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2006年1月26日
我が名はアブラクサス

 昨日、以前派遣された職場の同僚だった人に会いに行った。およそ一年半振りに顔を合わせ、ほんの数十分ではあったが、懐かしく雑談を交わした。以前彼女の前で2度、暴君になったことがある。彼女はそれをいたく気に入っていて今でも時々メールをくれる。こうして私が会いに行けたのは、彼女が思いをかけていてくれたからだ。その気持ちはとても嬉しい。けれども同じような機会は二度とやってこないような気がするのだった・・・

 渋谷へ向かう銀座線。車内には帰宅する人、人、人・・・。

 開演時間ぎりぎりで到着。よかったよかった。今日の晶君は一番手なのだ。すっきりと改装されて、よそ行き顔の7th Floor。軽い違和感。良く見ればこれまでの匂いも残っていた。そのわずかな匂いを頼りに腰を落ち着ける。・・・気がつけば空っ腹。何かオーダーしてみようか・・・

 ライブ中の事は上手く書けそうにない。

 晶君の後にはフリップサイドのHPで知った熊谷尚武(KUMACHI)さん、尾崎豊トリビュートで知った大森洋平さんを聴いた。二人とも腹の座った素晴しい唄い手だと思った。それでも、どうしようもなく魅かれるのはやっぱり晶君の唄だった。・・・それは好き嫌いのレベルを越えて胸を突く。

 踊る阿呆を楽しんで下さった皆様の思いを頂戴し、晶君から暴君の冠を有難く頂戴し、熱を失って醒めていく。見た目にどんな雰囲気を醸し出していたとしても自分の中には異なるものが同時に存在していて、それはいつでも本当であるし、嘘でもあるし、またそのどちらでもない。

 溶け残った雪は薄汚れて、今日を安堵して呼吸する。

 願わくはこれから晶君ファンがもっと増えて、新しいファンサイトが出来て、ファン交流の場が出来て・・・そして「愛でる会」が古臭く見えるようになってきてほしい。というのがカイチョウのひそかな希望である。


2006年1月22日
そして、呑気放亭で。

 朝から雪が降った。特別な日。

 初めての呑気放亭。久し振りのワンマンライブでもある呑気音礼ライブ。機材を挟んだ目の前に晶君とみきさんがいる。私が陣取った席はビッグマウスを凌ぐ、恐ろしいまでの至近距離だ。そこから押し寄せる音の世界に浸かる。なんて気持ちの良い空気だろう。
 ライブは途中休憩を挟んだ二部構成であった。合間には「ショウとミキのおまけコーナー」が。みんなで「上を向いて歩こう」を唄った。それから、初めて聴くみきさんの生唄。唄う姿は頭からかぶりつきたいくらい可愛らしく、その魂は身体を覆うように浮き上がって見えてきた。みきさんを見る晶君の眼。なんだか嬉しくてたまらない。
 第二部も上手く記憶に残ってくれないほどだった。最後に皆で「呑気放亭」を唄った。ライブ中ずっと何かが、そこかしこから溢れて店内を満たしていた。ような気がした。

 ライブ後の打ち上げでも何度か「呑気放亭」は唄われた。愛の唄だ。

 そんな中、笑う暴れん坊将軍は出現した。飲んで絡んで回って踊った。帰りの電車は気付いたら終点だった。でも今回将軍は反省しない。昨夜は本当に面白かったから。

 特別な夜だからこそ雪で嬉しい、きっと一生忘れないよとノブさんは言った。


2006年1月11日
レッツゴー想定外

 元旦に近所の神社で初詣をした。敷地内には鳥居とお社、幾つかの石碑。他に何もない小さな神社だ。それでもこの日は訪れる人が絶えない。これといって願う事もないので、後から来た人たちに順番を譲った。その人達が去ってから、ゆっくりと感謝と祈りを捧げ、あらたに精進と節制を心奥に誓った。この一年がどんな流れになっていくのか見当もつかない。が、日々『想定外』の波に揉まれていけたらいい。

 明日は
「BIG MOUTH」にて2006年初ライブ。しかし諸々の事情により欠席することにした。残念だが仕方ない。後日『傍ら日記』がアップされるのを楽しみに待つとしよう。次の呑気放亭は必ず。


2006年1月7日
タネアカシ

 昨年の春に思い付きで始めたライブスケッチ。実は前から密かに考えていた事だった。けれども実行にうつす事はなかった。以前、スケッチをするはずがデッサンになってしまって、一枚描くのに何時間もかかったことがあった。モデルになってくれた知人はきっと大変だったろう。完全に没頭するまでにはどうしようもなく時間がかかるし、没頭してしまったら途中で止められないのだ。本当は自分が底に行きつく様など恥ずかしくて人には見せられない。・・・しかし、何故か今回のライブスケッチは、上手く描けなくても未完成でもいいから、とりあえずやってみようと思った。

