◆現在の名称:−

◆所在地  :愛知県稲沢市矢合
◆宗派   :−
◆交通   :名鉄名古屋本線 国府宮駅 車


織田信長の城で名高い「清洲城跡」から県道を西に12q程はしると南北に通る県道と交差する。この地域は梅須賀というところで、交差点を右に曲がりすぐのところ、川沿いの狭い道に左折してはいると「尾張国分寺跡」に出る。

出るといっても、「国分寺跡」を示すものは何もない。川の南には畑と苗木畑があるだけである。畑作業をしている老人に聞いたところ、「その辺が以前発掘調査されていたのを覚えている」ということであった。

「国府宮(こうのみや)」は古代東海道の「尾張国府」のあったところで、「尾張国分寺」は国府から南西に3.5q程度のところに位置していることになる。「尾張国分寺」は現在の名古屋の地形からみればずいぶん北に位置し、「熱田神宮」から「桑名」にでる旧東海道線からも大きくはずれている様に感じられるが、古代の名古屋は海岸線がずっと北の方に入り込んでいたのではなかろうか。

1991/8


再訪記
尾張国分寺跡石碑
畑に露出されている礎石
塔心礎であろうか?
前回訪れてからもう12年になる。目標は前回訪問時の目印、交差点「梅須賀」であるから、名古屋市から市の西をほぼ南北に走る県道に出、それを北に向かう。「梅須賀」を左折して次に「鈴置(すずおき)神社」を探した。小松さんのホームページ「国府物語」に「神社の前の雑貨屋さんに行き石碑の場所を聞けば教えてくれる。」とあったのでその通り実行した。この神社からして土地の人に問い合わせながら行かなければならないところであるが、何とかたどり着き、雑貨屋の叔父さんに場所を聞いた。親切に教えてくれた。
教わったとおり市道から畑の中の道へ入り車を進める。が、車の中からは石碑が見えない。そうこうするうちに先の市道に出てしまう。そこにたまたま自転車で伯母さんが通りかかり、おおよその場所を教えてもらった。それでもまだうろつかなければ見つからなかった。石碑は林の木々の中に隠れていた。
左の写真が石碑であるが、正面は木に覆われていて写真が取れない。石碑を文字の書いてない角度から写真に取るなんて、珍しい。
跡につながる道
石碑の側、畑の中に3個だけ礎石が露出されていた。発掘保存されているという状態ではない。そのうちの一つは中心に丸い模様が出ており、塔の心礎のような気もする。
帰ってから石碑の場所を地図で詳細に確定しようと思ったが、残念ながら私の使っている地図ソフトでは付近の交差点が記載されておらず、肝心の「鈴置神社」も乗っていない。そのため今回もルートが確定できない状態である。

ただ、前回何も見当たらなかった場所で今回石碑と礎石を見つけることが出来たことは、感激に値することである。

なお、帰京後稲沢市の教育委員会に問い合わせ今後を聞いたところ次のような回答であった。
「石碑は30年以上も前に設置したもので、その前から発掘調査をし、現在も継続している。今までの調査結果では河川の氾濫により多くのものが発見できない状態になっている。その結果発掘成果もあがっていない。そのような状態で、土地取得、跡の整備に入れる状態ではなく、今のところこれ以上の進展は困難である。」とのことである。確かに成果と効果を考えて、ということでなるほどとも思うが、やはり姿勢にも問題があるのではなかろうか。まことに残念なことである。
2003/07