112. バーレーンの拠点を撤収
 11月13-15日 休養しながら、バーレーンから引き上げるための後片づけをします。岩石の試料は、頭陀袋を買ってきて、一袋あたり片手で持てる数キロ程度に整理します。キャンプ用具も一纏めにします。荷物と岩石試料は車を借り上げて一挙にイスラマバードまで移動させるつもりです。問題はオートバイです。車を使って撤収するのですから、もはやバイクは「お荷物」にすぎない存在です。調査に不可欠の「相棒」でしたが、イスラマバードまで引き上げた後に「バーレーンに戻ってバイクに乗って帰る」というのも想像しただけでめんどくさくなります。ここで処分できれば一番楽です。そこで、宿のオヤジのハーン・ザダに「バイクを売りたいので買手を探して欲しい。」と頼んでおきました。彼は何やかやと顔が効くようなので、こういう場合にも頼りになります。この宿を拠点にしていなければ、ここまで効率よく調査を終えることはできなかったでしょう。


 11月16日 トヨタのハイエースを運転手付きで借り上げて、バイク以外の全ての荷物と岩石試料を乗せ、自分も同乗してバーレーンを出発。バイクは買手が見つからなければ取りに戻るつもりです。ハイエースは宿のオヤジを通して手配してもらいました。イスラマバードまで 1400ルピー(1万円弱)でした。イスラマではTさんの家に転がり込み、しばらく滞在させてもらいます。
 11月17日 調査を終えた後で最も重要な作業は岩石試料を日本に発送することです。17日にラーワルピンディの金物屋が集まっているバザールでブリキの箱を9個買い、タクシーでイスラマに戻りました。全部で 390ルピー。この箱に頭陀袋で持ち帰った試料を整理して詰め直します。この時点で手元の現金が 402ルピーになっていました。10月30日にラーホールを出るときに持っていたお金をほとんど使い切っています。岩石試料を箱詰めしていると、Tさんから「その量なら郵送ではなくて、引越業者を使うほうがいいのでは?」との助言がありました。私が集めてきた岩石試料は 250個で総重量はざっと見積もって 100 kg 程度です。これほどの荷物を郵便小包で発送するのはかなり手間がかかり、配送の確実性はあまり高くないということでした。
 11月18日 Tさんに引越業者を紹介してもらってその事務所に出向き、岩石試料を送れるかどうか相談します。大使館御用達の引越業者なら信頼できるというわけです。もちろん、信頼度の高さは料金にも反映されるものと覚悟しなければなりません。紹介された業者は Express Movers と言い、事務所はイスラマの中心部であるブルーエリアでも官庁街に近い「一等地」のビルの中にあります。私に応対したのは恰幅の良いおじさんで、名刺の肩書は General Manager と書かれていました。日本の会社なら「部長」相当でしょうか。部長さんの話によると、岩石試料を引き取り、航空貨物用にパッキングし、通関手続きを行い、貨物便で発送するところまで一貫して請け負うとのことでした。ただし、輸出許可については荷主本人がブルーエリアにある政府機関の Export Promotion Bureau (輸出振興局)に申請して取得する必要があるそうです。郵送の場合は自分で荷造りして郵便局に持っていく必要があるので、かなり楽になります。こちらで輸出許可を得た上で正式に依頼することになりました。

