◆現在の名称:甲斐国分寺

◆所在地  :山梨県東八代郡一宮町国分
◆宗派    :臨済宗
◆交通    :中央高速「一宮御坂」インター


中央高速道「一宮御坂」インターを降り国道28号線に向かい、すぐのところを右折する。少し行くと金川にかかる四ノ橋を渡るが、わたり切ったところを右折し、暫くして右側に現在の「国分寺」が見えてくる。

天平の国分寺の遺構は現国分寺の周辺から発掘されたと一宮町教育委員会資料にはあるが、見て判るものは寺の前の花畑にある塔の跡だけである。一宮インターを降りてから「国分寺」の案内は全く見つけられない。地図を頼りに探したがわからず、四ノ橋を越えたところで家から出てきた人をつかまえて教えてもらったが、それがなければ見つけることが出来なかったかも知れない。また、現国分寺も農村の小さな寺に過ぎず目立たないものである。寺でおばあさんから資料をいただき、その中に「塔跡」があると書いてあったため、「どこに有るのですか?」と聴いたところ、寺の前を指さし「その花畑ですよ。花を植えたので見えなくなってしまってます。」と教えたくれた。残念な保存状態である。

「国分尼寺」は近くの葡萄畑の中と教えられたが、やはり見つけることは出来なかった。

現国分寺は武田信玄の再建と伝えられているようであるが、そのせいか、寺の内部には家紋「武田菱」があちこちに見受けられた。

1989/11

その後の国分寺
今回の再訪は11年半ぶりということになる。
かっての畑は整地され塔礎石が良く見えかつ立派な「甲斐国分寺跡」と書いた石碑が建っていた。
その石碑の手前にはこれも立派な説明板がある。

現国分寺で資料をいただいた。その際の話であるが、ここ2〜3年のうちに現国分寺は移転しその後は公園になるとのこと。既にあちこちを見ている者としては、遅くも感じるが、でもここがりっぱな「史跡」になるということは喜ばしい。
塔礎石復元と塔跡の石碑
塔心礎
国分尼寺
国分尼寺についてもブドウ畑の中からすっかり姿をあらわしている。
右写真の通り「国分尼寺」を示す石碑が建てられ、説明板がある。
写真の右側一段高くなっているところが「講堂跡」、左が「金堂跡」で整地され礎石が復元されている。
「僧寺」と同様に今後公園化、整備がなされていくのであろう。今後を期待したい。

2001/05
「甲斐国分尼寺」の石碑
手前「金堂跡」後方「講堂跡」