96. バザール徘徊
10月12-13日 調査用具、岩石試料、およびバイクをまとめてHotel Zahoorに預け、身の回りの品だけを持って乗合バスでバーレーンから移動。ミンゴーラで一泊して翌13日にラーワルピンディのコミッティーチョークにある安宿に潜り込みました。当時のコミッティーチョークは、砂利が敷かれた広場を囲むようにホテルと食堂が並んでいる場所でした。広場はサッカーのピッチよりも少し大きくてバスターミナルとして機能していました。ただの広場なので乗場の番号や行先を示す表示はありませんが、バスのドア付近に立っている車掌(小柄な少年であることが多い)が行先を連呼しているので、乗るべきバスは簡単に見つかります。コミッティーチョークの西側は「マリーロード」と呼ばれる大通りに面して、その西側は商店街(バザール)でした。この位置関係を確認するためにグーグルマップで眺めてみたのですが、現在のこの地区は私の記憶とは大きく変わっていました。イスラマバード首都圏の拡大に伴って再開発されたらしく、マリーロードが拡幅されて「ベナジール・ブット・ロード」と改名され、バスターミナルがあった所は大規模な立体交差の一部になってしまったようです。コミッティーチョークの名前はバス停として残っています。


Comittee Chowk (Google Map)

10月14-16日 ラーワルピンディ旧市街のバザールを徘徊しました。コミッティーチョークのホテルから出てマリーロードを渡って西に伸びるイクバールロードを進むと右手に旅行鞄や袋物を扱う店が並んでいて「トランクバザール」と呼ばれています。車輪付きのスーツケースから、「フーテンの寅」さんが持ち歩いていたような古いタイプのものまで各種のカバンが山積みになっています。下の写真は、後にここで購入した「サムソナイト」のアタッシェケースです。正確な記録がないのですが、600ルピーだったはずです(当時の為替レートで約4200円)。値段からして本物ではさそうなことを承知の上で買ったのですが、今の法律では偽物とわかっているブランド品を日本に持ち帰ることはできません。A3用紙を折らずに収納できる大きさなので、授業で使う資料やノートパソコン、タブレットなどをガサッと入れて持ち運べます。30年近く経過した今でも日常的に使っていて、不具合は全くありません。3桁のダイヤルキーも健在です。もしかしたら、パキスタンで製造された正規品で、何らかの理由で本来の販売ルートから外れたものだったのかもしれません。




 トランクバザールの西端は6差路の交差点になっていて、ここから北に伸びる路が「ラージャーバザールロード」です。ここには金物や調理用具、家電製品を扱う店が並んでいます。この通りを中心に周辺一帯がラージャーバザールと呼ばれています。ラージャーバザールロードの東側には「サブジーマンディ」と呼ばれる一画があります。「野菜市場」という意味です。ここには八百屋だけではなくて、肉屋と魚屋が同居しています。肉屋には羊の胴体が吊り下げられていたり、店先に羊の頭が並んでいたりします。「マガズ」と呼ばれる羊の脳みそのカレーは美味なので、パキスタンを訪問するたびに探して注文していたのですが、狂牛病の流行以降は食べていません。羊にも「スクレイピー」という狂牛病とよく似た病気があります。人間への感染は確認されていないようですが、やはり少々気になります。魚屋に並んでいるのはフナやコイに似た川魚ばかりです。魚は大皿に並べられているのですが、生臭くて鮮度がどうなのか心配になります。露店ですからハエもたかっています。買って料理する気ににはなれません。
 このあたりをグーグルマップで眺めてみると、やはり再開発されているらしくて、「羊の頭がゴロゴロ」とか、「ハエだらけの魚屋」という状況ではなくなっているようです。

Raja Bazar (Google Map)

 サブジーマンディの細道を東に抜けると「ウルドゥバザール」です。ここには本屋と文房具屋が並んでいます。ウルドゥバザールを北に進み、本屋街の終点の交差点を右に折れると、貴金属・宝飾品を扱う「サラファバザール」です。たしか、ここの通りは車で入れないくらい狭くて頭上に日除けの布がかかっていたはずですが、現在の「サラファバザールロード」は車が対面通行できる広さで、私の記憶とは違っています。バザールで買い物をしているのは男性ばかり(大都市のデパートなどでは女性も居る。)なのですが、サラファバザールでは例外的に妙齢の女性を見かけることができます。ただし、家族の男性がボディーガードのように付き添っているので、アクセサリーを選んでいる女性の姿をカメラに収めてシャッターを切ることは非常に難しく、断念するしかありませんでした。  パキスタンでは、ある程度の経済力がある家庭の女性は、たいてい金銀の腕輪やピアスなどを身につけています。金の腕輪を何個もはめてジャラジャラさせている人もいます。こうした装身具は単なるファッションではなくて、女性個人の財産でもあります。貨幣価値が不安定なので、お金に余裕があるときに貯金するよりも現物価値がある貴金属を買って持っているほうが安全なのです。私が滞在していた当時の為替レートで1ルピーが7円相当だったのが、2018年現在は0.9円です。一方、金の市場価格は1990年から2000年にかけて下落傾向だったものの、近年は1990年比で2倍以上になって安定しています。サラファバザールを通り抜けてさらに東に進むとマリーロード(ベナジール・ブット・ロード)に戻れます。

