◆現在の名称:−

◆所在地  :石川県小松市古府(推定)
◆宗派    :
◆交通    :JR 北陸本線小松駅 車


車でリストにある小松市古府に向かう。地図でそれらしいところを探して走っていると「国府中学」という学校の前に出た。「国府」という名前だ。ここの先生なら判るだろうと思い職員室を訪ねた。教頭先生の話では「加賀国は小国なので当時存在した寺を国分寺として転用したようであるが、現在発掘され確定されてはいない。不明である。」ということであった。取り合えず推定地を教えてもらいそこに行った。
ちょうどいいことに酒屋があり、相当のおじいさんが居たので話をきいた。「国分寺の跡は無いのですか?」、「すぐそこの神社のところに昔国分寺が有ったそうだ。」(独り言「???。。。。何かおかしいな、国分寺の跡に現在神社が建っているなんて?。」)
「現在国分寺というお寺はないのですか?」「そっちの方にあるけど、それは数年前国分寺という名前に替えた寺だよ。」、、、そして、神社を訪ねる。

「石部神社といい総社である」という説明が有り「国分寺」については一言も書いていない。こうなったら市役所で調べるしか方法がないだろうと思い教育委員会に行き聴いてみた。(史跡に関しては教育委員会が担当している。)小松市教育委員会には小松市に合併する以前の国府村の「国府村史」というのがあり、これを見せてくれた。
分厚い村史の中で1ページだけ「加賀国分寺」について説明されていた。「加賀国分寺が出来たのは聖武天皇の詔から100年後、平安時代に入ってからで、加賀の国が越前から分離されて19年後、勝興寺を加賀国分寺としたことが記録に残っている。しかし、その場所は確定していない。」とあった。
「国府村史」は昭和31年に編纂されたものであるが、現在に到ってもまだ確定されていないようである。

1992/7