◆現在の名称:天台宗国分

◆所在地  :岡山県津山市国分寺
◆宗派    :天台宗
◆交通    :JR 因美線東津山駅 車


「国分寺を訪ねて」が33箇所目になった。古代の国の数が68であるからほぼ半分を訪ねたことになる。さて、ここに何箇所までレポートできることやら。なんせ、「壱岐」や「対馬」までありますからね。。。。

ところで、中国自動車道津山インターを降りると料金所のすぐ前に「国分寺」という矢印が標識に出ている。。。なんと!これじゃでかい国分寺跡を期待出来るワイ!国道53号線を津山方面にちょっと走るとまた「国分寺」という矢印。しかし、矢印はそこまでで、あとは出てこない。店に入り場所を訪ねる。(標識の手抜きはしてほしくないもの。)

現在の国分寺は「天台宗国分寺」という名称の小さなお寺で、寺の前の駐車場でぐるりと周りを見回しても遺跡らしいものは見つからない。そこで、寺に入って「遺跡はどこでしょうか?」と聴くと、奥さんらしき方が「前に看板があります。」と答える。どうやらインター出口の標識を意識し過ぎていたようで、まさか回答が「看板」などとは、、、、思ってもいなかった。 

寺の山門前に確かに「岡山県指定史跡美作国分寺跡」という石碑と発掘した1個の礎石があり、その少し前の民家の入口に美作国分寺跡を説明している看板があった。付近は田圃であり、史跡は何も無い。看板には美作国分寺跡伽藍配置図というのがあり、良く見ると1箇所当り僅かの面積をまるでサンプリングのようにあちこちと発掘し、そして全体を推定したものである。面白いことに発掘しても何も出なかったところもある。
そして説明書には「四次にわたる発掘調査を実施し美作国分寺の遺稿を把握することが出来た」と書いてあった。(調査費予算が少なかったのかな?)
同じ説明書には「調査資料検討の結果・・・・平安時代末期には、古代国家の衰退とともに廃絶したことが判明した」とあった。
現在ならまだ近隣が田畑である状況からして発掘整備が可能であろう。是非してほしいもの。

1992/10