◆現在の名称:伊賀国分寺跡

所在地  :三重県上野市西明寺
◆交通    :近鉄伊賀線上野市駅 車


「伊賀国分寺跡」にはほかに近い駅があるが、近鉄の車掌さんに聞くとTAXIが無いという。そこで「上野市駅」でTAXIに乗った。「国分寺にお願いします。」というと、「???」。
「会社で聞いてきます」という。そして、運転手さんは車を降りて近くの建物に入っていった。会社は駅前だった。車は市内を南に抜け、そして東に向きを変え暫く行ったところで「片山鉄工所の裏と教えられまして。」と云って辺りを捜し出した。

なんと、鉄工所の門の中に「伊賀国分寺跡」という石碑が建っている。どう見ても敷地内である。松林(杉林?)の中を少し切り開き石碑が建っていた。そして、石碑には「土壇が当時の様子を示す」とあったが、見た感じでは示されなかった。それ以外は何も無い。
ただ、その石碑は単なる棒状のものではなく、看板状のものであり、遺構の図が書いてあるもので、気配りが感じられた。

ところで、伊賀上野に列車が近付くと盆地の中心に小高い岡があり、そこに城の天守閣がそびえ、城下町の風情が見える。これが不思議であった。車の運転手さんに「ここの城は藤堂高虎が建て、完成直前に消失しその後再建されていないのではなか
た?」と聞いたところ、「そうです。でも、今はコンクリートの天守閣があります。」「名所として昭和30年代に建てたのです。」ということであった。

1989/11

伊賀国分寺跡再訪
鉄工所入り口にある「史跡伊賀国分寺跡」の石碑
12年半ぶりの再訪になる。上野市歴史民族資料館に立ち寄り上野市観光協会が発行している「散策地図」をいただいた。忍者の町だけに「わが町の案内は忍者が承る」という面白い地図である。上野市は、「古代国府」、「忍者の町」、「家康伊賀越の場所」、「城下町」、「芭蕉出身地」、「仇討ち鍵屋の辻」、「だんじり」等々、観光の話題が豊富である。
先ずは以前の記憶を頼りに鉄工所(片山鉄工)に入る。門を入り車を止め、無断駐車を遠慮しつつ林を見ると以前と同じ石碑が目に入った。そこに上がると立派な「説明の石板」があったはず、と思いながら道を探すが無い。
「伊賀国分寺跡は整備されている」ということであるので「別の入り口」を探しに車で裏へ廻ることにした。

なるほど、こっちが表である。駐車スペースのある立派な入り口であり、先ほどの鉄工所は「国分寺跡」の北のはずれになっているのだ。以前林になっていて入れなかったところがすっかり整備されているの。
南門跡を通ると「中門から金堂、講堂、塔」を含む寺域が広場として確保され、それぞれの場所に「跡」を示す説明板が立っている。
復元整備ということではまだ初期の段階ではあるが、以前から比べれば格段の進歩である。別にいえば進展中の一時期を見に来たようでありこれも楽しく思える。今度来たならばもっと整備されているのだろう。そんな期待を持たせる「伊賀国分寺跡」である。
伊賀国は国規模の4等級では一番小さい「下国」。その割りに立派な国分寺が建っていたのだ。

2001/06
南門付近の「跡入り口」
中門跡から金堂方向
塔跡(推定地)から金堂方向