 それでもいざ蓋を開けてみれば、真っ白なスケッチブックに向かって「晶君を捉えたい」「ちゃんと完成したい」と気張ってしまう自分がいる。前半は毎度<得られぬ苦しみ>に身を灼いていたといっていい。あまりの画力のなさに情けなくなった瞬間数知れず。流れゆくものを意志の力で捉まえてどうにかできると考えるなんて思い上がりも甚だしい。なのに愚かな考えを自分ではどうしても止められないのだった。これも一つの流れと言えようか。流れは「BIG MOUTH」を久々に訪れた夜を境に、夏と共に去っていった。

 秋になり、絵は少しずつ私の元に降りて来てくれるようになった。長いこと息を詰めていたものが、ようやく普通に呼吸出来たような感じがした。あるいは記憶にないほどずっと以前から求め続けていたものに出会えた歓びのような。「描くこと」を意識しているうちは<得られぬ苦しみ>から逃れられなかった。なるほど、絵すらも自らの意志ではどうにもならないことだったか。

 近頃はいつもそんな風に流れている気がする。<得られぬ苦しみ>に身を灼いているうちは決して得られず、もう全部諦めて手放した途端すべてが舞い降りてくる。思えば昨年のライブは、良くも悪くも全て晶君が『生きている』ことを改めて知らされるものだった。その晶君を追っている自分もまた、流れの中に『生きている』と知った。良くも悪くも。タネはいつも同じところに。


2006年1月6日
ふたつの流体

 12月26日のライブは一年の集大成というより流れゆくもの、そのものが感じられるようなライブだった。晶君もみきさんも演奏しながらどんどん変化している。ような気がした。おそらくこの瞬間、この瞬間にも科学変化のようにそれは起こっているのだろう。目の前で。またとない「ライブ」の喜びを噛みしめる。2005年最後の最後になんと幸せなことだろう。

 この夜の事はみきさんも
「wasa-b's diary」に記している。みきさんの視点から見た晶君の佇まい。『呑気放亭』の話もある。これは必読。

 この一年の感謝を晶君に、みきさんに、そしてスタッフの方々に、大いに伝えたかった。でも私の「伝えたい思い」が具体的な言葉で存在するわけはなく、それは単なる「気分」だった。上手い言葉が出てこようはずもない。でもこの一年は本当にとても楽しく、面白かったのだ。絵も描けたし・・・それは晶君がライブを演ってくれたおかげであるし、みきさんの素晴しい演奏のおかげでもあるし、スタッフの方々によるバックアップのおかげでもあって・・・本当にもう「ありがとう」以外になんて言ったら良いのか分からない。


2006年1月2日
はつゆめ奇談

 とある百貨店で勤務を終えた。どうやら明日の人手が足りないらしく「明日も来れないか」と半ば強制的な声。しかし「別の予定があるので無理です」と答え、そのまま売場を後にしたサスライの派遣販売員(仮)ヒロ姉。従業員出入口の側には荷物の搬出入口があり、大きな大きなシャッターが、ゆっくり、ゆっくりと下りてくる。店の外にはこれから張り出す大きな壁面広告がワイヤーで吊り下げられていて、見上げると、大きな飛行船がビルの隙間にある空を覆い尽くして浮かんでいた。路地裏にはバイクが並んで道を塞いでいる。そして「大きな子供」がひとり。様々な形をした鍵の束を持っているがバイクの鍵がない。悪い大人に盗まれたのだ。そこへ一見怪し気な、しかし頼もしい黒い服の男が現われ、自分のバイクで送ろうと言う。バイクは黒光りする大きくて立派なもの。そして急勾配の山道。途中に川が流れている。ある理由でこの激しい流れを塞き止めなくてはならない。傍にいた女性らしき人が「この水は冷たいから塩を入れれば凍る」というので、塩を大量に投入する。みるみる下流まで凍っていく川。ふと見ると梯子に干してある沢山の手袋と靴下。皆から借り物だ。返さなくては。取り込もうとしてボトボト落とす。有名なアイドルグループのひとりが持っていたトランプのようなパズルを悩みながらも解き明かす。氷の川が溶けて少しずつ流れ始めていた・・・

 そこで目が醒めた。外は雨だった。


2006年1月1日
粛々と。

 あけましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしゅうに。

 明けても変わらず粛々と、
 山口晶の世界を愛でる一年の始まり始まりィ。


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