浄土宗 開運山 光福寺
かいうんざん こうふくじ
住所:港区高輪 三-14 最寄り駅:都営三田線高輪台駅
ゆうれい地蔵 (港区登録有形民俗文化財)
正面(左)と少し左側(右)から撮ったもの。浮かし彫りになっているので立体感を出そうと試みたものであるが。。。
ゆうれい地蔵
江戸時代、高輪二本榎のこの辺りは寺町として栄え、門前町もにぎわっていました。この門前町の1軒の飴屋に、毎日一組の母子が飴を買いに来ました。雨の日でも傘もささずに来るこの親子を不思議に思った飴屋の主人が、ある日後をつけてみると寺の中に入っていきました。数日後今度は住職と共に後をつけていくと、この地蔵の前にたどりつきました。住職がこの地蔵を毎日きちんと供養するようになると、その親子は現れなくなりました。また、この地蔵は、品川湾からあがり、死んだ母親に代わって子供を育てたという話もあり、現在は子安地蔵として信仰されています。港区に残る数少ない民話の一つです。
港区 文化財のしおり
港区教育委員会
光福寺
本尊阿弥陀如来立像。もと本芝にあり源光寺と称した。文明12年(1480)実応の開山。明治12年現在地の相福寺と合併して両寺の寺号にちなみ現寺号に改称。境内に開運稲荷を奉安し祭礼は町をあげて行なう。
全国寺院名鑑
ゆうれい地蔵とはよく名づけたものである。幽霊が下から浮き上がってきたように思える。(尤も私は幽霊を見たことはないが。)左の写真が石像を集め供養しているものであるが、このような彫刻が自然現象により「幽霊地蔵」に変わっていったのだろう。自然が作り出したものの方が人が作ったものよりはるか想像も出来ないものになるという代表的な例であり、崇拝の対象になるように思われる。
地蔵堂
稲荷堂(左)と地蔵堂(右)
石像を集めて供養している
本堂
山門
分間江戸大絵図
「二本エノキ丁」と記された道に改称前の「相福寺」がみえる。
光福寺周辺
2003/08