84. ドベール谷の調査1
 8月30日 朝から行動するつもりでしたが大雨のために午前中は動けず、12時にようやく出発できました。運転手を含めて4人が小型の乗用車(スズキ製の軽自動車の中古)に乗り込み、荷物は屋根の荷台に括り付けます。ホワザヘラを経てシャングラ峠を越え、ベシャムからカラコラムハイウェイを北上します。もう何度も通ったルートなので、追記することはありません。道中にトラブルはなく、15:30にドベールのバザールにたどり着きました。そこからドベール谷の上部に続く道に入ったのですが、路面が荒れていて乗用車では通行できない状態です。仕方なくバザールに戻り、そこで下車します。出発時の運転手との交渉では「ドベールカラ」までで500 Rs という話でしたから、「バザール止まり」ということで値切りを試みて450 Rsになりました。ちなみにドベールカラが本来のドベールで、ハイウェイ沿いの「ドベール」は道が開通してから商店街になったものだと聞きました。バザールで客待ちをしているスズキの乗り合いタクシー(軽トラを改造したやつ)をテャーターし、17時丁度にドベールカラ(Dubair Qala:地元の人は「アクリースドベール(本当のドベール)」と呼ぶ。)に到着しました。120 Rsでした。「ドベール」のローマ字表記にはいろいろあって定まっていません。Dubair, Duber, Dovail などです。ここでは多数派と思われる Dubair を使います。その次の画像はドベールの対岸にある村です。




 ここには数件の雑貨店と一軒の宿屋があります。宿屋はボロいのですが電球の明かりが灯っています。発電機があるのかと思ったらドベールカラには電線が通じていました。この宿には個室は一つだけで、普通の泊り客は広間に並んでいるチャールパーイー(木の枠に藁縄で編んだ網を張った簡易ベッド)で寝ます。荷物が心配なので自分だけ部屋を取って、ワドゥドとザマーンには広間で雑魚寝してもらいます。夕食はこの宿屋に併設の食堂でダル、ロティ、チャイで済ませました。
 この日の夜は暑かったので藁縄の網の上にそのまま横になったのですが、これがいけませんでした。眠りに落ちてからしばらく経って、太腿と胴回りにむず痒さを感じて目が覚めました。痒みがあるところを掻いたり、寝返りを打ったりしていると痒みはなくなります。再び眠りに落ちかけるとムズムズ感がぶり返します。この状態を何度か繰り返した後、目を覚ましたまましばらく静かにしてみました。小さな何かが肌の上を這いまわっているような感触があり、体を少し動かすとその小さな何かはピタッと止まります。灯りをつけて服を脱いでみると布地の上にノミがいるのを見つけました。捕まえようとすると素早く縫い目の間に逃げ込みます。このノミの動きから、藁縄の隙間に潜んでいたのではないかと思われます。しばらく様子を見ていると縫い目から出てくるので、その瞬間を狙って爪で挟んで潰します。ノミは指の腹で強く押しても死にません。十数匹を潰したところで疲れ果ててしまい、全裸になって体についていないことを確認し、持参していた寝袋を頭まで被って寝ました。


85. ドベール谷の調査2
 8月31日 朝早くおきて宿の裏手の河原で昨晩脱いだ服を洗濯しました。この宿屋では朝食を提供していないので、隣の雑貨屋で買ったビスケット二箱(20 Rs)に宿のオヤジに頼んでチャイを出してもらいました。宿代は昨日の夕食と朝のチャイを含めて3人で 57 Rsと激安です。7:40に出発。車が通行できる道は街はずれの橋までで、その先は歩道しかありません。ここから丸二日かけて徒歩で行けるところまで行くつもりです。8:50に Serai という集落を通過します。通りがかった民家の屋根の上で男性が銃の手入れと試射をやっています。




 9:30に Nildaraという場所に到着しました。ここでドベール谷は二股に分かれます。高度計の指示値は 1600 m です。ドベール川の本流は進行方向左手側ですが、右手の谷(Nilgai Khwar)がより深く北に伸びているはずなので、ここは右に進みます。



 ワドゥドとザマーンはたくさんの荷物を背負っていますが、私のペースに合わせて文句も言わずに歩いてくれます。彼らの側から「疲れた」とか「休憩したい」と要求されることはありません。小休止を取ったときには下ろした荷物の紐を一旦解いて荷崩れを修正し、その長い紐をするすると巻き直してリュックのような形に組み上げます。こういう技術は日本では廃れてしまったように思えます。
 11:30に雨が降ってきました。雨宿りができそうな場所がなく、持参のテントを張ってやり過ごします。雨は14時過ぎまで降り続いたので、これ以上の行動は無理と判断してキャンプできそうな場所を探します。充分な広さの平らところが見つからなくてウロウロしていると、近くの民家の屋根にテントを張らせてもらえることになりました。平屋根で土を搗き固めた上に砂が敷かれているので、テント泊には好都合でした。夕食にはご飯を炊いて肉の缶詰をおかずにしました。


 9月1日 サミアとチャイで朝食を済ませ、7:30に出発。谷沿いに北上します。12時45分にキャンプ可能な場所を見つけたので、テントを張って昼食(ご飯、ロティ、ダル、チャイ)。ここからさらに少し北まで調査し、高度計で 2625m に達しました。先に進むと標高約 4000 m の峠を越えることになり、峠の北側はカンディア川の流域です。シリカート峠を越えたときの経験から判断して、ここの峠越えもできそうに思えました。うまくいけばカンディア川流域の調査ルートと繋がります。地形図を睨みながら行くべきかどうか悩みます。こういう状況で欲張って行動すると大概は面倒な事態に陥ります。出発時に「キャンプは二泊以内」と決めていましたので、「無理な行動はしない。」という原則に沿って引き返しすことにしました。夕食は、ご飯、ロティ、サブジー、ダル。




86. ドベール谷の調査3
 9月2日 サミア、ビスケット、テャイで朝食。7:30に出発し、来た道を戻りながら調査します。道沿いにはあまり露頭がないので、ほぼ歩くだけになってしまい、12時にはドベールカラに到着しました。行きがけに泊まった宿屋で昼食(ダル、サブジー、ロティ、チャイ)をとり、午後は休養にします。夕食も同じです。ノミとの相部屋には懲りたので、広間で雑魚寝しました。どういうわけか。雑魚寝広間のチャールパーイーにはノミはいないようです。

 9月3日 ビスケットとチャイで朝食を済ませて6:30に出発。調査をしながらカラコルムハイウェイまで徒歩で戻るつもりなので少し早めです。宿代は前日の昼食から今朝のチャイまで含めて100 Rsでした。次の画像は、上から、「ざくろ石グラニュライト」、「かんらん岩」、「黒雲母片麻岩」です。かんらん岩と黒雲母片麻岩の間が「コーヒスタン島弧とインド亜大陸の境界」ということになります。





 15:40にドベール到着。バザールには各種の車が客待ちしています。ワドゥドとザマーンに交渉を任せると、ちょうどいいサイズのスズキのバンを見つけてきました。バーレーンまで 450 Rsです。15:45に出発し、シャングラ峠を越えて 20時にバーレーンに戻れました。

 9月4日 ワドゥドとザマーンにギャラを支払います。5日間拘束したので、一人 500 Rsにボーナス 100 Rsをつけて 600 Rsずつとしました。この日は何もせず休養。所持金の残高を確認したところ、20220 Rsありました。ラーホールを発ってから一日あたり 472 Rsを使っています。このペースならまだしばらくはお金の問題はありません。


...つづく

Indexに戻る