2012
12.24 Winter Solstice...

 もう三日過ぎてしまったが、冬至は自分にとって、クリスマスより特別な日。真冬のライディングでは、全身に気温の侵襲を受ける。

「今日より明日の方が日が長い。」

 これはメンタルにも大きく影響する。寒さはこれからが本番だが、半年先の夏至を意識し気分は右肩上がり。
 4日後に満ちる月を眺めたくなり外に出てみた。すでにかなり丸く、天頂より優雅に下界を見下ろしている。

「寒ければ寒いほど、月はきれいに見える。」

 周囲の寒さに反して、月の表面温度は100度を超えるという。手をかざしても暖かくはならないが、なんとなくほっこりする。ふと、先日会った友人との会話を思い出した。意識的に「ポジティブに考える」のではなく、「無意識下ですでにポジティブ」。ここ数日、ハイパーなストレスを受け続けているのだが・・・。

「つくづく幸せなヤツ。」

 夜中の駐車場で、独りニヤついた・・・。


12.16 Under The Flag of The Orange!!! #1

18年ぶりに学生フットボールの頂点、「甲子園ボウル」へ!

発端
・去年十数年振りにNFL(世界最高峰の全米プロフットボールリーグ)にハマった。
・母校、法政大学トマホークスが、3年ぶりに東日本を制した。
・フェイスブックで大学時代の仲間たちとつながった。
・同じく、フェイスブックでつながった大学の友人めぐみさんを呼びつけた。
 彼女とは、チームメイトカワダを介した合コンで知り合った。男子顔負けのとてもアクティブな女の子。一緒に長野、山梨の山中を夜中走り回った。最後に会ったのは96年ごろ新宿で。その後しばらくは年賀状のやり取りがあったが、10年以上音信普通だった。
 神戸に住む高校の友人宅(実家家族の体調不良のため突然キャンセル了解済み)に泊めてもらうことにし、前日バイクでの現地入りを決めていたのだが・・・。

 15日未明、下腹部痛で目が覚めた。そこは冷静に分析。一年に一度あるかないかの水様便も、熱発、嘔気なし。まったく同じものを食べた家族はまったく異常なし。これで噂の感染症ではないと考えられる。
 元々スタートは15:00前後を予定していたため経過観察。12:00過ぎに熱を測ってみると37.7度。終了間際のかかりつけ医に飛び込んだ。これは行くか行かないかの判断ではなく、行くことを前提とした対策。診断は風邪か、食あたり。今日いっぱい食事禁の指示を受け、点滴、抗生剤を貰い安静に。すでに雨が降り始めていた。
 17:00、これ以上遅くなると、めぐみさんにも神戸の友人にも迷惑がかかってしまう。広島-大阪間は20:00までずっと雨予報だが、車や新幹線に変更するつもりはない。
 さて出ようと言うとき、神戸からキャンセルが入った。家族ではなく本人の体調不良によるもの。この展開では神戸入りは非常に遅くなることが予想され、どちらにしても迷惑をかけそうだった。お互いお大事にというところ。
 すでに暗くなった高速は激しい雨が続く。ヘッドライトは付いているが、あの鹿児島からの帰路を思い出さずにはいられない。体調不良も相まって状況MAXネガティブ!それでも小谷、吉備、三木の3ストップで無事中国池田ICアウト。全行程雨が止むことはなかった。そして・・・。

「おーっ!!!」

 23:30、新大阪近く、東三国駅にあるホテルのエントランスにめぐみさんが現れた。


Under The Flag of The Orange!!! #2

 めぐみさんは良い歳の取り方をしていた。かつての健康ぽっちゃり娘から、スリムで理知的な美人に変わっていた。卒業後、彼女がずっと教師なのも要因の一つ。おそらく街ですれ違っても気付かないだろう。ここで説明する必要もないが、当時も彼女と付き合っていたわけではない。なんというか、性別を超えた、こちらのハード行程に付き合える数少ない友人。本当に良い意味で、男友達より男の付き合いだったのかも。(笑)
 90年6月、南アルプス。これまでの自分の人生の中で、最も死に近づいた瞬間。その一部始終を、彼女はすぐ後ろから、愛車スターレットで目撃した。今考えると、男女2人なのに2台で行ってるというのが当時の関係を象徴していて面白い。

※南アルプス事件:登山基地のある広河原付近、当時まだ未舗装だった林道を走行中、登り左コーナーの頂点でハイサイドを起こしてコントロール不能に。ガードレールのない、崖下20-30mある路肩に、前輪を二つとも落として停止した。

 時間はちょうど0:00になる頃、こちらは絶食中だし、ちょこっと入れるような店が見つからずウロウロ。24年前、真夜中の甲府、2人でガソリンスタンドを探して彷徨ったあの日を思い出した。結局いい場所が見つからず、彼女の取ったホテルのロビーに落ち着く。
 楽しかった若き日々の思い出と、空白の16年間の出来事を語り合った。アメリカンフットボール部のある都内強豪校での勤務経験があり、ルールや選手のリクルートにも精通、こちらが驚くほどの情報を持っている。趣味でもある手作りのケーキを頂いた。食べられるようになる明日朝まで取っておこう。
 さて、明日もあるため2:00前にお開き。明日11:30甲子園一塁側入口での再会を約束してエンジンをスタート、すぐに電話ボックスへ。電話帳にて近くの宿に電話してみるが・・・、掛けた3軒はすべていっぱい、4軒目は大丈夫だが週末で8,000円とのこと。

「たった数時間で8,000円。却下!」

 めぐみさんの情報によると、ルミナリエやミスチルのコンサートがあるため繁忙日らしい。

「体調最悪で食事禁、強い雨の中300km以上走ってきたんだった。せめて今日ぐらいは屋根のあるところに泊まった方がいいのだが・・・。腹減った!(笑)」

 普通の人と感覚が違うのは自覚している。5軒目に電話する気はさらさらなかった。

「野宿決定!」

 地図を開いて、甲子園球場近くの鳴尾浜臨海公園をピックアップ。大阪市内で迷ったりして4:00前公園着。テニスコートのベンチに横になった。zzz・・・。

※この間も書いたが、冬装備は気温一ケタ台前半、速度120km以上で2時間走れる想定をしている。よっぽどの強風が吹かない限り、止まった状態で外で寝ても問題ない。


Under The Flag of The Orange!!! #3

 2時間後の6:00ごろ目が覚めた。まだ真っ暗だが、近所にはマンションが建ち並んでおり、休日朝の散歩を楽しむ人たちが通る。これこそが自分の旅スタイルの醍醐味。非日常である旅先で、地元の人たちのなんでもない日常にタイムスリップする。ラジオ体操が始まった。リアルタイムで聞くのは何年ぶりだろ う。実行こそしなかったが、一緒に動きたい衝動にかられた。傍目にはただの不審者にしか見えないだろうが・・・。
 この場所には相部屋の仲間がいた。到着してすぐに現れた白茶のネコ。少し太めで栄養状態はよさそう。相部屋と言うのは間違いで、彼(彼女)のテリトリーにお邪魔させてもらっているという方が正しい。もちろんこちらが目が覚めてからもそばにいた。
 コイツ、微妙な距離感を持った面白いヤツ。近づいたり、目を合わせたりすると逃げるが、何もしていないと隣に来て自分のことをしている。老若男女、動物 も含めて対等に接するのが接遇ポリシー。お互い気にしない振りをしながら、観察し合っている感じが笑える。中でも面白かったのが、お股を舐めているときの後ろ足。ピンと真っ直ぐ立て、手はめちゃくちゃリキ入ったパー。ああいうオモチャあったよね。
 さて、腹減った。絶食指示が出る前に食べた前日昼間のうどんが最後。手元にはめぐみさんから貰ったブラウニーが。美味しく頂きました。
 7:00移動開始。目的地はすぐ近く、寝る前にピックアップしていた「鳴尾浜温泉・熊野の郷」。ツーリングマップルには、日祝のみ7:30オープンという素晴らしい情報が載っていた。

「お邪魔したね。」

 一晩付き合ってくれた白茶に別れを告げ、7:15「熊野の郷」到着。まだ時間にはなっていないが、すでに何人かの客が入っていく。

「最高〜!!!」

 体調不良から雨天走行の疲れ、汚れを排除。この施設、和歌山は新宮に本社を置く建機販売・レンタル会社の経営。行く機会の多い福岡筑紫野や佐賀大和、稲佐山(長崎)にもオープンしているらしく、要チェック。

「鳴尾浜温泉・熊野の郷」
http://www.kumano-no-sato.com/index2.html

 待ち合わせは11:30甲子園球場。必要な欲求を満たし、残るは追加の睡眠のみ。マッサージ機で身体をほぐし、休憩室で爆睡。

zzz・・・。

 10:00にアラーム起床。下部消化管の状態は完璧ではないが、公園とトータル4時間睡眠で80%復活!
 甲子園はすぐ近く、周辺をぐるぐると回り、球場のすぐ南にある「ららぽーと甲子園」の駐輪場に停めた。長蛇の列の車を尻目に、バイクの機動力が最大限に発揮される場面だ。めぐみさんとはすぐに合流できた。「ららぽーと」内、お腹に優しいうどんで腹ごしらえ。
 OB会のハガキを持ちチケット売り場に行くと、券とともにベースボールキャップをくれた。少し微妙なデザイン?そして、

「1塁側ブルペン横1番ゲート。薄暗い階段を登りきると、そこには眩しく光り輝くフィールドが広がっていた!」


Under The Flag of The Orange!!! Last Episode

 大好きな映画、「nuovo cinema paradiso(ニューシネマパラダイス)」のワンシーンを思い出した。サレヴァトーレ・ディ・ヴィータ(トト)が有名映画監督となり、恩師アルフレードの葬儀に参列する。そこには、かつて関わった人たちが、元気で、そして老いて存在していた・・・。

 最初に見つけたのがタニモトさん。自分のフットボールとの出会いは高校一年のとき。同じクラスに、広島市内でフットボール部を有する高校教員の息子がいた。そこで社会人チーム「広島AKライナス」を知り参加。タニモトさんは、ライナスのヘッドコーチであり、トマホークスが初めて甲子園を制した時のメンバーでもあった。それが縁で法政大学に進むことになる。
 めぐみさんと座席に座ると、いきなり胸にパンチしてくるおっさんが。ツキシマさん。大学を卒業し新卒で地元商社に入った。その会社の直属の上司であり、彼もまた法政初優勝時のメンバーだ。

「(髪が)真っ白ですね。」

「染めとるんよ。」

 昔と変わらず、ひねりの効いた返しをする。引き続きキョロキョロしていると、

「クボデラさんだ!」

 1年で入った当時の大先輩。相変わらず首をかしげている。それにしてもデカイ。100キロはゆうに超えてるだろう。絶対まともには当たりたくない。まさにリキ(同期で100キロオーバーの巨漢)クラス。見たような大先輩方とご一緒だった。
 試合前半は淡々と進む。ハーフタイムとなり知った顔探しに。現役選手の父兄や、知らない後輩たちが多い中。

「いたいた!」

 西やん、カズ、タツハラ(一つ下)、マエダ、ガラパ、ヤマザキ(二つ下)、スズエ(三つ下)、マツザカさん(一つ上)。なんとあっちゃん(現役当時のディフェンスコーチ)、その隣りにはカワダさん(三つ上)まで。それにしても広島勢多いな。あれから20年以上、それぞれ違う歳の取り方をしている。席に戻って後半スタート。

「行け〜青木〜。」

 爆笑!青木とは現トマホークス監督。自分たちが一年の時からコーチングスタッフとして頑張っている強力なアイデンティティの持ち主だ。それを呼び捨てで野次れるのは先ほどの大先輩方。
 ゲームの方は後半急展開。勝利を確信した数分後、予想もしない逆転劇の末惜敗した。
 個人的総評としては、キッキングゲームとタックルの甘さに尽きる。今どう練習しているかは知らないが、当時キックの練習は試合前少し合わせるだけ。自分はつぶしのセンターに入っていたが、好きじゃなかった。だって痛いんだもん。キッキングゲームは恐ろしくスピードが乗る。正面衝突の交通事故と変わりない。だから練習で実際にタックルすることは少ない。それに比べ、関学のパンター、ブロッカーはうまさが目立った。こちらが外しまくったフィールドゴールとは対照的。
 タックル。飛び込みやすれ違いが多く、ことごとくかわされた。もちろん相手のRB43番も強かったが、これは伝統的なものだろう。NFLのような、ファンブルを誘うボールストリッピングには程遠い。
 それにしてももったいないのひと言に尽きる。最後にうちを手玉に取ったQB18番がスターティングだったならもっとワンサイドなゲームになっていたはず。そう考えると、棚ボタのワンチャンスが指の間からすり抜けていった。まさにタックルをかわされるように。
 呆然として球場を後にしたが、辺りの異様さに笑ってしまった。坊主を含むバカでかい野郎どもの集団だらけ。暗い夜道で出会ったなら道を譲りたくなるだろう。もちろん自分もその一人ではあるのだが。
 チームナショナリズムとは不思議なものだ。生粋の西日本人でありながら、この時だけ東日本勢となる。アウェイの甲子園で団結し、会ったこともない後輩たちにエールを送る。力の限り握りしめたガッツポーズとともに、何度歓喜の声をあげたことか。テレビで見ていては絶対味わえない興奮。
 めぐみさん、同世代のチームメイトたち、大先輩方、また集まろう、オレンジの旗の下に!


12.9 Snow Flows...

 大雪だ〜!
 雪を見てると、時間を忘れてしまう。普段見ることの出来ない空気の流れ、よどみが見えるんだ。
 斜め、真っ直ぐ。秩序正しく、揃って落ちていく大多数。しかし、中には再び空に昇っていく少数派や、一瞬、空中静止しているヤツまで。

「あれはおれかな?笑」

 一人空に留まり、傍観者でありつつも、実は大きな空気の流れの一部でしかない。そして今、おだやかな陽の光とともにすべてが消え去ってしまった。

 さて、少数派の雪を探して、今年初のスノーライドに出てみますか・・・。



White,Blue,White...

 友だちを”作った”。笑

 送電線の鉄塔に登って、しばし下界を見下ろす。上に積もった雪がパラパラと落ち、鉄骨にぶつかって鉄琴のような音を立てる。
 「見上げる青い空」のメロディが浮かんで泣きそうになった。雪と青空と、真っ白な雲に感謝!


12.1 小杉Days...

 (アメリカン)フットボールを見なくなって久しい。母校の情報をチェックはしていたが、現役プレーヤーは、自分に子どもがいたなら完全に息子世代。身近には感じられなかった。
 ところが去年、ネット情報からグリーンベイ・パッカーズクォーターバック、アーロン・ロジャースの異常なQBレイティング(成績)を知りテレビに釘付け。ブロンコス、ティム・ティーボゥのプレイスタイルに、「それはないだろ?」と呆れながら夢中になった。
 さらにここ数週間、フェイスブックで大学時代のチームメイトとつながった。今でもフットボールに関心を持ち、プレーしているヤツさえいる。

「すごいな!ぶつかりすぎてパンチドランカーになるなよ。(笑)」

 20年来関東大学チャンピオン常連だった後輩たちだが、ここ数年戦国時代となり、常勝軍団ではなくなっている。しかし、明日の東日本優勝決定戦を制すれば、3年ぶりの甲子園(大学チャンピオン決定戦)に駒を進めそうだ。
 過去応援しに行った記録を見てみると、甲子園へは92年、94年の2回(まだ関わりのある後輩たちがいた。)、いちばん新しいのでも98年のライスボウル(東京ドームで社会人優勝チームとの日本一決定戦)で、あまりの昔に驚く。

「行ってみようかな?」

 タイトルの小杉というのは武蔵小杉。神奈川県川崎市、東急東横線とJR南武線が交差する駅だ。ここに、法政大学第二高等学校、第二中学校に併設して大学のグランドがあった。

「わが青春の日々、法政大学TOMAHAWKS。」

法政大学TOMAHAWKSオフィシャルサイト
http://www.tomahawks-football.com/

「それにしてもこの綺麗なブルーの人工芝は!(この春に出来たらしい。)」

「 グランド整備しなくていいの?」

「粗相の重要ファクターが減ったな。(笑)」

 1986年のある日、雨のあと整備が間に合わず、固まってガタガタのグランドになった。同期リーダーの本橋が副将の前さんに報告した。

「早くから来てやったんですが・・・。」

「過程じゃねぇんだよ、結果なんだよ!」

 社会で出れば当たり前のこと。結果が伴わない過程は意味を持たない。出来ない人間に権利を主張する資格はない。今でも自分のベースになっている。それにしても前さん、このときまだ22歳。あの時の4年生、来年50?シビレル〜。(笑)
 そもそも、4年生=神、3年生=平民、1-2年生奴隷というカースト制度の中で、下級生が主張する権限などなかったのだが。

「で、”ヤキ”ダッシュ!(ペナルティとして延々走らされる。)」

 雨の日、関東ローム層の粘土田んぼのようになったグランドに線を引くため、手で石灰をまいた苦労はもうないのか・・・。

「12/16、行ってみようかな?」

11

11.28 Cloudy Full Moon Theater...

 先週末から続いた県北ウィーク、奥田元宋・小由女美術館の犬塚勉展「純粋なる静寂」を再訪問してきた。
 日曜午後にも訪れたこの企画展だが、犬塚さん(故人)の描く世界、特に後期の作品に完全にシンクロしてしまい、初めて図録(画集)を買いたいと思った。しかしこの日は積載能力のないバイク。有力情報を仕入れてそのまま帰宅した。その情報と言うのは。

「満月の夜」

 ロビーからきれいな月が見える満月の夜、21:00まで開館を延長するという。さらに19:00からロビーコンサートも。図録を購入するため車での出撃が決定しており、「今日は夕飯担当だから。」と、一度は断られた詠子さんを口説き落として道連れに。(笑)
 18:07五日市ICイン。この日の天気はすでに日曜からチェックしており、現地三次では夕方から雨、最新の予報でも曇りとなっていた。しかし、ちょうど進行方向少し右に見える満月は完璧にクリア。

「着いても見れるかね?」

「見れるといいね!」

 コンサートまでもってくれるといいのだが・・・。
 いつものように、時間ギリギリに到着。カウンターでチケットを買っているときに一曲目がスタートした。

「ジャストだね!」

 その前にこちらは限界性尿失禁解消に。(笑)
 今夜担当した女性ソプラノシンガーの話によると、何度かここで歌わせてもらっているが、満月を見れたのは初めてという。そのうち雲が出てきて、月は出たり隠れたり。MCでは悲恋を歌った曲との説明もあり、なんとなく切ない気分に。(歌詞はイタリア語のためわからない。)
 今日はもちろん休日ではない。ルーティーンの日常をこなした後にある異空間は、一期一会をより強く感じさせる。コンサートが終わる頃、月は雲に隠れてしまった。(1月のメンバー発表もあり、暗黒時代の到来を予感させる。)
 さて、気分を換え、犬塚さんの作品をもう一度鑑賞。彼の作品は、なんでもない風景、何も主張していない一部分を、独自の観点から切り取って語らせるという感じ。いや、そのなんでもない瞬間の小さなささやきが、彼にだけ聴こえていたのかもしれない。かなりの影響を受けた。いつも見て感動してはいるが、カメラまで持ち出さないだろう瞬間に目を向けてみたくなった。
 無事図録購入。三次市内のインド料理店TAJ(タージ:広島にも支店あり。)で美味しい”ナン”をいただき帰路に。

「詠子さん、楽しい時間をありがとう。」

 ある日の1ページを共有してくれた彼女に感謝!

※写真は前日、庄原・備北丘陵公園のクリアな(満)月。

※今日放送のこころ旅は阿品台のZ坂(ぜっとざか)だって。知らなんだ。ロケは先週の週後半あたりかな?


