唯一の定時浪曲テレビ番組、ABC朝日放送「おはよう浪曲」が、三月二十五日の放送で二十六年間の幕を閉じることになり、二月十九日、最後の公開録画がABCホールで行われた。
この番組は、昭和五十年、その前年の「浪曲招待席」の好評を受けて、異例の早朝芸能番組としてスタート。四月六日、第一回に京山幸枝若の「笹川の花会」を放送した。一年半後スポンサーの降板で一旦終了が決まったが、高齢者や療養中の視聴者から「唯一の楽しみを奪わないで」と継続を求める投書が殺到し、当時の朝日放送原社長は「民間放送とは言え、放送局の社会貢献の責任は重い」と再開を決断。以後スポンサーをつけずに局の予算で二十年以上再放送を交えながら放送を継続してきた。
しかしながら、幸枝若、月の栄ら相次ぐ浪曲師の死去や引退に伴う減少とファン層の高齢化など、近年浪曲を取り巻く活力の低下には抗しきれず、朝日放送から「二十一世紀を迎えるに当たって、一旦キリをつけたい」と放送打ち切りが通告された。昨年十二月から最終シリーズの十二本が収録され、二月十九日、真山一郎、京山福太郎、三原佐知子、春野ココ、幸いってんの出演で最終四本の収録が行われた。
この日は、最終回とあって、公録参観のファンもいつもより多く、場内は満席の熱気に包まれた。番組も世代交代の中心となる福太郎、佐知子の渾身の熱演とココ・いってんという次代に期待を託す新人の二本立、そして最終回放送分は真山一郎の「右衛門七の最期」の絶唱で幕を下ろした。
「おはよう浪曲」が一週間の始まりの日課として生活に定着している固定した視聴者がほとんどだけに、「生きがいがまた一つ減ってしまった」と口々の嘆くファンは多く、常に弱者の声は切り捨てられる時代の流れの非情さを物語っているようだった。
終演後、この日の出演者のみならず、これまで出演したほとんどの浪曲師、スタッフを交えて、「ありがとう!おはよう浪曲打ち上げ会」が、局内会議室で行われ、全員が一言づつ思い出を語り名残を惜しんだ。
また、三月十五日、二十六年間を通してこの番組のディレクター、プロデューサーを務め続けた勢井亮度さんをねぎらう集いが、浪曲人だけで賑やかに開催された。