87. バーレーン滞在1
 9月5 - 9日 パキスタンでの滞在費や調査に必要な費用は文部省(当時)から支給される奨学金で賄っています。元は税金ですから使いっぱなしということは許されません。「アジア諸国等派遣留学生」は半年ごとに留学の成果を文書で報告することになっています。自分は3月末からこちらに来ているので、最初の報告書は9月中に提出しなければなりません。ドベール谷から戻ると調査行動を中断し、数日かけてこれまでの成果をA4用紙数枚に書き記し、それを報告書としてまとめました。郵便局は滞在中の Hotel Zahool のすぐ前にあります。そこで報告書を入れた封筒を書留にする手続きをして控えをもらいます。これで確実に届くはずです。次の画像は Hotel Zahool の前の路地から見た表通りです。夏場は観光客がぞろぞろ歩いています。奥に写っているホテルの塀に沿って、よく露店が開かれます。画像の店はサモサ(カレー味のコロッケの中身をチャパティの生地で包んで揚げたようなスナック)とサラダのようなものを売っています。




 Hotel Zahool の前の路地には毎朝「ミルク売り」がやってきます。アルミの樽というか壺と言うべきか、大きい容器に牛乳が入っていて、それを小分けして売っています。買いに来るのはたいてい子供で、小さい器を持ってきています。売っているのは間違いなく「搾りたてのミルク」ですから魅力的なのですが、おそらく殺菌処理などはしていないでしょう。これまで下痢に悩まされることが多かったので、自分で買って生のまま飲むことは断念しました。チャイに入れるミルクもこれなのですが、作るときに沸騰させるので気にしないことにしています。


 当時のバーレーンのバザールには「ナン」を焼いて売る店が一軒だけありました。ナンを焼くかまどは大型で扱いが面倒であるらしく、一般の家や小さいレストラン、ホテルには設置されていないようです。Hotel Zahool にもないので、ナンはこの店から買ってきて客に出しています。ナンを焼く工程は独特のリズムがあり、見ていて楽しめます。一番奥に座っているあごひげのおじさんは小麦粉を練った生地の塊からテニスボールより少し大きいくらいの分量を捻り出し、丸めて板の上に並べています。右奥の白シャツのおじさんは、あごひげおじさんから丸めた生地を受け取って手のひらで叩きながら回転させて円板状に伸ばします。一番手前のおじさんは右手に小ぶりの枕のようなクッションを持っていて、円板状の生地を白シャツおじさんの手から「枕」で受け取ります。生地は枕ごとかまどに差し入れられ、かまどの壁に貼り付けられます。かまどの底には薪が燃えていて熱気が上がって来るので生地の投入は一瞬の早業です。もたついていると火傷しそうです。円板状の生地は熱くなっているかまどの壁と薪の直火で両面から加熱され、ものの1、2分で焼き上がります。「焼き」担当のおじさんは、先がL字に曲がっている長い金属棒をかまどに突っ込み、アツアツのナンをひっかけて取り出して積み上げます。客はナンの山から何枚かを取って代金(一枚2ルピーで12円から15円くらいに相当)を払い、冷めないように布で包んで持ち帰ります。


88. バーレーン滞在2
 9月10 - 21日 バーレーンの Hotel Zahool は地質調査の根拠地として理想的で、ここに滞在していると家に帰ってきているような日常感覚になり、緊張感が薄れます。そのせいか、バーレーン滞在中の行動記録が雑になっていて、何日にどこでどのような体験をしたかがはっきりしません。それで、以下の記述はおおよそこの頃の出来事ということになってしまいます(前項87も同様)。
 Hotel Zahool の中庭はスワート川に向って開けていて、そこからの眺めは次の画像のように豪快です。画面左手の青い壁の建物は当時のこの地では最大級のホテルでした。下流側に視線を振ると次のように川幅が広がって流れが緩くなっています。大雨が降って増水すると流域からたくさんの枯木が流されてきます。前にも述べたように、この流木は薪として利用価値があるらしく、川岸に取り残された流木は付近の住民に拾われてすぐになくなります。水嵩が下がって取り残された巨木に挑む人たちもいます。