11.27 一期一会

 この日曜、時間切れサスペンデッドになったウインターイルミネーションへ。(広島県北の街、庄原の備北丘陵公園で開催されている冬期イベント。)
 最初に誘ってくれたクリスティーンはテスト終了後で先約あり。えーこは子どもの世話があるため急には対応できず、み〜ことともちんには土壇場でフラレ、一人寂しく17:30スタート。
 と言いつつ、実は予定行動の一人で広島ICイン。しばらく走ったところで気が付いた。

「ガビ〜ン!」

 ラインが違う!五日市ICから中国道なのはわかっていたこと。広島ICに向かったこと自体ボーっとしていたことになる。仕方なく西条まで走ってR375で三次へ。
 意識してポジティブに考えようとしているのではない。起こったことが必然なのだ。ルートミスは導き?満月(厳密には明日。)が水のあるところで月の道を作る。もう一ヶ月経つのか・・・。
 初めて種子島へ降り立ち、島宿HOPEへ向かうあの夜を思い出した。ずっと高速を走っていたなら思いつかなかっただろう。ただ、決定的に違っているのは気温。なんと言うか・・・、「カキーン!」って音がする感じ?路肩温度計は今期最低-0℃を表示。もちろん着ているのは厳冬期装備だ。気温一ケタ台前半 (1~5℃)、120kmオーバーで2時間走れることを想定している。(そのくらいでちょうど給油が必要。0℃以下は凍結転倒の恐れがあるため走らないが、なってしまったものは仕方がない。)一般道に降りたため速度が落ち、若干体感温度はやさしくなるが、どうやせ我慢しても0℃でポカポカと言うわけにはいかない。19:30、限界性尿失禁寸前で目的地に滑り込んだ。(普通に高速で来ていれば19:00前には着いている。)
 記録を見てみると、前回ここに訪れたのはちょうどコスモス時期の04年10月以来8年ぶり。このイルミは初めて。平日の夜この時間、この田舎でこの人出。集客能力は十分だろう。焚き火が二ヶ所あり暖を取る。今この会場にいるすべての人の中で、最も焚き火を必要としているのはおれだろう!目の前には、ク リスマスソングと連動して光るメインツリー。

「今月はよく遊んでる・・・。」

 揺らめく焚き火の炎を見ながら思う。父親が死んだ。母親の衰えも目立つ。遊び、仕事、人との関わりだけでなく、日々起こることすべての事象に対して一期一会を感じる。正直なところ、ありきたりで使い古され、好きな言葉ではないが、これ以外思いつかない。

「出来ることは今やっておこう。次はないかもしれない。」

 辺りを見回すと、予想通りほとんどがカップル。幸せそうな家族連れ。負け惜しみではない。この中で微塵の寂しさも感じず、たった一人閉園ギリギリまで1時間半もほっこり出来るおじさんは他にいまい。もはやこれは特技のレベルにある。(笑)

「さあ、修行だ。」

 一生一度しかない2012年11月27日の夜。普通の一日を特別な一日に出来た喜びを感じつつ、氷点下の暗闇へ走り出した・・・。





「・・・。」

 無事家に帰るとなにやら小包が。

「島宿HOPE、安納芋」とある。

 開封してみると、小ぶりなさつまいも。

「あれか〜。」

 一ヶ月前のあの日、深夜23時にチェックインしたときお茶と一緒に出してくれたあの芋だ。調べてみると、安納芋(あんのういも)は紫芋と並んで種子島の特産らしい。

「デジャビュか?」

 さらに!この芋の名前を知ったのは今日が初めてではなかった。おとといの日曜、宇都井駅のINAKAイルミのお店で、安納芋のやきいもとあり。「安納芋ってどんな芋?」と思ったのを思い出した。(このときは買わなかった。)

「どんだけつながる〜?!」

 この文書くの一時間かかってます。いつも「今日こそFacebook書くのやめよ!」と思いつつ、感動的な出来事に、つい記録しておきたくなるのでした。

※HOPEさんへ。
 今日は遅いので明日(というか今日)電話します。バターケーキはトラブルレスキューのお礼なのに、そのまたお礼貰っちゃ意味ないです。(笑)
 すでに4つ焼いて、明日行くことになる三次ワインとともに至福のときを過ごしております。そろそろ寝ないと。では。

種子島「島宿HOPE」:http://shimayado-hope.com/


11.25 The Galaxy Express

 ダイジェストで。
 最初に三次の奥田元宋・小由女美術館(06年10月以来2度目)。目的は特別展、犬塚勉「純粋なる静寂」。
 文字に出来ない衝撃。これまでたくさんの美術館を訪れたが、初めて図録(画集)を買おうと思った。バイクに積めないサイズのため今週再訪予定。もう一度見たい。
 次の目的地、JR三江線宇都井(うづい)駅で行われているINAKAイルミ。宇都井駅は09年3月にたまたま通りがかり、そのロケーション驚いた駅。谷あいの小さな集落に高さ20mのコンクリート橋がかかり、その上に駅がある。ホームに出るには116段の階段を上らなければならず、エレベーターもついていない。鉄ちゃん(鉄道マニア)の間では天空の秘境駅として有名らしい。ここで23-25日開催されていたのがこのイベント。
 まだ明るい15:30に到着したが、人影も見当たらなかった以前と比べ、たくさんの人で大盛況だった。日に4本(上下合わせて8本)しかない列車が到着 したのがこの写真。(中央の太い支柱が階段。)期待以上の素晴らしいイベント。会場内にはイルミマンと名付けられた電飾人間(6-7人いた。)が、ウロウロしたり、パフォーマンスしたり・・・。ただ動いてるだけで目立つ。
 また、ここへいたる道中はまさに「元宋の赤」。紅葉の季節がリンクしてる。国道を避け、川沿いの県道を選択したのも正解だった。
 このまま備北丘陵公園で行われているウインターイルミネーションに向かうつもりだったが、三次に戻った時点で19:15。入場は20:00までで間に合わなくもなかったが、期間も十分に残っており、美術館再訪も考えると無理をしなくても良いと判断。帰路に。
 帰りの小ネタ。今日は思ったより気温が高く、路肩温度計の最低気温は7度。それでも軽度オーバークール(エンジン冷えすぎ)の症状が出たため、持参の風 除けダンボールをエンジンの前に挟んだ。気温一ケタ台で信号がなく、止まることのないの山間部は問題なし。市内に入ると明らかに暖かくなり、気にして見ていると、八木のトイザラス前の信号待ちで煙を上げて燃え始めた。(笑)
 慌ててグローブを取って火を消し、すぐにバス停に退避。去年も一度同様の事件が。空冷エンジン、いや、トリッカーってみんなそうなの?


11.23 Air: 13th Anniversary !

 22:00ころ、いつものように宮島SA(高速一区間の気分転換)に出たが、今日はなんとなく違う気分。中国道・安佐SAを目指した。先ほど1:00帰宅。戻ってみると走行94km。家から福山行くくらい走ってた。

「空いてる〜!」

 やっぱり中国道はガラガラ。ピンと張りつめた空気が気持ちいい。

「それにしても暗い。」

 この間の鹿児島の帰りを思い出した。明るいということは素晴らしいことだ。そもそもZX-10Rというマシン。夜快走するようにはできておらず、圧倒的に光量が足りない。考えてみれば、これまでずっと乗ってきた2ストオフロードバイクもすごい暗さ。実は暗い中での走りに慣れていたのかもしれない。その分夜の灯りが強調され、西広島バイパスなどはまさに「グランツーリスモ」(PSドライビングシュミレーションゲーム)の世界だ。
 安佐SAでのカフェタイム(ETC深夜割引のため1時間以上いた。)では二つの有力情報が。奥田元宋・小由女美術館の特別展「犬塚勉展」と備北丘陵公園のウインターイルミネーションの広報パンフレット。イルミは月・火・水終わってからでも間に合いそう。近日計画!

 で本題。1999年11月23日に開設した自分のサイトが13周年、14年目に突入した。今はもうどんな記念日も一緒。無事に走り続けているだけで幸せであることこの上ない。
 ヒストリーを見返してみると、色々な光景が思い出される。特にこの二年は試験だの実習だのタイトなスケジュールもおかまいなしに出歩いたため、日曜の夜はいつも徹夜だったが、これがあるからハイパーストレスを受け流せた。そもそも青空の休日に何の意味もない教科書丸写し作業など人生の無駄!
 サイトは自分記録だ。そこには「アセスメント」も「プラン」も存在しない。あるのは「何を見て、何を感じたか?」だけ。予測された未来は楽しくない・・・。

 初めて相互リンクしてもらったのが沖縄のあゆさん。写真店店員から今やスタジオフォトグラファーに。そして2人の子を持つお母さん。その友人OOMIさんもお母さん。
 トシコがうちのサイトにメールくれたのがジャスト10年前の02年12月2日。19歳の美大生がコマーシャルフォトグラファーになり、やはりお母さんになった。時間ってすごい。
 脇っきーが生まれる3日前、山梨の山の中でテントキャンプをしていた。10年後、彼女もお母さんになってるに違いない。
膨大なうちのテキストを一気読みしたウエハラ。彼女の今後は読めないが(褒め言葉)、10年後も鼻と口に割り箸を立ててると嬉しい。その彼女がうちの旅履歴を読んで放ったひと言。

「実習中も勉強してないしてない言よったけど、ほんまに遊びよったんじゃねぇ。」

 そのツケなのか、今日も仕事でボコボコにされたが・・・、真っ暗なコーナーの先を追い続けているうちに、すっかり忘れてしまった。


11.18 キヨーレオピン

 おととい計画していた湧永庭園へ今日13:30スタート。正式には「湧永満之(まんじ)記念庭園」と呼ぶらしい。主力商品は言わずと知れた「キヨーレオピン」。サイトに載っていた他の商品はあまり聞いたことがない。
 昨日の激しい雨で葉はかなり落ちていたが、手入れの行き届いた大庭園が無料開放されているのには驚き。今年の公開は今日まで。早い時間から誰かと一緒に来たなら穏やかな時間が過ごせそう。
 16:00前リスタート。中途半端な時間でカドーレに寄ってジェラートでもと、向 原方面に向かって走り出したが・・・。
 久しぶりにすごい廃屋と出会った。庭には軽トラとVWゴルフが朽ち果て、内部にはPEARLのドラムセットが。オルガンもあったりして音楽一家だったのかも。近所に一軒も家はなく、どんな大音量で練習しても大丈夫。
 確認できたいちばん新しい記録物は03年の新聞だったが、無人になったのがその時か、それ以前なのかは判別できなかった。軒の崩れ方はかなりのもの。かつての住人がたまに来てる気配もあり。とにかく、「ドラムとゴルフの家」は強く印象に残った。写真はこの家への私道。ふかふかの落ち葉カーペットがめちゃキレイ。
 先々月立ち寄った「論山堤」にも寄ってみた。古くからある治水用のため池で、水争いを解消するために話し合ったのが名前の由来とか。日は落ち、薄暗い中周囲を散策していると、いきなりマディセクションにはまり込み抜け出すのにひと苦労。(笑)ブーツ、オーバーパンツの裾まで泥だらけになったが、良い運動になった。
 帰りは路肩温度計5℃。さらに今年初軽度オーバークール(空冷エンジンの冷えすぎ。)の症状が。またダンボール挟む季節。(エンジンに風を当てないようにする。)今年の紅葉ツアーは終わり!佐賀行けなかったので近々テント泊もしたい。冬が来たね。


11.16 One Life...

 昨日津和野に行く途中、深谷大橋を過ぎた道の真ん中でテンが息絶えていた。おそらく輪禍にあったのだろうが、内臓は飛び出ておらずきれい。
 気持ち悪いというなかれ。人間が勝手に作ったわずか3.5mの道路を、野生動物は命懸けで渡っているという現実。プラスマイナス一秒の差で何事もなく通り過ぎていたに違いない。
 すでに不可逆的状況にあるが、バイスタンダー、善きサマリア人の法が頭に浮かんだ。彼とはなんの関わりもないが、このままではミンチになるのは時間の問題。かといって素手で触れば無駄な感染リスクを負う。近くに生えていた雑草の葉を何枚も重ね、尻尾を持って路肩の土の部分へ。前にも山鳥に同じことをした覚えがある。Rest in Peace.土に返れ・・・。


11.16 Autumn of My Life...

 長い間旅を続けていると、ただ走っているだけでは楽しみを見い出せなくなる。しかし、桜や紅葉、雪など、自然が個性を主張する時期なら話は別。
 真紅に燃え上がるもみじ。逆光を受け、黄金色に光り輝くススキ。暖かい照り返しの直線道路では、ゆっくりと流れる雲が、路面にマーブルの影を落とす。

「なごむわ〜。」

 道路脇では、ばあちゃんが落葉を燃やしている。

「♪焚き火だ、焚き火だ、落葉焚き〜。♪」

 ふと、自分のライフステージに考えが及んだ。

「一生を一年に例えると、おれって何月?」

 日常生活においては特に、易疲労性や回復の遅延を感じることはないが、20-30代と同じペースで動いていたら、いつか破綻が来る実感はある。若干の記名力低下はあるが、それが老化によるものかはまだ判断がつかない。
 そうと遠くないうちに来る自分の紅葉、落陽を意識しながら、微妙な気温の低下に気付く。それでいてまだ木々は青く、夏の暑さの余韻を残す時期。今年なら10月前半というところか?今がいちばん良い時なのかもしれない。

 さて今日は、まず津和野ポンム・スフレ(16回目)。08年より3ヶ月定期で通っているカフェレストラン。今回は半年も間があいてしまったが、その間にFacebookでのつながりもできた。スペシャルパスタランチ(デザート付)をオーダーしたのに、さらにケーキも頼んでしまった。津和野行くならぜひ!
 今年初めての雪(遠くの山頂の冠雪)が見れたし、津和野中心部でもみぞれが降ったらしい。
 暫定計画では反転して甲立の湧永庭園を目指すつもりだったが、津和野周辺も素晴らしい紅葉だし、時間的にも難しいのでさらに西へ。初めての阿武川温泉に立ち寄る。露天風呂の空が広い。(湧永庭園は日曜に。)
 おまけで寄った「一升谷の石畳」が実は一番印象に残った。いにしえの街道「萩往還」の一部で、いつ作られたのかもわからない石畳が残る。移動手段は徒歩しかない時代、たくさんの人が通っていたとは想像できない。追いはぎとか山賊とか出そう。
 明治の初め、ここで自害した藩士の説明書きあり。官軍は山口県庁軍とな。県庁が軍隊持ってるのか?!

 写真は石畳の地面に落ちていた葉っぱ。


11.7
 薩摩半島最南端、長崎鼻の入口。鰹のたたき定食を食べた食堂の庭にあったガジュマル。花言葉は健康だそう。
 立派なガジュマルですぐ思い出すのは、佐多岬のトンネル入口、南大東島秘密の洞窟入口、あと久高島のなんでもない道の途中。根はものすごいテンションで張っていて、今ウィキで調べてみると、絞め殺しの木という別名もあるらしい。納得。
 この木の中には、飛行石が埋まっていて、「バルス!」と唱えると天にのぼっていくんだよ。


11.2-5 HOPE

 初めての休み希望を出して取った11.3-4の二連休。偶然にも2日に休みが付いての三連休は4月以降二度目の快挙。久しぶりにテントでのバルーンと期待は膨らんだ。しかし早々に目的を失い落胆。バルーンは去年で一区切りつけようと思っていたが、行けば期待を裏切らないこともわかっている。それを絡めたプランは?
 薩摩半島、種子島、口永良部、竹島、黒島、甑島。千野さんたちに会いたく東京や、佐渡も浮かんだが現実的でない。暫定で種子島、その戻りのバルーン、余裕あれば臼杵でスタートした。

Day 1
 この日の仕事はとてもきつく、21時より3時間ほど仮眠を取り、深夜1時半スタート。着替えは一日のみ、寝袋はなし。二日前より急に寒くなったが、野宿できない気温ではない。そもそも、かなりの時速で長時間走っても耐えられる装備は、止まれば寝袋に匹敵する。ネックウォーマーで、直接外気を吸い込むのを防げば、気温一ケタ台でもそのまま寝れる。実際、それで風邪を引いたこともなく、ましてや凍死などない。真冬仕様で走り出した最低気温は4度を示し、そこそこの寒さ。
 とりあえずの目標は3日朝8:40鹿児島南埠頭、種子島・西之表行きフェリー。美東、古賀、北熊本、宮原の4ストップで、予定通り8時ちょうどに港に到着したが、乗るはずの「プリンセスわかさ」は、荷物がたくさんあり乗船できないという。もともと流動的なプラン。再構築するため港の東屋に落ち着いたのだが・・・。
 真正面に桜島、目の前には沖縄航路の「クイーンコーラルプラス」と、「フェリーみしま」。「フェリーとしま」は出払っているが、思い入れのある発着場がずらりと並ぶ光景には自然と頬が緩む。「わかさ」と「みしま」を見送り、1時間ほどゆっくりした。
 さて、船に乗れなかったことは、逆に心に火をつけた。夕方発の別会社、「はいびすかす」をリサーチ。予約なくとも乗れることを確認し、有料の指宿スカイラインに入った。実は、薩摩半島の鹿児島市以南を走ったことがない。
 このような有料観光道路に入ることは珍しい。全線展望がいいというわけではないが、適度なコーナーとアップダウンがあり、なにより空いている。すぐに池田湖畔まで到着してしまった。ここで食べた紫いもソフトクリームはなかなかの美味。
 JR開聞駅近くのGSで給油と情報収集。開聞岳登山は片道2時間ほどかかるらしい。駅によってみると、電車待ちの男子学生が一人。電車が来るなら見ていこうと次の便を尋ねると、なんと1時間半後。大変なところだと思ったが、すぐに考え直した。それがこの場所の時間なのだ。
 開聞山麓ふれあい公園を通り抜け、開聞岳をぐるりと一周する道に出た。ここは九州の友人たちのブログで何度も紹介されているが、もちろん通るのは初めて。最後のトンネルは本当に面白い。でも、もっとすごい光景は海上にあった。

「硫黄島だ!」

 かつて、素晴らしい出会いを与えてくれた島。いつか必ず再訪することになるであろう活火山島は、その荒々しい姿をシルエットに変えていた。両サイドには、未踏の竹島、黒島。時間を忘れて眺め続けた。朝見送ったフェリーみしまも、今見えているどこかにいるのだろう。
 ついでに寄った長崎鼻では、駐車場に大きなガジュマルが立っている食堂で、鰹のたたき定食を注文。おいしかったが、少し接客に問題あり。
 ソロとしては珍しく、ストップアンドゴーの旅が続く。次に複合レジャー施設「ヘルシーランド」の大露天風呂、「たまて箱の湯」に入った。何の情報もなく立ち寄った温泉だったが、予想に反して驚きの絶景。屋根のない広々とした湯船の眼前には錦江湾が広がり、小ぶりながら、荒々しい地層がむき出しの竹山、開聞岳も見える。さらに、すぐ近くの海に浮かぶ岩に目が釘付けになった。

「孀婦岩?(そうふいわ)」

 受付で聞いてみると、「俣川州(またごし)」という名前らしく、ツーリングマップルにも載っている。温泉からは切り立った立神に見えるが、海上から見ると二つのピークの間に侵食された穴があり、円月島のような形をしているとも。陸地からの別アングルが見たくなり、竹山を回りこんだ森に入った。辺り一帯は、若干廃墟チックな別荘地になっていて、敷地内に白馬のいるありえない豪邸に出会ったりととても面白い。
 結局、円月島アングルは見れなかったが、温泉側より近くで見ることが出来た。

「そろそろか・・・。」

 18:00発、種子島・西之表行きのフェリーが出る、七ツ島の谷山港に向かった。
 出港1時間前に無事到着。フェリー「はいびすかす」は、ほぼ貨物船といえる小さな船。気になるのは屋久島との運賃の差。二等旅客運賃は約3,000円と変わりないが、バイク(750cc以上)が種子島6,600円に対し、屋久島3,600円と倍近い。距離は屋久島の方が遠いのになぜ。これは朝の問い合わせの段階で疑問に思い、回答を得ていた。屋久島航路は競合との絡みとのこと。つまり、種子島へ行く人は少ないということか。
 さらに、朝乗れなかったフェリー「プリンセスわかさ」は搭乗者込みで7,200円。「はいびすかす」(9,600円)は、なおさら高く感じる。運賃も含め、違う船に乗ってみたくて、日曜帰り便は「わかさ」を予約した。
 次に今夜泊まる場所。先に書いたとおり、野宿が第一選択。しかし、島の情報が得られる宿の宿泊も捨てがたく、事前に気になる数件をピックアップしていた。その中で最も心ひかれたのが「島宿 HOPE(http://shimayado-hope.com/)」。オープンは先月という新しさに加え、マングローブの自生する入江が目の前にあるという。乗船後、デッキに出てコールしてみた。

「一人なんですけど明日、部屋取れますか?」

「大丈夫です。お食事はどうされますか?」

 応対がやわらかいのでこの瞬間に決めた。

「二食付きでお願いします。」

 さらにひらめいた。

「22:00前に島に着くんですけど素泊まり出来ますか?」

「港から1時間くらいにかかるので気をつけて来てください。」

 素晴らしい!夕方便になったことで、すでに帰りの佐賀バルーンは却下。休みぎりぎりの日曜まで二泊二日滞在することを考えていた。そうなると、同じ宿に二連泊することで、そこを起点に軽装備で外出できる。何より、連泊してみたいと思わせる何かを感じた。島での段取りも確定し、長距離移動と睡眠不足からすぐに爆睡。(といっても3時間弱。)