 11月19日 テント、寝袋二個、地質調査用具一式を二個口の荷物にまとめて郵便局から船便で発送しました。宛先は自分の親の家です。郵便局で外国宛の小包を発送するのはかなり面倒です。宛先と送り主の住所氏名と内容物のリストを所定の用紙に記入するのは日本から外国に発送するのと同じですが、段ボール箱の荷姿では受付けてもらえません。荷物を白い布で包んで、糸で縫い合わせて綴じなければなりません。油性のマーカーで布に宛先と送り主の住所氏名を書き込み、重量を測ってもらって料金を確認し、料金分の切手を布の上に張り付けて小包の窓口に提出します。一つは 6.5 kg で 290ルピー、もう一つは 3.35 kg で 230ルピーでした。布で包むのは、税関で縫い目を開いて中身を検査することがあって、検査後に再び縫い合わせるそうです。今でもこのような手間のかかることをやっているかどうかは不明です。到着まで3か月程度かかる見込みとのこと。船便だから仕方ありません。これらは仮に紛失したとしても「ちょっともったいないな」という程度のものです。
 この日の夜に調査に使ったお金を計算してみました。バーレーンを拠点とする調査に出発した6月16日から、体調不良で中断した7月16日までの間に使ったお金は10630ルピー、調査を再開した7月29日から完了してイスラマバードに到着した11月16日までは59031ルピーでした。1日あたり494ルピーです。ルピーのレートは不安定なので、日本円への換算は単純にはできないのですが、大雑把に考えると1日に3500円使ったことになります。
 11月20日 やるべきことを把握できたので、ラーワルピンディからフライングコーチに乗って一旦ラーホールに戻りました。
 11月21日-12月14日 ラーホールに戻って、調査結果のマップなどを整理していると、シャムス教授から事務長のイクバールさんを通して、「調査報告書を提出しなさい。」との指示がありました。私は客員研究員として居候させてもらっています。無償で私を受け入れている側の地質学科としては、居候が何をやっているのかを把握している必要があるものと思われます。調査結果の全体を報告するとなるとかなりの手間になりますが、特に急いでやることもないので、少しづつ進めることにします。
 12月15日 寮の自室でごろごろしていると、ドアがノックされ、見覚えのない人物が立っています。ちょっと緊張しましたが、その人が「あなたを訪ねて来ている人がいる。」と言うと、斜め後ろにいた人が進み出て来ました。バーレーンで私が根城にしていたホテルザウールのオーナーであるファリドゥーン(Faridoon )氏でした。何事かと思ったら「自分がバイクを買う」と言います。部屋に招き入れると、代金として8500ルピー(約6.2万円)を現金で持って来ています。バイクを入手したときの値段が22000ルピー(約16万円)でしたから、約10万円の差になります。次にバーレーンを訪れる際に買手がついていれば代金をもらってバイクを渡すつもりだったので、この場にいきなり買手が現れるのは想定外でした。8500が妥当なのかどうかをこの場で確かめることは難しく、ホテルザウールでは何かと世話になったこともある(そもそもバイクはホテルザウールに預けていて、預かり料は請求されていない)ので、値段交渉なしで即決することにしました。私は一歩も動くことなくバイクを処分できたことになります。

113. Old Campus の代書屋
 12月16日-23日 「調査報告書」は、原案がほぼできたものの、タイプライターで清書するのが面倒でグダグダと先延ばしにしていました。以前にパンジャーブ大学には市街地中心部の Old Campus と 郊外の New Campus があることを書いています。 Old Campus の近くに本屋街があって中古のタイプライターをそこで購入しました。Old Campus の北側は「カチェリーロード (Katchery Road)」という通りです。その通りの南側に、大学の塀に沿って事務机を置いて道路側を向いて座っているおじさん(というか「お爺さん」レベルの人もいる)が何人も並んでいます。以前から彼らが何をしているのか不思議に思っていました。私の記憶では15人くらいは居たはずです。
 12月後半のある日に、通りすがりにチラ見すると机の上にはタイプライターが置かれています。「もしかして?」と思い、少し離れて様子を見ていると学生らしい若い男性がおじさんに紙を渡しました。おじさんは紙を受け取ると机のタイプライターに別の紙をセットしてパシパシとキーを打ち始めました。2、3分ほどでタイプライターから紙を取って学生に渡し、学生からお金を受け取りました。ここまで観察して、このおじさん達が「代書屋」であることが判明しました。大学に提出する様々な書類を、学生が手書きの原稿で持ってきて代書屋に渡すと数分で清書されるのです。文書の書式はおじさん達の頭に入っているので、学生が提出先をおじさんに言えば、その体裁の文書が一丁上がりです。後になって気づいたのですが、この種の代書屋さんは役所や郵便局の近くにも陣取っていることがあります。字を書けない人が口述するのを聞き取って、その場で「申請書」や「手紙」を仕上げてしまいます。代書している姿の写真を撮影しなかったことが悔やまれます。下の画像は"flickr"から引用したものです。クリックするとfrickrのサイトに行きます(CC BY 2.0 に準拠)。Old Campus の代書屋さんは地べたではなくて椅子に座っていましたが、だいたいこのような感じでした。


 代書屋を使えるのなら自分でちまちまタイプを打つ必要はありません。報告書の原稿を手書きで仕上げて、Old Campus の代書屋の中でもかなりの年輩に見える人に渡してみました。そのおじいさんは、私の原稿を見ながらパチパチ打つのですが、ときどき綴りや文法の間違いを指摘して、その場で正しくタイプしてくれます。代書屋さんには自動スペル・文法チェック機能が備わっているのです。タイプしながら書式も整えられて、下の画像のような体裁の報告書に仕上がりました。料金のメモが残っていないのですが、A4一枚あたり5ルピーくらいだったはずです。資金があれば代書のおじさんを専属の秘書にしたいくらいです。完成した報告書を提出したら、グータラ生活に戻りました。




...つづく

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