◆現在の名称:上野国分寺跡
◆所在地 :群馬県群馬町東国分
◆宗派 :
◆交通 :JR上越線群馬総社駅
資料館展示塔模型 1/20
関越自動車道前橋インターで高速を降り、高速道路に沿う側道を北上、県道127号線(足門前橋線)との交差点を左折し最初の信号「引間交差点」に「上野国分寺跡」の案内板が出る。後は表示に従いたどりつく。
辿り着いた結果を書くと上のようになるが、地図で探していくのは結構難しかった。ほぼ近いあたりで途中の石油屋さんにはいり道を聞いたところ誰も知らない。親切に住宅地図を見て探してくれた。「ここにあるわ。そういえばあのあたり、地面を掘ると遺跡が出る地域だったな。じゃ、こういうふうに行くといいよ。」とのこと。
更に近づき、それらしいところにでたが、手前に川があってなかなか辿り着けない。
近所の勤め人たちは知らないという、やはりマイナーな「国分寺跡」です。
とはいえ、「跡」としては立派なもの。力が入っております。
南大門西側築垣(土塀)を復元
塔跡基壇と礎石を復元
金堂基壇上の礎石の復元
「上野国分寺」は750年頃完成され、「全国の国分寺の中でも最も早い時期に姿が整ったものである」とパンフレットにあった。
遺跡としての整備の状況は敷地全体が確保され、金堂跡、塔跡は基壇および礎石を復元。さらに南大門左右の築垣が復元されている。そして、資料館を設けるという全国の国分寺跡の中でも高度に整備された状態にある。
しかしこれだけでは終わらず、南大門の復元等更に整備していくという。
上野(こうずけ)国は大国であり、さすがというべきか。
資料館
復元した築垣の西南に資料館があった。
この中には七重塔の1/20復元模型、発掘した瓦等が展示されており、さらにビデオにより国分寺の成立や発掘の状況等の説明が行なわれていた。
「町」の財政規模でここまで出来るのは立派なものと思った。住んでいる人たちの誇りが感じられる。
国分寺跡からずいぶん離れたところに「現国分寺」があった。
ここの集落を対象とした小さなお寺のもようで無住であろうか。
ここでも薬師堂が引き継がれていた。
(2001/04)
現国分寺薬師堂