 目が覚め、デッキに出てみると、すでに西之表の街の明かりが見えている。ふと左に目をやると、

「月の道だ・・・。」

 すでに満月は三日ほど過ぎていたが、まだまだ明るく丸い月に向かって、波光きらめく光の道がのびている。

「楽しい旅になりそうだ。」

 到着直前、隣りにいた女の人と少し話をした。仕事で一泊の滞在で、なんと息子さんが広島のマツダで働いているらしい。飴を二ついただいた。なんでもないこんなひと時が大好き。
 無事上陸。先ほどの月と、満天の星が行き先を照らし、信号で止まることなく走り続ける。真っ暗で何も見えないが、右の海には屋久島を感じる。この気持ちをどう表現すればいいのだろう。街灯もなく、初めて走る夜道を駆け抜ける高揚感は交感神経。そして、まるで宇宙空間を走っているかのような充足感は副交感神経。その両方が同時に優位に立ち、絶妙のバランスで拮抗している。
 港から宿までは37kmほどあったが、あっという間に到着。期待どおりのロケーションとオーナー夫妻が温かく出迎えてくれた。明るくなったとき、どんな風景を見せてくれるのだろう。zzz...。

Day 2
 目が覚めた。マングローブの入江、道路脇にはビロウやソテツなど南の島を象徴する木々が並んでいる。

「西表か?」

 かつて見た光景がよみがえる。決して仕事をしていては行けない八重山の島々に比べ、ここは思ったより近いと感じた。窓を開けて、広いテラスに出てみる。

「暖かい!」

 出発前、島の予想気温はチェック済み。これならかなりの軽装備で走れる。昨夜、港近くのコンビニで買い込んだパンをほおばりながら、楽園の、朝のまどろみに酔いしれた。
 とりあえず考えたプランは、外周を時計回りにまわる。絶対外せないのは種子島宇宙センターと鉄砲に関する資料館か。だらだらと準備して一階に降りてみると、

「誰もいない。(笑)」

 そういえば昨日夜、島のイベントがあるので出かけるとのお断りがあった。「鍵どうよ。」と思いながら一人でニヤつき、バイクのセルスターターを回すと、

「ギュルギュル、カチッ。」

 これがこの旅を語る上での伏線となる。症状はセルモーター回転中、一瞬電源が切れたような感じになり、時計とトリップがリセットされるというもの。10月に入ってから数回発生していたが、その後普通にエンジンはかかるため経過観察としていた。このときも同じ。二度目にはエンジンがかかり、すぐ近くにある「千座の岩屋」(ちくらのいわや)に向かった。
 千座の岩屋は波に浸食された洞窟で、干潮時にはかなりの広さになるらしい。宿のカウンターに潮見表があり、次の干潮は14時過ぎ。タイミングが合えばまた来ようと思っていた。それにしても素晴らしいビーチ。名前が浜田海水浴場というのには笑ってしまう。島根の浜田にこんなビーチがあったなら毎週通ってしまいそうだ。色んな言語の漂着物などを観察しながらしばし散策した。
 バイクに戻り、セルボタンを押すと、トラブル発生。

「キュルルルル。」

 エンジンがかからない。セルは回っているのでこの時点でバッテリーは疑わなかった。何度かトライしたが、何かが空回りしているよう。押しがけ一発目、かからない。地元のカワサキショップに電話してみた。実際に見てもらってる訳ではないので推測での診断となる。セルモーターの異常か?電話を切って再び押しがけ。

「ブオォン!」

 かかった!これでとりあえずは走れる。とにかく宇宙センターだけは押さえておかないと。
※押しがけ:ギヤを3速に入れてダッシュ、スピードが乗った所でクラッチを少しつないでやると、火が飛んでエンジンがかかる。
 ここから県道以下の道をつないで走ったが、そこかしこで看板が出ていてわかりやすい。そしてセンターへのアクセス道路。中速コーナーが続き、切り返しの連続。これに激しい高低差が加わる。ライダーにとっては最高の道だ。この道が近所にあったら毎週来そう。で、すぐに二輪車通行止めとかにになるのは間違いない。
 さらに、左右には絶景と、興味深いセンターの施設が点在する。とても忙しく、バイクのトラブルなど忘れてしまった。
 さて、種子島宇宙センターを知らない人はいないだろう。広報活動としてロケットに関する博物館が開放されている。中でも目玉は無料の施設内バスツアー。一日三回、新旧の発射場や管制室、打ち上げられることのなかった本物のH-IIロケットなどを至近距離で見ることが出来る。やっぱりロケットはすごかった。かなり大きなものだが、意外に小さいとも感じた。
 施設内はとてもきれいに管理されている。これって税金よね?と、ひねくれた見方もしてしまうが、ここから打ち上げられた気象衛星やGPSなど、実は毎日その恩恵にあずかっている。
 再スタート。観光バスや、レンタカーのたくさんいる駐車場内で押しがけするのはなかなか恥ずかしい。次の目的地は種子島最南端の門倉岬。茎長で給油し、県道75号下中の三叉路にさしかかったとき、突如エンジンが停止した。メーターを見ると、何もかも消えている。

「バッテリーダウンだ!」

 辺りを見回した。北側遠くに人家、それ以外には畑と丘しか見えない。

「ここでか?」

 携帯を取り出した。電波はアンテナのみと圏外を行ったり来たり。

「ここでか?!」

 追い込まれた状況とはいえ、気持ちはそれほど絶望的でもない。転倒などで怪我をしているわけではないからだ。頭の中に五つのシナリオを描き出した。

良い方から。
1.この場所から自走できる。(最高)
2.島内で修理、自走できる。(ベター)
3.鹿児島で修理、自走できる。(許せる最低ライン)
4.鹿児島に置いて帰る。(最悪)
5.島に置いて帰る。(島に移住する)

 1番を目指すべく、まずは状況判断。(バッテリーを肝臓に例えると。)
・バッテリー死亡(グリコーゲン全消費、貯蔵不可能)
・レギュレーターレクチファイア、もしくは配線トラブル(門脈閉塞)
・オルタネーター(交流発電機)トラブル(腸管からの吸収不能)
・ECU(電子制御部)トラブル(中枢神経障害)

 再び押しがけから。メーターパネルも付かないということは、ほとんど電気がないはず。少しでも電気を使わないよう、常時点灯式のメインヘッドランプのコネクターを外した。押しまくって自分もATPを使い果たし、汗だくヨレヨレ。一度だけエンジンがかかったが、アイドリングが安定しないまま止まってしまった。安静時消費カロリーすら確保できていないということになる。つまり、バッテリー以外の原因がここで証明された。そもそも走行中のエンジンストールがそれを立証しているのだが・・・。悪あがきでバッテリー端子を外し、ECUリセットをかけてみたがもちろん回復せず、次のシナリオへ。
※このT字路にバス停があった。書いてあるのは朝夕の一便ずつ。月曜から金曜までとある。(この日は11/3土曜。)
 港まで50kmある。西之表港への移送手段確保と、島内で修理出来るかの調査を並行して行う。電波を求めて人家のある方向へ歩くがせいぜい一本程度。それどころか電波状況が悪いため常時電波サーチしており、電池の消費量が激しい。何とかJAFに連絡が取れ折り返し連絡となったが、バイクに戻れば圏外。状況を打破すべく地図を開いた。すると、西へ行けば下中の集落があることが判明。遠くに見えるあの坂を押して登れということか。覚悟を決めてスタート。ただ、10Rより野郎一人分(約70kg)も重いZZ-R(300kg近い)を3km押したことがあり、まだまだいける。何とか坂を登りきった先に、下中の集落が見えた。

「助かったのか?」

 唯一ひと気のある小さな商店へ。

「この町に公衆電話はありますか?」

「ないですね。」

(助かってなかった・・・。笑)

 しかし、電話を借りることは出来る。このころには、もしかしたら月曜帰れないこともあると想定。そうなると、連絡先の入っている携帯の電源も温存しておかなければならない。最悪の場合、切れる前に書き写す必要もある。ここでJAFより電話あり、「今日中に手配できないかもしれません。」という恐ろしい回答があった。電話帳と電話を借り、島のバイク店にコール。およその判断は自分となんら変わらず。そして、同じバッテリーはこの島にないだろうとも。シナリオ3以下が確定。
 JAFから、西之表のクルマ屋さんを手配し、そちらに向かうとの朗報が。しかし、JAFの無料レッカーは20kmくらいだったはず。残り30km。いくらかかるのかは考えないことにしよう。とにかくここから動かすことが先決。ベストな判断をしているはず。これで、押してでもフェリーに乗せることができ、本土帰還が確定した。
 すぐに次の選択を迫られる。残りの荷物はすべて宿に置いてきた。このままバイクと一緒に港へ行くわけにはいかない。バスはない。タクシーで20-30km単位で乗り継ぐなんて、金額的にとても考えられない。しかし、考えるとか考えないとか言うレベルじゃなく、それしか手がないのではないか。日も傾いてきた。どちらにしても、宿にこのトラブルの報告と、必要なら夕食のキャンセルをしなければいけない。

「今、子どもたちが上中にいるんで迎えに行きますよ。」

「え〜っ、それはとても助かるんですが、大丈夫ですか?あと、明日、宿から西之表へ行く交通手段はありますか?」

「送りますよ。」

 数分後、奥さんから。

「上中から向かうので15分くらいで着きます。」

「でも、まだJAFが来てないんですが。」

「お待ちしますよ。」

 そうか・・・、自宅でプランニング中、気になった宿。野宿から一転、急なアポから深夜のチェックイン。そしてニ連泊。

「島宿 HOPE」

 この出来事での希望(HOPE)だったのか?人生すべて偶然。運命論者ではない自分が、少しばかり運命を感じた瞬間だった。

 このとき見た空が、この旅一番の空だったのかもしれない。トラブルがなければ、島の外周を一周しながら、西之表で鉄砲の資料館へ入る。初めて来た島では必ずやることだが、悪く言えばやっつけ仕事。もちろんトラブルを望んでいたわけではないが、このなんでもない場所を、何時間も堪能する旅人がいるだろうか?意図しない状況が新鮮ですらある。

「きれいだな・・・。この場所にはまた来る気がする。」

 ほどなくして奥さんの軽が、時間を空けずにJAF(の請負の車屋さん)カートレーラーがきた。10Rはドナドナ、迎えの車に乗り込む。助手席で疲れて寝ていた男の子が目を覚ました。

「壊れたの?」

「疲れてるのにごめんね。」

 希望の一人に感謝した。

 無事、身一つで自分の部屋に帰りつき、急いで状況を整理する。まずフェリー。予約しているのは14:00発の「プリンセスわかさ」。鹿児島港南埠頭着は17:30。もう暗いだろう。それに対して、往路に使った「はいびすかす」は11:00発。3時間早く鹿児島に着く。ただ、最大の問題点は、鹿児島中心部より15km南の七ツ島・谷山港に着くこと。動かないバイクにこの15kmをどう捉えるかが難しい。さらに、違う船に乗ってみたいという気持ちも決して小さくはない。
 地元のショップへの連絡と宿で借りたPCで、南埠頭から近いバイク店を数軒ピックアップした。そのうちの一軒に連絡を取り、港に到着しだい拾ってもらえるようアポを取った。同型のバッテリーを売ってそうなホームセンターの探してみたが、意外に少ない。ま、何とか本土に持って帰れるよう目星がついた。
 奥さんにシャワーを浴びてくると声掛けすると、

「近くに温泉がありますけどいかがですか?」

「行きます!でも帰りは?」

「電話いただければ迎えに行きます。」

「女神に見えます。(笑)」

 広い湯船にバッチリ足を伸ばして昼間の疲れを癒した。
 夕食のメインは鹿児島の鳥刺し。瓶ビール追加して最高のひと時を過ごしたのは言うまでもない。

Day 3
 良眠。フェリーは14:00の便に決めた。バイクは12:00に港に持ってきてもらうよう手配。宿はお昼に絡むと申し訳ないので、チェックアウト前くらいに送ってもらうようお願いした。精算時、送迎のガソリン代を加算するよう申し出たが、請求は宿泊代のみだった。
 朝食後、宿の周りを散策。マングローブの入江は本当に素晴らしい。鹿児島からわずか3時間で沖縄の風を感じることができる。またこの島へきたときはここしか考えられない。
 真冬仕様の装備がかさばるため、紙の手提げがないか頼むと、出てきたのはしっかりとした生地のDFS(ディーティーフリショッパーズ)のバッグ。

「10年くらい前のものですけど。」

「新婚旅行のですか?海外帰りかと間違われそうです。」

「ある意味海外ですよね?」(笑)

「帰ります。ホントにお世話になりました。」

 ご主人の運転で西之表へ。1時間弱の道のり、移住のこと、宿開業のこと、馬毛島のこと(普天間移設の候補地とも言われる。)色々な話を聞いた。あっという間に港到着。

「次は普通の客としてきます。」

 希望(HOPE)が、軽ワンボックスに乗って去っていった。
 次は鉄の塊となったパートナーの回収。昨日別れたときと同じカートレーラーに乗って運ばれてきた。

「バッテリーはそれほど悪くないね。ただ充電はされてない。」

 やっぱり。しかし、

「時間あったんで満充電にしといた。セルも回るよ。」

「えっ?」

 これ、宿の助けに匹敵する希望となった。またしかし、

「24,500円」

 JAFの無料レッカーは15kmまで。1km700円x35kmで激ブルー。ただね、これはどうやっても必要経費。納得するしかない。上がったり下がったり大変。気分転換に西之表の街を歩いた。ふらりと入った明月食堂のちゃんぽんで何とかリセット。そして、船員さんに後ろから押してもらい乗船。激動の島を後にする。

 「プリンセスわかさ」はどちらかというと客船寄り。ロビーにキレイなお姉さんもいる。行きは睡眠不足と疲労、暗くて何も見えなかったためリラックスして船旅を楽しむ。屋久島、硫黄島は大切な思い出の島。口永良部、竹島、黒島はいつか絶対行きたい島。遠くに併走して航行している白いフェリーがいるのに気付いた。

「まさか!」

 カメラを最大望遠にして撮影、拡大してみると、

「フェリーとしまだ!」

 07年トカラの旅で何度も乗り降りした船。九州最南端、佐多岬も見えてきた。その影から、

「開聞岳は、日本一美しい山だと思う。」

 今回を含め5度、錦江湾を船で南下した。そのたびに見送り、出迎えてくれたのがこの秀麗な三角錐。おととい、たまて箱温泉から見えた気になる岩、「俣川州(またごし)」も海から確認できた。色々な旅の思い出が、ごちゃ混ぜにフラッシュバックする。
 17:00過ぎ、空は真っ暗になり雨が落ち始めた。客室のテレビでは、ニュース速報が甑島(出発時目的地候補の一つ)の大雨洪水警報を告げている。海外帰りのDFSバッグからすべての装備を取り出し身に付ける。最後にレインウェアを着用。

「楽しい旅は終わった。サバイバルゲームの始まりだ。」

 船の中には登りがあるため再び船員さんに押してもらい、雨で滑りやすくなっているランプウェイからなんとか本土帰還を果たす。すぐに屋根のあるところへ移動しバイク屋へ連絡。しかし・・・、同型のバッテリーは在庫してないとの返事。

「どうする?」

 問題は、バイクの発電量がゼロか、そうでないかだ。前駆症状はあったが、初日スタートからトラブル発生まで動いていた。ということは、発電はされていたが消費量の方が勝り、徐々に衰弱していったことになる。ただあくまで推測の域。途中でまったく発電されなくなり、バッテリーだけで走っていたという可能性もあり、このまま走り出すと高速道路上でストールという最悪の事態も予想される。予備電源として違う小さなバッテリーを手に入れるプランもあるが、この一回こっきりに1-2万円の出費はもったいない。鹿児島で修理依頼し、今日は新幹線で帰り、修理完了後引き取りに来るというシナリオ4が最も賢明な判断だが・・・。

「帰りたい。」

 やらなければならないのは究極の節電。
・メインヘッドランプは引き続き消灯。
・ウインカーは点滅一回。後ろに車がいないときは出さない。
・ブレーキランプを点けないよう車間を取り、エンジンブレーキで減速、仕方がないときだけ最後の最後にガツンとかけてすぐ離す。
・電気消費の激しいセルを極力回さないよう給油は最少限の2回。

 明るい市内を通りぬけ、18:30、何とか鹿児島北ICから高速インしたが、雨は強くなり目の前は真っ暗。

「これは無理だ!」

 前を走る80km走行車のテールランプを凝視しながら、果てしなく遠い自宅までの600kmに愕然とする。
 熊本に入るころにはだいぶ慣れてきた。見えない落下物を回避するため、前車が走っているタイヤのラインを正確にトレースする。燃料ギリギリまで引っ張り、広川SAで最初の給油。二度目の給油でクイックスタートするため段取りを整えていると、電気を消費する冷却ファンが回りだし慌ててエンジンストップしてしまった。

「かかるのか?」

「ギュルルル、ブォン!」

「なんとか帰れるかもしれない。」

 福岡に入ると街灯も増え、さらに走りやすくなってきた。追い越し車線に速い車が現れるたび次々に乗り換え、スピードアップを図る。パーキングや高速を降りていくぺースメイカーにはその都度声を掛けた。直前の視界を確保するため長時間煽るかたちになるためだ。

「先導ありがとう。」

 関門海峡大橋通過。

「あと200。」

 下松で2度目で最後の給油。ここまで帰れば何とかなる。やっと食事する気になった。広島に入り、初めてハイビームを点灯してみた。

「明るいとはこういうことか。」

 油断は禁物。家に着くまでは温存し、再び速い車に付く。そして・・・、2:00前真っ暗な深夜の自宅庭で、一人小さくガッツポーズした。タンクを二度叩くいつもの儀式にも力が入る。

「お疲れ!よう頑張った。」

 同日11/5夕方、ショップに修理出し。翌日着信履歴あり。

「嫌な予感・・・。」

 バッテリー、レギュレーターは問題なく、三相交流電源を発生するオルタネーターの中のステーターコイルの一つが焼き切れていた。残り二つで充電がなされていたかはわからないが、すべての説明がつく。

「修理代32,000円也。」

 レッカー代も含めれば、それこそ海外に行ける出費。ただ、あの車屋さん。満充電は最高に気の利いた配慮。バッテリーがあがった状態で渡されても不思議ではなく、こちらもそこまでは気が回らなかった。もちろんそれがなければ、鹿児島に置いて帰ることになったのは間違いない。「島宿 HOPE」には長崎堂のバターケーキを送った。

『バイクに乗り始めて最大のトラブルより帰還。無事帰ることで、それは大切な思い出の一つとなる。』

 あれから一週間。今はもう、島の美しい風景と開聞岳、希望を与えてくれた人たちの顔しか思い出せない。


Special Thanks To !!!

