霊南坂    れいなんざか
汐見坂    しおみざか
榎坂      えのきざか
江戸見坂  えどみざか
江戸時代にあった東京の湖沼は、多くは姿を消した。交差点名やバス停、営団地下鉄銀座線・南北線に溜池山王駅と名前を残す「溜池」もその一つである。
溜池は慶長11年(1606)、大名浅野幸長が造成した人造湖で、江戸城外の外堀と江戸南部の上水源を兼ねていたといわれ、今日の水道用ダムと同じ機能を果たしていた。二代将軍秀忠が琵琶湖の鮒や淀川の鯉を取り寄せて放流したとも伝えられる。
青々とした水をたたえていたと思われるこの大沼も、江戸時代から少しづつ埋め立てられて、畑や空き地となり、町屋が形成されていく。それでも明治初年の頃はまだ広大な池であった。

東京の地名がわかる事典 鈴木理生
霊南坂、汐見坂、榎坂、江戸見坂は溜池に接しており、その名の由来はそれぞれ次の通りである。

霊南坂
日向の人嶺南和尚が慶長15年ここに庵(嶺南庵)を結んだ。嶺南庵は寛永13年(1636)に幕府の用地になり高輪に移り、東禅寺と改称した。この嶺南和尚にちなみ霊南坂と名づけられてという。

汐見坂
霊南坂下から東に下る坂で、海が見えたという。また、松平大和守邸から「大和坂」ともいった。

江戸見坂
霊南坂上より北東に下り、江戸下町のほとんどが見えたという。

榎坂
浅野幸長が溜池を造成した際その功績を後に伝えようとして堤に榎を植え、この堤より麻布谷町のほうに下る坂に榎坂と名づけたという。
溜池  江戸名所図会
江戸切絵図
江戸名所図会
かっての「溜池」は現在ビル街になっており、池の面影は全く無い。「霊南坂」はホテルオークラとアメリカ大使館の間にあり、東北に向かい下りになっている。下り方向に向かい右側がホテルオークラの石垣で、左側がアメリカ大使館の白い塀である。
この坂を下り、突き当りを右に曲がれば「汐見坂」で、左に曲がれば「榎坂」になる。
霊南坂を示す道標
霊南坂 上から北向きに見下ろす
汐見坂  虎ノ門3丁目方向より
「塩見坂」は虎ノ門3丁目方向から「霊南坂」の下に向かい上っていく。右が財務省印刷局、左がホテルオークラである。
「榎坂」は「霊南坂」の坂下より六本木通り方向に下っている。左側はアメリカ大使館の正門。右はビル街である。

この「榎坂」と「霊南坂」のぶつかるところ、交差点の角に昭和42年に赤坂ライオンズクラブが設置した石碑がある。
昭和40年までのこの辺の地名は、「溜池霊南坂町」、「溜池榎坂町」であったところが、表示変更により「赤坂1丁目」に、また霊南坂を挟んで東が「溜池葵町」であったものが「虎ノ門2丁目」と変更された。この歴史的な地名の廃止に際し、後までも伝えたくてそのことを書いた石碑を作ったのである。
歴史を伝えたい人が大勢居るということをまた知った。
榎坂
この交差点を左に行けば「霊南坂」手前右に行くと「汐見坂」である。   左端にライオンズクラブの建てた石碑がある.

榎坂の道標
旧名称を保存する石碑
霊南坂上から東に向かい途中から北に曲がり下る急な坂道の「江戸見坂」。左はホテルオークラで、右はビル街。
江戸見坂
2003/03