81. Je Kshwai へ移動
8月21日 朝食はプラタとチャイ。ザンビルから上流側については予定していた範囲を調査できたので、今日から下流側に向かいます。7:45に出発し、本流に沿って歩きながら Je Kshwai まで調査しました。ここでザンビル方面に向かうスズキかダルソンを捕まえてベースキャンプに戻るつもりでした。ところが、午後遅い時間帯には車は登ってこないようです。17時まで待ちましたが、諦めて歩いて帰ります。19:30に暗くなりかけたところでどうにか戻れました。運転手の立場で考えれば、午後にカミラのバザールからザンビルに向かったとすると到着は夕方になってしまいます。その時間帯ではカミラ方面に向かう客を拾える確率は低いでしょう。なので、午後にザンビルに向かう車は少ないのだと思われます。ザンビルにベースを置いてやれそうなことは、これで全て終わりました。
82. カンディア谷から撤収
8月23日 20日に及ぶカンディア谷滞在も最終日です。荷物をまとめてザンビルから降りてくる車を待ち構えます。9:30にスズキに乗り込み、10時過ぎに Tutiで下車。ここにはカンディア川の本流に架かる橋があります(下の画像)。それを渡ってカンディア川左岸から北に切れ込んでいる谷を調査します。当時はザンビルより下流側でカンディア川の本流を渡れる橋はここだけだったと記憶しています。
83. 後始末と次の準備
8月24日 ザマーンとワドゥドに賃金を支払います。現地への行き帰りを含めて22日間にわたって彼らに協力してもらいました。一日あたり100ルピーの約束だったので、一人につき2200ルピーになります。さらに、ボーナスとして現金700ルピーと革製のサンダル(120ルピー)にシャツとズボンの布地一着分(150ルピー)を支給しました。為替レートで単純に計算すると2万円を少し超えるくらいですが、彼らにとっては10万円以上の価値がある臨時収入になったはずです。臨時に人を雇うとき、賃金が相場よりも高過ぎて舐められてしまうのと、少なすぎて次の仕事を受けてもらえなくなるのと、どちらも困った事態になります。ザマーンとワドゥドに関しては、20日以上を一緒に過ごす過程で充分に信頼できると判断したので、次の調査にも同行してもらうことを優先して相場よりもかなり多めに支払ったつもりです。同行者の言動に不安があると調査どころではなくなってしまいます.
8月25日から29日まではのんびり休養しながら次の計画を練ります。これまでの行動で、スワート川沿いとインダス川沿いの地域については単独でバイクを使って調査できることがわかっています。キャンプの必要はありませんし冬でも可能です。カンディア川沿いの調査を終えた段階で地形図を眺めていると、これらの三つの川に囲まれた領域の中央部が空白状態になっているのが気になります。空白域のほぼ中央をドベール谷という深い渓谷が南北に貫いています。ドベール谷はインダス川から北に分岐するドベール川が削り出した渓谷です。ここを調査できれば未調査領域を大幅に埋めることができます。奥の方はかなり標高が高く、約 4000 mの峠を越えるとカンディア谷の Paraiに抜けられそうです。できるだけ奥に到達したければ、夏のうちに調査しなければなりません。次の調査はドベール谷を遡ってみることにします。カンディア谷での経験に基づいて準備を進め、ポーターには再びワドゥドとザマーンを雇います。下の図の赤い線がドベール谷です。