・「島宿 HOPE
 カバーはこの家族の雰囲気が伝わってくる素晴らしい写真。

・種子島・西之表:(株)杉自動車商会
 バッテリー充電の機転に感謝。

コスモライン(プリンセスわかさ)
 鹿児島(南埠頭)-種子島航路(西之表港)。初日朝、船に乗れなかったとき常務が携帯番号の入った名刺をくれ、トラブル発生後直接電話して予約を取って貰った。

10

10.27
現代医学教育博物館
 辺り一帯が附属高校、大学、そして病院。教育と臨床が一体化。細かいこと書かないがすべてにおいてすごい。外来と病棟さらっと一周してみた。というか何もかも広すぎて、患者は受け付けたどり着くまでに疲れそう。食堂がちょっとしたレストラン。
 博物館は平日、土曜17:00まで。祝祭休み。1階は広島にもある健康科学館みたいな一般向け。3-4階は医療関係者のみだが、学校なり勤務先なり書けばOK。身分証などの提示はなし。見学無料。所要時間は附属病院を(勝手に)回ったのを含めて2時間くらい。細かく見たらもっとかかる。出会ったのは3階で男子一人のみ。こっちが見てまわる間中ずっと、さわれる肺と格闘していた。医学生か?さてメインの3-4階は。
 膨大な数の臓器サンプルが置いてある。もちろんすべて見たが・・・。サンプルに年齢と性別だけ書いてあり、途中からそっちばっかり気になった。生きていたときの臓器所有者を思う。さわれる臓器は、ほとんどゴム(シリコン)みたい。持った時の気持ちは上に同じ。あとタバコ吸う人。今からでも遅くない。止めとけ。どす黒い肺、肺がん、動脈硬化・脳・心臓・その他血管疾患。結局全部つながってる。

全勝横綱ラーメン:岡山県倉敷市新田2232-1
 もう何年も前にネット上で見つけ、ずっとブックマークしていたお店。味は普通に美味しい。やっと行けて満足。

大原美術館
 ここも以前行った時定休日でリベンジ。美観地区は歩いてるだけで楽しい。

レオン・フレデリック:Leon Frederic
「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん。」
All Things Die,But All Will Be Resurrected Through God's Love

 この一枚だけでおなかいっぱい。展示室入口の高い所に掲示してあり、帰宅してグーグル・アートプロジェクトではもっと詳細に見れたりする。言わば天国と地獄の絵だが、大原美術館のサイトにある作品紹介を読むと、見方が変わってくる。
 全体的に印象派絵画が多いが、ひと目見ただけで誰かわかる絵ってのはやっぱりすごい。

 最後に少し雨に降られたが、レインウェア着ることなく無事帰宅。10日間でのべ4度の岡山入り。よく走った10月。


10.18 Night Train

 2日目はまず三井アウトレットパーク滋賀竜王。時間がないのでさらりと流す。
 5年前、時間切れで入場できなかった安土城址と信長の館へ。近くにある地方ゆるキャラ「ひこにゃん」で有名な彦根城(井伊氏)と比べ、日本史上屈指の戦国武将の居城が、あまりにもひっそりとしていることに寂しさを覚える。
 16時前に彦根から高速に乗る。この時間からさらに北上するという無計画さはいつものこと。三方五湖レインボーラインの入口に着くと、予想されたバッドエンディングに。こういう有料道路は、17時前後に閉まるか、逆にフリーパスになるかどちらか。残念ながらここは閉鎖。時計を見ると17:20。アウトレットに寄ったのが命取りだった。また新たなリベンジポイント追加となる。ただ、ゲートから引き返してすぐに出会ったのがこの燃える夕日。福井の空が記憶に刻まれた。
 すでに真っ暗になり帰路に着いたが、ここからが意外にも楽しかった。小浜から初めて通る舞鶴若狭自動車道に乗ったが、何を思ったか、すべてのPA・SAに寄ってみたくなった。初めて寄るパーキングは新鮮。中には普通車が一台も止まってないところもあり、夜走りの血が騒ぐ。
 中国道に突き当たったところで遠回りを嫌い西へ。播但道から山陽道へアクセスしようと考えたが、リサーチにより福崎で一度料金精算されることが判明。ウイークデーのためこれでは深夜割引が適用されず割高となる。再度NEXCO西日本に問い合わせてみると、岡山道経由なら精算なしということで、パーキング各駅停車の旅継続。中国道も、津山までは勝手を知っているが、以東は頻繁に利用するルートではないのでとても楽しい。そして日付も変わったころ、忘れられない出会いがあった。
 美作IC手前の楢原PA。ここもかなり寂しいパーキングで、いるのは普通車1-2台とトラック数台。すぐにひき付けられたのが停車中の肉牛運搬車だ。動物全般大好きだが、特に牛は牧場で働いたこともあり身近な存在。しばらく声かけしていたが、反対側に回ってビックリ。なんとドライバーが水やりをしていて、全頭が顔を出して水飲み中。牧場経験を伝えるとすぐに打ち解け、色々話をしてくれた。
 ドライバーは旭川の人で、帯広から阿蘇まで牛の輸送途中。2000kmオーバーの旅だ。牛は暑さに弱いので中国道のチョイスしたとのこと。娘さんも畜産関係の仕事をしているらしい。
 パーキング各駅停車などまったくの思いつきで、考えたこともなかったが、この出会いに導いてくれたことに感謝。楢原PAは普通なら間違いなくスルーしていた。結局、岡山道・総社PAまですべてのパーキングに停車。記憶に残る帰り道となった。


10.17 I'm God.

「おれは神だ。」
 歴史上こう発言した人間にまともなヤツはいないが、話は今回の旅の1日目、徳島・鳴門にさかのぼる。

大塚国際美術館:http://www.o-museum.or.jp/

 大塚国際美術館は、ボンカレーやカロリーメイトでおなじみの大塚製薬グループが98年に作った美術館。同年8月に訪れているが、時間が2-3時間しかなく、ゆっくりと見ることが出来なかった。丸1日用意して再訪しようと思いつつ、14年が経過した・・・。
 ここに展示されている絵画は、陶板にコピーされたいわばレプリカで、本物ではない。ところが、原寸大に再現された世界の名だたる名画と、1000点を超 える作品、その展示方法は、それがレプリカであることを超越しており、入場してから出るまで、昼食を含め6時間という滞在時間がそれを物語っている。中でも一番の売りであるイタリア、システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの「最後の審判」は圧倒的。入館してすぐ、巡回途中、帰り際の三度、時間を忘れて見上げた。対象は違えど、やはり何も考えずボーっと見続けた「美ら海水族館」のジンベイザメ水槽を思い出した。
 回り始めてすぐ、西洋絵画の多くが、宗教をモチーフに描かれていることを再認識する。当然の流れとして、「神とは何か」について考えた。
 葬祭のかたちとしての浄土真宗をベースに育った自分は、ほぼ無宗教であり、神の存在について客観的な見方が出来ると考える。作品の素晴らしさや芸術性とは裏腹に、作者の想像と主観で描かれたフィクションであるということに行きつくのにさほど時間はかからなかった。
 ここで宗教批判を述べ敵を作るつもりはないが、少なくとも偶像崇拝は無理がある。様々な宗教、ギリシャやローマの神話では、骨肉の争い、裏切り、殉教など下界の人間より人間臭い。そもそも、人間、いやすべての生物が、生まれた瞬間に与えられた役割は増殖である。自己の欲求を求めない人間が存在するはずがない。「お前と神を一緒にするな!」というお叱りはもっともだが、人間のかたちをした神も、教義を広めたいという欲求を追及しているというひねくれた見方も出来る。そして、宗教の名の下に、世界のどこかで、今も多くの血が流されていることは歴然たる事実だ。
 それでは何を持って神と考えるか。

Everything is God.
森羅万象、良いこと、悪いこと、すべての事象は神である。

 ただ・・・、物事には主観と客観、二つの見方がある。時間を例にとると、客観的には止まることなく流れ続けているが、主観的には、覚醒し、意識のあるとき以外は止まっているのと同じことだ。自分が生まれる前、死んだ後、そして寝ている間に世界は存在しない。この目で見ることが出来ないからだ。
 旅先で通りかかった、どんな小さな集落にも神(神社)がいる。その場所に住む人たちの神。反対に、廃虚と化し、誰一人いなくなった軍艦島の端島神社にもう神はいない。しかし、今にも崩れそうな社を前にしたとき、賽銭を供えずにはいられなかった。

Everyone is God. 誰もが神である。

 なぜなら、神は人の中に存在するから。

 ゆえに、

I'm God. おれは神だ。

 キリストも、釈迦も、森羅万象も、すべては自分の意識化で認識される。自分が生き、覚醒しているからこそ世界は存在する。
 そんなことを考えながら、ミケランジェロという一個人の中にあった、神という名のファンタジー(幻想・空想)を眺め続けた。彼にとっては、クライアント(ローマ教皇)から請け負った単なる仕事だったのかもしれない・・・。


10.7 Sounds of The Silent Station...

 一日に数本しか列車の来ない秘境駅。John Cageの「4'33"」の世界が広がる。

9

9.20 Family Register...

 八月も終わりのある日、母が相続関係の書類を持ってきた。アルツハイマーの発症した4-5年前より、父親名義の資産は母に移動しろと言ってきたが、抜け落ちていた口座が父の死亡とともに凍結されていた。遺産といってもわずかな金額だが、その口座を閉じるのにも家族全員の署名、印鑑証明、戸籍謄本がいる。もちろん父本人のも。何気なく目を通すと・・・、

昭和33年Xと婚姻。
昭和35年Y(Xの兄の息子。つまり叔母と甥の関係)と養子縁組。
昭和38年協議離婚。

「なにこれ?」

 何もいわず渡してきた母に尋ねると、

「知らんかった。騙された。」

「なにそれ?」

 簡単な調査実施。その相手は父と生年月日が一週間しか違わない同い年で、広島と島根の県境にある山村の集落の出身。支所に電話してみると、その住所は存在する。推測はこうだ。
 父は昭和33年、見合いでXと結婚した。その根拠は実家から直接入籍していること。2年間跡取りが出来なかったため、やむなくXの兄の息子Y(昭和31年生まれ)を養子にした。その後も2人に子どもは出来ず、うまくいかなくなり離婚。今の広島市東区に転居している。ただ、経緯を知る親族はすべて墓の中。 裏を取ることは出来ない。
 数日して母に聞くと、離婚のことは知っていたことがわかり、またビックリ。ただそれは結婚してからのことで、初婚と聞いていたことから騙されたことに変わりはない。それも離婚成立は38年5月、うちの両親の結婚記念日が翌39年1月。なんとも。
 こちらも年を取り、物事を客観的に見ることができる。祖父母や癖のある伯母連中、そして父までもがこの事実を墓まで持って行ったことにはある意味「あっぱれ」とすら感じる。

 9月も半ばにさしかかった頃、ある旅プランを実行に移した。母と兄と呼ぶには無理があるが、50年前に存在した親子の実家を訪ねる旅。
 吉和からいわゆる三桁酷道を北へ。この道は、90年代中盤頃散々探険したが、もう4-5年通っていない。災害通行止の表示にも通れないと確認できるところまで行くのはいつものこと。案の定、何事もなく通過できた。すでにそこは目的の町。
 一度来たことのある温泉に入り情報収集。電話帳には姓は違うが、Yと同じ名前の世帯主が一人。しかしこれがYだという可能性は低い。家を出たあと東区へ引っ越した2人はもう町の人。不便な田舎に戻るとは限らない。その母であり伯母であるXはまだ30代中盤。再婚の可能性も高い。
 温泉を出て郵便局へ。戸籍に記された古い番地がいまどこなのかリサーチ。街中のように電柱や四つ角に地名の表示はなく、とてもわかり辛い。家の前で農作業をしていた老夫婦に聞いてみた。

「48番地。」

 目的は36番地。バイクで探し回るよそ者はすぐに噂になる。離婚というネガティブ因子ゆえ実家にヒットしてはまずい。ここでひとまず調査終了。縁もゆかりもない家族に思いをはせた。半分は興味本位だが、法律上この2人に相続権が発生し、探さなければならない可能性がゼロではない。

 写真は帰り道、何度も遊んだことのある山中の川原。Xが父と結婚しなかったら、Yが養子にならなかったら、2人がうちを出ていかなかったら。どれか一つの要素が欠けても今の自分は存在しない。そして・・・、2人ともまだどこかで生きているかもしれない。どんな思いで出て行ったのか。ノスタルジックでセ ンチメンタルな気持ちを川に流し、エンジンを再スタートさせた。


9.19 Change of Season.

 さきほど栗の写真をあげたあと、久しぶりにタイヤの端を使ってやろうと走り出した。己斐峠では今日の太陽が息を呑むサンピラー(太陽柱)を残して沈んでいった。いつものワインディングに向かおうと石内を登りかけたが、辺りはもう暗い。22,000km超えのフロントタイヤでは危険と判断し、宮島SAに針路変更。メッシュジャケットを抜けてくる風が冷たい。
 SAに着くと、いつもベトついて脱ぎにくいジャケットがサラッと脱げた。ホットコーヒーを選ぼうとしたが、コールドばかりで選択肢は5本程度。ひとり、ニヤついた。

「今この時が夏から秋への境界線。」

 季節の変わる「日」ではなく、「瞬間」を感じられるのがナイトライダーの特権。一度しかない2012年の夏が、たった今通り過ぎた・・・。
 日中はまだ暑いかもしれないが、メッシュジャケットのプロテクターをキャンバスジャケットに入れ換えよう。

 写真は2009.9.13 長門峡にて。
 この時期山を走ると” いがぐり ”がたくさん落ちている。なんとなく踏んだらパンクしそうで、いちいちよけて走ったりする。意図した訳ではなくFOX HEADが涙を流していた・・・。


9.10 Skull & Bones : C2

 四十九日は先月末に終えたが、都合により伸び伸びとなっていた納骨が明日。最後の別れとばかり、父のパーツを取り出してみた。
 それぞれ思うところはあるが、原型をとどめ、最後に収骨するのがC2(軸椎)。火葬場では喉仏との説明を受けるが、ウィキペディアによると、甲状軟骨は火葬で消失してしまうとのこと。どう見ても人間が座禅をしてる姿には見えないが、声帯も近いし、父の人格に直結する部位の一つ。なんとなく声が聞こえてく る。

Patient Experience
 先週のことになるが、経鼻経管栄養チューブを自己挿入してみた。家には父親に使っていたキシロカインゼリーが残っている。
 念のため友人の看護師宅へ。彼女は用事で別の部屋に行ってしまったが、戻ってきたとき気道閉塞していたら救命措置(経口対経口酸素吸入法!)を施してくれるだろう。で。
 なるほど、これはつらい!父親に実施する前に体験していたら少しでもやさしく出来たはず。プチ後悔。その後、アナフィラキシーというよりは、単なる粘膜刺激で鼻がズルズルに。

 気付き。「14Frは太い!」


9.6 Is This Heaven ?

 苦悩しても何の生産性もないので、元気のでる風景を探してみた。1991年夏、サロベツ原野のどこか。
 電柱まったくなし、裏になってる道路標識一本。(この標識、意図してフレーミングした記憶があるが、何の標識だったかとても気になる。)地平線までダート。これを天国といわずしてなんと言おうか。この道ももう舗装されてるはず。残りの人生で、このような光景に出会うことはあるまい。
 古いアルバムのプリントを複写したが、ネガ撮り「写るんです」パノラマもなつかし過ぎる。
 荷物にヒラヒラしているホクレンフラッグ。21年後の今も扇風機の風にヒラヒラしているので友情出演。
※ホクレンフラッグ:北海道のガソリンスタンド「ホクレン」で、旅人たちにタダで配られていた旗。今も有料(?)で健在。
 松山千春のファンでもなんでもないが、理由なく浮かんでくるこの曲はすごい。さらに、歌詞など気にしたこともなかったが、なるほど、気分を入れ換える努力をしてみよう。
 一つ思い出したことを追記。
 04年大型免許を取るまで記録した自己最高速が、この旅で出した140km。(13年間更新なし。)富良野から滝川へ抜ける芦別辺りだった。その条件がすごい。
 この写真のようなフラットダートではなく深砂利。長い直線ではあったが、やはりこの写真と同じくフルパッキング。(テントから炊事道具まで荷物満載。20-30kgあるだけでなく重心がリヤシートにあるためハンドルは恐ろしく振られる。)
 今日現在のロード最高速は268km。こちらは更新の余地があるが、ダート140kmはもう更新することはないだろう。というか、恐くて出来ない。

8

8.8 One day, one night, one moment.

 隠岐・西ノ島。去年の今日ここにいた。(正確には去年の昨日の夕方。)ものすごい強風の夕暮れ。優雅に草を食む馬たちと一緒に、何も無い時間を楽しむ。


8.7 Horizon...

 これまでに見た最も印象深い水平線といえばこれ。沖縄の南大東島で撮ったものだ。
 南北大東島は「うふあがり島(うふ=はるか+あがり=東)」と呼ばれ、沖縄本島から東へ340km、激しく揺れる貨物船に乗り半日かかる。

「アメリカまで見えるんじゃない?」

 無限に続く水平線をみたとき、「どのくらいの距離?」と思うのにそれほど時間はかからない。しかし実は・・・、

「= 3,570m x √高さm」

 つまり波打ち際に立つと、

「3,570m x √1.7m(目の高さ)= 4.65km」

 たった4.65km?大東島は回り全部が岸壁なので、その高さを適当に5mとすると、

「3,570m x √(5 + 1.7)m = 9.2km」

 アメリカどころか10kmも見えてない。あまりの揺れに船室を転がりながらたどり着いた「うふあがり島」にしても、緯度にしてみれば山口・小郡の真南程度。ただ・・・、この光景を目の当たりにしてどうでもいい数式は吹き飛ぶ。

「やっぱりハワイは見えてるはず!」

7

7.31 Died July 31. 1922

 この時期に思い出すのが、05年長崎で撮ったこの写真のこと。観光客で賑わう有名庭園とは対照的に、坂本国際墓地にひっそりと建っていたのがトーマス・グラバーの墓。
 シドニーはその近くに。墓石に刻まれた4日間の命に目が釘付けになった。90年後の今日、花をたむける者がいるのだろうか。無性に長崎を訪ねたくなった。


7.25 Burnout Syndrome

 なにもやる気がしない・・・。気持ちに鞭打ち、逃避的宮島SAから攻撃的な夜のダートへ。
 鹿9頭に出会った。3頭目とはしばらく見つめ合い、6頭目は体長60-70cmのバンビ。経験も浅く、道伝いに逃げていくのが面白い。
 空には流れ星、眼下には北から見下ろす広島デルタ。2時間ほど山頂近くのお気に入りの場所で過ごした。夜の山は昼間より賑やか。色んな奴らがいる。
 山あり谷あり、燃え尽きるにはまだ早い。


7.23 はるかなる駐車場

 葬儀後の事務手続きのため探し物をしていると、色々面白いものが出てきた。その中の一つが20年以上前に交わした駐車場の賃貸契約書。
 車の免許を取ったのは遅く、22のとき。特に興味があったわけではなく親の勧めによるもの。ありがたいことに全額負担してくれた。とはいえ、免許を取れば車が欲しくなるのは当然。翌年明けてすぐ一年落ちの平成元年式ジムニー550パノラミックルーフを購入した。
 当時軽の車庫証はまだ必要なく、しばらく路駐していたが、駐禁が怖くて夜も落ち着かない。6年住んだアパートは、渋谷から東横線で4つめの学芸大学、駅から徒歩10分という街中。近所を探してみると相場は5万。1Kのアパートの家賃が4万4千円ということから考えても、車に住めという状態。あまりに計画性のない行動だった。
 そこで目をつけたのが弟が住んでいた神奈川県川崎市登戸。敷地内に駐車スペースがあり大家に聞いてみると、空いてるのに不可と言う。仕方なく近所を歩いてみて見つけたのがこの駐車場だった。管理は地主が直接行っていて、敷金礼金なし月1万ポッキリ。即答で契約した。
 グーグルマップでわかるように、目黒の自宅から距離にして15km、原付で30分ほどかかる。今にして思えばありえない遠さだが、普段は原付で事足りたし、なによりこのジムニーで経験した数々の冒険は、今につながるかけがえのない思い出。遠いと感じたことは一度もなかった。忘れもしない右奥の二番目、向こうの田んぼだか畑だかに少し傾斜した土の駐車場。
 空撮をみるとしっかりと残っているが、ストリートビューではその面影すらなく、両側に一戸建て住宅が建ち並んでいる。弟が住んでいたアパートもかなり昔に取り壊され、「いなげや」というスーパーに変わっている。
 話は前後するが、家から駐車場への途中、多摩堤にある東急自動車学校で普通免許を取った。ここも空撮には残っているが、郊外に移転して無くなったよう。路上は恐怖の環八、上野毛の坂では恐ろしい坂道発進が待っていた。
 さらに中型二輪免許を取ったのが八王子にあった新八王子自動車教習所。大学の生協で5万、弟のアパートに泊まり込んで最短の一週間で取得。ジムニーで30km弱の道のりを通ったが、今はカー用品店に変わり跡形もない。何年か前に検索した際、この教習所の送迎用ワンボックスが売却されネパールかなんかを走っているという情報を見つけ、苦笑した覚えがある。
 あれから20年。かつてのはるかなる駐車場は、はるかなる記憶に変わりつつある。


7.17 My Fathers Heart Rate.

 7月14日5:00、父の心臓が、180を超える脈を打ち始めた。二日前の夕方にも同じ状況が発生したが、ドクターに連絡した時、「下げてくれ。」とは言わなかった。往診に来てもらい、脈を下げる薬剤を注射して終息。ただ、この注射をするかどうかも迷った。

 これまで、家族、ドクターも交えて堂々巡りとも言える話し合いを繰り返してきた。寝たきりでも生命を維持するか、苦しみから解放するか。行き着く先はいつも、「自分ならもういい」。実際、父本人にも確認できたが、その判断は正確なものではない。

