◆現在の名称:肥後国分寺

◆所在地  :熊本県熊本市出水町
◆宗派    :
◆交通    :JR 豊肥本線 水前寺公園駅
肥後国分寺へは現国分寺住所を頼りにして行った。現国分寺は街並みの中にあった。お寺を訪ねご住職の奥さんと思われる方に話を聞いた。「跡」を示すものは何も無く、塔の心礎だけが残っているという。寺の由緒書きは無い。心礎の場所を聞くとすぐここを出たところにある神社の境内だとのこと、さっそく行ってみる。
神社は熊野坐神社。全国に3000社以上もある熊野信仰の神社のようだ。でも、小さい。どこに石があるのだろうと思いつつ入ってみると、鳥居の脇にあった。まるで手洗い石である。手洗い石と違うのは水樋や柄杓が無く、説明板があることであった。
肥後国分寺跡はこの礎石一つである。
訪問日の夜、熊本の友人と夕食をとった。この友人に「熊本に行ったら国分寺跡を見る、全国見るのが趣味だ」と行く前に云ったら、熊本を事前調査してくれたらしい。そして云っていた。「石を見てなにが面白いの?」。
確かに肥後国分寺跡?を見てそのように思った。もし、全国の国分寺跡が礎石一つだけ残っている状態だったら、そりゃ、全国は廻らないだろうなと。熊本県に国分寺ファンは一人も居ないことであろう。
肥後国府は3度移動したと本に書いてある。この辺は2度目の場所であり、その時に「国分寺建立の詔」が出てここに国分寺を造ったようである。
天平の肥後国分寺が廃寺となってその跡に熊野神社が建てられ、塔の心礎だけが「もったいないこと」として神社に移された。そしてずっと後に国分寺が再建された。でも、心礎を国分寺に戻そうという気持ちが地域の人に生じないほど神社に石がなじんでいた。ということであろうか。神社に寺の跡があるなんて珍しい。
熊本を出発する朝先ず熊本城を見学する。城は加藤清正が造り、細川氏が住んだところで、天守閣が復元され遺品が展示されている。天守閣の近くではまだ発掘作業が続けられていた。今後も発掘しつつ各建物を復元していくようで、今後の復元予定が掲示されていた。ほぼ全貌を復元する予定のようで、完成すれば日本で最大の復元城郭が見られるのではなかろうか。
肥後国分寺心礎
熊野坐神社
2003/10