芦川淳平の浪曲関連評論集

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上方浪曲・回顧2001
消えゆくものに勝る芽生えは?



 二十一世紀最初の年であったこの一年、関西浪界には時代の荒波が大きなうねりとなって打ち寄せた。
 その第一は、二十六年間にわたって続いてきた朝日放送テレビの「おはよう浪曲」が三月で歴史の幕を下ろしたこと。
 華やかな放送ビジネスの中ではほんのささいな番組の打ち切りであっても、浪曲という一つの芸能とそれを支える人々、そしてこの番組の愛好者であった物言わぬ数百万人の大衆にとっては、決してささいな出来事ではなかった。浪曲人にとってこの番組は最大のショーウインドウであった。浪曲界にとってもまた週一の定時番組は浪曲がこの世にあることをかろうじて「誇示」する砦でもあった。そして多くのファンにとっては日曜の朝の早起きは生活のリズムに一つとして組み込まれていた。
 今も行く先々会う人毎に尋ねられる。
 「おはよう浪曲、今度いつ始まりますの?あれが唯一の楽しみやったのに」
 世の中が乱れ、人倫に反する出来事が日常茶飯に起こっている、それを伝えるメディアは一方で能天気な騒々しいドタバタを臆面もなく垂れ流し続けている。そんななかで、浪曲が歌う世界は、人々の良識を揺り起こす救いの一服であった、たとえそれがもはや今日においては非現実的な世界であったとしても。そういうものの存在をも許さなくなるほど世の中にゆとりがなくなった、これが二十一世紀であるならば、その見通しは暗澹たるものなのにちがいない。
 第二にこうした時代の行く末を見通したごとく、浪曲人が去っていった。幸枝、駒蔵、栄楽、今年関西では三つの大きな看板が消えた。浪界内部にも、多士済々を楽しむゆとりはなくなってきて、実に窮屈な末世を迎えつつある。
 消え行くものがあれば生まれ出るものなくして世間の天秤は合わないはず。
 新しい胎動を象徴する一人が、三味線の新人一風亭初月だろう。テレビのドキュメンタリーの主役になったり、新聞連載のモチーフになったり、一心寺寄席でも彼女の場合は出弾きをさせて顔を曝しているもてもてぶりだ。曲師の門下生は彼女の前に何人かいる。なかでその末席の彼女に世のスポットライトがあたったのはなぜか。若さもあろう、美貌もあろう。しかし何よりも彼女の積極的な意欲が買われている。師匠の藤信初子がハラハラして出しゃばるなとたしなめるほどおかまいなく、勉強になると思えば何処へでも顔を出し、自分からやらせてくれと買って出る度胸は、浪界の伝統とは合わなくても食うか食われるかの芸界にあっては当然求められる素養なのだ。三味線を触ったこともない三十過ぎの一人の女性が、僅か三年の稽古で度胸ひとつで堂々と舞台の出弾きするにいたった。技術はもちろんまだまだ未熟にもかかわらず、存在を認めさせる意欲を彼女は見せている。これは後に続く人への希望の前例となるであろうし、今浪曲人すべてに求められるのは、この積極果敢なチャレンジ精神なのだということも物語っている。
 一足早く世に出た幸いってんは唯一の二十代として期待も高い。初月とコンビを組んでいるが、ここのところこのじゃじゃ馬曲師に押され気味なのはどうしたことか。いくら髪の毛を今風に染めてもその中身がマンネリに犯され向学心を失ってしまったのなら無意味なファッションでしかない。彼の可能性を信じ、師匠福太郎ならずとも皆が祈るような思いで見ている。何をやっても許される今の位置にいる間に勇猛果敢なチャレンジを見せて欲しいと切に望む。
 関西浪界の頂点は共に七十才代の春野百合子と真山一郎。本来ならば大御所として悠々自適、芸に遊ぶ境地で君臨していればいいはずが、時代はそれを許さない。いまだ彼らがそれぞれの手法で機関車として引っ張り続けている。この存在を、後に続く人々は喜ばねばならないが、同時にいまだその地位に立たせ続けていることを恥じねばなるまい。
 殊にその責任重大なのが、今年副会長になった京山福太郎だ。本人もよく認識してそろそろっと奮起を見せていた。いままさに一回り大きくなったニュー福太郎誕生と期待したところで惜しむらくも今年前半は体調を崩して出鼻をくじかれた。来年は仕切り直しで名実共に牽引車として活躍するのが宿命だ。
 女流では三原佐知子がこの夏日本を飛び出し西洋人相手に殴り込みを掛けた。この豪州公演は成功を収めたが、これが単なるエポックであってはならないことは本人も承知のはず、この経験を如何にいかして自らを大きくするか、戦略的な行動が来年の課題となる。
 「皆が育ってくれることを信じて儂と百合さんでとにかく頑張り続けねば」というのが真山会長の切実な口癖だが、彼らとて神にはあらず。
 「いつまでもいると思うな百合子と真山」この檄句が言わんとするところは皆が認識しているだろうが、行動なくして結果はない。親友派総員の奮励を期待したい。(芦川淳平)