曹洞宗 林泉寺
りんせんじ
住所:文京区小日向四 最寄り駅:地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅
縛られ地蔵
縛られ地蔵
しばり地蔵とも云われた。願かけの時地蔵さんを縄で縛り、願がかなうとそれを解くというのである。「江戸砂子」では、小日向林泉寺のしばり地蔵が大変有名であったと記している。
連座の上に船型光背を背にした地蔵尊で、約1mの高さの石仏である。ただ鼻から左頬にかけて欠けている。光背には、石に一相道円信士、左に即無貞心信女の男女の法名が刻まれている。裏面には、俗名伊藤半兵衛とある。林泉寺は慶長7年(1602)伊藤半兵衛長光を開基として創開されている。この光長が両親の供養のため寄進したものであろうと考えられている.
林泉寺入口
入口上って右側にある地蔵尊
入口上って左側本堂への登り口には多くのお地蔵さんが集められ供養されている。江戸時代に多くの地蔵尊が造られ、人々に手を合わされていたのだろうが、明治以降首都化により本来の場所を移動させられ、最後には林泉寺に集められたものであろう。
江戸切絵図 小石川
2003/10
茗荷谷
現在「茗荷谷」の地名は無く、江戸時代そう呼ばれていたところは小日向といい、駅名だけに残っている。地名の由来は茗荷が生えているところと思っていたのだが、ちょっと違っていた。
江戸時代付近一帯は武家屋敷で、大名や旗本・御家人の屋敷が密集していた。その中に「御箪笥(おたんす)町」、「御先手組屋敷」もある。「御箪笥」は鉄砲の火薬を入れる箪笥、つまり火薬庫で、「御先手組」は鉄砲部隊である。付近には幕府の鉄砲方が多くいたのである。
茗荷谷に「稲荷社」があり、そこに祈願すると鉄砲方は射撃の腕前が上がったそうである。よく的に当たる「冥加」を得る稲荷で、別名「冥加稲荷」とよばれた。その冥加稲荷のある谷なので「冥加谷」、それが民生用地に変わり「茗荷谷」になった。
「江戸・東京」地名を歩く 古川愛哲 経済界