97. 映画鑑賞
10月17日 コミッティチョークにある映画館Shabistan Cinemaに映画を見に行きました。看板の絵から判断するとジャッキーチェンの「酔拳」をやっているようです。カンフーものならセリフがわからなくてもそれなりに楽しめます。ただ、当然ですがこの映画には飲酒のシーンが頻繁に出てきます。禁酒国のパキスタンで、「浴びるように酒を飲みながら敵を倒す」という内容のものを上映していいの?と少し心配になります。午後4時ごろからの上映で館内は8割方埋まっていました。私が入った二階席の料金は15ルピーでした。パキスタンでは映画を観に来るのは比較的若い男性だけです。映画の楽しみ方も日本とは全く違います。主役が悪役と戦うときは主役を応援する声が館内に響き渡り、主役が負けそうになるとため息が洩らされます。肌の露出が多い服装の女性が登場して踊るシーンではあちらこちらで指笛が鳴ります。当然ですが、よく知られているタイトルの映画であっても、あからさまに性的なシーンはカットされています。宗教的な制約から「娯楽」が少ない社会なので、映画鑑賞は「全力で楽しむ」ものになっています。Shabistan Cinemaは当時の建物が現存(2018年4月の時点)しているようです。営業しているかどうかはわかりません。

Shabistan Cinema (Google Map)


98. 遺跡見物
10月18日 タキシラの仏教関連遺跡を見物します。ラーワルピンディからグランドトランクロードを西に30kmほど進むとタキシラ(Taxila)という町があります。現在のパキスタンはイスラム教国家ですが、タキシラには仏教が盛んだった時代の遺跡があって、その一部は公開されています。タキシラとその周辺一帯からペシャーワルの辺りまでは、紀元前6世紀にはガンダーラと呼ばれる王国の領土であったようです。ガンダーラは、その周辺で次々に勃興する王朝に代わる代わる支配されながらも11世紀まで存続したとされています。「西遊記」のテレビドラマなどでは求法の旅の目的地(天竺)となっています。遺跡はバスの便などがない地域に散らばっているので、効率よく回るには車を借り上げるしかありません。運転手付きのレンタカーを550ルピーで借りて、朝8:30に遺跡巡りに出発しました。
 40分ほどでタキシラ博物館に着到着。「仏像」はガンダーラで紀元一世紀に誕生したとされていて、この博物館にはタキシラで発掘されたギリシャ彫刻風の写実的な仏像が展示されています。釈迦の前世での行いを描いた浮き彫りなどもあります。仏教と仏像に興味がある方は必見でしょう。次に「シルカップ(Sirkap)遺跡」に向かいます。遺跡の詳細については、すでにネット上に公開されている情報がたくさんありますから、ここではできるだけ私の体験したことに絞って記述します。
 シルカップは石とレンガで建設された都市の遺構です。原っぱのなかに発掘された区画が野ざらしになっていて、冊で囲まれていないのでどこからでも入り放題です。遺跡への取付道路と駐車場がある北側が入口になっています。入場料は取られなかったと思います。街区の境界に築かれた石垣や仏塔の基壇は、発掘された当時のほぼそのままの状態で、現物に触れることもできました(現在も触れるかどうかは不明)。



