高輪大木戸跡  たかなわおおきどあと
         都指定史跡

           住所:港区高輪2丁目
         最寄り駅:地下鉄都営浅草線泉岳寺駅
高輪大木戸   江戸名所図会
高輪大木戸
高輪大木戸跡
高輪大木戸
東海道芝田町寄りには大木戸と高札場があった。高札は江戸六箇所の高札の一つで、天和2年(1682)芝田町4丁目(のちの元札之辻)から東側海手に移されたが、破損により正徳元年(1711)に西側に立て替えられた。大木戸は宝永7年(1710)に作られた。当初は柵・門・土手・石垣・門番所があったが、たびたびの類焼により文政11(1828)年当時石垣・土塁を残すのみであった。「江戸名所図会」には旅人を送迎する宴が張られ、にぎわう茶屋の様子が描かれている。現在高輪大木戸跡として国指定史跡。
            
               日本歴史地名大系  東京都の地名

江戸時代後期には、木戸の設備は廃止され、また、明治初年には西(山)側の石垣は取り払われた。現在残されたいる東(海)側の石垣は、幅4.5m、長さ7.3m、高さ3.6mである。
                          
港区教育委員会
右上に石垣があり、これが現在残っている。本来は柵、門があり、その名の通り「木戸」であった。右下が高札場。
国道15号線(第1京浜・旧東海道)を田町から品川に向かって走ると地下鉄「泉岳寺」駅の少し手前左側に石垣が見える。これが江戸時代の大木戸の石垣である。意識して探さなければわからない史跡である。
江戸時代の東海道はこのあたりで幅が6間(約10m)であり、現在の片側3車線道路に比べるとそこまで広くは無いが、駕籠や牛車が通る道の割には結構広く道が作られていたのである。
大木戸跡の説明板
大木戸跡
2003/06