81. Je Kshwai へ移動
 8月21日 朝食はプラタとチャイ。ザンビルから上流側については予定していた範囲を調査できたので、今日から下流側に向かいます。7:45に出発し、本流に沿って歩きながら Je Kshwai まで調査しました。ここでザンビル方面に向かうスズキかダルソンを捕まえてベースキャンプに戻るつもりでした。ところが、午後遅い時間帯には車は登ってこないようです。17時まで待ちましたが、諦めて歩いて帰ります。19:30に暗くなりかけたところでどうにか戻れました。運転手の立場で考えれば、午後にカミラのバザールからザンビルに向かったとすると到着は夕方になってしまいます。その時間帯ではカミラ方面に向かう客を拾える確率は低いでしょう。なので、午後にザンビルに向かう車は少ないのだと思われます。ザンビルにベースを置いてやれそうなことは、これで全て終わりました。


 8月22日 ベースキャンプを移動させるために荷物をまとめ、7:40にカミラ行の車に乗り込みました。8:20に Je Kshwai で下車。例によって学校らしい建物を使わせてもらえることになり、そこの荷物を置きます。8:40から調査開始。カンディア谷の地質は、ほぼ角閃岩(玄武岩またはハンレイ岩起源の変成岩)だけで構成されているのですが、Je Kshwai から南に切れ込んでいる谷を遡ると、泥質片岩(泥岩起源の変成岩)の露頭が現れます。この泥質片岩を追跡し、12時をすぎに Mashbil という村に到達しました。泥質片岩がどのように分布しているかは気になりましたが、時間的にこれ以上は無理と判断して引き返します。14:00 に Je Kshwai 着。村の男たちがモスクの屋根に集まっているので様子を見に行くと、自慢の銃を持ち寄って手入れをしていました。暇さえあれば銃の手入れと試射をしています。「いいかげんにしろ」と言いたくなりますが、本当にほかにすることがないのでしょう。明日は目論見どおりに行動できれば、カンディア谷の調査に最終日になります。そのままバーレーンに向けて引き上げるつもりです。最終日というこことで、夕食に鶏を料理します。ここでは値段がぐっと下がって 100 ルピーで入手できました。



82. カンディア谷から撤収
 8月23日 20日に及ぶカンディア谷滞在も最終日です。荷物をまとめてザンビルから降りてくる車を待ち構えます。9:30にスズキに乗り込み、10時過ぎに Tutiで下車。ここにはカンディア川の本流に架かる橋があります(下の画像)。それを渡ってカンディア川左岸から北に切れ込んでいる谷を調査します。当時はザンビルより下流側でカンディア川の本流を渡れる橋はここだけだったと記憶しています。


 調査しながら歩いていると、不思議な光景が目に入りました。石ころだらけの山の斜面に延々と続く長大な柵のような物があり、その上を人が歩いているように見えます。近づいてみると、柵らしき物は大きい角材(長さ約 5 m 、断面は 40×50 cm くらい)を組み上げて作られていて、その上の面が平らな道として機能しているようです。木道を歩いている人は、角材を縛った紐を持って角材を引きずりながら下流側に歩いています。どうやら、木を伐っている現場は谷のずっと奥にあり、切り倒した木を現場で角材に加工し、その角材で仮設道路を作っているようです。仮設道路は急斜面を斜めに切るように伸びているので傾斜が緩やかになっています。その上を引きずるのですから大きな角材を一人で扱えます。足元が不安定な急斜面を人力だけで木材を運び降ろす様子を想像すれば、仮設道路方式のほうが安全で効率的なのだと思えます。角材を引いて仮設道路の末端に到達すると、その角材で仮設道路を延長します。上端側で仮設道路を分解して運び、下端側で延長する作業を繰り返せば、自動車を使える場所まで人力だけで移動できるわけです。




  12時過ぎに調査を止めて、14:00 に Tuti に戻って来たところで、ちょうど通りがかったスズキに乗れました。2時間弱でカミラに到着。そこで貸切にできる車を探します。「バーレーンまで 800 ルピー」でダルソンの運転手と交渉が成立しました。カミラを16:00に発車し、ベシャムからシャングラ峠を越えてスワートへ入り、ホワザヘラから北上して20:30にバーレーンまで戻れました。私は「逃げ足」は早いほうで、地質調査でも趣味の登山でも、撤収すると決めたら可能な限り速やかに立ち去ります。


83. 後始末と次の準備
 8月24日 ザマーンとワドゥドに賃金を支払います。現地への行き帰りを含めて22日間にわたって彼らに協力してもらいました。一日あたり100ルピーの約束だったので、一人につき2200ルピーになります。さらに、ボーナスとして現金700ルピーと革製のサンダル(120ルピー)にシャツとズボンの布地一着分(150ルピー)を支給しました。為替レートで単純に計算すると2万円を少し超えるくらいですが、彼らにとっては10万円以上の価値がある臨時収入になったはずです。臨時に人を雇うとき、賃金が相場よりも高過ぎて舐められてしまうのと、少なすぎて次の仕事を受けてもらえなくなるのと、どちらも困った事態になります。ザマーンとワドゥドに関しては、20日以上を一緒に過ごす過程で充分に信頼できると判断したので、次の調査にも同行してもらうことを優先して相場よりもかなり多めに支払ったつもりです。同行者の言動に不安があると調査どころではなくなってしまいます.
 8月25日から29日まではのんびり休養しながら次の計画を練ります。これまでの行動で、スワート川沿いとインダス川沿いの地域については単独でバイクを使って調査できることがわかっています。キャンプの必要はありませんし冬でも可能です。カンディア川沿いの調査を終えた段階で地形図を眺めていると、これらの三つの川に囲まれた領域の中央部が空白状態になっているのが気になります。空白域のほぼ中央をドベール谷という深い渓谷が南北に貫いています。ドベール谷はインダス川から北に分岐するドベール川が削り出した渓谷です。ここを調査できれば未調査領域を大幅に埋めることができます。奥の方はかなり標高が高く、約 4000 mの峠を越えるとカンディア谷の Paraiに抜けられそうです。できるだけ奥に到達したければ、夏のうちに調査しなければなりません。次の調査はドベール谷を遡ってみることにします。カンディア谷での経験に基づいて準備を進め、ポーターには再びワドゥドとザマーンを雇います。下の図の赤い線がドベール谷です。





...つづく

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