◆現在の名称:下野国分寺跡

◆所在地  :栃木県下都賀郡国分寺町
◆宗派    :−
◆交通    :JR東北本線 小金井駅 車
東北自動車道を栃木インターで降り、栃木市街を避けるバイパスから国分寺町に向かう。畑の中の狭い県道を走っていくとやがて「国府跡」の表示が見えてくる。更に暫く走ると「下野風土記の丘」の表示があり、そのなかに「下野国分寺跡」がある。
この一帯は古墳が多く、国分寺町がここ全体を保存し歴史文化を後世に残していこうという取り組みである。この取り組み方はちょうど備中国分寺と作山古墳等を広域に歴史保存している総社市の取り組みと同じである。
国分寺跡の現状は案内板と原っぱ
「国分寺跡」と「国府跡」は「恩川」をはさんで東と西に別れている。風土記の丘にある古墳は大和朝廷の初期の支配者達の墳墓と推定されているから、国都から川をはさんで東に墳墓を作り、その後墳墓の地域に「国分寺」、[国分尼寺」を作ったということになる。

国分寺跡は大正10年に国指定とあるが、現在でも原っぱのまま。「国分寺跡」という表示板と「南大門跡」などという杭で「跡」を知れるだけ。
「跡」自体、「丘」の案内地図を見なければわからない。入り口に「国分寺跡見学者以外進入禁止」という看板が立っており、「丘」の中でここだけが未整備だからあまり入って欲しくないという感じである。
将来的には非常に立派に復元整備するというイメージ図を書いた表示板があり、これが出来たときには日本で最も充実した風土記の丘になるであろう。
期待したい。
整備鳥瞰イメージ図
「風土記の丘」には立派な資料館があり、「丘」全体を説明し発掘品等資料を展示している。
その中に「国分寺七重塔」模型(20/1)と「国衙」模型があった。
このサイズクラスの模型は「上野」、「下野」、「市原市」で見たが、殆ど同じ物。復元資料で統一したものがあるように思える。想像のものであるから各地に自己主張があってもいいように感じるが、どうなのだろうか。
上: 国衙模型

左: 国分寺七重塔模型(1/20)
下野国分尼寺跡
「下野国分尼寺」は「国分寺」の隣に立っており、「信濃国分寺」と「尼寺」が隣接しているのと同様である。
下野では「尼寺」の方が既に整備されている。
「中門」と「金堂」、それを結ぶ「回廊」及び「講堂」跡の土壇が復元され、礎石も置かれている。昭和40年国指定
復元した回廊土壇
復元した金堂と講堂
「尼寺」は所在不明も数多く、まして寺域が確保され整備されているのはごく僅かであり貴重なものである。寺の全体像を想像することが出来、感心する。

訪問時は花見時で「尼寺」の脇は史跡公園の売店が建ち並びにぎやかであった。上の写真「国分尼寺跡」の石碑の後ろにも花見用のちょうちんが見られる。



(2000/4)