◆在の名称:遠江国分寺跡史跡公園

◆所在地  :静岡県磐田市見附町国分寺
◆宗派    :−
◆交通    :JR東海道本線 磐田駅 徒歩


JR磐田駅から駅前通りを北に向かい、商店街を通りすぎ少し行き、通りからちょっと左に折れ市役所に出る。この市役所の後に「遠江国分寺跡史跡公園」がある。

ここは案内版によれば昭和43から45年にかけて環境整備されたものだという。その整備された姿の特長は回廊を生け垣で復元してあることである。そして回廊の中の金堂基壇などは土盛りし整備されている。

上記所在地は武蔵国分寺の資料によるものであるが、地図によればここは磐田市境松町(?)である。現地を歩いたときにはここまでは確認しなかったが、どうなのであろうか?

磐田市見附町は遠江国府のあったところであり、江戸時代東海道が通っている宿場町であった。この見附から少し南下し、海岸沿いに浜松に出るのが東海道であり、一方浜名湖の北、三ヶ日を通り豊川に出るのが姫街道と呼ばれ、お姫様の篭が通ったといわれる街道である。

関連リンク
   磐田市        遠江国分寺跡の紹介
     http://www.city.iwata.shizuoka.jp/manabu/bunkazai/401/bunkazai401.htm

1991/08
東海道分間絵図  見附宿
遠江見附宿の姿を東海道分間絵図(元禄、1960年頃)で見た。この図によれば「国分寺」は記入されているが、「国府」、「府中」、「こう」、など国府を示す文字は入っていない。「国府跡」は今は推定地があるだけで発掘確認はされていないが、江戸時代にはもう既に国府として意識されないところになっていたのだろう。
現在の旧東海道周辺
2003/03
再訪記
再訪とはいえ「勝手知ったる」とまでは行かない。東名高速道路を袋井のインターで降り、先ずは磐田駅に向かう。バイパスに入らず1号線で西に。途中「松並木」という名所表示が地図の東海道旧道と思しきあたりにあったが、これを知ったのはこのホームページ作成の時であり「後の祭」で、残念なことをした。おそらく上の「東海道分間絵図」に出てくる「松並木」なのであろう。
駅に着き、車を適当に止め駅舎に入った。ここには塔模型があると三永さん(ホームページは「がらくた」置き場)から教わっていたのでその場所へ行く。2階の改札口に行き教えてもらうと1階の入口にあるという。なんのことはない正面入ったところである。
次に市役所へ向かう。ここに「国分寺模型」があることはやはり三永さんから教わっていたので中に入った。この模型は市役所の入口を入り正面受付の左側にある。模型の向こう側を見ると裏口らしきみたい出入り口があるので受付のお嬢さんに「そこから国分寺跡に行けるのですか?」と聞くと「そうです」と教えてくれた。市役所裏の駐車場の先に国分寺跡があった。前回はその駐車場に直接入り跡を見学したのだが、市役所に車を止め市役所を通り見学するのが良いのである。

市役所の模型で見ると「塔」が西に配置されており全国の国分寺の中でも非常に珍しい。
南大門は入口の門でありここから土塀が国分寺の周囲を囲む。
国分寺模型   磐田市役所
遠江国分寺跡と南大門の説明板
建物は収蔵庫
中門跡
この中門と金堂は回廊でつながれている
金堂跡    復元基檀
中門の奥に金堂跡があり、基壇が復元されている。ここの金堂は模型を見ると入口が二つあり、復元されたものにも石段が二つある。史跡整備図にもやはり二つあるが、発掘調査結果の文章では(各地の国分寺・大垣市歴史民俗資料館)「金堂跡は基壇間口33m、奥行21.9m、高さ99cmであり、正面に7段巾6m高さ84cmの石段が発見されたが現存は3段である」とあり、「正面2箇所」と記入されていない。
西側土塀跡
塔跡
遠江国分寺跡史跡整備図

各地の国分寺 史跡の整備と現況
大垣市歴史民俗資料館  昭和58年
より


金堂には入口が2箇所書かれており、このように整備されている。
下の整備図にあるとおり西側土塀の位置に「土壇状」に整備している。
塔模型

磐田駅にある磐田青年会議所が作成したもの。
高さ約2.5m。
2003/07