◆名称 :上寺山国分寺

◆所在地  :三重県伊賀市坂之下
◆宗派    :天台宗
足利尊氏が伊賀に利生塔を設置した「楽音寺」が「国分寺」の上にあると資料にあった。しかしその場所は「伊賀国分寺跡」からずいぶん離れている。「番外編」候補として興味を持って訪れた。
場所はJR関西本線「伊賀上野」駅の一つ東「佐那具」駅の北西「坂之下大天井」。地図ではとてもわからないので先ず佐那具近くの郵便局から聴きまわった。次々と聞いて行き、ようやくたどり着いたが、「国分寺」の入口を具体的に教えてくれたおばさんは「人はいないよ。凄い登り道でえらい所だよ。革靴では大変だよ。先日泥棒が入って今おまわりさんが探しているよ」等々さんざん怪しまれた。
国分寺は「三国地誌」に「一名楽音寺、上寺山普賢院、坂下村 按、本尊薬師仏は楽音寺の遺像にして、本寺は上野府城の良位に当たるを以て、大通廟より四至四町の地を寄せ給う。また国分寺廃して後、廻国の行者納経するところなくして、只国府の薬師といえるを尋ね、此上寺ぞ国府の本仏ならんと此に来りて経を奉ず、故に公裁を得て、享保七年、西条村国分寺の号を此に移して寺号となす。」とあり、上寺が享保七年(1722)より国分寺と称されるようになり、天保3年(1832)、国分寺の石碑が上り口に建立されて現存する。
 
   日本歴史地名大系
       三重県の地名
何とここは「現国分寺」なのだ。「西条村国分寺」の「西条」というのは、「西条、東条」という「国府」の条里構造からきた地名で「旧府中村」だという。とすれば、「古代国分寺」を継いだ「薬師如来」を本尊とする「中世国分寺」が西条村に出来、さらにそこが廃寺となった時、薬師如来を祭る「現国分寺」に名前が引き継がれたということになる。
「廃寺直前の国分寺」を目の当たりに見た。

2001/06
寺の上り口、「国分寺」の石碑がある
山門跡?
鐘楼跡
本堂・薬師堂
医王殿という額
上寺山国分寺と銘のある
       石塔