 日付が不明ですが、「泊りがけ」で調査するときのガイド・ポーターとして活躍してくれているザマーンの自宅を訪問しました。バーレーンからミニバスに乗って10分くらい北上したところで下車し、急斜面の細道を数分かけて登っていくと細長い台地が現れます。おそらくスワート川が作った河岸段丘です。この台地は谷底近くを通っている道路から見上げても見えません。意外に広くて段々畑が作られています。畑に囲まれた敷地に平屋根で白い土壁の小さい家があります。チャイと何かをご馳走になったはずですが、記録がなくて思い出せません。田舎のせいか保守的な習慣が強いようで、女性は全く姿を現しません。男性の来客があるときは家の奥に引きこもっているようです。帰る前に庭先で撮った集合写真に写るのも男性だけです。




89. マイダーン日帰り観光
 9月22日 数日前から宿のオヤジ(ハーン・ザダ)に「マイダーンに行こう。」と誘われていたのをこの日に実行することにしました。「マイダーン (Maidan)」という地名はコーヒスタン地方のあちこちにあります。私は既に2、3箇所のマイダーンを訪れていて、いずれも山中にある平らでやや開けた土地でした。上部スワートのマイダーンはカラームよりさらに奥にあるようです。5月にオートバイでカラームより上流部に踏み込んだときはマチルタンという場所の少し先で残雪に阻まれて引き返しました。そのあたりは当時の自分の調査の対象外と考えていたので無理して行くこともないと思っていたのすが、ハーン・ザダが「とても綺麗なところだから是非行ってみるべきだ。」としつこく勧めるので従うことにしたのです。ハーン・ザダが交渉して借りてきたジープ型の4輪駆動車に乗って11:00にバーレーンを出発しました。料金はマイダーンまでの往復で650ルピー。もちろん私が支払います。メンバーは言い出しっぺのハーン・ザダ、シャールーム、ハワンダール(最近雇われた宿の雑用担当者)と私です。カラームまでは舗装道路を普通に走って昼過ぎに到着。昼食を摂ってさらに上流に進みます。カラームは二つの大きな谷の合流点にあり、目的地は右(東)の谷の奥です。そちらに行くにはカラームの北はずれの橋を渡って東に進み、河岸段丘の段差を斜めに登って谷に入ります。


 当時のここから先は未舗装で、4輪駆動車でなければ通れない道でした。急な斜面を削って作った悪路ですが5月のような雪は全くありません。カラームから30分程度でマチルタンに到達しました。その先は谷底が丸みを帯びたU字谷の底に沿って道がついていて、ずいぶん走りやすくなります。やがて川の流れが緩やかになり、川幅も広がって湖のようになったところがマイダーンと呼ばれている場所です。パキスタンの旅行ガイドブックでは Mahodand lake と書かれています。


 マイダーンには広い河原の所々に針葉樹の森と草原が点在し、その間をゆったりとした川が流れています。たしかに美しい光景です。日本でこれと似たような感じの場所は「上高地」といったところでしょうか。ただし、周辺の山々は 5000 m 級なのでスケールは全く違います。現在では道路が整備されて立派な観光地になっているようです。草原には牛、馬、羊などの家畜が放されています。私が訪れたときには日本の小学校高学年くらいの子供が牛の世話をしていました。彼は広口の瓶を持っていて、中には薄黄色いクリーム状のものが入っています。ハーン・ザダは「バターだ」と言います。子供が瓶の蓋を開けて差し出し、「舐めてみて!」という仕ぐさをします。瓶の中を覗き込むとハエと思われる黒っぽい異物がバターに半分埋まっていました。「いらない。」と言える状況ではないので、少しだけナイフですくって口にしましたが、ハエを見てしまったせいで味はよく覚えていません。日本で普段口にするバターよりもあっさりしていて塩味も薄かったと思います。


 帰りがけに馬に乗っている男性の集団とすれ違いました。競馬や馬術競技ではなくて、日常の移動のために馬に乗っている人を見たのはこれが初めてです。18:00頃にバーレーンに戻りました。 




...つづく

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