25. カンディア川(Kandia river)
 5月13日朝8時頃に出発。体調はどうにか回復しつつあるようでした。インダス川本流の左岸に沿って約40分走るとカンディア川との合流点に着きます。本流の水は細かい砂を大量に含んでいるため鉛色なのですが、本流の西側(右岸)から流れ込むカンディア川の水は透明なブルーでとてもきれいです。ここは材木の集積地になっていて、道路脇の空地に大量の角材が積み上げられています。日本では材木は丸太の状態で積み上げておくのが普通ですが、ここでは長辺が30ないし40cmくらいで長さが5mくらいの角材に仕立ててあります。その理由は後にカンディア川の奥地に入ったときにわかりましたので、そこまで進んだところで書くことにします。インダス川の本流にボロい吊橋が架かっていて右岸(西側)に渡れます(現在はもっと立派な橋に変わっている)。その先は未舗装の細い道ですが、角材を積んだ車が行き来しています。


 合流点を過ぎると鉛色の川と乾いた岩の斜面という似たような風景が続きます。このあたりはあまりにも周囲の変化が乏しいため、何度通っても距離感がつかめません。非常に長い距離を走ったように思えたり、時間の割にはあまり移動していないように感じたりする不思議な場所です。サズィーン(Sazin)、とサーティアール(Shatial)という二つのバザールがあること以外は全く殺風景です。最近、サーティアールの少し先でインダス川の本流を堰止める巨大ダム(Basha dam)の建設が行われています。ダムが完成して人工湖が出現すると乾燥した気候が変わってしまうかもしれません。


26. 自損事故
 カラコラムハイウェイは険しいところに造られているので、尾根を削って巻いていたり、川の流れを横切っているところが多数あります。川を横切る場合に橋や堰堤を整備して川と道路を分離していればいいのですが、路面をコンクリートで覆って傾斜をつけ、川の水をそのまま路面に流しているところもあります。建設費用を節約したのか、あるいは技術的に困難だったからなのでしょう。路面を川が流れているところはバイクにとっては危険です。部分的に泥が溜っていたり、藻が生えていることがあるのです。サーティアールを過ぎたところでそのような場所があり、いつもは慎重に通過するのですが、疲れているせいか散漫な運転になり、後輪をスリップさせて転倒してしまいました。「あ、まずいな。」と思った次の瞬間に柔道で足を刈られたような感じで、右側にサクっとこけました。

 ヘルメットなしでしたが、右半身全体で接地して肩で止まったので幸い頭は打っていません。腕、肩、腰を打撲したものの身体の動作に問題はありませんでした。バイクを起こしてみるとブレーキレバーが根元の近くで折れています。タンクも少し凹んでいました。エンジンは問題なく始動できました。前輪のブレーキが効かない状態ですが、後輪につながる足のブレーキレバーには異常ありません。速度を出さなければ大丈夫そうです。そのままノロノロ運転でどうにか進んで行くと、やがて狭くて急峻だった谷が開けて来て、川幅もぐっと広くなります。川沿いに大量の砂が溜まっていて、道路も砂丘の上のようなところを通過しています。転倒したところから45km進むとチラースの入口に到達できました(12時30分)。



27. ギルギット地方政府
 チラースの入口には北方地域(Northern Areas)行政府のチェックポストがあります。道端に大きな灰色のテントがあり、そこに座っているおじさんが遮断機を操作しています。バイクで通りかかると遮断機が降ろされて止められました。テントから警官のような服装の人が現れて分厚い帳面を差し出します。どうやら氏名とパスポート番号を記入することになっているようです。記入しながらそのページを眺めると、日本人らしい氏名がいくつかありました。チラースから中国国境までの間のカラコラムハイウェイは北方地域行政府の管理区域を通過しています。ギルギットを含む北方地域は、実質的にパキスタンの支配下にあるのですが、元々はムガール帝国傘下のカシミール藩王国の一部です。インドとパキスタンはカシミール地方の帰属を争って過去三度にわたって大規模な戦争状態になり、決着はついていません。カシミール地方のおよそ三分の一はパキスタンの管理下に、残りの三分の二はインドの管理下にあります。北方地域はパキスタンの管理下であってもカシミール地方全体の国境線が確定していないので、チラースから先は建前上はパキスタンの領土ではありません。ここは一種の国境ですから、北方地域に外国人が出入りするときはそのつど記録することになっているようです。現在のパキスタンは北東側に「カシミール問題」、西側に「アフガニスタン紛争」を抱えています。それらの解決の目処が立たないことと、経済発展が遅れていることから宗教に拠り所を求める人が増え、原理主義的勢力が拡大しています。何が正義であって、どうすれば解決の方向に進めるのかがわかりにくい複雑な状況になっています。このウェブサイトに書いているようなのんびりとした地質調査は当分の間できそうにありません。パキスタン政府は2009年8月に北方地域を「ギルギット・バルチスタン(Gilgit-Baltistan)自治州」とする(州政府を置く)ことを決めました。これは旧北方地域をパキスタンの領土に組み入れたことを意味します。インド政府は「旧カシミール藩王国の全域がインド固有の領土である」と主張していますので、当然ながらパキスタン側の決定には反発します。表面的にはインドとパキスタンの対立が強くなったように見えますが、「国境画定」に向けた作業が一段階進んだとも言えます。

 今日の移動はここまでとして、まずは折れたブレーキレバーをなんとかしなければなりません。当時のチラースは道路沿いには数軒のホテルと店があるだけでした。チェックポストの先で右に分岐する道に入って台地の上に登ると大きなバザールがあります。住居もこちらに集中しています。バイクの修理ができそうな店はすぐに見つかりました。この手の故障はよくあるらしくて、あっという間にレバーが交換されて修理完了です。バザールには安宿もありましたが、体調のことを考えてこの日は道路沿いの立派なホテルに泊まることにしました。空いていたので少し負けてくれて350ルピーでした。これまでの宿代では最高額ですが、お湯のシャワーはラーワルピンディ以来です。この日の移動距離は150km、ラーホールからの通算806km。


...つづく

Indexに戻る