上方浪曲ニュース最新号
2000.11
 戦国武将の子孫居並ぶ供養祭
 天中軒月子、新作「関が原」熱演


 今夏病気で長期入院していた天中軒月子が、十月二十一日、岐阜県の関が原で開かれた関が原合戦四百年祭に出演し、新作「決戦関が原」を口演。病後とは思えない熱演で、完全復帰をアピールした。
 この催しは、関が原合戦場にあるウオーランドで、地元の宝蔵寺住職で郷土史家の谷口玉泉さんが主催して毎年戦没者供養のために開催しているもので、かつては故天中軒雲月さんを招いて、谷口さんの新作浪曲を口演していたが、雲月さん亡き後弟子の月子が引き継いで出演してきた。
 今年は合戦四百年に当たることから、この合戦に参加した東西両軍の武将の子孫約百二十名が一堂に会しての合同供養祭となった。それぞれが先祖の名前を記した名札の着いた陣羽織を羽織った会場で、月子はこの日のために芦川淳平に依頼した新作「決戦関が原」を披露した。観衆が石田三成や小早川秀秋、大谷刑部など登場人物の子孫とあって緊張の面持ちで舞台に上がった月子だったが、療養中病床で練り上げた節使いも万全に、合戦のすさまじさや人間模様をありありと再現して感動を誘っていた。観客の一人は「名前でしか知らない遠いご先祖様が生き返って、子孫の私たちに語りかけているようで、涙がこぼれてきました」と語っていた。
 月子は「入院していたこともあって、他でネタ下ろしも出来ず、全くのぶっつけ本番でしたが何とか最後まで語りきることが出来ました。まだまだ未完成ですが、これからあちこちの舞台で練り上げてゆきたい」と語っていた。

   幸いってんが毎月勉強会 期待の新人曲師も初登場

 関西唯一の二十代の浪曲師として将来を嘱望されている幸いってんが、毎月一回勉強会を開催することになり、十月二十九日、第一回目が大阪市港区夕凪の洋風居酒屋べらみで開かれた。新人にとって勉強の場が少ないことは悩みの種だが、ことに関西では、一心寺寄席以外はほとんど興行や営業の舞台で、芸を磨く場が極端に少ない。自分の勉強の場は自分で作るしかないんだと、師匠の京山福太郎にも強く勧められ、支援者の店を毎月第四日曜の午後提供してもらって始めることになった。
 第一回目となったこの日は、店一杯の二十人ほどの観客を前に、いってんは「雷電の初土俵」を口演。三味線も藤信初子の弟子でこの日が事実上の初お目見えとなった岩城範子がつとめ、フレッシュなコンビに期待が集まった。
 岩城は、浪曲が好きで福太郎の後援会にも入っていたが、三味線をやってみたいと二年前に藤信の門を叩いた。それまで三味線を触ったこともなく初歩からの手ほどきだったが、根が浪曲好きで、色々な節を弾いてみたいと自習を怠らず、成長著しいものがあった。この日も音色も撥さばきも初めてとは思えない堂々たるもので、三十代半ばという若さもあって今後ますます期待される存在になりそうだ。
ゲストとして花を添えた師匠福太郎は「ネタの勉強もさることながら、世に出るためには、トークや歌も歌えなければならない時代。この場を純粋に勉強会として、自分を磨いて欲しい」と語っていた。次回は十一月二十六日午後2時より。  

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