◆下総国分寺

◆所在地  :千葉県市川市国分
◆宗派   :真言宗豊山派
◆交通   :JR総武本線市川駅 車
首都高速道路で市川インターへ。インターの少し手前で「ここから京葉道」という表示が出るが料金は不要。インターから市川方面に出る。そのまましばらく行くと国道14号線に突き当たる。
いわゆる「千葉街道」。その交差点を左折本八幡を過ぎ、市川駅の少し手前「新田5」交差点に「右国分」の標識がありここを右折。更にしばらく行くと3差路に出会う。ここのバス停は「国分」。左「松戸」の方に入りまたすぐ小さな道へ左折する。「国分寺跡」の標識は無い。急な坂道を登ったところに「下総国分寺」がある。
見つけるのが困難といえる
現国分寺山門
現山門の左に発掘して確認した礎石の配地図が書いてあり説明がなされている。しかし復元されているものは何も無い。
本堂の前左右に掘り出した礎石を庭石として配置しながら展示しているといえるのであろうか。
本堂を廻り奥の墓地に行くとわずか土地を空け「講堂跡」の石碑が建っていた。
近くは住宅地。そのため今後も復元は困難と思う。
寺の資料によれば、古代国分寺は火災で焼失。その後数回にわたり焼失と再建が繰り返された。江戸末期に再建された寺は、明治維新にさいし朱印を召し上げられ諸堂は大破し雨漏りがひどかったため、寺と檀家が相談してついに認可を得客殿、庫裏その他のお堂を取り壊してしまった。
現在の本堂は昭和17年の再建とある。
明治政府の廃仏毀釈の姿ががここにはっきりと残されていた。
庫裏に入って資料をいただいたが、玄関に入り正面の壁面を見るとそこには「古代国分寺」の様子が描かれていた。古代を伝えている気持ちがうれしい。
礎石を庭石様に配置
「講堂跡」を示す石碑
国分尼寺は僧寺からおよそ500mくらいのところにあり、礎石を面白く復元し小公園になっている。

国府域、国分寺跡は市川駅から行くと近くで急な坂道を登り高台に行く感じがするが、標高は20mの等高線の縁にある。この等高線に沿って堀の内貝塚、下貝塚があり、超古代にはこの線が海岸線だったのであろう。国分寺が立ったころそこまで海岸線が近くなく、海岸線の後退したところが湿地帯となり、「新田」、「平田」などという名からくる水田が国府域の下を形成していったのだろう。

(2001/01)
関連リンク
コージの小部屋
                藤盛氏 下総国分寺跡他歴史関連
       http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/8209/kokubunji.htm
江戸名所図会に見る下総国分寺
「国府台断岸の図」
下総国府、国分寺などのある「国府台(こうのだい)」は台地にある。この図は現在もある「総寧寺」付近から東南を眺めた図のようである。崖の下を流れるのは「江戸川」で、国府と国分寺は人の立つ位置のずっと奥にあると思われる。
「国分寺」

       「本堂」 「方丈」 「庫裏」                        「天神、八幡」   「薬師堂」
  「伽藍礎」                「二王門」             「鐘」 
                                                        「釈迦堂」    「不動尊」  「地蔵」


左端に天平国分寺の礎石が3つ並んで記入されており、ここに見る国分寺は天平国分寺の跡に建てられたものであることは間違いない。現国分寺本堂はどこに再建されておるのであろうか。
2002/12
上は現在の近辺の地図である。上の図から見れば市川駅のところまで海が来ていたようである。「図」の中央上部に垣根が見えるが、これが国衙と関係があるのであろうか?