 7:00過ぎ、ものすごいスピードで拍動は続いている。すでにフルマラソンを走り続けている状態。「たまらず」ではなく、「念のため」ドクターに連絡。何度も繰り返した内容を、短く、そして簡潔にやり取りし、アセスメントは一致。「すぐに」ではなく、「一番で伺います」とのこと。おそらく死亡診断になるだろう。
 8:35、呼吸が変化したため、大声で母を呼んだ。8:40、二度大きく息をし呼吸停止。心臓はまだ激しく動き続けている。父は、たった一度だけ小さなうめき声を上げた。
 4分ほど経過、ピッタリと胸に付けているはずの聴診器から聞こえる心拍が、徐々に遠くなっていく。チェストピースに刻まれた「Heaven Knows」のスペルが目に入った。通常なら名前を彫る部分だが、人が人の体内音を聴くという驕りを、ある意味自虐的に解釈した言葉。
 8:45、何も聞こえなくなった。痩せこけ、触らずとも視認できる頚動脈の拍動もわからなくなった。85年と10ヶ月、一度も止まることなく動き続けた父の心臓は、4時間近く全力疾走した末、完全に停止した。
 しばらくしてドクターが来た。同い年で、あらゆる局面で意見が一致、予定外で何度も来てくれた彼。

「できることはすべてやりましたね。」

 救いの言葉ではある。実際、客観的、合理的にみても最善の方法を実施した。年齢から考えても大往生であり、死亡診断書にも「老衰」と記された。

 エンゼルケア(死後の処置)を一緒にした看護師は、

「褥瘡もないし、お下もきれいにされていますね。」

 体動が減った時点ですぐにエアマットを導入。先週には風呂に入れることもできたし、介助が必要ながらも、2-3日前までトイレにさえ行けた。

 父の遺影の前にいる。穏やかな表情で見つめる父が、自分を責めていないことはわかっている。しかし、父がどう思おうと、自分自身が責められているように感じる。
 とめどなく涙が流れる。胃ろうを作っていたら、自分の体力が続く限り胃チューブを挿入していたら、脈を下げる注射をしてもらっていたら。

「父の命をコントロールし、見殺しにした。」

 いつか必ず、この報いを受けることになるだろう。昨日、いつものコースで最高速を表示。止まれない車間になる前に恐怖を感じ、スロットルを緩めた。まだ時は来ていないようだ。母に、万が一自分が死んだ場合のリビングウィルを伝えた。自分勝手な思考なのは十分理解している。

6

2012-06-11 21:25:04 " Kaorin Not Found "

 六月一週二週は年に4回しかない吉水園開園の日。哲学者、モリアオガエルに惹かれた博多のかおりんがソロでやってきた。2年前、OhIkeさん、めにまるさん、タケジーさんを案内したプラン。今回はパートナーを捕まえることが出来なかったらしい。そのためか状況は二転三転、来るのか来ないのかわからないまま10:22、「もうすぐめかり」とのこと。
「まったく・・・。」
 普段人を振り回しているヤツほど振り回されるとムカつく。(笑)というのは冗談だが、この時間から片道300km先へ日帰りするというのはなかなか素晴らしい。ちょうどこのころ、前記事の父と弟の写真を撮った。
 千葉へ帰るという弟に先に別れを告げ、12:30自宅スタート。13:00過ぎ、旧加計駅跡の駐車場で久しぶりの再会を果たした。待ち時間先行して散策 していた彼女の情報によると、今年は例年になくたくさんのカエルがいるらしい。入園してみると、たくさんの卵が垂れ下がっている。園内の庵、吉水亭の居心地も最高。見晴らしの良い中二階もあるが、風の通りぬける縁側に座ると、時間が経つのを忘れてしまう。
 帰りにキャラクターステッカーを100円でゲット。このカエル、加計の「K」が入ったタンクトップを着ており、町の随所で見かける。まさにKawasakiフロッグ。ただバイクには似合わん。
 彼女の希望で前回も訪れたドッグカフェ「わん茶房'S」へ。15:00前後にもかかわらず、たくさんのペット連れで賑わっていた。雰囲気はいいのだが、肝心の料理がイマイチ。頻繁に来る魅力はなく、カエルイベントとの抱き合わせか?
 時間はすでに15:30。帰路がてら、いつものホームコースを吉和へ。一本道のため少し楽しませてもらい、路肩に寄せ待つが、いつまでたっても現れない。間に一台、軽が入ったので不安になり、慌てて引き返した。すぐにすれ違い、ホッと胸をなでおろすが・・・。R1200Rに乗りかえた彼女と走るのは今回が初めて、まだ乗れてない?
 吉和で試乗させてもらう。ボクサーにまたがるのも初体験。スタートでマシンが左右に振動するのは今までにない感覚。現時点で接点のないジャンルではあるが、10年前には、自分がSSに乗るなどありえない話で、今後もどうなるかはわからない。
 R1200Rは、良くも悪くも1200ccという排気量を感じさせない。力強いトルクと滑らかな加速は、カントリーロードでのツーリングにはもってこいだろう。もみの木への登りで車をパスするのにもストレスを感じなかった。ただ、意味のないことながら、10Rと比較してしまうのはどうしようもない。使う使わないに関わらず、右手に「爆発」を秘めているのがSSやスポーツツアラーの最大の魅力。自分にはまだ早い。
 もうちょっと走るということで、R186を大竹へ下る。この道は、広島のライダーもたくさん集まるルートで、山口との県境を流れる小瀬川に沿って、美し い景観が続く。今度はミラーを確認しながらクルーズ。かおりんといえば、小さな身体をあまり使わず、綺麗なリーンウイズで嘘みたいに付いてくる F800STのときのイメージが強いが、なかなかコーナーリングスピードが伸びてこない。特にバンピーなコーナーでは顕著?新しい車両の特性もあるし、一概には言えないが、実は景色を楽しんでいたのかもしれない。
 やっぱり誰かと一緒に走るのは楽しいね。またよろしく。

※戸河内-吉和間では道が心配になって地図を開き、吉和-大竹間では谷側の高さが怖かったらしい。納得。


2012-06-10 09:44:02

 衰弱していく父に千葉から弟を呼んだ。二人の写真を撮るとき複雑な気分に。
 弟に右脚ブロックがあると初めて聞く。こちらにもすでに二十歳前後より期外収縮がある。父親は高齢になって狭心症と診断されたが、親族をみてみても強心の遺伝子と考えられる。その話を母を交えて話すと、小学生の時心臓がどうとかこうとかで体育を休んでいたと。母方は戦争がらみとはいえ短命が多い。そっちの遺伝子か。


2012-06-07 22:42

 多発性骨髄腫の疑いは晴れた。しかしもっと衝撃的な検査結果は、アルブミン2.6。数値だけ取ると極度の栄養失調状態。食べないのにプラスして、肝硬変による肝機能低下も大きい。アルブミンの産生そのものが低下しているはず。
 総タンパク9.1は解決。ベンスジョーンズたんぱくではなく、肝硬変によるグロブリンの上昇だった。ジギタリスの血中濃度にいたっては4日目で1.3。本来ならモニタリングしてコントロールすべき薬物で、もはやジギタリス中毒と言われた。以前から処方に疑問を持っていたが、急変による内服中止で発覚したのは残念であり、もっと早く対処していればよかったと悔やまれる。弱った肝臓に必要のない負荷をかけていたことになる。
 すべての薬物を中止した現在、バイタルは見た目上正常値。ただ、認知症薬を飲まないとなんとなく見当識障害が進んだような気もしないでもない。
 どう食べさせるかが一番の問題だが、胃ろうを造設するつもりはないし、やってマーゲン。そもそも今の消化器系に十分な消化・吸収・代謝ができるのかという問題がある。
 父と息子といえど別個体。驕った意見だが、この状態の父を「生かす」権利が自分にあるのだろうか?「もういい」のではないか?元気な時の父にリビングウイルを求めたとしても、正常な判断の出来ない今の父に聞いてみても、その答えは出ない。すべては罹患した疾病と現在の年齢、その影響下にある精神状態に依存する。父のこころの声が聴きたいが。
 亡くなるまでは、「延命する意味が?」、逝った後は「もう少し生きたかったのでは?」となるのは間違いない。朝まで寝ずに考えてもメビウスループか。答えは、自分にその時が来た時出るのかもしれないが、その判断能力を残していることが前提となる。

5

2012-05-31 20:40:13

 新藤兼人逝去のニュースは、広島の地方紙、中国新聞で一面。「最後の言葉です。」というフレーズは、ここ数年、公の場で発せられていたらしい。100歳越 えた人と接したことが何度かあるが、世話をする子ども達が寿命レベルで付き合いきれないというちょっとした笑い話。娘さんとか、息子さんとかって、倍以上生きてる人たちをつかまえてどうなんだか。
 Facebookのアカウントを作ってみたが、これって何に使うの。意味がわからない。(以前も一度作成したが一時間たたずして退会した。)

2012-05-30 20:46:03

 久しぶりに買ったCDは、「Words of Farewell」。(一般向けでない。)ジャケットやブックレットの写真が、大好きなフォトグラファー「マイケル・ケンナ」を彷彿とさせるモノトーンの世界。サウンドはキーボードが効果的で、とてもドイツのバンドとは思えない。
「・・・。」
 ふと、妙なことに気が付いた。実は昨夜、葬式での挨拶の言葉を検索したのを思い出した。
「Words of Farewell (別れの言葉)」
 他人には暗い話かもしれないが、決して負の連鎖とは思わない。父は十分に生きた。

 もう一つ暗い話。大学時代の(アメリカン)フットボールでは、86年に左膝靭帯損傷。関節鏡で切れてないことがわかり、縫合して終了。執刀は整形では珍しい若い女性ドクターで、顔までよく覚えている。90年には完全に靭帯断裂。長年うちのチームドクターも兼任していた整形外科部長の診察を受けた。
 何気なく関東労災病院を検索すると、なんと、二人ともがんで亡くなっていた。偶然かもしれないし、根拠も説明できないが、放射線被爆だと思う。かなりショック。

 たった今知った訃報、新藤兼人が亡くなった。つい10日前、代表作「裸の島」のロケ地、「宿祢島」を見に行ったばかり。美術館に行った3日後に亡くなった平山郁夫を思い出した。新藤監督と言えば、うちの隣町(自分が事故した場所)の出身。wikiから引用のエピソードによると。
「2012年4月22日、100歳を迎え、東京都内で誕生会が開かれ、集まった映画人を前に「これが最後の言葉です。どうもありがとう。さようなら」と挨拶した。」
 100歳と1ヵ月、目標を達成したのだろうか?久々に聞く老衰という言葉に、灰も残らないほど燃え尽きたと想像できる。エンドロールが流れきって、黒バック、スクリーンのど真ん中に白字で「終」の文字。ゆっくりと緞帳(どんちょう)が閉じていく・・・。
「最高にカッコいい死に方。」
 死の話が続いて申し訳ないが、人間が生まれた瞬間に決定する逃れられない運命。「今を生きる」モチベーションを貰った。合掌ではなく拍手で送りたい。

2012-05-29 18:25:26

 20年以上契約していたWOWOWを解約した。見る時間がなく、費用対効果が著しく低下していたのが要因。同時に、東京から帰って以来これも20年間ずっと借りていた駐車場が、地主の都合により来月で立ち退きに。何かが変わりつつある。少し寂しい。
 家に帰ったとき気になるのが父親の意識レベル。ところが今日、無意識に、そして生まれて初めて、最初に呼吸状態を確かめようと思った。この夏を乗り切れるか?ただそれが父にとって幸せなのか?自問自答する日々が続く。

2012-05-28 20:56:48

 日が長くなって、夕方のSAがまだ明るい。

2012-05-26 08:04

 Rock in Rio Lisbon. 今PCを立ち上げたらYou Tubeでライブ中とのこと。アクセスして10分待たずしてMetallicaが現れた。
「Hit The Lights~Master of Puppets~Fuel...」
 ブラジルなのかポルトガルなのかわからんが、とにかく地球の裏側でやってるLiveをリアルタイムで見れるとはスゴイ時代になったもんだ。
" Rock in Rio "
 アンコール一曲目は「Fight Fire With Fire」。この曲がリリースされた頃はまだレンタルレコードの時代。イントロを初めて聴いたとき、正直「これって音楽?ただの騒音じゃ。」、ダビングせずにそのまま返そうかと思った。
 「One」。この曲で映画「ジョニーは戦場に行った(Johnny Got His Gun)」を知った。ストーリーから構成まで、今なお自分の人生観に大きな影響を与え続けている。健常者が単純に自殺を否定することの愚かさ。決断は本人の意思により行われるべきだが、その実施能力の有無が前提となる。
 人間には、生かされる喜びと同時に、生かされる地獄も存在する。その多くが、家族を含めた本人以外の第三者によって決められていることは、悲劇といわざるを得ない。
 さて、津和野へ。

5.24 Re:Tour2000

 2000年東日本の旅再編集スタート。ちょっとしたモチベーションになる。

5.18 尾道・朱華園

 尾道ラーメンの超有名店。もちろん前は幾度となく通過したことがあり、入ろうとして行ったこと5回ではありえない行列に全てスルー。昨日福山から宿祢島への途中何気なく寄ってみると。
「並んでない!」
 入ってみるとガラガラ。
「へ〜。」
 広島に住んでいながら、ついに朱華園のラーメンにありついた。で、お味は?
「へ〜。」
 今まで並ばなくて正解だった。

4

4.30 モッチーはある晩突然に。

 静岡の旅人モッチーと初めて出会ったのは2000年8月15日火曜、北海道は道の駅「しりうち」(ファンでもなんでもないが北島三郎の実家がある。)のトイレだった。そのときは軽く話をしただけで別れたが、翌日、今度は道の駅「フォーレスト276大滝」の壱億円トイレで再会。当時は偶然2度会えばアドレス交換をすることにしており、数キロ一緒に走って支笏湖で別れた。
 2年後の02年、沖縄帰りで広島に立ち寄った彼と、近所のロイヤルホストで再会。このときは駐車場で立ち話だけして別れた。
 3度目、4度目は2年後の04年、移動接待(車で送ってもらう)を一切受けない全行程完全歩き遍路で八十八箇所を回ったモッチーを、前半の7月(徳島市内)と後半の8月(伊予三島)の2回陣中見舞いした。※徳島では、当時「(年金)未納三兄弟」発言で坊主になった管直人と同宿し、ビールを飲ませてもらったらしい。(笑)
 5度目の08年、屋久島帰りに広島に寄ったくれたときはジョイフルで話し込んだ。お好みを食べたというが覚えてない。(※思い出した!舟入の一休さんに連れていった。)
 そして今回。昨日(4/29)静岡の湖西を出た彼は、昨夜鳥取、今日(4/30)蒜山で、行ければ明日(5/1)大和ミュージアムとのこと。明日無理なので今回の再会は難しいだろうと考えていたが、17:26・・・。

M:「今、三次です。広島まで出てしまったりして。(笑)」

「”しまったりして(笑)”って・・・。」

 冗談かと思っていたが18:43・・・。

M:「只今R191とR54の分岐のマルナカ。おすすめのビジホは?」

「ナニ〜!?だいたい地元民にビジホ聞かれても知らんわ。」

 そのときこちらはパスタフレンド。モッチーから10分圏内。

「急すぎて対応不可!」

 彼が宿を確定させ、こちらがバイクに乗り換えた市内で合流の運びとなったが、家に帰って携帯を見てみると。

M:「可部のビジホを取りました。」※広島市中心部から北へ15km。

「(アホか!)なぜ可部?市内まで出てこい!(笑)」

 08年の記録にもまったく同じことを書いているが、旅スタイルは正反対。一箇所を堪能するこちらと違い、彼はとにかく走り続ける。事実今回も昨日からずっと下道。シフトペダルの当たる左足が痛いとのたまう。この痛みは、長距離走行は当然ながら、どちらかというと長時間走行で現れる症状。それも高速ではなく、一般道を使った証拠。

「相変わらずやね。(笑)」

 JR横川駅でロータリーで、4年ぶりの再会を果たした。振り回されつつも内心ニヤニヤだ。数時間後自分がどこにいるかわからないのはまさに放浪旅人の典型的行動パターン。唯一ここだけは似ている。(笑)
 お好み弁慶まる(立ちゴケ未遂救助あり)、再びジョイフルで語り合い、先ほど別れた。これを書いていてふと気付く。

「(02年を除けば)オリンピックイヤーであり偶数年。次は16年?」

 12年間で会ったのは6回だけだが、微妙に濃い。つくづく行動の読めないヤツだが、無性に旅心をそそる。明日呉に行くなら渋滞にハマるだろうに。

「なぜ可部?(笑)」

※先ほど8:00(5/1)にメールしてみると、もう呉の「からすこじま」にいるとのこと。やっぱり(笑)6:00台には可部を出たのだろう。大和ミュージアムには少し時間があるので、音戸大橋のループを勧めた。呉からは尾道に向かうそう。気を付けて、良い旅を!

 旅心は感染する。何もかも捨てて旅に出たい気分・・・。


Traffic Accident 2010.9.12

 長いので別ページ作成継続中。


4.13 ぱしふぃっく びいなす

 那覇港に久々のクルーズシップが停泊していると思ったら、ぱしふぃっくびいなすだった。神戸発〜屋久島〜奄美の旅を昨日終え待機中。那覇解散らしい。例によってロイヤルスイートA 375,000円だが、最低ランクは98,000円。何とか手が届きそう。ディナーショーは元ちとせ。
 このあと27日出発の別プランで同じルートを横浜まで。神戸で降りると同じ金額だが、横浜まで行くと500,000円。貧乏人はどうしても費用から入ってしまうのが悲しい。
 ちなみに飛鳥2が今どこにいるか調べてみると、4/2より3ヶ月の世界ツアーで、現在位置はタイのプーケット。Sロイヤルスイート24,500,000円って世の中に行く人いるんだろうね。最低ランクでも4,250,000円。腹立たん?
 タイタニックが沈没してちょうど100年。決して悲劇的側面ではなく、優雅なクルーズを夢見てこの曲を。

Southampton

※上を書いたあと調べてみて少し驚いた。タイタニックが処女航海としてイギリスのサウサンプトンを出港したのが現地1912年4月10日(日本時間のおととい)、氷山に接触したのが4月14日の深夜(日本時間あさっての昼前。)だって。つまり100年前のこの時間、まだ悠々と北大西洋を航行していたことになる。もちろん映画の中での話だが、船首のあのシーンは今この瞬間かも。(大西洋の真ん中辺りで地球の真裏、日本よりちょうど12時間遅れ。沈没地点はカナダ寄り。現地15日2時頃。)
 1,500人を飲み込んだ海は、今も変わらずそこにあるはず。歴史というのは変えようのない事実であり、時に冷酷ですらある。クルーズシップに関する内容でタイタニックは縁起でもないが、上にも書いたとおり素晴らしい旅を祈ります。お金と時間があればぜひ行きたい!


