議の次の日、そのことでボクがお礼を言いに行くと、彼は首を振ってためらいがちに言った。
「あのね、僕……やっぱり勉強に参加するの、やめてもいいかな」
 聞いた瞬間、思わず血の気がひいて呆然としちゃったんだけど、192号さんは慌ててこう言った。
「違うんだよ、僕、リンドブルムには行きたいんだよ。……ただ、リンドブルムで他にやりたいことがあって…」
 ……やりたいことって?と聞いたら、192号さんはぼそぼそと言った。
「君、前にリンドブルムには、トーレスさんっていう有名な合成屋さんがいるって言ったでしょう?」
 うん。そうだけど……まさか。
「その時から、その合成屋さんの弟子入りしたいなって……32号君と話してたんだ」
 ボクは、しばらく言葉を失った。
 32号さんは、クロネコ合成屋のもう一人の店員で、192号さんの相棒で……そして、一番最近お墓の住人になった子だった。
 二人は、もうずっと前から合成の仕事が面白くて、もっと合成の勉強がしたいと思っていたんだって。そのためには誰かに教えてもらうのが一番なんだけど、村の中じゃ先生になってくれる人もいないし、かと言って村の外に出るのも怖いし。
 迷っているうちに、32号さんの体調がおかしくなってきて、合成屋さんの仕事も出来なくなってしまった。そして日が経つにつれ、どんどん弱って行って。
 ある日、32号さんはひどく悲しそうに言った。
『やっぱり、合成のお仕事してる時が一番楽しかったなあ。こんなことなら怖くても我慢して、リンドブルムに行ってみればよかった』
 すっかり笑わなくなってしまった32号さんに元気を出して欲しくて、192号さんはこう言ったんだって。
『じゃあ、元気になったら、僕とリンドブルムへトーレスさんに会いに行こう。今からだって遅くないよ。だから早く体を治そうよ、ね』
 そしたら、32号さんは嬉しそうに笑って言った。
『そうだね。まだ間に合うよね』
 お互い、治るわけないって、分かっていたんだけど。
 32号さんはそれからずっと、『リンドブルムに行くんだ』って、唱えるように言い続けたんだって。
『絶対、行くんだから。約束だよね。リンドブルムへ、行こうね』
 最期の、最期まで。
 彼にとっての「動き出すきっかけ」は、32号さんとの、約束だったんだ。
 話終わって彼は、こう言った。
「この留学の話って、本当はリンドブルムとの交流が目的なんだってね」
 どうしてそれを?驚いてそう聞いたら、彼は、会議の後のボクとミコトたちの話を立ち聞きしてしまったんだって答えた。
「ホントは、勉強の合間に会いに行くだけのつもりだったんだけど……もし、リンドブルムとの交流が目的なら、トーレスさんに弟子入りに行くんでもいいんじゃないかなって思って…」
 そして、思い切ったようにボクを真っすぐ見つめて、彼はこう言った。
「ねえ、お願いだよ。僕…32号君との約束を、果たしたいんだ……」

 そしてボクは192号さんを連れ、商業区に向かうエアキャブに乗っている。
「でも、あの合成屋のじいさんって、黒魔道士に手を焼かれたんスよね」
 そう言ったマーカスさんを、ぱかんとブランクさんが殴った。
「馬鹿、少し考えてモノ言え」
 そう言われてマーカスさんがぼそぼそと謝ったけど、ボクは首を振った。
 あの襲撃で、たくさんの人が傷ついたのは事実。かなり復興が進んだ今でも、襲撃で残った傷は、この町中に残ってる。タンタラスの皆や、シド大公はボクらに好意的に接してくれるけど、この町の人すべてが黒魔道士に快く接してくれるとは限らない。
 襲撃があってから、ボクはリンドブルムを歩く時、必ず深くフードを被っていた。そうしないと、危ない目に遭うかもしれないし、ジタン達までとばっちりを受ける可能性もあったから。
 でもこれからは、こそこそするわけには行かない。
 だから今日は、フードを被っていなかった。今のところ、危ない目には遭っていないけど、さっき、タンタラスのアジトに戻る時に乗ったエアキャブで、ずっとボクを睨んでる人がいた。そっちを向いたら、その人はふいっと視線をそらしてしまった…。
 商業区に行くのに、ブランクさんとマーカスさんがついて来てくれるのも、バクーのおじちゃんがこう言ってたからだ。
