上方浪曲ニュース最新号
2001.10
 BK新局舎移転に伴い
 お別れのラジオ録音

 十一月三日新局舎に移転するNHK大阪放送局で、旧放送会館最後の「浪曲十八番」ラジオ収録が、九月二十六日行われた。
 大阪放送局は昭和十一年十二月に馬場町の大坂城南側に建設され、以後六十五年にわたって、放送番組を発信してきた。浪曲は十二月二十八日京山幸枝の「破れ太鼓」放送を皮切りに、あまたの浪曲家がこのスタジオから名調子を電波に乗せて送り出してきた。東京中心の編成が行われている現在では、ラジオ放送も全国中継の「浪曲十八番」の枠内で年間数本が大阪局から放送されている。
 旧局舎五階のラジオ第三スタジオでおこなわれた最後のレコーディングには、京山宗若と三原佐知子が出演。熊谷富夫ディレクターの指揮で、午後一時から三原が「母恋あいや節」、宗若が「武蔵屋新造」を吹き込んだ。放送は三原が十二月六日、宗若が十三日の予定。
 なお次回二月のラジオは、十二月二十七日新築の放送会館内にできたNHKホールにおける公開録音の模様が放送される。

 百合子「芸能大全集」出演
 毒舌の談志を唸らす名演

 NHK衛星放送の「談志・爆笑問題の芸能大全集」に春野百合子が出演し、「藤十郎の恋」を語った。
 この番組は、立川談志と爆笑問題が、さまざまな名人芸のビデオを見ながら蘊蓄を語る番組。これまで四本制作されているが、いずれもビデオライブラリーを使用しての放送だったが、今回は立川談志の強い要望があり、
はじめて番組内で観覧者を入れての公開録画となった。百合子の持ち時間は十五分。「藤十郎の恋」の後半部分を熱演し、浪曲になじみのない観客を圧倒した。
 いつも毒舌で出演者を厳しく批評する立川談志も、百合子にはべた惚れで手放しの持ち上げよう「この名人芸を聞く機会に恵まれたことは大きなよろこびだと思え」と観客に檄を飛ばしていた。放送は十一月二十六日午後七時半からBS2で。ほかに、ダイラケ、てんやわんやの懐かしい漫才や田畑義夫とのトークなどもある。

 名古屋で東西合同大会
 五月一朗の名演光る

 十月十二日名古屋市民会館で恒例の東西浪曲大会が昼夜二回にわたって開催された。出演したのは大阪から真山一郎、京山小円嬢、京山福太郎、東京から五月一朗、東家浦太郎、地元名古屋の天中軒月子の七人。午前十一時昼の部の春日井梅光「赤城の子守唄」から夜の部のトリ東家浦太郎の「五稜郭始末記」まで新作旧作取り混ぜて延々十時間の長丁場。こういう大会は今や名古屋のここしかないと言っていいほど、貴重なもの。観客動員に苦労しながらも続けている早川興業社の努力は多としなければならない。
 中で注目は、最長老八十二歳の五月一朗の名演。美声と息の長さでならしたこの人だが、老いて尚ますます盛ん若い者に負けない元気一杯の舞台を務めているのには感服する。ことにこの日の昼は「玉川お芳」、芸術祭賞受賞からはや二十年の歳月が流れたが、自慢の美声に頼むことなく、初代駒蔵譲りの今では全くなくなってしまった上方寄席芸の楽しさを再現し、大会中に五月一人の別世界を築いていた。泰然自若、悠揚迫らぬ味わいはまさに芸の世界に遊ぶ境地、この年輪を重ねなければ出せない魅力だろう。いつまでも元気で舞台を勤め続けてくれることを願うや切なるものだ。
 地元の責任で気合いを込めたのが天中軒月子、昼は新談の「小村寿太郎」、夜は雲月譲りのこの人にとっては新ネタ「忠僕直助」をかたった。直助は昼の部で京山小円嬢も演じており、こちらは梅中軒鴬童のねた。作風の違いを聞き比べるのもまた一興ではあった。

 真山広若、奈良に後援会
 発足記念のショウで気を吐く

 十月十三日、奈良県香芝市の二上文化センターで真山広若後援会発足記念公演が開催された。後援会は地元のファンが中心になって作ったもので、公演では広若の浪曲と歌、ゲストの奈美京子、寺戸五十鈴の歌と踊りなどを楽しんだ。
 久しぶりの後援会発足に広若は「番場の忠太郎」を歌謡浪曲で語り、何度も衣装を変えて歌謡ショウーでも歌いまくってサービスした。幕間では芦川淳平が広若の芸と人、奈良県と浪曲のゆかりなどを話して会の活動へのエールを送った。
 広若はこの後援会を足掛かりにこの会館で年に何回か浪曲の公演を行いたいと意欲を燃やしている。 
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