93. アジミールの調査
10月2日 次の調査ではドベール川とスワート川の間の空白域を埋めたいので、Khan Khwar という川の上流部に行くことにします。ドベールよりも多くの人が住んでいるようですが、宿があるかどうかわからないのでキャンプの準備をして、ガイド兼ポーターにはおなじみのワドゥドとザマーンを雇いました。




10月3日 小型タクシー(スズキ)を借り上げてバーレーンを出発(11:00)。ホワザヘラからインダス川沿いのベシャム方面への道に入り、シャングラ峠を越えます。ベシャムの手前のコロラ(Korora)で橋を渡って Khan Khwar 川沿いの道に入り、川を遡って16:00にアジミール(Ajmeer)に到着。タクシー代は800ルピーでした。距離的にずっと遠いカミラまで750ルピーだったことと比べるとかなりの割高です。アジミールは主要街道から離れた奥地の村なので、タクシーの復路で乗客を拾えるチャンスはほぼありません。おそらく、「そんなところに行くなら往復分の料金を払ってくれ」ということなのでしょう。ここはドベール谷と違って緑が豊かで、奥地まで畑と民家が点在しています。
 ワドゥドとザマーンが地元の人と交渉して、例によってマスジット(モスク)の軒下を借りることができました。夕食も民家から調達できました。ナンに野菜と豆のカレー、ジャガイモのカレー、ヨーグルトと枝豆です。枝豆は日本で塩茹でされているものと全く同じで、ビールが欲しくなります。






10月4日 朝はチャイだけで済ませて荷物を残して調査に出発。徒歩で北上しましたが、谷の地形が開けているため、露頭はあまり見つかりません。このあたりでは水牛が放牧されています。パキスタン北部の山岳地域では家畜といえば山羊か羊です。水牛はスワート地方ではホワザヘラより下流の平原ではよく見掛けますが、このような山奥で飼われているのは初めて見ました。次の三枚目の画像に写っているのが牛飼いの家族です(右端はザマーン)。出発地からおよそ6km進んだところでUターンし、昼過ぎにはアジミールに戻りました。遅めの昼食は塩味をつけて炊いたご飯とチャイ。夕食も同じ。









10月5日 朝食はサミアとチャイ。出発前に近所の男性から「写真を撮ってほしい」と頼まれました。保守的傾向が強い地域なので、奥さんは家から出て来ません。写真に収まるのは男性とその子供たちです。彼は紙切れに自分の住所を書いて来て、「写真をここに送ってくれ。」と言います。後日、ラーホールからプリントしたものを発送しましたが、無事に届いたかどうかはわかりません。




 宿泊地を撤収し、荷物を持って南下しならが調査します。しかし、谷の両側の斜面は段々畑になっているために露頭に恵まれず、試料もデータもあまり集められません。乏しい露頭を見る限り、ざくろ石と白雲母を多く含むので、すでにMMTを超えてインド亜大陸の領域に入っているようです。ほぼ「歩いているだけ」の状態になってしまいました。下流側からは、屋根に大きいスピーカーを乗せたダルソン(ダットサン)がやってきます。「爆音」レベルの大音量でBGMつきのナレーションを流しています。どうやら選挙運動のようです。




 シャープール(Shahpur)という集落の手前まできたところで下流側(南)に向かうダルソンに便乗させてもらえました。コロラまで3人で30ルピー。コロラには小さいながらバザールがあり、ワゴン車を改造した乗合バスやスズキの軽トラを改造したミニバスが行き来しています。スズキの運転手と交渉して350ルピーでバーレーンまで戻れました。

10月6-8日 休養しながら次の調査旅行の準備を進めます。ドベール川とスワート川の間の空白域を埋めるにはあと一本の山越えを行う必要があります。ミアンダム(Miandam)から徒歩でコリサール(Korisar)を通過し、リロウレイ(Lilowrei)を経てアルプレイ(Alpurai)に至るルートです。


94.  コリサールの調査
 10月9日 一泊分の野営の準備を整えてバーレーンからミアンダムミまでスズキを借り切って移動します(140ルピー)。ガイド兼ポーターはいつものワドゥドとザマーン。ミアンダムは標高が高いので避暑地として利用されています。当時としてはけっこう立派なホテルがありました。そこで下車して町外れから山道に入り、少し進むと Buda Tangue という集落があります。ここの山肌には急斜面を覆い尽くすように段々畑が作られています(下の画像)。畑が途切れたところから先は森の中を通ります。




 山道を進むと森を抜けて開けた草原になり、徐々に傾斜が緩んで峠に至ります。峠から少し下ったところがコリサールです。道は草原か森の中を通っていて、露頭はあまり見つかりません。労力に見合う成果は得られませんが、「露頭がない」ということはそれ自体がけっこう重要な情報です。コリサールでは馬が飼われています。柵などは全くないのにどこかに逃げてしまうことはないようです。












 コリサールから谷に沿って降り、リロウレイで南北に流れる本流に沿う道路に出ました。ここから道路を南に進めばアルプレイに至るはずです。そこには幹線道路に面してちょっとしたバザールがあります。路線バスが通っていますし、タクシーを拾えるかもしれません。宿屋もあるはずです。夕暮れ時が近づいていましたが、アルプレイまで歩くことにします。アルプレイのバザールに到着したときには、すでに日が沈んで暗くなりかけていました(時刻の記録なし)。長時間行動で疲れていたのでここの安宿に泊まることにします。夕食は宿のレストランでジャガイモとマトンのカレー、ダル(豆のカレー)、ロティ、チャイ。

10月10日 朝食をチャイだけで済ませて出発。宿代はルームチャージと食事込みで68ルピー(激安)でした。ホワザヘラ方面への乗合バスに乗ってホワザヘラで乗り換えてバーレーンに戻りました。これで、次の図のようにインダス川(黒い線)とスワート川(ピンクの線)の間の領域については、ドベール(赤い線)、アジミール(紫の線)、コリサール(オレンジの線)の調査を終えたことになります。



95. 山間部からインダス川本流域へ
10月11日 9日の長時間行動が体にかなり堪えていたので完全に休養します。コリサールの調査を終えた時点で、山間部に関しては自分の今の能力で安全に実行できそうな領域の調査は完了しました。10月中旬以降は3000mより高いところでは雪が積もるかもしれません。冬山用の装備をガイド・ポーターの分まで揃えていなければ行動できません。今、冷静になって振り返ってみると、氷河の上を歩いてシリカート峠を越えたことは無謀と言われても仕方がない行為でした。無事に往復できたのは単に運がよかっただけなのかもしれません。残る調査対象ルートはインダス川に沿って走るカラコルムハイウェイです。5月の偵察旅行で、この道路を通すために山肌を削った跡が露頭となって残っていることはわかっています。ただし、標高が低いこの地域は5月の時点でかなりの暑さで、道路沿いの調査は秋以降に後回しにすることに決めていました。10月になっても低地はまだ暑く、カラコルムハイウェイの調査を11月に持ち越すことにします。バーレーンに滞在していてもやることがないので、都市部に戻って社会見学(実質的に観光)することにします。Hotel Zahoorに滞在した日数は累計38日になっていました。


...つづく

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