4.7 PM

 昼過ぎまで晴れたり小雨が降ったり、煮え切らない空模様。結局15時過ぎ、先週に引き続きモンシュシュへ。パフェのバニラアイスはコクがあって美味しい。そのまま「こころ」のパティスリーマチルダで遅いホワイトデーを購入。帰り道の神原シダレザクラはまだ一輪も咲いておらず。
 一度戻って今度はパスタフレンド。正直ハマッてる。翌日にはまた行きたくなってるという。帰りの路肩温度計は3℃を表示。
 昨日のSAでグリーン、今日のモンシュシュで赤のグローブを下ろす。昨日は気にならなかったが、今日の寒さは無理。とりあえず安全に初走行をしたので、次からはクロスして片手ずつ色違いに。(笑)
 ついに「神々の海」ツアーが途切れてしまった。桜が咲いてないとね。来週?明日は暖かくなるらしいが、実技図鑑を開かないと来週大変なことになる。
 モンシュシュって言うくらいだからフレンチパフェ、パティスリー(確かフランス語)マチルダのクッキー、庶民派イタリアン。幸せな一日だった。
 マチルダってイギリスっぽい。すぐに浮かぶのはガンダムのマチルダさん。イギリスの女優でマチルダ・メイっていたはず。あとはレオンのナタリー・ポートマンが演じた少女?このあと検索してみよう。
 とりとめのない文になってしまいました。明日こそは新しいカメラで写真を。

※マチルダ・メイはフランスの女優だった。出ていた映画が「バタリアン」だと思っていたけど、正しくは「スペースバンパイア」。「バタリアン」って「オバタリアン」の語源よね?と調べてみたら、ウィキに同じことが書いてあり笑った。チープなゾンビ映画なのに一般化してるのが面白い。
 「レオン」の監督はリュック・ベッソンで、主演はジャン・レノ。ナタリー・ポートマンはジューイッシュ。マチルダという名前はフランスに限らず、ヨーロッパの女性名みたい。イギリス王妃や戦車の名前にも使われているらしい。勉強になった。

AM

 昨夜から雨降ったりやんだり。それでいて今快晴。宗谷にはまだ雪が残っているし、津和野は雨、吉和に至っては雪という。この週末は5年目の「神々の海」ツアーと行きたいところだが、大根島の桜はまったく開いてないし、三刀屋も同じ。それどころか中国山地越えは降られる。
 ということで消去法。岩城の積善山(個人的に瀬戸内ナンバー1の絶景。桜の名所でもあるが、この時期訪ねたことはない。)に行きたいけど午後からでは遅い。彼岸に行けなかった母方の墓参りをかねて、近場の瀬戸内絶景、陀峯山あたり?新しい音戸大橋の進捗状況もチェックできる。新規開拓のカフェなどあれば ベストだが見かけたことない。最近自分カフェの道具持ち出しがめんどくさくて。
 また変な雲が出てきてる。寒くて外で本など読めない。

 そうそう、小野田寛郎の「たった一人の三十年戦争」を読み終わった。平和な時代に生まれた自分にとって賛否両論、色々な見方が出来る。ただ一ついえることは、人類史上稀有な存在であり、九十を越えまだ御存命であることを考えると、神に選ばれた個体であることは間違いない。
 人間というのは本当に面白い。意識のコントロール下で長生きできる人もいれば、究極の無頓着の中で長生きな人もいる。ナーヴァスすぎて早死にする人もい れば、適当すぎて早死にする人もいる。そこに遺伝子レベルの身体的耐久性を考慮すると、もやは計算など出来ず、確立統計の世界。結局四つのきまり、「愉快な生活をこころがけること」に行き着く。

「泣いても一生、笑っても一生。どうせ生きるなら笑わにゃ損々。」

ってとこ。こんなの書くと、阿波おどり行きたくなってきた。
 小野田さんの血液型が知りたい。(笑)

 今日は満月。Bark At The Moon

※九州・沖縄の「あとがき」は、収拾つかず手が付けられない状態に。またぼちぼちと。60日間ですでに一年以上かかってる。東日本編は94日間もあるので2年越し?いいライフワークだ。

 MOTOGP開幕!

4.6 環境変われば景色も変わる
 新しい環境にアップアップしつつも高速に乗った。かなりマンネリ化し、いまいち楽しめてなかったバイクも気分一新。アクセルの開度も上がり、新鮮な景色が流れる。新しいカメラと本を持って、春に繰り出してみよう。


4.4 念願いろいろ

 まず先日より宣言していたコンパクトカメラ、「CANON Power Shot S100」と16GBの最速SD、予備バッテリー購入。注目は24mmの広角とGPS。一時期単体のGPSロガーを買おうかと迷ったが、このカメラがあれば、山中道に迷ったとき現場で一枚撮っておくことで帰ってからの位置確認が可能。
 ただ2階の自分の部屋で撮って標高22mと出るので障害物には弱そう。ロガーでも受信状態はシビアなようなので仕方なし。
 二つめは3シーズン使用のオンオフ兼用FOXボンバーグローブ。通常オフでの転倒による外傷が命取りになることが多いが、今回はほぼ4年、磨耗による大往生。左手小指の付け根に開いた穴はまだ小さいので、転倒必至のアタックツーリング用に。
 またまた赤と緑の二つを購入しクロスして使用。左右色違いの靴は「間違えてるの?」と評判悪いです。
 最後は何年もアマゾンの欲しいものリストに入っていた三冊。

・たった一人の30年戦争 小野田寛郎
・大空のサムライ 坂井三郎
・津山30人殺し 筑波昭

 読む時間はなかなか取れない状態になってしまったけど、ぼちぼち気分転換に。


4.1 Every cloud has a silver lining.

 ついに明日から新しい3年間がスタート。どんな状況もすべて考え方しだい。

「愉快な生活を!」

 父親は3年後にはもういないと思う。イライラすることの方が多いけど、記憶のある数分間に幸せを追求したい。

3

3.31Kitchen Cafe "mon*chou chou"

 朝イチ歯医者。帰って父親を定期の病院に連れて行きそのまま散髪の付き添い。午後キタムラへ。目をつけている機種の展示品を詳しくチェックし、個別のカタログを貰い一度帰宅。
 トリッカーのリヤブレーキパッドを交換。家の裏で錆び付いている92RMXのを流用できた。日本縦断のパッドが付いてると思うとなんとなく嬉しい。
 洗車後乾燥を利用してずっと気になっていたカフェ「モンシュシュ」を訪ね、「お花かざりのハルベリーパフェ」をオーダー。ハルベリーというベリーを知らなかったので、「アメリカの女優みたいですね。」と言ったら、逆に向こうが知らなかった。(笑)ハルベリーってもしかして春ベリー?
 パフェは美味。バニラアイスの風味と食感が個性的。次回は料理を食べてみたいが、お値段少し高め。
 微妙な時間になったためキタムラは明日に延期。ホントに写真を撮る気があるのかもう一晩考えてみよう。


3.29 掛頭山頂リフト(積雪断念)~聖湖

 今期の営業を終了した芸北国際スキー場掛頭山頂リフトに向かったが入口でまだこの状態。路面から60-70cmはある。左へ登る県道は除雪してある。ここでけっこうな時間、いつものいい年したおっさんの一人雪遊び。気温もそこそこあり、生活道路には雪はないので、オンオフ問わず最後の雪景色を楽しむ走りが出来るかも。
 目立ったのがR191沿いの、壊れたり、グニャグニャになったりした歩道の柵。一部ではなく、ほぼ全線通して波打っていた。この道は長いこと通るが、あまり記憶にない。豪雪だったことがうかがえる。
 そういえばそろそろ深入山の山焼きのはず。山頂から下る谷にはまだかなりの雪が。絶対無理そう。


3.26 Snow Walker>Sakito Cinema Paradiso

 家を9時半にスタート。美東SAで目的を失って再プランニング。戻る気はしなかったので・・・、

「えふか、焼きカレー?」

 OhIkeさんにメールして壇ノ浦へ。連絡は取れたが外出中とのこと。さらにTonojinと、マイナリストとは関係のない友人にメールして吉志へ。
 Tonojin宴会中、もう一人も残念ながら連絡取れず。らしくないことをしても道連れは捕まらないと苦笑。生粋のLonerとしては特に落胆するわけでもなく地図を取り出す?

「って地図ない!」

 九州入りするつもりもなく出たので中四国しか持ってない。仕方なく佐々木希(NEXCOの小冊子)を手に取った。九州全土のあまりにもデカイ地図。
 前日、端島(軍艦島)に興味を持つ友人にいろいろ話してあげたばかり。思いついたプランは3年ぶりに佐世保の知り合いのお墓に参り、9年ぶりに崎戸へ。外海(そとめ)を通って野母崎へ下り、こちらも6年ぶりに軍艦島を見て、トルコライス食べて帰るというもの。このときすでに正午は過ぎているという・・・。(笑)
 大塔で降りて墓参。大島大橋が無料になってる。橋のたもとにあったうどん屋で回数券の話を聞き、隣のデイリーで買った覚えが。コンビニは変わりないが、情報をくれたお店はシャッターが閉まっていた。
 崎戸にはかつて数千人が働いていた炭鉱があり、00年、03年と二度訪れた。あまりにも異様な炭住(炭鉱住宅)と平和寮、そして一度みたら絶対忘れないのが映写室。
 この建物を見たとき、瞬時にスターウォーズのスノーウォーカー(巨大四足歩行兵器)を思い出した。七本足の上にコックピットがあり、今にも歩き出しそう。これらのすべてが取り壊されたとは知っていたのだが。

「ホントに何もない。」

 平和寮は、更地となっていただけでなく、草ぼうぼうとなり、それがそこにあったとは想像も出来ない。

「スノーウォーカーは?」

 以前からあった瓦礫のみを残し、跡形もなくなっていた。在りし日の姿を思い出しながら、自分史上最大の後悔の一つを振り返った。何度も書いてきたけどここでまたあらためて。
 03年、この建物に登ろうと試みた。高さは5mほどあるだろうか?足場はまったくないので、剥れたコンクリートの段差や、わずかに飛び出した鉄筋を使い登っていく。コックピットの床面に手を掛けたそのとき、向こうの景色が目に入った。すぐ向こうの資料館のある集落から丸見え。あとは這い上がるだけだったのに躊躇し、諦めてしまった。今にして思えば痛恨の判断。あの運転席に立つ機会を永久に失ってしまった瞬間だった。
 映画館の映写室だったらしく、往時は建屋に覆われていたと思うが、なぜあのようなフォルムになったのかとても興味深い。実際登ったとしても何もなかっただろう。今となっては、そう言い聞かせるしかない。
 先端のホテル咲き都で折り返す。いつか御床島に渡ってみたい。それにしても館内の自販機が今どき150円とは?強力(ごうりき)が担いで上がる山小屋ならまだしも、その30円が収益に影響あるのか?
 大島。のちに有名になる蛤診療所(結核隔離病棟)も、正確な場所がわからないほど消え去っていた。
 南下は外海(そとめ)ルート。西彼杵(にしそのぎ)には、これ以外に大村湾側のR206と、県道を尾根伝いに走る山岳ルートがあり、どれも通過したことがあるが、最もきれいなのはやはり外海だろう。池島の近くにある三角の島が母子島?移動と同時に島の形が変化、さらに太陽と海とが作り出す風景は、吉志での判断が間違っていなかったことを確信する。
 R202の海岸ルートから女神大橋を選択。これまで端島へのアクセスはすべて市内からだったため、今回初めて通る道。建設中だったのを覚えているが、多くの橋がそうであるように、通るより下から見るほうがきれい。
 野母崎。ここは何度も通ったけど、小さな峠からの下りで、右の海に初めて端島が見えるときにはドキドキする。夫婦岩の休憩所で点滅する灯台を眺めた。すでにかなり暗くなっており、島影だけが浮かび上がることによりいっそう軍艦に見える。
 ちなみにこの休憩所。以前島に渡してもらった光隆丸やら、ゑびす丸のクルーズ広告が貼ってあり楽しめた。
 さて、辺りは真っ暗。西からの強い海風はしぶきを伴い、まさに潮降り街。(かつて軍艦島の西側居住区がそう呼ばれた。)さっさと逃げないと錆びる。
 最後のプラン、トルコライスの情報を現地の友人に求めた。コンセプトは観光客相手じゃなく、地元民が行くお店。とりあえず市内に移動。教えてくれたのは、「ニッキーアースティン」、「ツル茶ん」、そして「向日葵亭」。最初の二つは街中っぽくバイクでの探索は辛い。持っている地図は高速道路マップだけ。郊外で、遅くまでやってて、地元の人しか来ないという「向日葵亭」をピックアップした。
 まず電話ボックスで住所と電話番号、すぐに駅前のコンビニに入り、所在地を確認。さっき通ったR202と県28の分岐近く。もう車通りの少ない県道を抜けると、意外にも人けのある埋め立て地のような場所に出た。広島で言うと廿日市の木材港みたいな感じ。
 ローソンやらセブンやらジョイフルやらある賑やかな交差点で電話。わかりやすい説明ですぐに到着した。時間はすでに21時を回っていたが、けっこう繁盛している。客層もカップル、家族連れから年配の夫婦まで幅広い。観光客は絶対来ないだろう。(笑)お昼を食べていなかったので、向日葵風トルコライス(トマトソース)のセットに、生チョコクープというデザートをつけてリッチに。情報ありがとね!!!
 という訳で、思いつき日帰り旅全行程コンプリートの時間は22時過ぎ。ここはまだ長崎のはずれ。帰り激寒、帰宅朝4時、全行程1,006km。これを日帰り旅というのでしょうか?

スノーウォーカー:最後のうんこがジャバ・ザ・ハットなのに爆笑。

映写室の写真はしばらくサイトトップに。

 在りし日の姿を検索。2,000人規模の映画館だったそう。足4本側が正面玄関で、3本側がホールになる。
 この写真を見ると、スノーウォーカーは間違ってる。あの部屋にはトトとアルフレードがいたのかも・・・。後悔先に立たず。
 今は誰も来ない寂しい丘の上。どう考えても想像できない。

Nuovo Cinema Paradiso

 陽気なイタリアでさえ、昔キスシーンは検閲対象だった。人はみなここから生まれるのに不思議。また泣いてしまった。(笑)
 誤解を恐れずに書くと、人間に起こる現象はすべてキスから始まる。病気や解剖生理を学ぶ前に、まずキスの勉強から始めないと。人はなぜキスをするのか?その根拠は?(笑)


3.25 My Empty Room

 もう10年以上使っている、自分が書いたものに対する書庫「empty room」。タイトルはQueenrycheの名盤「Operation Mindcrime」の一曲から取った。壮大なコンセプトアルバム(収録曲すべてが、ひとつのストーリーに基づいて書かれている。)である歌詞の内容とは関係ない。
 このタイトルを使っていこうと考えたのは「時間」。これは写真にもいえることだが、記録という行為そのものがコンマ一秒たりとも前に出ることはない。
 生み出された瞬間から、時間の経過と同じ速度で過去へ遠ざかっていく。そこに新しいものは何も存在せず、あるのはすでに経験した過去。

「残すことになにか意味があるのだろうか?」

 文字はともかく、写真を撮ることがほとんどなくなった。カメラを持って出ないことも少なくない。もちろん過去から学ぶことは重要だし、それがあるからこそ今の自分がある。カメラが古いのも原因のひとつで、新しくなれば撮りたくなるのかも知れない。カタログを眺めているうち、ふと、そんなことを考えた。
 過去も未来も夢であり幻。すべてはempty room(何もない部屋)の中に存在する。

My Empty Room / Eyes of A Stranger


3.23

 ギリシャ人スタマティス・ミリゴス。今回驚きの消息情報が載っていたブログ、「ATAKAYA WEBLOG」を管理している方にメールしてみた。普段しない連絡をあえて取ってみたのは、名前に見覚えがあったから。

「ビンゴ。」

 博多に支店のある有名レザーライディングウェアブランドに勤務されていた方だった。次回、九州入りした際にはぜひ寄ってみたい。
 返信には、さらに驚きの事実が書かれていた。

「正確には覚えていませんが、昨年聞いた走行距離は50万キロぐらいだったような・・・。」

 00年時点で16万、以降これまでの12年間で34万・・・。

「ミリゴス師匠!」

 信じがたい数字だが、もはやその真偽は関係ない。心が沈んだ時、師匠がいまどこを走ってるのか想像するだけで何でも乗り切れそう。素晴らしい旅を続けてください。

 今日はもうひとつ面白い出来事が。NEXCO中日本から書留で封書が送られてきた。開けてみると、3/4、三重の亀山でのETCトラブルに関するもの。詳細は過去ログを参考にしてもらうとして、簡単な経緯は。
 西宮IC入口(普通に通過)-新名神亀山IC出口(ゲート開かずスルー)-伊勢道伊勢関IC入口(ゲート開かずチケットを取る)-芸濃IC出口(事情を説明し、休日割引適用で精算)。なお帰りの亀山-甲賀土山間も同じトラブルが発生したが、こちらは問題無いよう。
 書面の返送か、連絡とあったので電話してみると、芸濃での精算が中日本では把握できておらず、未精算になっているとのこと。会話の中でビビッと来たのが。

「ゲートでしばらく止まっておられましたよね?」

(はは〜ん!)

「監視カメラは動画なんですか?」

「はい。」

 へ〜、面白い情報もらった。新名神は比較的新しい路線。前からも後ろからも撮影され、さらにそのどちらか、もしくは両方ともが動画撮影。根拠はないが、地方の古いゲートではここまでの監視はされてないはず。ただ、将来的にはわからない。どこに行っても監視されているというウィル・スミスの映画、「エネミー・オブ・アメリカ」を思い出した。
 ゲートの設備とともに注目すべき点は、中日本、伊勢道、ETCの支払システムがなんの連携も取れていないということ。大げさかもしれないが、毎日報道されている縦割り、天下りの一端を垣間見たような気がする。
 もちろん未払いの嫌疑はすぐに晴れた。うちのETC残高管理を見れば、一目瞭然なのだが・・・。
 増え続けるカメラは怖い。ドライブレコーダーで撮った動画も増えてきてるし、2輪の危険なすり抜けを嫌悪する4輪ドライバーも少なくないはず。当然ライダー側にも要因はある。自分の暴走動画をアップして捕まるのは自業自得として、個人撮影動画が証拠として使用されるようになれば、すべての車がエネミー。
 生産ラインや店舗での従業員監視、営業のGPS監視などは、現代の「モダンタイムス」。いや、すでに惑星メーテルを構成するネジの一本になっているのかもしれない。事件の犯人特定や抑止力という有用性も考えると、そのバランスを取っていくのは非常に困難な気がする。
 去年ある山頂の草むらでアウトドア排泄(大)をしていたら、バリバリライブカメラの撮影エリアだったというのはホントの話。自分のうんこシーン動画がネット上に存在するかも。


3.21

 先週は水曜夕方から激痛、木曜金曜は痛みで何も出来なかった。

 祝・示談成立。長かったが面白い経験だった。検証を進めていく途中で思い出したのがエリン・ブロコビッチ。自分がジュリア・ロバーツ(同い年)になった気がした。

 おとといとても嬉しくて微笑ましい出来事があった。沖縄旅は残り3日。東日本編に先駆け、昔の記述を読み返していたときのこと。
 中標津のバイクショップ「BUM金沢」で、一人のギリシャ人と出会った。彼の名はスタマティス・ミリゴス。そのとき書いた文が以下。

2000年9月26日火曜日
 雨宿りがてらバイク店で過ごしていると面白い人物に出会った。ギリシャからきたツーリングライダー”スタマティス・ミリゴス”。走行16万キロのXL、スリックと化したタイヤ。バイクでギリシャから来たわけではなく、大阪で働いていたこともある。ここのバイク店にも、今からさかのぼること8年前から3年続けて現れたらしく、オーナーも覚えていた。
 年齢を聞くと関西弁まじりの流暢な日本語で「昭和26年」と答えた時には笑ってしまった。記念撮影をして別れる。

 再編集する北海道旅のその日のサブタイトルを彼の名前にし、何気なく検索フォームにドラッグした。すると驚くべきことに1件ヒット。

ATAKAYA WEBLOG

「えっ?まだ走ってる?!それも去年11月に日田って???。」

 さらに、

「あのXL?!」

 言い様のない嬉しさが込み上げてきた。広島は通ったのだろうか?国道二号線を軽やかに走り抜けていく彼を想像すると、それだけで頬が緩む。
 ちょうど60歳。こちらのことは覚えていないだろうけど会ってみたいな。いつまでも良い旅を!