『なるべくなら一人では歩かねえ方がいい。もし一人で歩くなら、裏路地には入るな。日が暮れたら、一人でなくたって出歩くな。これは何もおまえらの身の安全のためだけじゃねえ。おまえらに攻撃する気がなくても、路地や夜道を黒魔道士が歩いてるってだけで脅えちまう奴もいる。それっくらいあの襲撃は傷に残ってんだ』
 バクーのおじちゃんは見たことないほど真剣な顔をしていた。
『シドの奴がボウズに協力してくれるのは、そういう連中の心に残った傷も、おまえらの実態を知ることでちったあ消せるかもしれねえと思ってるからさ。リンドブルムと交流したいと思ってるなら、おまえらは自分たちに敵意がないことを、慎重すぎる位に態度で示さなきゃならねえんだ』
 その言葉に頷きながらボクは、初めて黒魔道士の村を訪れたときの事を思い出した。人間を怖がる黒魔道士の皆に敵じゃないことを分かってもらうのに、ダガーのおねえちゃんはずいぶん苦労したんだ。
 同じように、黒魔道士のせいで仕事ができなくなってしまった合成屋さんに、黒魔道士が弟子入りするのは、難しいかもしれない。
 192号さんの気持ちに水をかけるようなことだって分かってたけど、あの日ボクははっきりそう言った。……ちゃんと知っててもらわないと、ただ彼が傷つくだけで終わってしまうかもしれないから。
 でも彼は、こう応えた。
『けど僕らも、敵じゃないって分かったら、ダガーさん達とも話せるようになったよ』
 ぎゅっと、両手を握り締めて。
『……君だって、ぶつかってみなきゃ分からないと思ったからあんな提案したんでしょ』
 そして今も、その時のように握り締めた両手を膝にぐっと押し付けて、192号さんはエアキャブのシートに座っている。
 そっとのぞき込むと、彼は首を振って、
「大丈夫」
と、短く言った。
 エアキャブから降りて、合成屋さんに向かう間中、ボクは必死で祈ってた。192号さんが、約束を果たせますように。彼の力になってあげられますように。
 フードを被っていなくても、周りの視線も気にならない位だった。合成屋さんまでの道程が、妙に長いような気がした。

   断片5:合成屋さん
「出てけ!」
 叫んだのは、トーレスさんの息子ウェインさんだ。
 店に入って来たボクらが、黒魔道士だと認めるや否やの言葉だった。
「また俺たちを襲いにきたのか?今度は黙ってやられたりしねえんだからな!」
 ボクらが何か言う暇も無く、息子さんはそうまくし立てて、顔を真っ赤にして鍛治用ハンマーを投げ付けて来た。危うく避けたところで、今度は鉄梃を握り締めてボクらに殴り掛かって来たものだから、ブランクさん達が慌てて割り込んでくれた。
「何だよブランク!おまえらこんな奴らの味方すんのか!」
「だから落ち着けって。こいつらは人を襲ったりしない奴らなんだよ」
「なんでそんなこと分かるんだよ!襲撃の時のこいつらを忘れたのかよ!」
「忘れるも何も、自分らその時アレクサンドリアにいたっス」
「なら俺がこいつらの本性を教えてやる!」
 直に憎しみを向けられて、192号さんが凍り付いてしまっていた。覚悟はしてたけど、こうして目の前にすると堪える。
 息子さんでさえこんなに怒るのに、トーレスさん本人はまともに話を聞いてくれるだろうか。
 でも。「やってみなければ分からない」んだ。しぼみかけた気持ちを奮い起こして、192号さんの前に出て、ボクは話を聞いてくれるようウェインさんに頼もうとした。
 けれど、完全に逆上してしまっているウェインさんには、逆効果だった。
「黙れ!そんな大人しげにしてたって誰がだまされるもんか」
 怒鳴り声に、後ろで192号さんがびくっと震える気配がした。
 どうしたら話を聞いてもらえるんだろう?ブランクさん達のとりなしも、ウェインさんの耳には届いていないみたいだった。
「こいつらはな、人を人とも思わないような破壊の仕方をして、人を傷つけやがるんだぞ!戦闘員だろうが非戦闘員だろうがおかまいなしだ、戦いにだって礼儀があるってことを全く無視しやがって!」
 そんな怒りの声を、192号さんはじっと俯いて受け止めていた。
 どうしたら良いのかおろおろしていたボクは、固く握り締めた彼の手が震えているのに気がついて、その顔を覗き込んだ。泣き出してしまうんじゃないかと心配になって。
 でも、その瞬間ボクは金縛りに合ったように動けなくなった。
 192号さんが、ゆっくりと顔を起こすと。
 …目が、完全に据わってる…。
