◆現在の名称:大隅国分寺跡
◆所在地 :鹿児島県国分市中央
◆宗派 :
◆交通 :JR 日豊本線国分駅 車
城山公園 資料館
公民館前庭が史跡大隅国分寺跡
国分寺跡に立つモニュメント 石造層塔
大隅国分寺跡の位置
大隅国分寺跡拡大地図
霧島温泉に泊り朝国分市に向かう。大隅国は和銅6年(713)日向国から4郡が分かれて出来た国で、国分市に国府が置かれた。日向は古代から発展していた地域で、この頃人口もどんどん増加していたのだろう。
霧島温泉から牧園を通り、国分市に入ると「城山公園」の資料館の案内が目に入った。そちらの訪問を先にする。
資料館は比較的小さなもので、古代の展示が半分と近代の農具等の展示が半分である。国府、国分寺に関する展示は非常に少ない。発掘で発見さえたものが少ないのだそうである。国分寺跡も「跡」とわかっただけで寺院の構造もわかっていない。後に現地に行ってわかったのであるが、付近には建物がびっしり建っていて発掘調査が困難な状態である。
国分寺跡の場所は資料館で説明してくれた方に聞いた。先ほど通ってきたところにあったのだが、、、、気が付かなかった。史跡の現場は道路に表示をしてほしいものである。
国分寺跡は城山を下り、駅に向かう途中左にある。気をつけて車を走らせていると学校の校庭のようなところにあった。今まで見たこともない、中国にでもありそうな石塔が建っている。「なんだよぉ、こりゃ!」、「模型にもなりゃしない!」、「史跡の標柱とのアンバランス!」という悪態が出てくる。
説明板を見ると「国分寺の再興を願って1142年に建立した」とある。時代は保元の乱の14年前。中央では天皇家の親子が、藤原家の兄弟が不穏な仲になっていたときであるが。まぁ、地方は関係ないのであろう。
1669年薩摩では島津さんが国分寺を再建しているが、大隅の国分寺は何故再建しなかったのであろうか?片手落ちである。
大隅国分寺跡はずっとこのままなのでろう。
でも、いいでしょう。関係者も努力しているのですから。
大隈と日向の神社
霧島神宮
前日霧島神宮へ参拝したので余談になるが日向(日向から別れた大隅を含む)の神社について記録しておきたい。
「天祖天照大神の御神勅を畏(かしこ)み戴きて三種の神器を捧持し、高千穂峯に天降(あまくだ)りまして皇基を絶てたもうた肇国(ちょうこく)の祖神<天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)>をお祭りしているお社です。」と霧島神宮参詣のしおりに書いてある。
<ににぎのみこと>の子供達はどうか。どこの神社の神になっているかを整理すると次の通りである。
<ににぎのみこと(天孫)> 霧島神宮 鹿児島県姶良郡霧島町(大隈)
<ひこほほでみのみこと> 鹿児島神宮 鹿児島県姶良郡隼人町(大隈)
<うがやふきあえずのみこと> 鵜戸神宮 宮崎県日南市宮浦(日向)
<神武天皇> 宮崎神宮 宮崎県宮崎市神宮(日向)
以上のごとく全て旧日向に建つ神社に祀られている。
初代天皇神武はここから東に向かったといわれているが、神武のひお爺さんが高千穂に降りて以来4代日向に住んでいたということになる。
霧島神宮の創建は「伝神代」である。人物神を祀る最初の神社というのはどのような形だったのであろうか。墓ではない。御陵は川内市にある(可愛山稜(えのさんりょう))。では何だったのだろうか。
霧島神宮を目の前にすると、「神話の国日向」と言う言葉に実感を覚える。
もし私が日向で生まれ育っていたら、国分寺の追っかけなどせずに神社の追っかけになっていたかもしれない。それだけ大隅、日向は興味のある国である。
2003/09