◆現在の名称:薬王山国分寺


◆所在地  :徳島市国府町矢野
◆宗派    :曹洞宗
◆交通    :JR 徳島線府中駅 車
高速高松自動車道鳴門インターは国道11号線に接続している。この道を南に向かい徳島市に入ると徳島駅に向かう「本町一丁目」交差点につく。この交差点を徳島駅方向に右折すると国道192号線伊予街道となる。この道を5Km弱行くと「尼寺」交差点がありここを左折し細い道に入り「徳島市立考古資料館」の前を通り少し行くと「15番札所阿波国分寺」に着く。この寺が現国分寺であり天平国分寺の跡に建っているものである。
天平の国分寺は資料館にある復元図(左写真)によると南西に七重塔があり、中門、金堂、講堂が回廊で結ばれている国分寺の中では数少ない形式の寺院であった。
ただし、現国分寺にある説明版には「昭和53年から3年間の調査した。検出遺構は中心伽藍の回廊跡、築地跡、礎石建物跡とうがある。寺域は現国分寺を中心とする方2町で南北にやや長い。伽藍配置は遺構の残存状況が悪く不明確となっている。現国分寺境内には南西の水田(塔の本地名)で発見された七重塔の心礎と思われる礎石があります。徳島市教育委員会」と書いてる。


説明の通り現国分寺には「塔心礎」というのがあるが、天平の国分寺を残すものはこれしかない。
説明板には「本心礎は環溝型という珍しい形式である。もとの位置は『塔の本』の地か、興禅寺前の田圃といわれ確認されていない」とある。
現国分寺の周りは人家であり今後も公園化などは無理であろう。礎石一つだけが残る国分寺である。

国分寺を見学後資料館へ行ってみた。この時点で時間は午前9時である。開館しているかどうか心配しながら行った。
資料館の構内に入ると館長さんらしき方が庭木の手入れをしていたので「何時から始まりますか?」と訊くと「9:30からです」という。残念。仕方なく「では資料などいただけますか?」とお願いしたら、「どちらからですか?」と訊かれたので「東京からで、次のスケジュールで9:30まで待てないのです」というと「じゃ、開けましょう見てください」といって開けてくださった。
館内での写真もどうぞといい、資料も用意してくれた。
感謝感激である。
国分寺想像復元図(資料館展示)
現国分寺にある「塔心礎」
塔心礎
徳島市立考古資料館
国分尼寺跡
途中通った交差点「尼寺」が「国分尼寺跡」を言うのではないかと思い館長さんに聞いてみたところ、そうだという。そして跡を教えてくれた。交差点「尼寺」の少し前を左に入るそうである。
「国分尼寺跡」は、はらっぱであり、「跡」の石碑と説明板があった。そして現在発掘中の様子である。
状態から見て阿波では「国分尼寺跡」の方が整備保存されていくのであろう。
なお、国府跡については資料館資料には次のように書いてある。
「阿波国府の所在については、現在不明確です。ただこれまでの発掘調査の成果から16番札所観音寺周辺に求められています。これまで観音寺周辺における調査では、墨書「政所」や税調木簡が出土していることから、国府跡の中心施設の存在をその近隣地に求める状況証拠としては恰好の材料となっています。」
資料館周辺文化財マップ