 何と声をかけたらいいのか分からずにボクが固まっていると、192号さんはそっとボクを押しのけた。そして、ブランクさん達ともみ合いながら、まだ何か喚き散らしているウェインさんの方へ、つかつかと歩み寄った。
 そして。
「いいかげんにしろよな、コノヤロー!!」
 合成屋さんの中の時間が、一瞬止まった。
 ウェインさんが、怒気をはらんで息をついている192号さんを指差して、引きつったようにこう言った。
「ほ、ほれ見ろ、本性を現したじゃねーか」
 でも、その言葉を蹴り飛ばすようにして、192号さんは言い返した。
「君、失礼にもほどがあるぞ!誰が人を傷つけるなんてつまらないことするもんか!そんなことする時間があったら、合成のお仕事してる方がよっぽど楽しいのに!!」
 今度こそウェインさんは凍り付いてしまった。しかも、ブランクさん達まで巻き添えで192号さんの怒気にさらされて、引きつっている。
 ボクも目をむいていた。だって、192号さんが、ううん、黒魔道士の誰かがこんな風に本気で怒ってるのを見るのは、初めてだったんだもの。
 変な沈黙がお店の中に降りた。
 どう仲裁すればいいのか分からなくて、ボクがおろおろしていると、こんな声が沈黙を破った。
「なんじゃ、さっきから騒々しい」
 騒ぎを聞きつけて、店の奥から出てきたトーレスさんだった。
「親父!出て来るな!」
 ウェインさんが息を吹き返してトーレスさんに駆け寄ろうとしたけど、凍りついたままのブランクさん達に押さえつけられて、身動きがとれない。
 そして、店に入ってきたトーレスさんは、ボクらの姿を見つけて、ぴたりと立ち止まった。
 ボクはぎゅっと緊張したけれど、トーレスさんはウェインさんのように即座に「出てけ」とは言わなかった。そのかわり、まじまじとボクらを観察した。
 ウェインさんが、「とっとと帰れ!」と怒鳴っているのが聞こえたけれど、トーレスさんがじいっとボクらを見ているので、身動きがとれなかった。
 何を言われるんだろう?ボクは緊張しながら、トーレスさんの言葉を待っていた。
 でも。
 トーレスさんの言葉より先に、192号さんが動いた。
 だっとトーレスさんに駆け寄って、その足元に座り込んで、
「トーレスさん、僕を弟子入りさせてください!」
と土下座したのだ。
「ばっ…馬鹿言うな!誰のせいで親父が仕事を出来なくなったと思ってやがる!」
 ウェインさんの驚きの声も、192号さんには聞こえていないみたいだった。じっと土下座したまんま、トーレスさんの言葉を待っている。
 やっと我に返ったブランクさん達が、暴れるウェインさんを引き止めた。
「少し落ち着くっス。悪いようにはしないっスから」
「じいさん、そういうわけだから、ちょっと話を聞いてやってくれよ」
 トーレスさんは、ウェインさんとブランクさん達、ボク、土下座している192号さんを順番に眺めて、こう言った。
「奥で、話を聞こう」
「親父!?」
 驚愕するウェインさんをうるさげに見やって、トーレスさんはボクを指差した。
「大丈夫じゃ。ほれ、そこの小ちゃいのを見い。ジタンとか言う若造に連れられて、前からよくここに来ておったろう」
「え!?」
 ボクとウェインさんは、同時に驚きの声をあげた。
 『おじいさん、知ってたの?』って言ったら、ウェインさんは目を丸くした。
「お前、あのいっつもフード被ってた奴か!?」
 ためらいながらもボクが頷くと、ウェインさんはぽかんと口をあけた。
「何アホ面さらしとる。客人に椅子と茶、出しとけよ」
 トーレスさんはそう言って、192号さんだけを連れて、店の奥へ入った。
 扉を閉める前、192号さんはボクに目配せして、ひとつ頷いた。
 …そしてボクらは、しばらくの間店先で待たされた。
 ウェインさんは、ひどく複雑そうな顔で、しぶしぶながら言われた通りボクらに椅子とお茶をすすめてくれた。
 店の中には、さっきの張り詰めたような緊張した空気と言うよりは、何となくしらけたような沈黙が降りていた。
 何となく気まずいような気分でいると、ブランクさんがボクをつついて、
「ま、今は待つしかねえさ。ここはあいつ自身の試練なんだから」
そう言ってくれた。
 やがて、店の奥から戻ってきた192号さんは、ひどく気合の入った表情をして、待ち構えていたボクらに告げた。
「弟子入り、出来ることになったよ」

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山月のはんこ