上方浪曲ニュース最新号
2001.7
 回復の願いむなしく
 広澤駒蔵六十九歳で逝く

 三代目広沢駒蔵(本名・美崎正則)さんが、六月二十二日午前五時二十三分、大腸ガンのため入院先の羽曳野市誉田の藤本病院でなくなった。六十九歳だった。
 駒蔵さんは昭和六年大阪府羽曳野市生まれ、昭和二十四年十一月二代目広沢駒蔵に入門、駒太郎を名乗り、翌年三月住吉区粉浜天理教会で「柳生二蓋笠」を口演して初舞台を踏んだ。一時、浪曲音楽ショー「スカタンボーイズ」を結成し、駒タローを名乗って色物に転向していたが、昭和四十四年、師匠二代目駒蔵死去にともない浪曲に復帰。四十六年、天王寺区郵便貯金会館ホールで三代目駒蔵を襲名した。ケレン読み(滑稽浪曲)の第一人者として関西浪界きっての売れっ子になり、平成六年から浪曲親友協会副会長をつとめ、関西浪界の牽引役をはたしていた。平成八年大阪府知事表彰(文化芸術功労者)、平成十一年大阪府舞台芸術奨励賞を受賞している。
 昭和六十二年から昨年夏まで十四年間にわたって朝日放送ラジオの「おはよう浪曲」の司会を務めた。
 一昨年夏、大腸ガンの手術をし、その後復帰したものの完全には復調せず、入退院を繰り返しながら舞台を務めていた。昨年九月ワッハ上方で開かれた芸術祭参加公演「ローオンレコードを知っていますか」に出演。十一月二十三日愛知県豊明市市民会館の公演に出演したのが最後の舞台となった。
 浪曲人が回復を祈る中今年四月七日の親友協会さくらまつりに参加、皆に励まされていたのが、ファンの前に姿を見せた最後の催しとなった(写真)。

 三原佐知子、三門忠司公演出演
 「母恋忠太郎」におはま役で

 七月六〜八日、ワッハ上方で開かれた三門忠司特別公演に、三原佐知子が友情出演し、歌と芝居を熱演した。
 芝居は、瞼の母より「母恋忠太郎」。三原は、水熊おはま役で出演し、三門の忠太郎を邪険に追い返すおなじみの場面を熱演した。この芝居は、歌と浪曲を随所に挿入しながら進める演出で、歌は三門が、浪曲は三原が担当した。
 三原は、第二部の歌謡ショウにも出演し、猛暑の中、三日間五ステージを元気いっぱい務めていた。

 四郎若、落語の文我と二人会

 松浦四郎若は、六月二十日、下寺町の応典院ホールで落語の桂文我と二人会を開いた。
 文我は、子供の頃、虎造や菊春の浪曲を学校の教室で唸っていたという浪曲好き。この春から四郎若に代わって、朝日ラジオのおはよう浪曲の司会を務めている。二人会は文我が四郎若に呼びかけて実現したもので、対談をはさんで、両者二席づつ口演した。
 四郎若は、前席に文我の故郷が三重県の松阪ということにちなんで、「松阪城の月」を、後席にケレンもある「秀吉の報恩」を語った。
 文我は、前席に「崇徳院」、後席に左甚五郎が登場する「ねずみ」をはなした。
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