 全国ニュースでも報道の通り、成羽(なりわ)の吹屋小学校が閉校。寂しい。


3.13 三月五日〜六日「鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デー」記
その弐 トラブルから今の自分を知る

 ETCを利用し始めて7年。ついに初めてのトラブルに見舞われた。05年春、軽用でスタート、11年1月には2輪用に交換し、胸を張って利用できるようになった。これまでゲートが開かなかったことは一度もない。
 神戸の友人宅をスタートし、山陽西宮ICからイン。ここでは何の問題もなかった。開通後初めて通る新名神の亀山ICで問題発生。ゲートではいつもしっかりと減速するが、近づいても開かない。とりあえず停止したが、それでも開かない。初めての状況が飲み込めず、後ろから来る車が恐い。ゲートは真ん中が開いており、そのまま行ってしまった。さらにトラブルは続く。
 今の出来事を検証しつつ走っていると、分岐を間違え、また伊勢道に入ってしまった。やらかしたとは思ったが、問題を解決したいし、そもそもUターンは出来ない。再びゲートに入るがやっぱり開かず、チケットを取った。すぐにインター事務所に行き聞いてみると、次の出口で精算しろという。カードを抜き、芸濃ICへ。一般ゲートに入り事情を説明すると、西宮からの料金も休日割引で精算できたのだが・・・。渋々一区間下道で鈴鹿へ。
 広島出発前、鈴鹿の天気予報は18時より雨。朝、神戸出発時は15時より雨。現在時刻11時前にしてもう降りだした。そして到着。

「呆然。」

 もっとも見たかったWGP & MOTOGPイベントが終了したばかり。

「なにしに450km?」

 それでも、初めて見るフォーミュラニッポン(佐藤琢磨ゲスト参加。10周のエキシビションレース。けっこう本気走り。)は逆にウエットなのがすごかったし、コントロールルームなど普段見れないエリアに入れたりもした。2輪4輪のナンバーワングリッドに立ち、スタートシグナルがブラックアウトする瞬間に感動したりもした。
 ウィリアムズレッドファイブ(80年代後半から90年代初頭に活躍したナイジェル・マンセルのマシンで、今回星野一義がドライブ。)と、キャメルロータスホンダ(こちらは本家中島悟がドライブ。)は雨で中止。2人のトークショーはそれなりに楽しめたが・・・。
 日本一速い男といわれた星野はおじいさんにしか見えない。(毒舌は相変わらず。)パドックで見たワイン・ガードナーも同じ。ちょっと前なら素直に懐かしめたのかもしれないが、両親を介護する今、老いていく寂しさが先に立つ。
 そして帰り。亀山では再びゲート開かず、次の甲賀土山で降り考えた。

「ひょっとしてこれ?」

 10Rに搭載している2輪用ETC車載器はアンテナ一体型。それを後部シングルシートカウル内におさめてある。荷物満載のリヤバッグで蓋をしても問題なく動作確認済み。ところが今回、一点だけ違う要素があった。
 神戸の友人宅では、路駐すると物騒かもということでバイクカバーを持参していた。それを小さく折りたたみシングルシートカウルに入れていたのだ。幾層にも折りたたんでいただけでなく、(根拠はないが、)素材の銀色の繊維が電波に影響するような気もする。カバーをタンクバッグに入れ換え、再び土山ICゲー トへ。

「やった!もっと早く気付けよ!」

 勉強になりました。しかしさらに困難は続く。帰路450km全行程強雨。経験上特殊な状況ではなく、これまではむしろ追い越し車線からゴボウ抜きだったのだが。
 原因は、2年間のデスクワークか、はたまた老眼か、明らかに視力が落ちている。少しでも明るいうちに距離を稼いだが、ついに日は落ちた。
 メガネは数年前に作り、歩行者に注意の必要な一般道でのナイトランのみに使用していたが、この雨ではとても見辛い。曇るためシールドを少し開けると、吹き込んだ水滴がメガネに付く。裸眼ならシールドを指でワイプするだけで終わりなのに。
 結局メガネを外し、80kmで、トラックのテールランプを追った。その帰りの長いこと長いこと。ドライなら休憩込みで100km1時間の計算なのに。激しい雨に路面も確認し辛く、落下物などあれば即終わり。
 別府の旅でも、些細なことながら納得のいかないミスあり。これからの旅のあり方を考え直す必要があるかも。これまで無理な行程を組みすぎていたと考えれば仕方なし。下記「四つのきまり」をゆる〜く守っていこう。

今日の那覇新港
 コロンバスなるドイツのクルーズシップ停泊中。
 面白いサイト発見。世界の船舶現在位置をリアルタイム表示。残念ながら沖縄はエリア外。ライブ船舶マップ


3.10-11 別府チョロ松(かも吸)~鍋山の湯~鍋山野焼き~フルーツ工房「えふ」

 目的のコンパスを売る豊後大野のお店が、直前に土日休みということが発覚。そもそも通販も出来る1,280円の商品をゲットするのに300km以上走るという。ただ、200円のうどんを食べるために瀬戸大橋を渡ることを考えれば、それほど大差はない。何の目的もなしに別府を目指した。去年9月以来。

 昼12時過ぎスタート。気分的に少し沈んでいたので、九州入り後はなにも考えず遠回りのR10を走行。ボーっと前の車のテールを追い続けた。鍋山の湯に通うため、年末年始、5年間ナイトランしたルート。(夜空いてるし、山ルートは凍結が恐かった。)道の駅「おこしかけ」や立ち寄ったコンビニが懐かしい。

 シュラフ野宿を考えていたが、今回は初めてカプセルホテルなるものを予約した。「この寒さで野宿?」と思うかもしれないが、家の厳冬期シュラフは−20℃まで対応。東屋など、夜露をしのげる屋根さえあれば問題なし。ネックウォーマーを鼻までかぶり、ペットボトル湯たんぽで朝まで快適に寝られる。ただ、ここ数年とにかく荷物を少なくしたくてどうしようもない。
 取ったのは駅近くのカプセルホテル「ニューグロリア」。日帰り入浴も可能な24時間温泉があり、一泊1,900円。棺桶のような閉鎖的空間を想像していたが、テント内や二等寝台と変わらず、意外に快適。

 コンパス断念後筆頭目的となったのがチョロ松の「かも吸」。2-3年前、大分のライダーとり天さんより聞いたお店。実はとり天さんとは一度も面識がなく、知ってるのはメールアドレスと下の名前だけという不思議なつながり。その割には、Gallery KANさんやら、馬家溝(まちゃこう)さんのボルシチやら、良い出会いをさせていただいております。
 で、チョロ松。カプセルより歩いて数分。土曜ということもあってか店内はほぼ満席だったが、お一人様ということですぐカウンター席に。
 最初に頼んだ唐揚が出るまで30分(隣の人も)。瓶ビールはすでに二本目。(笑)明日の構想を練ってたら退屈することはない。朝、殺人事件後の鍋山の湯を確認し、阿蘇を抜け、熊本は金峰山の山幸窯を訪ねよう。余裕があればラーメンでも食って帰るか。
 そうこうしているうち追加で頼んだ寄せ豆腐と、「かも吸(そば入り)」が出来上がった。寄せ豆腐はネギではなくシソが添えてあり、タレが美味しい。そしてメインの「かも吸」はというと、ここまで来たかいは十分。さっぱりしたとしたスープにコショウがきいている。
 旅先で料理屋に入ると、地元の人たちの日常を盗み見ているような、不思議な感覚に陥る。ラジオ聞く人は知ってるかな?FM東京系の土曜17時、「サントリー ウェイティングバー アヴァンティ」がまさにそれ。

 翌朝9時まで爆睡。同じようにゆっくりしてる人もかなりいる。別府警察横のマックで朝食。ここで阿蘇の天気が悪いという情報を得た。まず明礬温泉。
 事前情報では事件後柵が出来、防犯カメラが設置されているとのこと。すでに去年、犯人は逮捕されたが・・・。行ってみると、柵は全開放。「野焼きのため11時から13時半まで通行止」とある。迷いなく進入、すぐに湯船へ向かった。
 現場には祭壇があり花がたむけられていた。温泉入口にはソーラーの街灯が設置され、門柱にはやはりガチガチの金網。「無断進入は警察に通報」との表示。ただ左側にはトリッカーが通過可能な隙間が。
 鍋山の湯、泥湯とも以前と変わりなく、満々とお湯をたたえていた。引き続き地元の方が管理されてるよう。野焼きの火に閉じ込められてはまずいので、湯温だけ確認して引き返した。
 鍋山の頂上付近にはたくさんの人影が見え、すでに燃え始めている。よそ見しているとフロントを取られてバイクのみ転倒。ブレーキレバーがひん曲がった。
 監督みたいな人がいる地点まで退避し見学。

「こりゃ凄いわ!」

 作業を行っているのは明礬自治会の人たち十数人。灯油バーナーで点火する人、延焼を防ぐ人と分担している。何よりすごいのは、

「ギャラリーおれだけやん!」

 これ以上の貸し切りはない。
 最初頂上から点火していたが、物理的に上から下へは広がりにくい。みなぞろぞろと降りてきて今度は林道から。

「凄すぎ!」

 熱気と音と匂い。写真では絶対表現できない部分。というか荷物になるのでカメラ持って来てないし。(笑)

「風が見える。」

 乾いた部分と湿っている部分、枯れた部分とまだ青い部分、そしてふさふさが密集した部分と空いてる部分、火の回りがまったく違う。そこに強風が吹くと恐ろしい速さで燃え広がる。

「まるで生き物。見誤ると死ぬわ!」

 バックドラフトのカート・ラッセルを思い出した。関係者の方々も、見物人が自分一人だけなので注意もせず放置。目の前にも点火。

「すげっ、熱っ!」

 朝から吹いていた強風は、燃え尽き、真っ黒な灰となった草を取り込み、渦を巻く。

「おいおい、なんかおるで、風神?」

 開始から2時間ほどで、この場所から見える”ひと山”が黒焦げになった。(扇山野焼きはイベントとして3/31に開催予定。)

「さて、帰りますか。」

 このときすでに13時近く。家までは7時間。熊本なんてとんでもない。

 15時過ぎ、3年ぶりに「えふ」に寄ってみた。カツカレーとストロベリーレアチーズパフェで遅いランチ。美味!

 最後にどうでもいい自己満足プチ自慢二つ。
 家を出るとき薄手のマイクロフリースはやめ、厚手のに変更。国道2号線熊毛付近では表示温度0℃で、これは想定内。さらに温度が下がる欽明路では、ついに身体が震え始めた。路肩温度計こそないが、明らかに氷点下と思われる。
 0℃を境界線に身体が震え始める。つまり、かなりシビアなレベルで温度管理できてるということ。氷点下になると凍結の問題が出てくるためバイクで走るべきではない。晴れていても水が流れ出ているところもあるし、さらに夜間では発見しにくい。といっても、こんな山の中に泊まるわけにも行かず・・・。寒さだけならレインウェア着用で、あと2-3℃は防寒性が上がる。
 もうひとつは予定到着時間。
 カプセルホテルの駐輪場に着いたとき時計を見ると、予約を入れた19時ジャスト。実は先週鈴鹿からの帰りも、設定した自宅帰着時間23時ジャストで完璧な±0分。
 取り立てて根拠もなく感覚的な算出だが、ルート、使用バイク、時間帯、休憩、それこそ寒さ(休憩が増える)などもなんとなく計算。数百キロ離れた地点から目的地まで、±10分以内に収まることが多い。もちろん合わせるための意味のない調整や、妙な細工などしない。
 で、昨夜。「えふ」からの帰着設定の22時に対し、実際の時間は22時2分。笑った。

 それにしてもこの寒さどうよ?1年前の3月11日の夜を思うと、胸が締めつけられる。

今日の那覇新港
 いつも見る定期貨物船、RKK(琉球海運)の「みやらび2」と「しゅれい」。さらに見たことない船が一艘。何らかの訓練船と読んだが検索してビンゴ。大洗にある茨城県立海洋高等学校の練習船「鹿島丸」で、潜水実習にきているそうな。

 北に飛ぶと、宗谷岬に流氷が来ています。


3.8 小笠原

 昨日久々に横浜のヒロからメールがあった。当然ケンジやたかこの話にもなる。00年旅の中ではちょうどケンジと別れたばかり。何かのタイミングを感じ、電話してみた。直接話すのは、かれこれ7-8年ぶりだろうか?
 あの旅の話に花が咲いたが、本気でしゃべりだすと1時間や2時間では語れない。その中で小笠原の話題があがった。死ぬまでに一度は行ってみたいところだし、実際構想を練ったこともある。しかし、トカラや大東島と違い東京都。いまいち秘境感を感じられなかったし、それは今も同じ。そう話す言葉とは裏腹に、もくもくと旅心が湧きあがってきた。

「ひょっとして今、チャンス?」

 かなり昔ではあるが、福島のねもと君が情報を持っている。検索!

小笠原村観光協会

おがさわら丸

 船だけで往復5万。(もちろん東京までの旅費がプラス。)さらに春休みで宿いっぱい。

「意外に人気!?」

 昔、27時間とか30時間とか言ってたが、今は25.5時間で行けるそう。確かおがさわら丸では「孀婦岩」は見れない。そうそう、「無人島に生きる十六人」とも関連がある。
 週一便。折り返し便なら中二日で帰れるが、そんなもったいないことが出来るか!そうすると滞在10日。テントは禁止。宿は探せばありそうだが一泊4,000円としても10日で40,000円。食費、船代、広島-東京間移動でざっと15万仕事。

「却下!いや、いつかへ延期。」

 わずか20分程度の盛り上がりだったが・・・。ん〜、なんか久々に旅心が燃えた!今、なんとなく朗らかな気分。

Next Stage !
 2月14日、4月から始まる新たな日常が決まった。6日午前には、それと両立させなければならないもうひとつの日常も。その午後、1年半の長期に渡り争ってきた事故の過失割合が結審。そして昨日、2年間の貴重な体験が幕を下ろした。
 不安を上げればきりがない。光の差す、わずかな雲の晴れ間に向かって歩いて行こう。

 3月9日は、ベストフェイバリットバンドBOSTONのBrad Delp(Vo)が、自殺により亡くなった日。天に飛翔するメロディは、これからも元気を与えて続けてくれます。


3.6 三月五日〜六日「鈴鹿サーキット50周年ファン感謝デー」記

その一
 スタートして間もない山陽道三原尾道付近での話。まだ明るいはずだがヘッドライトついていたような?トンネル明け?記憶が曖昧。
 志和ICからイン、土曜夕方のため交通量は多く、いつものように、「追い越し車線で遅い車に追いつく−そのままクルーズ−クリアになれば前の車を追う」を繰り返していた。しばらくして後ろにシルバーの中型車が付いた。
 前が詰まっていてもピッタリ後ろにくっついてくる嫌なタイプのドライバーだが、とくに珍しいことではない。昔ならブレーキランプをポンピングしたり、足(失礼?逆効果?)でジェスチャーをして車間確保を促したりしたが、最近は「突然バイクにトラブルが発生したらコイツに殺されるんだろうな。」と、いつもの発想で放置。
 そのうち、追い越し車線に遅い車が通せんぼ、後続4-5台が車間詰めて続いているグループに追いついた。こちらは70-80mの安全車間をキープ。むしろ走行車線の方がまばらで、先頭に出られないことはないが、到着時間に制限があるわけでもなく状態にまかせていた。
 こういうときによくあるのが走行車線から猛追してきてブレーキング、80kmの車にピッタリつけ存在感を示したあと前に入ってくるドライバー。気分により二つの行動を取る。
 普通に前に入れ、追加の車間を取る場合。そして前を詰め入れない場合。決してイジワルではない。こういう車に付くと、不必要に前を煽ったり、無駄なブレーキングをして後ろにいて疲れるからだ。
 さて、話は横道にそれたが、主役はシルバー。膠着状態の中、ボーっと前を見ていると、右ミラーが急に明るくなった。振り返ると。

「右から抜きに入っている!」

 前述のとおり前には4-5台、走行車線は空いている。反射的に右足で蹴りを入れた。(もちろんジェスチャー)こちらは追い越し車線の左のワダチを走っており、当然狭いサイド。一般道では反対車線にふくらめるため経験があるが、まさか中央分離帯で区切られた高速でとは?
 車間にイライラするなら左から前に入ればいい。実際、直後に左から抜いていき、強引に前の数台に割って入った。そもそも、クリアになったとき付いてくる能力はなく、何度も見えなくなっており、性能差はわかってるはず。
 しばらく唖然としていたし、これを書いている今もなぜそんな危険を冒すのか理解不能。怒りというより不思議。話がしてみたい。

2

2.28 三つの旅を計画中。
 最初が「クルーズフェリー飛龍」に会いに行く旅。00旅で、ヒロ、ケンジをはじめとする貴重な出会いの舞台となった船。08年運航会社の破綻により、しばらく福山の常石造船に係留。その後韓国の船会社に売られ、現在境港とウラジオストクを結んでいる。3月上旬ドック入りのため行くなら今。停泊は金曜朝から土曜の夜まで。日本語サイトの訳が微妙に笑える。

「運行時間表は寄港地与件及び気象変化に従ってちょっと変更されることができる」ちょっとってどんだけ?

 実際に乗ったことのない「飛龍21」は、和歌山沖で座礁した「ありあけ」の代替船として東京-那覇間を運航している。

 二つめはお気に入りのコンパスを探しに行く旅。90年代後半、天神ビブレで購入した「ブルントン ルミナス コンパス」。4-5年前、中のオイルが全部抜けてしまった。2年前ビブレに行ったがすでに店は無し。最近の検索で、豊後大野のナイフショップにあることが判明。もちろん通販で買うことは出来るが、旅の動機としては申し分ない。

 最後は神戸。


2.16 Parasympathetic nervous system
パラシンパスィティック ナーヴァス システム

 去年だったか、秋吉耕佑(全日本ロードレース選手権を2年連続で制しているライダー)がインタビューで面白いことを言っていた。

「自律神経をコントロールする訓練をしています。」

 内蔵を中心とする、意識ではコントロールできない部分は、自律神経(Autonomic nervous system)の支配を受けている。この神経は、さらに交感神経(Sympathetic nervous system)と、副交感神経(Parasympathetic nervous system)の二つに分類され、それぞれ激しい活動しているときとリラックスした状態のとき体内のバランスを取るために働いている。この機能は不随意で あり、基本的に訓練でコントロールすることは出来ない。
 ところが、秋吉の言葉はあながち間違ってはいない。ライディングに限らず、激しいスポーツを行っているときは、いわゆるアドレナリンが放出して 交感神経が優位に立ち、ある程度「熱く」なることが必要だ。しかしこれが行き過ぎ、オーバースピードでコーナーに突入すると曲がりきれない。レースの世界ではこれが命に関わることもあり、公道での走行にも通じる。
 一般に当てはめてみるとわかりやすい。経験のない立場におかれたとき、瞳孔は見開き、心臓バクバクになるが、必ずしも視野が広くなってるわけではない。注意力は一点に集中し、周囲への観察力はむしろ低下してさえいる。それが慣れるにしたがい、見えていなかったたくさんのものが見えるようになる。

 大学時代のスポーツで多くを学んだ。1年の春初めて試合に出た時、正直自分が何をやっているのかわからなかった。しかしその4年後、フィールドには別人となった自分がいた。
 セットする前に相手の11人を一瞬で見回す。走るルートを目で確認するランニングバックや、パスプロテクションのためわずかに姿勢が高くなるオフェンスラインは、レベルの低いおいしい相手だ。小さな癖を見つければもう次のプレイは見え見え。始まる前からすでに勝っている。特に格下のチームではこれが顕著になる。練習の時誰も気付かず、注意するヤツがいないのだ。
 反対に強豪チームではこちらも観察されている。それどころか目の動きでブラフ(はったり)をかましてくる。そうなるとお互い丸裸。身体能力、力対力の勝負は望むところだ。

 秋吉の話に戻ろう。レースという極限の世界において、冷静であるということ=副交感神経を優位に立たせるということにつながる。路面とタイヤの状況を正確に把握し、トップスピードからギリギリで止まれるブレーキングポイントを見つけ出す。そしていかに速く加速しコーナーを立ち上がるか。2年連続 全日本を獲った男の説得力。

 これは日常生活や仕事に応用できる。必要な要素は4つ。色々な状況下でたくさんの経験を積み、複数の予測を立てる。起こった事例に対して即時に最善の方法を選択し、それを実行する能力を有すること。すぐ出来そうな短期目標を設定し、一つ一つクリアしていくことも大切だ。
 今の自分はすべてが欠けている。未知の事態に対してベストな判断が出来る人もいると思うが、これはもはやセンスの領域。たぶん真似できないし、そのスキルも持ち合わせていない。

 今自分がしなければいけないこと。まず明日のぞなぞ大会をサラッとかわし、複数の旅先の中から素早く行き先を選び、どんな美味しいものを食べるか。これに尽きる。完全に解釈を間違っている。
 自分の欠点は、ある程度のレベルで満足し、逃避に走ること。そう、逃避は交感神経の支配下にある・・・。まだまだ未熟。

 余談だがエンターテイメントとしてプロスポーツを観戦する場合、矛盾が生じてくる。上記理論を実証できるのはあくまで何かを達成しようとする一人称を対象としたもの。あまりにも強すぎる絶対王者は時としてヒール(悪役)になることさえあるし、沈着冷静さが度を越えたリーダーは見ていて面白くない。落合中日などはその典型。何事もバランスが大切。

 よしだくんのため恋愛に例えてみた。
 好きになった最初のころは、好きという気持ちにすべてを支配され何も見えない。(=交感神経優位)
 ところが、時間が経つにしたがい相手の嫌なところも見えてくる。でもお互いがそれを受容し、ずっと一緒にいたいと思えばそれがリラックスした状態=副交感神経優位となる。
 彼女を観察し、何を求めているか推測し行動する。病床での看護と、人間関係構築のプロセスに似ているね。ただ恋愛の実際ではコントロールしているつもりが実はされている、彼女の支配下にあるというのが理想。何事もバランスが大切。