  遺跡を見物していると、駐車場付近の木陰で寝そべっていた男性が近寄ってきてバスケット(ベスト)のポケットから小ぶりの薄汚れた仏像を取り出して「オールドブッダ、50ルピー」と言います。たったの50ルピーで仏像創成期の本物を買えるはずがありません。そのあたりの小石を遺跡の出土品に似せて彫刻した贋作でしょう。万が一本物の出土品だったとすると、貴重な文化財なのでパキスタンから持ち出すことはできません。そして、偽物と承知の上で「単なるお土産」として購入したつもりであっても、パキスタンを出国するとにき税関の検査で見つかれば非常に面倒なことになりそうです。「この仏像は模造品である」という証明書はついていないのです。仏像を持った男が付きまとうのを無視して遺跡を散策していると、少しづつ言い値が下がって最後は20ルピーになりました。売手の男が勝手に値下げしているのであって、自分からは何の条件もつけていません。買う気があるのならここから本当の値段交渉に入るところですが、この場は遺跡見物を終えてすぐに引き上げました。この種の交渉はいかにも「ヤバいブツ」の取引をしているかのような感覚で楽しめますが、ほどほどにしておかないと、ギリギリまで値下げさせて「買わない」のは売手を怒らせてしまうかもしれません。同様にバザールでお店をひやかすときにも気をつける必要があります。
 タクシーを走らせてジョーリアン(Jaulian)遺跡に向かいます。ジョーリアンでは入口に料金徴収の窓口があって入場料を払ったはずですが、金額の記録がありません。ここは僧院の遺跡で、生活区域である「僧坊」と礼拝や瞑想をするための「堂塔」に分かれています。僧坊は要するに合宿所であり、食堂(仏教用語なので「じきどう」)、庫裏(厨房)、雪隠(トイレ)、房室(僧侶の寝室)などが残っています。堂塔の中央部には大きいストゥーパがあったらしいのですが、大ストゥーパは基壇だけが残っていて、基壇を覆って屋根がかけられています。保護のためにやむを得ないのでしょうが、この屋根のデザインが遺跡とは全く調和していません。目障りな屋根のせいで、ストゥーパがどのようなものだったのかを想像し難くなっています。大ストゥーパの基壇の周囲には小さいストゥーパと各種の仏像が並んでいます。
 「ストゥーパ」は仏陀の遺骨(仏舎利)を納めた塔です。仏陀の遺骨が、仏教圏にたくさんある全てのストゥーパに分骨できるほど多量にあったかどうかは不明ですが、そういう「お約束」ということなのでしょう。小さいストゥーパの基壇には浮き彫りが施されています。大ストゥーパの基壇を囲む壁の内側に、大人が一人だけ座れるくらいの小部屋が配置されています。僧侶が読経や瞑想をするためのものと考えられています。
 料金所に居た管理人らしき人は、職場であるはずの料金所の窓口を離れて、私についてきていろいろと説明してくれます。ところが、この行為はボランティア活動ではありませんでした。ひととおりの説明が済むととガイド料を要求されます。私がお願いしてガイドしてもらったのではなくて勝手にやっていることですが、やっかいなのは「勝手にガイドする人」は正規の管理人らしいのです。保存状態がよくて価値が高い仏像や浮き彫りは、それらを保護するために鉄や木の扉で隠されています。彼らはその扉を開ける鍵も管理しているのです。ガイド料を払わないと扉を開けてくれません。試しに5ルピー札を渡してみましたが、不満の様子で首を横に振ります。ガイド料は20ルピーで決着しました。  最後にモーラーモラドゥ (Mohra Moradu)遺跡に向かいます。こちらも記録がなくて入場料がいくらだったか不明でず。モーラーモラドゥはジョーリアンのような僧坊と堂塔からなる僧院の遺跡です。堂塔には約 20 m × 18 mの四角の基壇の上に立派なドームを乗せた大ストゥーパがあったらしいのですが、ドームの上部は崩れてしまっています。こちらのストゥーパ(下の写真)はジョーリアンとは違って野ざらし状態(邪魔な屋根がない。)なので、脳内でドームを復元してその規模を想像することができます。ここで遺跡見物を終えることにしてピンディに戻りました。レンタカーを返すときに運転手に50ルピーのボーナスを渡しました。




10月19-27日 日本からパキスタンの観光にやってき二人の知人を出迎えて、上部スワート渓谷でのトレッキングなどの案内をしました。その内容は既に記述済みものと重複するので繰り返しません。

10月28-30日 28日にフライングコーチでラーホールに戻り(70ルピー)、29日に銀行から500ドル(10889ルピー)を引き出しました。この資金で調査を完了するつもりです。30日にフライングコーチでラーワルピンディに移動(70ルピー)。13:30発、19:30着とのメモが残っているので、バスを使うと6時間かかっています(現在は高速道路が整備されていてもっと短時間のはず)。飛行機のフライト時間は約40分で、市街地と空港の間の移動や搭乗手続きなどの時間を含めても実質2時間を少し超える程度でしょう。やはり、飛行機のほうが楽です。ピンディでは使い慣れた Aisa Hotel に泊まりました(75ルピー)が、自分の他に日本人二人が滞在していました。バス移動に疲れたので、サイドゥシャリフ(ミンゴーラ)まで飛行機を使うことにして、フライトを予約し、チケットも購入しました(220ルピー)。


...つづく

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