ぎょらんざか
        
港区三田4丁目
伊皿子坂  いさらござか
   (潮見坂  しおみざか

        
港区三田4丁目
麻布十番にあるのが江戸時代に「古川」とよばれていた川にかかる「一の橋」である。そこから南(上流)に「二の橋」、「三の橋」、「古川橋」そして川が古川橋から西に向きを替え明治通り沿いに渋谷方向に向かい「四の橋」となる。
麻布十番から「古川橋」を直進するとすぐ東(品川方面と表示されている)にそれる道があり、それた場所の先(国道1号線、第二京浜と)の交差点が「魚籃坂下」で、そのまま東に向かうと「魚籃坂」となる。この坂の頂上まで来ると、次にくだりの坂になり、これが江戸名所図絵に「潮見坂」と画かれている「伊皿子坂」である。この坂を降りきると国道15号線(第一京浜、旧東海道)で、江戸時代には東海道の東はもう海であったので「潮見坂」と呼ばれる景色となったものである。
観音堂  江戸名所図会
潮見坂(伊皿子坂)
江戸名所図会
伊皿子坂
伊皿子という地名の由来には諸説がある。「更級日記」の「いいさらう」の語、当地に住み承応2年(1662)に没した明人伊皿子にちなむという説、南方の如来寺にあった大仏から「おさらぎ」となったとする説、武蔵国に住んだ大仏陸奥守貞直の名字にちなむとする説などがある。
芝田町9丁目と車町の横町から伊皿子町を経て伊皿子台町へ上る坂を伊皿子坂という。長さ約一町余・幅3間。「江戸名所図会」には潮見坂の名で紹介されている。

 
日本歴史地名大系
 東京都の地名
魚籃坂
魚籃寺前から大信寺前に下る幅4間・長さ3丈3尺の坂を魚籃坂という。
浄土宗魚籃寺は元和3年(1617)開創の豊前中津円応寺(現大分県中津市)の寺中魚籃院に始まるという。寛永7年(1630)当地に移転。本尊の魚籃観音は中津から移した像で、右手に魚の入った籃を持ち、左手に天衣を携える唐女の姿をする。

日本歴史地名大系
東京都の地名
魚籃坂の道標
魚籃坂
魚籃寺
伊皿子坂の道標
伊皿子坂
2003/06
江戸名所百人一首  魚藍観音
芝高輪絵図(1857)