名所「天橋立(あまのはしだて)」は宮津湾の北の丹後一宮を付け根として南に砂州が伸び、南の端は「廻遷橋」とよばれる、橋の中央を軸として回転する橋で天橋立につながっている。そして、「丹後国分寺」は天橋立から海岸線沿いに丹後一宮に向い、一宮の少し手前にある。
「史跡丹後国分寺跡」は現国分寺の南に寺域全域、金堂、等跡などが残り、それらの礎石が露出し保存されている。また、隣接し「京都府立丹後郷土資料館」が建てられている。整備保存されている「史跡丹後国分寺跡」の特徴は「天平国分寺跡」を保存しているのではなく鎌倉時代に再建された「建武国分寺跡」なのである。おそらくこの地下に「天平国分寺跡」埋まっているのであろうが、まだ発掘されていないという。
室町時代、雪舟が書いた「天橋立図」というのに「建武国分寺」が描かれているが、この塔は「五重塔」であり、「天平国分寺」の「七重塔」を再建したものではなくなっている。
江戸時代の地図でも勿論の事、「天橋立」は「名所」として記載されている。「丹後国分寺」を見に出かけたら、「天橋立」が見れたという、ラッキーな旅であった。
1990/01