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<2005.5.8>
アジアのよき隣人となるために

 私がスタディツアーや国際協力の活動でフィールドとしているサラワク州は、マレーシア連邦13州のうちのひとつで、ボルネオ島北部に位置しています。豊かな森林資源に恵まれ、熱帯木材をはじめ、天然ガスやパーム油の貿易で日本と深いつながりがあります。また、日本軍によるアジア太平洋戦争下における3年強の軍事占領を経験しているという、歴史的なつながりもあります。

◇3つの「ジプン(日本の)・・・」と名のつくもの
 アジア太平洋戦争当時、日本軍は満州の抗日運動に神経を尖らせており、サラワクの人口の約3割を占める中国系住人(華人)の動きを恐れ、強硬に抑圧しました。その反面マレー人や先住民族に対しては懐柔政策を取りました。このような背景から、現在でも華人の中には戦時中の悲惨な体験を持つ人も多く、日本に対して激しい嫌悪感を持つ人もいます。
 このサラワクで、私と3つの「ジプン(日本の)・・・」と名のつくものとの出会いは、戦争体験のない私にとって「時を超えた戦争体験」でした。

@「日本の水田」− 通常サラワクでは米は焼畑農法か低湿地に直接陸稲をまく方法で作られています。ところが、ある地域では日本軍が灌漑技術を導入した水田が今でも残います。私が出会った先住民族の老人は、日本軍が自分の村にやってきたことを覚えていました。特に水浴びをするときの「ふんどし」が印象に残っているといっていました。

A「日本のお札(バナナ紙幣)」− 「日本のお札」とは日本軍がアジア各地を占領していた時期に発行した紙幣(軍票)のことです。お札にバナナが描かれていたことから「バナナ紙幣」と呼ばれていました。サラワクも例外ではなく、先住民族の村などで時々この紙幣を持ち出してきて「今のお金と変えてくれ」と冗談交じりでいわれ、笑うに笑えない経験をしたことがあります。

B「日本のカタツムリ」− 日本では「アフリカマイマイ」といい小笠原などに生息しています。サラワクにも生息しているのですが、名前を聞いて驚きました。なぜ「日本のカタツムリ」と呼ばれるのか、いくつか由来があるようです。「占領している時期に大発生した」「日本軍人が食べ方を教えてくれた」「日本軍に食べ物を取り上げられ、食べたことのないカタツムリを食べるようになった」。いずれも日本軍占領と関係したものでした。

◇事実を伝えていきたい
 マレーシアの小・中学生は、歴史の教科書にかなりのページ数を割いて、アジア太平洋戦争時のことを学んでいます。挿絵や写真がたくさん使われ生々しい内容です。一方、日本はどうでしょうか。私が受けた高校の近代史の授業では、どちらかというと歴史的事実をあいまいに、なんとなくぼやかしながら、しかも一方的に急ぎ足で教えられたという記憶があります。日本では歴史は単に受験勉強の対象でしかなく、その背後のアジア太平洋の人々の顔が見える授業ではありませんでした。
 あるとき、サラワクの町をぶらぶら歩いました。華人のおばあさんが、私が日本人だと分かると形相を変えて叫びました。「おまえは日本軍がこの地で何をしたのか知っているのか!」。この問いかけは深く私の胸に響きました。企業進出や観光旅行でアジアに出かける日本人は年々増加しています。同時にアジアに対する関心も高まり、アジア語学教室やセミナー、民族料理講習会、交流事業などが行われています。しかし「アジアの中の日本」として私たちがアジアの良き隣人となり、将来に向けて共生社会を創っていくためには、その国の文化や政治、経済、社会などを知るだけでは十分とは言えません。過去の事実にしっかりと目を向け、様々な国の、様々な人々の異なった目で見た日本の姿をできるだけ客観的に知り、整理し、将来の社会を担う子どもたちに伝えていくことが大切だと思います。


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