紀伊国坂  きのくにざか
紀伊国坂中間より、南方向(赤坂見附方向)
右側が赤坂御所
「紀伊国坂」を残す標識。

「坂の西側に江戸時代を通じて紀州(和歌山県)徳川家の広大な屋敷があったことから呼ばれた。赤坂の起源とする説がある」
と説明している。
紀伊国坂中央より、北の方向(四谷方向)を見る
地図中央より北北西に向かっている道が「紀伊国坂」。中央より左が現「赤坂離宮」。
右の「江戸地図」と比較すると、「赤坂離宮」が「紀伊家本邸跡」に造られているのがわかる。

2002/06
港区元赤坂1丁目の北側を西方へ、赤坂見附に下る坂道で、九段坂と並ぶ江戸の代表的な坂。紀国坂とも書く。別称は赤坂・茜坂(あかねざか)。赤坂の地名もこれによって起こった。「紫の一本」に「紀伊国坂。赤坂風呂屋町(今の裏町なり)の横町より、赤根山に登る坂故赤坂ともいいたるなり」とあり、「画報」は「紀伊国坂は赤坂離宮の正門前より南の方赤坂裏町三町目に至る坂をいう。東は外濠、西は離宮の空塹(からぼり)なり。今の離宮の地は元紀伊家の本邸なりしにより、この坂を昔よりかく呼びきたれり」と記す。
                 日本地名大辞典  角川書店  より