74. カミラまで買い出し1
8月14日 昨日までの行動で下界から持ち込んだ食料がほぼ尽きてしまいました。キャンプ生活にも少し疲れてきたので、休養を兼ねてカミラのバザールまで買い物に行くことにします。ザマーンとワドゥドはテント番としてザンビルに残します。ザンビルからTollまではハイラックスに乗って15ルピー。決壊した道路はまだ復旧していなくて、下流側に待機している別のハイラックスに乗り換えます。さて、この乗用車の後ろの半分を荷台にしたようなタイプの小型トラック(ピックアップ)はパキスタンの田舎では「ダルソン」と呼ばれます。由来を確かめたわけではありませんが、日産の「ダットサン」が訛って定着したのではないかと思われます。一般名詞と化していて、車体に"TOYOTA HILUX”のロゴマークがあってもダルソンです。荷台の両サイドに沿って木製のベンチが取り付けてあり、乗客はそのベンチに内向きに座ります。中央のスペースには荷物と人を混載します。
乗り換え後のハイラックスには自動小銃(AK-47)を肩にかけた若者が同乗していました。腰には弾丸を装着したベルトを巻いています。カンディア谷ではこの程度の武装をした人は珍しくもないのですが、すぐそばに座られると緊張します。車は1時間くらいでインダス川への合流地点の少し手前まで到達したところで停車し、乗客は近くの平らな岩の上でお祈りを始めました。その間に運転手はボンネットを開け、川から水を汲んできてエンジンルームにぶち撒けます。車は石ころだらけの悪路をアクセルをガシガシふかしながら「駆け足より少し早い」くらいの速度でノロノロ進んできました。そのせいでエンジンが過熱しているらしく、水がかかると白煙が立ち昇ります。運転手は何回か水をぶっかけてエンジンまわりが冷えたところでラジエーターの蓋を開けて水を入れました。満タンになるまでにかなりの量の水を入れたようです。ラジエーターの水は相当減っていたことになります。お祈りとエンジンの「冷却」が終わると乗客が集まってきます。このとき、銃を持って乗ってきていた若者の銃とガンベルトが見当たりません。近くの民家に預けてきたそうです。無許可で銃を所持しているので谷の外に出かけるときには持っていけないのです。
インダス川に架かる吊り橋の手前で再び停車し、向こう岸から渡ってくる車列と離合するために待機します。当時のこの橋は通行部可能部分の幅が 4 m くらいしかないので、一度に一台しか通れません。橋の構造もそれほど頑丈そうではありません。そこを材木運搬用のトラックがしょっちゅう通っていて、その間は一般の車両は待たされます。けっこう時間がかかりますから乗客もドライバーも車を降りて待ちます。ハイラックスのフロントグリルを何気なく眺めていると、ラジエーターの下から水がポタポタ滴っているのを見つけました。「これは大変だ。」ということで、ドライバーに指摘すると、彼はしっかりした英語で「それは水が入っている証拠だ。」と言います。かなり乱暴な理屈ですが、冷却水が減ってオーバーヒートする前に水を足していれば問題ないというわけです。橋を渡ってしまえばその先はカラコラムハイウェイです。車はそれまでの悪路と比べれば高速道路並みの道を突っ走ります。この辺りのインダス川は、両岸が非常に急峻で巨大な溝のようになっています。人が住むのに適した場所はわずかしかありません。壁にへばりついているような家が見受けられるのですが、下の画像のように「なぜそこに住むことになったのか?」、「住み続ける理由な何なのか?」理解しにくい状況です。Tollからカミラまでの料金は15ルピーでした。
75. カミラまで買い出し2
カミラと対岸のダスーには平らな土地があり、学校には充分な広さの校庭があります。ここには陸軍基地があるし、周辺の山岳地域の住民の下界との接点でもあります。さらに、ダスーは長距離バス・トラックの休憩場所です。なので、バザールの規模は小さいのにやたらと人が多くて宿の軒数も多めです。
宿泊先はバザール内の安宿の一つ(アシュタールホテル)にします。確か、一泊20ルピー(120円くらい)だったと思います。コンクリート打ち放しの殺風景な部屋にベッドが置いてあるだけです。それでも石ころだらけの河原に張ったテントに寝袋で寝るよりはるかにましです。ちょっと驚いたのは、トイレが屋上にあってほぼ露天状態であったことです。屋上の片隅に、大人がしゃがんだときに肩から下だけを隠せる壁で囲ったスペースがあり、そこを覗くとレンガで作った足場の間に溝があります。ここで用を足すと小便は溝を流れて壁の穴からそのまま外壁づたいに外へ流れ出しますが、地面に到達する前に乾いてしまいます。大の方はある程度乾燥したところで取り除いているようです。この地域はとても乾燥した気候で晴天が多いので、このような大胆なシステムでも見た目ではあまり不潔な感じがしません。このままでいいとは思えませんが。
カンディア谷の奥地で実際に調査してみると事前に想定していたよりも多くの食糧が必要でした。現地の人たちは珍しい外部からの来訪者をできるだけ歓待しようとしてくれますが、自給自足生活を送っている彼らに大きな負担をかけるわけにはいきません。食事を振舞ってもらった場合にはお礼に米や小麦粉を渡すようにしていたのですが、こちらの人数(ガイド、ポーターを含む)相当分の見積もりが甘くて全く足りませんでした。パキスタンの人は紅茶に砂糖を大量投入するので砂糖もすぐになくなります。今後の行動に必要不可欠と思われる塩、砂糖、紅茶、米、小麦粉、ギー(食用油)などを買い集め、薬屋で傷の消毒薬を入手しました。下の画像はダスーから見える山です。
76. カミラまで買い出し3
8月15日 7:20にスズキに乗ってカミラを出発しました。Tollまでは15ルピーで、決壊地点でダルソン(ハイラックス)乗り換えてザンビルまでは20ルピー。15:40に到着しました。なぜか料金が前日より5ルピー高くなっています。上流側で稼働しているダルソンは一台だけなので同じ車に乗ったはずです。「谷を遡るほうが高い」のか手荷物が多かったからなのか、理由はわかりません。