2.16 Life is A Fantasy !
 努力するとか、頑張るとか、大嫌いな言葉。今までの人生を振り返ってみても・・・。

「したことない・・・。」

 どうにも嫌なことを我慢してやらなければならないイメージが強い。

 夜、冷たい雨の中、バイクで目的地に向かうとき努力してるか?まるで無重力の宇宙空間を飛行してるよう。雨粒って星?おれってルーク・スカイウォーカー?
 クソおもろいゲームに出会い、徹夜でやり続けるとき頑張ってるか?次のステージが見たくてそれどころじゃない。

 勉強なんてガラじゃない。イヤなことはとにかく避けて通りたいんだ。教科書=あれって面白図鑑じゃね?テスト・試験=なぞなぞ大会ね。

「そう来たか、深い!」

「何これ?いじわるクイズ?」

 出題者とのかけ引きを楽しもう。
 「生きるって」、起きてても寝てても夢みたいなもの。明日が必ず来るなんて何の保証もない。それなら人に迷惑をかけないレベルで好き勝手しよう。明日のなぞなぞ県大会に勝つと、経験値がアップして何か貰えるらしいぞ。そうそう、3年後の全国大会に備えて10万円の面白図鑑も買わなきゃ。でも水色のシャツと紺のジャージは持ってるから要らないんですけど・・・。


2.14 In my early years. '86-'92
 ついさっき東京を旅した。6年間過ごした街。ただ・・・、残念ながら四角いモニターの中で。
 20年前、想像すら出来なかったGoogleストリートビューは、さすがに首都東京、「こんなところまで?」と驚くほど細い路地までカバーしている。
 毎日通った銭湯、今も元気なモンキー(原付バイク)や、初めての250ccバイクを買ったショップ、アルバイトしていた居酒屋、弟が住んでいたアパート。そのすべてが、まるで夢であったかのように跡形もない。しかし・・・。
 今部屋を見回してみると、碑文谷ダイエー(健在)で買ったピンクのハンガー、秋葉原で買ったBOSEのスピーカー、そしてモンキー。紛れもなく現在まで時間を共有してきた仲間たちだ。
 当時、何でもない家への帰り道によく考えたことがある。

「いつの日か、この風景が日常ではなくなるときがくる。」

 なんとなく前の日とは違う道を通るよう心掛けていた。今思えば、「知らないことを知りたい。」という小さな旅だったのかも知れない。
 あの日常が消え去ってから20年の歳月が流れた。同時に、今ある日常が一つの区切りを迎えつつある。あのころ生まれた赤ちゃんたちと過ごした2年間。こんなに面白い人生はない。さて、次の日常は何を見せてくれるのだろうか。


2.11
 那覇新港にまた面白い船が泊まっている。

新海洋資源調査船「白嶺」※注)PDF

 この1/31に下関で完成し、これが処女航海だそう。ライブカメラの倍率を上げると人が動いているのがわかる。中央にある掘削やぐらと、船尾巨大クレーンがすごい。
 そして今日の新聞に載っていたのが、

地球深部探査船「ちきゅう」※JAMSTECサイト

 フィリピンから帰ってきて静岡の清水に停泊中。「白嶺」より大きな掘削やぐらを持つ。こちらに説明動画があり、専門家が色々な研究を行っていてとても興味深い。
 先日の3次元物理探査船「資源」といい、この港には面白い船がたくさん寄港する。中国や韓国との海底資源の利権争いなど”きな臭さ”も感じるが・・・。
 ちなみに処女航海の英訳を探してみると、

"Maiden Voyage"

 意味はそのまま「処女航海」。船は女性に例えられるらしい。母船とか確かに。初めての航海から帰ってきたとき「女」になっているのだろうか?そういえば自分のゴムボートを初めて湖面に浮かべたとき、スパークリングワインで乾杯した覚えがある。
 さらにメイデンといえば、キング・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィメタルバンド「アイアン・メイデン」。音だけ聞くと、ダジャレじゃなく「名電」(会社)とか愛工大名電(イチローの母校)とか思い浮かぶ。

"Iron Maiden"(今日の一曲)

 "Maiden"の意味が「処女」というのは、「アイアン・メイデン」を聴き始めたそれこそ30年前から知っていて、今の今まで、メタル(重金属)バンドだから単純に「鋼鉄の処女」だと理解していた。ところが、

鉄の処女 "Iron Maiden"(中世ヨーロッパの拷問具)

「へ〜、知らなんだ。」

 ヘヴィメタルという音楽は元々異端であり、一般にはうるさいとか、全部同じに聞こえるとか、社会的マイナリストであることは確か。楽曲のテーマとしても、悪魔崇拝やら、殺人やら、おどろおどろしいものが多く、やはりよく聴く教会音楽とは対極に位置する。ただ、海外のミュージシャンの多くが良くも悪くもキリスト教を基盤としており、(真面目に?)聖書の暗黒部分を題材としている。
 サタンはかつて天使長ルシファーであったし、黒魔術や魔女狩りをそのまま名前や曲名に使っているケースも数多くある。極端な例としての「ディセクション(スウェーデン)」のリーダー、「ジョン・ノトヴェイト」がいる。彼は思想的にも強力で、実際に殺人幇助の罪で服役し、若い頃からの予言どおり拳銃自殺した。
 ドイツのスラッシュメタルバンド「ソドム」は、ソドムとゴモラ(=ウルトラマンの怪獣も同名)は聖書に出てくる町の名前、元ギタリストはクリス・ウィッチハンター(魔女ハンター)だったり、挙げたらキリがない。。
 ノトヴェイトは行き過ぎとして、悪魔崇拝バンドの多くは、それをあくまで演出の手段として使っており、そのメロディは荘厳でシンフォニック。まさに天使と悪魔の様相を呈する。ホラー映画を見るのと同じ感覚?
 同様に、キリスト教を崇拝する「STRYPER」もフェイバリットバンドの一つ。数日前一曲にあげたのが「Honestly」。
 彼らはデビュー当時、ステージから聖書を投げるというパフォーマンスを行っており、大学時代知り合いのお姉さんがコンサートでゲットし、実際に見せてもらった。(普通の日本語版の聖書にストライパーのステッカーが貼ってあるだけ。)
 バンド名も聖書の一節から引用しており、80年代後半には日本武道館でもライブを開くなどビッグバンドだった。
 念のため書いておくと、音楽、宗教ともそのメロディと、背景にある世界観に興味があるのであって、思想そのものにはなんの興味もない。普段は無宗教であり、先祖代々浄土真宗である。笑
 なぜか聖書配布協力会も思い出した。(東北でやたら見かけるので調べたことがあり、家の近所にも一枚ある。)

 なんのタイミングか昨日の深夜、ポルターガイスト(スピルバーグ・映画)をやっていたので見入ってしまった。ポルターガイスト(現象)
 主役の少女、「ヘザー・オルーク」が続編の公開後急死(クローン病)したのが当時大きな話題にもなった。映画のウィキ情報によると他にもたくさん死人が出ていて「呪い」説もある。日本では祟り、外国では呪いと、死にまつわる説明の出来ないものを恐れるのはいつの世でも同じ。
 大好きなアメリカンスラッシュメタルバンド「アンスラックス(ANTHRAX)」が出したアルバム"Among The Living"は、この映画の続編にインスピレーションを受け制作されている。
 アンスラックスとは炭疽菌(細菌兵器にも使われる)で、3.11と同時期アメリカで使用され世界に衝撃を与えた。

 と、ただ「白嶺」のことを書くためだけにPCを立ち上げたのに、話がつながってつながって2時間。キリがないやっとれん・・・。

 そして夜。「資源」と同じく、「白嶺」の夜間照明も異常に明るい。夜作業することも多いんだろうね。

 2/12 朝10:00過ぎ、北の方向に出港して行きました。


2.7 2011 MOTOGP JEREZ
 少し前の話になるが、正月明けに日テレG+で放送された「MOTOGP座談会」をみた。出演は宮城光、坂田和人、青木拓磨、辻本聡、上田昇の豪華解説陣に加え、ジャーナリストの遠藤智、さらに現役MOTO2ライダー高橋裕紀の7名。どうやら酒も出ているようで、脱線寸前の裏話に何度も爆笑した。
 特に坂田や上田は自分と同世代で、シュワンツやレイニーが活躍していた同時期に125のトップを争っていた素晴らしいライダーたち。そのためリアルタイムで覚えていることも多かった。ところが、最も印象に残ったのは昔話ではなく意外にも去年のヘレスでの出来事。
 ロッシがストーナーのインから抜きに入りスリップダウン、何の落ち度もないストーナーがリタイヤし、原因を作ったロッシはコースに戻っていったというもの。問題は転倒時、コースマーシャルの対応だった。
 6-7人がみなロッシを助けに行きすぐにコースへ復帰。ストーナーは激しくアピールするが、結局リタイヤ。このレースは見ておらず、「ひどいな。」という印象しか持っていなかったが、この座談会で納得の解説を聞くことが出来た。あらためて動画を拾うと。
・ロッシは転倒時からクラッチを握ったまま。
・ストーナーはすぐに落車。乗り上げているマシンを「自分」で起こそうとした。
・ロッシは左手でクラッチを握ったままのため自分で起こせない。
 感心するというより単純に驚く。あの状況で再スタートの事など考えられるのか。すぐに事故死したマルコ・シモンチェリのことを思い出した。事故の直前、スリップダウンした状態でもコース復帰の努力を行っていたのでは。
 静止画の最後では、走っているロッシに皮肉たっぷりに拍手をするストーナーが写っている。当然といえば当然で、面白い人間関係がみてとれる。


2.6 悲しい結末
 昨年9月、大分県日出(ひじ)で起こった児童行方不明事件が最悪のかたちで解決した。発端はお母さんが買い物をしていた間に車に乗せていた子どもがいなくなったというもの。母親が証言した事件発生日時は平成23年9月13日の14時頃、JR日出駅前のスーパー「マルショク川崎店」において。
 このニュースが報道されたときとても驚いた。このわずか3日前の9月10日19時前、自分がこの「マルショク川崎店」にいたからだ。しばらく気になっていたが、時間の経過とともに忘れていた。ところが。
 母親逮捕のニュース(広島でも番組中の速報あり。)が流れた昨日からさかのぼること2-3日前、「あの事件どうなったのかな?」とふと思い出した時間があって、またまた驚いた。
 実は行った場所で人が殺されたというのは少なくない。波照間のニシ浜ビーチ、明礬温泉の鍋山、北広島の臥龍山(未解決)、呉の休山、聖湖など多数。変死体発見はその究極かもしれない。あっ、もちろんおれじゃない。
 この事件で注目すべき点は、確か当初の報道で、殺された子どもに知的障害があったということ。その真偽は未確認だし、ましてや障害を理由に殺人が正当化されるはずもない。ただ・・・。
 一般的に染色体異常の子どもは短命だとされる。しかし医療の進歩した今、その寿命は伸びてきており、その場合、親が先にいなくなってしまうという必然が問題となる。もちろん親が子どもの死を経験するのは悲劇だ。しかし、障害のある子どもを残して死ぬこともまた悲劇。この事件の背景はわからない が、介護に疲れた親が病むことも考えられる。
 出生前診断という方法がある。母体血清マーカー、絨毛検査、羊水検査等により、事前に胎児の異常をしらべるというもの。検査そのものの危険や、精度も考慮する必要がある。では明らかな異常がわかったとき中絶するのか。それはもはや神の領域であり、シングル子ども無しの立場から結論を語るべきではない。
 縁もゆかりもないけど、あの日のマルショクに”ねじれの位置”での出会いを感じる。殺された子どもの冥福と、捕まった母親が「お母さん」であることを祈る。

訂正
 最新の情報によると、今のところ殺人ではなく、すでに死んでいた子どもの遺棄。知的障害ではなく運動障害。どちらにしても寂しい雑木林にわが子を捨てる行為に、「お母さん」の姿は見えてこない。
 それより昨日載った容疑者の写真が別人ということに驚いた。新聞を比べてみると、なるほど違う人。間違えられた人の周囲への影響を考えると、そっちの方がゾッとする。


2.5 Mark Reale 1955-2012
 Riotの(g)Mark Realeが先月25日に亡くなっていたことを知った。2-3週間前のHMシンジケートで、クモ膜下出血により搬送されたことは聞いていた。直接的には脳 血管疾患が原因だが、すでに30年近くクローン病と戦っていたらしい。
 持っている音源は、CD6枚、レコード2枚、探せばカセット数本。慢性化している心の擦り傷に沁みて激しく痛む。
 初代(Vo)Guy Speranza(2003膵臓癌)、二代目(Vo)Rhett Forrester(1994射殺)も故人。


2.4
 銃の腕が落ちたデルスの心境。

1

1.29
 気分転換に自宅裏で錆びついている92 RMXをバラしてみた。すでに部品取りのため骨組みだけになっていたが、エンジンは手付かずだった。
 目的はピストン。初めて乗ったKDXのはPCデスクのペン立て、ボアアップ前のモンキー、50ccのピストンはインテリア雑貨?このRMXのスピードメーターも部屋にあるラックのアクセサリーとなっている。
 横着してそのままヘッドのナットを緩めると当然のごとくプレデター。クーラントを抜き、ついでにラジエーターも取り外した。
 復旧する必要がないので、コード、ホース、ワイヤーあらゆる物をニッパーでぶった切り。ある意味気持ちが良い。そしてあらわになったピストンは。

(なるほど。)

 このマシンが死んだのは対向車の短い車間で右折するため急加速した瞬間で、そのまま惰性で走り抜けることができたが、もし道の真ん中で止まれば危険だった。直接的な原因はおそらく電気系だと思うが、開けてみて納得。ピストンと排気バルブが干渉するいわゆるかじりの状態だった。
 二つを比較してみると、KDXのピストンはスカート後部に穴があり、両サイドと合わせて三方向から吸気だったのに対し、RMXに穴はない。リードバルブも3枚と2枚だった。

(いったい何回ストロークしたのだろう?)

 今書き直している2000年の旅を走りきったマシン。確かに光り輝いた日々はあった。しかし、走行距離が伸びるにしたがい衰え、いつか、その鼓動は停止する。全盛期を過ぎたスポーツ選手、両親、そして自分。何かと感傷的になる出来事が続いている。
 取り出したピストンは遺骨なのかもしれない。


1.22
AM:豪華客船
 クルーズ船について比較してみた。

コスタ・コンコルディア(座礁中)
全長:290m 全幅:35.5m / 総トン数:50,000t

オアシス/アリュール(同型艦)・オブ・ザ・シーズ(世界最大)
全長:361m 全幅:47m / 総トン数:約225,000t

飛鳥II(日本最大)
全長:241m 全幅:29.6m / 総トン数:約50,000t

・大和
全長:263m 全幅:38.9m / 排水量:約70,000t

・タイタニック
全長:269m 全幅:28.2m / 総トン数:約46,000t

 オアシス・オブ・ザ・シ−ズはパナマ運河を通行できるギリギリのサイズだが、仮に通るとすれば日本円で3,000万円前後かかるらしい。

10:01 資源
 何気なく那覇港を見ると、「資源」が今まさに出港するところ。東シナ海?気を付けて。

14:30 全国男子駅伝
 毎年見ている全国男子駅伝復路。今日は暖かい。家からわずか5分でコースに行けるので、テレビを見ながら、庚午三叉路を過ぎた辺りで自転車に乗った。
 1位愛知、2位兵庫、4位グループに広島。見る者それぞれの県ナショナリズムを刺激する。今年は福島をはじめとする東北勢の声援が大きい。一年前、誰が あの災害を予想しただろう。いつも最後尾で拍手を独り占めする沖縄も今年は頑張っている。ゼッケンを確認しながら、その地域に住む友人や風景を思う。

15:00 宮島SA
 この時期、2週間に一度は空気圧をチェックする。スタート前計ってみると。

(減ってない。)

 まだ大寒を過ぎたばかりだが、毎年感じる小さな春。
 SA手前で2台の白バイに追いついた。普通ならギョッとするところだがなんとなく、

(駅伝先導の帰りかな?)
 そんなことを考えながら、つい先ほど47人のランナーが駆け抜けた道を通り過ぎた。


1.21
 今のジムニーに乗り始めて今日で丸14年が経過。先代550から合わせると24年となり、免許取得から所有した車種は唯一これだけ。考えるたび自分でもすごいなと思う。一年一年がアニバーサリー。

 3次元物理探査船「資源」。今日も那覇港で燃え上がってます。


1.17
 いつものように那覇港をチェックしていると、なにやらものスゴイ船が。左舷後部にズームしてみると「資源」と書いてある。

(中国船?)

 最上部には巨大なヘリポート。寄ってみると。サンダーバード4号らしきものがある。喫水線からの高さがほとんどなく、波が入ってくるのでは?検索。

3次元物理探査船「資源」

 海底に巨大エアガンを打ち込んで調査とのこと。建造の背景や政治的な問題はここでは触れないが単純にすごい船。船首部分の形は普通で、上から見ると三角形。トライクとか、古くはオート三輪みたいな感じ?
 暗くなってまた見てみると、

「炎上!照明明るすぎ!」


1.1 深入山雪中トレック
・8:00頃おせちを開き朝食スタート。
・「あれがうまい、これがうまい言いながら食べるのはええもんじゃの。」と、数分ごとにまったく同じフレーズを繰り返し食べ続ける父。どこまで続くか経過 をみていたが、2時間たった10:00で制止。「早よう死んだ方がええのぅ。」といつもの言葉を吐き捨て渋々受け入れた。
 短期記憶が短いため常に食べ始めた状態であり、同時に摂食中枢や満腹中枢に影響が現れてきていることがうかがえる。先日より冷蔵庫にある砂糖を指で舐めたり、短時間に栄養ドリンクを2本も飲むなどの問題が発生中。
 食事については重箱から各自取るのを止め、あらかじめ皿に盛っておくことで摂取量を把握、衛生面でも成果がある。
・上記により午後のスタートに変更。

・芸北国際スキー場の最上部、掛頭山山頂に冬期バイクで到達し、スキーヤー・ボーダーを上から眺めるのが長年の小さな目標。車で何度かアプローチしたことがあるがいずれも積雪断念。今日もまず無理と想定しスタート。
・雪中トレックは雪深い場所に入ってしまえば転倒によるダメージは少ない。しかしそこに到る道程が危険。交通量の少ないルートを選ぶ必要があり、距離も近い湯来方面が中心となる。掛頭へはどうしても交通量の多いR191を走る必要があった。
・たまに利用する安芸高田役場近くのエネオス。前回の掛頭トレックで会話を交わしお互い記憶にある顔。元旦ということで山間部途中のGSはほとんど休み。その話をすると、20:00で閉店するがレシートの電話番号に掛けてくれれば対応してくれるとのこと。ありがたい。
・R191。車線中央にシャーベットがある部分はあったが除雪はほぼ完璧。夏場は廃屋のようなプレハブ小屋(レンタルスキー)や、ホワイトバレー松原(スキー場)がしっかり営業しているのが微笑ましい。
・ホット自販機を目指し深入山のレストハウスに上がったところの写真がトップ。売店やトイレはコンパネで覆われ冬期閉鎖。自販機すらなし。ただ登山らしき足跡が多数あるのに驚く。スノーシュー、スノーモービルの痕もあった。
 今日のハイライトは間違いなくここ。深入山を真正面に望む広い公園となっており普段でもよく立ち寄る場所。まったく足跡のついていないグランドの真ん中まで歩いて行った。
 天地左右360度ホワイト。いろいろな困難に直面しているが、この瞬間だけでも少しだけリセットできる。雪面が音を吸収し、聞こえるのは細かく固めの小雪が肩に当たるカサカサという音だけ。なんだかんだ言って十分幸せ。
 ブーツで掘ってみると積雪50cm程度。掛頭山頂はありえない。はまり込む足が地面に届かず、踏み固める感触とあの音にはとてもワクワクする。いいおっさんが誰もいない雪原で遊んでる絵にも苦笑。
・気温は-1℃だがここまで上がってくるのにバイク押しながらラッセルしているのでポカポカ。転倒対策としてガードフル装備、そのままゲレンデに出れるほど防寒もバッチリ(グローブはBurtonのボーダー用)。
・16:00過ぎ。あきらめ悪く北に進路を取るが、すぐ先の小さな峠の下りで路面が雪で覆われ始めたので反転。目的のスキーヤーウォッチングはまだ雪の少ないオープン直後の数日しか不可能。(当たり前か・・・。)
・帰路オーバークール症状多発。エンジンによくないのでダンボールで風除け検討。
・雪化粧した井仁の棚田が綺麗だった。
・3月まで工事通行止の県道71号不明峠。元旦はさすがに解除中で通過できた。